ダウン症でよかった!

episode 91-100

 

お母さん 馨ママ

 

お母さんと呼ばれる日までは、と思っていました。

娘の馨(かおる)は、ダウン症で、重い心臓病を持って生まれてきました。生まれたときには、感涙により馨の顔がほとんど見えていませんでした。ただただこの世に生まれ泣き叫ぶわが子の泣き声に感激していました。その後、馨は、すぐに大病院に搬送されました。一週間後、大病院の保育器の中で静かに眠るわが子をあらためて見ました。ダウン症だ・・・。見てすぐ分かりました。その後、担当医から心臓病の話を受けました。「もって5年、手術をしなければ」。「手術の成功率は50%です」。「5年・・・」。私は主人と共にその場で泣き崩れました。生まれたばかりの子供にこんな厳しい選択を迫られるとは思いもよりませんでした。でも、私は、母です。強くなければいけないんです。「手術をしてください」。そうきっぱりと言ったのを覚えています。手術は必ず成功する、そう信じて・・・。

手術は半分成功しました。というのは、思った以上に病が重く、一度の手術では根治できなかったのです。それでも、元気に退院できました。もっと体が大きくなった頃にまた再手術することになりました。私と主人は、今度は感激の涙を流しました。「元気になった」。5年以上生きられるんだ。しかし、担当医からは、「体調は今なお予断を許さない状況です。5年が一つの目安になります。5歳くらいになったらまた手術しましょう」と、言われました。

それから、私たち3人の暮らしは始まりました。5歳まで生きられるかどうか、そんな重圧を受けながらの日々でした。しかし、主人は努めて明るく過ごしてくれました。家族のために、彼なりに考えた結果だと思います。主人には本当に感謝しています。でも、夜、泣きながら「馨!馨!」と寝言を言っていたことがありました。その脇で私は涙が止まりませんでした。主人もやはり5年の重みを感じているのです。次の日の朝、私は、そのことを主人に話しました。主人は驚き、私に言いました。「寝てるときは許して」。「許しますよ、もちろん」。私たち夫婦の会話は短めでしたが、とても温かいものでした。泣いているのは私だけではないんだ。そんな思いで勇気付けられた記憶があります。

馨はすくすくと成長しました。まるで、何の病も患っていないかのように元気に明るく。その姿が、逆に怖いくらいでした。「ある日、突然・・・」、なんて言うことを考えて日々びくびくして過ごしていました。でも、馨を信じていたのも事実です。弱気と強気のはざまで日々充実した生活を送ることだけを考えていました。そして、5歳になったときのことばかり考えていました。5歳までには色んなことができるようになっているだろうな。そう考えるとワクワクします。いつもそうして暗い気分を取り払っていました。「お母さん」・・・5歳くらいになったらそう呼んでくれるかもしれないな、なんて考えていました。

そして、馨は5歳になりました。いよいよ手術の当日、それまで言ったことのない言葉を発しました。手術のための麻酔をするときになって初めて言ってくれたんです。「お母さん・・・」。私は、涙が激流のように流れ、「大丈夫だよ!きっと大丈夫!お母さんを信じて!治るから!」。意識の遠のくわが子に大声で呼びかけました。

そして、手術中。ずっとずっと待ちました。馨は私の願いを叶えてくれました。小さな体で、難病と闘う。とてもすごいことだとあらためて感じました。そんな立派な娘を持って本当に幸せだと思いました。思えばこの5年、色んなことがありました。成長は少しゆっくりだったけれど、着実に成長していく、そんな子でした。

・・・長い時が過ぎ、手術中のランプが消えました。馨の手術は成功。完治。私は主人の手をとり喚起の声を上げてしまいました。後は麻酔の覚めるのを待つだけ。この時間もとても長く感じました。そして、麻酔が覚め、馨は言いました。「お母さん・・・お父さん・・・」。「もう大丈夫だよ!治ったんだよ!」。私は、病院中に聞こえるくらいの声で叫んでしまいました。だって嬉しかったんだもん。主人は激しく泣いていました。

今、馨は10歳になりました。元気に支援学校に通っています。当たり前のように「お母さん」、と言ってくれます。その言葉を聞くたび、手術のことを思い出します。良い思い出も悪い思い出も色々駆け巡ります。でも、一つだけいえるのは、かけがえのない命、馨の命は、今、大きな光をもって輝き続けているということです。いつまでも輝いていて欲しい。欲張りな私の唯一の願いです。馨、生きて。

 

 

 

子供のことは 里佳子ママ

 

初産で生まれてきた女の子(里佳子)はダウン症でした。

私は、生まれて見ただけですぐに分かりました。

でも、夫はダウン症であると聞いてひどく動揺しました。

子育てをしたことがない私たち夫婦は、普通の子でさえ苦労するのに、ダウン症の子を育てることができるだろうかと大変不安だったことを覚えています。

夫は色々調べてくれて、近所の保育園でダウン症の子を預かってもらえることが分かりました。

その保育園には、偶然にも里佳子と同い年のダウン症の女の子(T子ちゃん)が入園していました。

里佳子も入園でき、健やかに成長していきました。

里佳子とT子ちゃんは、保育園ではずっと同じクラスでしたが、小学校は違いました。

里佳子は普通クラス、T子ちゃんは支援クラスでした。

里佳子とT子ちゃんと親たち4人の計6人でファミリーレストランで食事をしました。私たち夫婦は、T子ちゃんの親御さんにかける言葉がありませんでした。なんと言えばいいのか、見当がつきませんでした。T子ちゃんの親御さんも言葉少なでした。そんな状況でT子ちゃんが言いました。

「里佳子ちゃんは普通クラスか〜。いいね〜」

里佳子は答えました。

T子ちゃんと違うクラスは嫌だ!」

私たちは困ってしまいました。

T子ちゃんのお母さんが言いました。

「里佳子ちゃんは、お勉強がよくできるから普通クラスがいいの。喜んでいいことなんだよ」

それでも里佳子は言います。

「嫌!」

その後もずっと嫌々といいながら普通クラスで過ごしていました。

転機は小学3年生のときに訪れました。

担任の先生が私たち夫婦にこう言いました。

「やっぱり少し勉強に遅れが出てきてしまいました。このレベルだと支援クラスに移ったほうがいいかもしれません」

私たちは悩みました。

里佳子にも相談しました。

里佳子の返事はこうでした。

「やった! T子ちゃんと一緒だ!」

この返事で私たち夫婦は決めました。

そして、小学3年生からは里佳子も支援クラスで学ぶことになりました。

里佳子は毎日本当に楽しそうに学校に通うようになりました。

普通クラスの勉強が負担だったということもありますが、やはりT子ちゃんと一緒というのが大きかったようです。

本当に活き活きとしたもんです。

休日もT子ちゃんを家に招いて一緒に遊んでいます。

こんな双子みたいな子供たちを前にして、T子ちゃんの親御さんと私たち夫婦は、話題豊富で保育園時代のように楽しくやり取りしています。定期的にファミリーレストランでお茶会も開いています。娘たちが築いてくれた絆が私たち6人にはあります。この6人が揃えば、どんな苦難にも打ち勝つことができそうです。

ダウン症っていうことで、数奇な運命を背負わせてしまいましたが、一番いいところに落ちついた感じです。ダウン症という個性を持って生まれたお子さんを持つ親御さんに言いたいです。

「子供のことは子供に聞け」

答えはお子さんがすべて知っています。

お子さんの言うことに耳を傾け、その意思を汲み取ってあげてください。将来も成長した子供に聞けば答えが見えてくると思います。

 

 

 

ヒーロー 和生ママ

 

和生が生まれたとき、初孫ということもあり、私と夫の両親がとても喜びました。病院でも喚起の声を上げ、手を取り合って喜び合いました。私にも激励の言葉を頂きました。

そして、告知。喚起の声は止み、喜びはどんよりした積乱雲のような灰色の世界に変わりました。私は、和生を愛せない。正直そう思いました。私たちの両親もそう思ったようです。そんな空気を感じて、夫が激昂しました。「生まれてきた子を愛せなくてどうする!どんな子供だって生まれてきた子は大切だ!かけがえのない命なんだぞ!」。私は、こんな姿の夫をはじめて見ました。大声で言いながら、目には涙を浮かべていました。夫は、一人立ち上がり、和生の味方になってくれました。正義のヒーローです。

和生は今、7歳。ヒーロー物のテレビ番組が大好きです。そんな時、和生に言います。「お父さんはヒーローだよ。和生が生まれたときに和生を守ってくれたんだよ」。我が家の方針はすべての情報を開示すること。家族内で秘密を作らないこと。これは夫の方針です。だから、和生の物心がつく前から、和生には、ダウン症なんだということを伝えています。かなり珍しい家庭だと思います。和生も今ではそんなことを気にせず、一人の子供として精一杯生きています。「和生は私にとってのヒーローだよ」。そんなことをテレビに釘付けの和生に言ったこともあります。テレビに夢中で聞いてなかったみたいです。でもいいんです。私は、和生を生んで二人のヒーローに恵まれました。

ダウン症のお子さんを出産した方全員がおそらく落ち込むと思います。でも、多分誰かがヒーローになって家族を支えていくんだと思います。それは、ママさん自身かもしれません。でも、きっとお子さんを守るヒーローが現れると思います。

和生は留年してまだ保育園に通っています。同期の仲間たちは小学校にあがりました。保育園でも色んな事件が起きました。いじめられたり、いじめたり。和生がいじめっ子になったときもありました。このときは、少し胸がすいた気がしました。いじめられてばっかりじゃないんだ。心の中で、「和生はヒーローだよ」。そんな風に思ったこともありました。不謹慎ですね。

和生は将来、テレビ番組のヒーロー物の仲間になりたいとよく言っています。体を鍛えてヒーローになるんだとよく言っています。毎日、なわとびを300回やっています。2時間くらいかかります。ものすごい努力家です。ダウン症ってことをどう思っているんだろう。ダウン症の人がヒーロー物の戦隊の一人になるような時代は来るのでしょうか。そこまで、日本の福祉はたどり着けるでしょうか。ヒーローになりたいというのは夫ももちろん知っています。夫は和生に言います。「ダウン症だからといって夢をあきらめる必要はないんだよ。やれるだけのことをやって、あとはご先祖に祈りなさい。何かの形で必ず報われる」。和生には少し難しい表現ですが、よく理解しているようです。

和生はそういう訳で、お墓参りがとても好きです。土日は毎日、散歩がてらお墓参りに行きます。お墓の前で手を合わせ、なにやら祈っています。ある日、「何祈ったの?」、と何気なく聞いたことがありました。「戦隊ヒーローになりたい」、そう言うと思ったら、「お父さんとお母さんが元気でいられますようにって祈ったの」、と言いました。私は、思わず泣いてしまいました。なんて優しい子でしょう。まだまだ子供だと思っていたら、こんなにも成長していたなんて。自分のことより私たちのことを祈るだなんて。私は毎回「和生が戦隊ヒーローの一員になれますように」などと祈っていた自分が恥ずかしいです。和生は本物のヒーローです。私を守ってくれるヒーロー。この子の未来が明るいものとなるようただただ祈るばかりです。

 

 

 

復習 教育ママ

 

娘、恵子はダウン症です。

でも、子供のころから厳しく育ててきました。

小学校に入るまでに、ひらがなを覚えさせました。

お箸も使えるようにしました。

足し算も少し分かります。

それは、健常児と対等に学ばせたいという一心からです。

おかげさまで恵子は地域の普通校の普通クラスに入ることができました。

学校では、それでも周りの子よりも少し遅れがあるようです。

テストの点もいいとはいえません。

テストを返却してもらった日には、必ず復習をします。

一緒に100点が取れるまで勉強します。

体育のある日に特別に拝見させてもらったこともあります。

鉄棒の時間で、前回りができませんでした。

それ以来、家に鉄棒を買い前回りの練習をさせました。

家での復習で常に遅れを取り戻すような状態でした。

時には、厳しくしすぎて泣いてしまうこともありました。

でも、それでも厳しく教え込みました。

「普通の子と同じようにできるんだ!」

私には、確たる信念がありました。

そんなある日、恵子が遠足の絵日記を書きました。

そこにはこう記してありました。

「えんそくのひはつまらないな。おかあさんとふくしゅうできないもん。おかあさん、えんそくはみんなとおなじようにできたよ。たのしかったよ」

…私は、思わず涙ぐんでしまいました。

復習するのがいつしか恵子の楽しみに変わっていたとは。私はいつも厳しくしすぎかと思っていました。体裁を気にしてるだけなのではないかと思うこともありました。そんな厳しい復習を楽しいだなんて。恵子の素直さには驚かされます。ダウン症の子は邪気がなく、陽気だと言われていますが、恵子もいい意味でそうだと思います。これからも教育ママとして恵子の成長をサポートしていきたいと思います。無理のない範囲で。

 

 

 

父兄参観日 兵士

 

先日、小学校の父兄参観日がありました。

うちの子は支援クラスなので、父兄の数も少なかったです。

授業は本当に分かりやすく、じっくりと繰り返し教えるという内容でした。

科目は、道徳。

世の中で暮らしていくために必要な知識、人とのかかわり方、ものの考え方などが中心でした。

支援クラスを卒業すると、ほとんどの子は支援学校の中学に通います。

そして、将来職に就きます。

この流れを教えてくれていました。

「お花屋さんになりたい!」

「働かなくてはいけないの?」

「好きな仕事を選べるの?」

などと、主に上級生からの質問が出ていました。

先生は、働くことのすばらしさ、好きな職業に就けるわけではないこと、働くには忍耐力が必要なこと、を熱心に教えてくれました。

ただ夢を見させるだけではなく、現実的なことを率直に指導してくれました。

「好きな仕事を選べるわけではないけれど、やりたいことが決まったら、とことんそれをやってみなさい。努力すれば必ず報われます。働くということは、それをしてお金をもらうんです。それは、社会のためになることで、遊び半分ではできないことです。みんながもっと大きくなったら分かると思うけれど、今は難しいかな? でも、一つだけ覚えておいてほしいことは、人のためになる気持ちを忘れないでほしいということです。皆さんは、今までに多くの人の助けがあって成長してきました。働くということはその恩返しです。とにかく人のために。忘れないでください」

父兄の中には、思わずすすり泣く方もいらっしゃいました。

将来我が子が働くんです。

働いて社会のためになるんです。

私も先生の言葉に感極まってしまいました。

働くようになるまで成長する我が子。

生まれたときにはどうなることかと思いましたが、いつか働く日が来るんですね。

しかし、授業が終わった後の先生と父兄の懇談会では、一転先生の姿勢が変わりました。

「夢を見させないでください」

きっぱりと仰いました。

「現実は厳しいです。働き口もあるかどうか。これからの成長にかかっています。どうか、将来お子さんたちが働くことができるようにしっかりとしたしつけをしてください。そして、上手にできることを伸ばしてあげてください。今は障がい者を受け入れる企業も多く、色々な仕事があります。単純作業のようなことかもしれませんが、縫い物や機械を組み立てる仕事であったり、色々あります。縫い物は今からでもできますし、機械の組み立ては、積み木などで学ぶことができます。今できることも多くあるんです。お子さんの将来のため、今から色々教えてあげてください。これは戦いです。子育てという戦いなんです。負けてはいけないんです」

身を引き締められる思いでした。

現実は甘くない。でも、悲観することではない。必ず報われる日が来ることを祈って、我が子に接していきたいと思いました。

 

 

 

だから何 妹愛

 

私は、妹と小さな頃からお風呂に一緒に入っています。

妹はダウン症です。

だから何。

昔からですが、妹はからかわれることが多かったです。

私は守り続けました。最初は、「いじめないで!」と涙ながらに訴えていましたが、そのうち、「だから何?」と言うことにしました。ダウン症だからといってさげすまされるいわれはなく、まさに「だから何」なんです。成長はゆっくりだけど、着実に成長しています。普通の子と同じペースではできませんが、ゆっくり着実にできます。そして、普通の子より陽気で、何をするにも丁寧です。普通の子より劣っている面はありますが、優れている面もあるのです。昔は劣っている面ばかりが目に付きましたが、最近は優れている面ばかりに目が行き、毎日驚かされています。

さて、そんな妹と銭湯に行ったことがあります。妹と一緒に体を洗い、湯船につかりました。すると、湯船につかっていたおばさんがそろりと出て行きました。妹のほうをいちべつして、嫌そうな顔をしていました。「なんですか?」私は思わず口にしました。「ダウン症でしょ、その子」そうおばさんは言いました。私は、怒りがこみ上げてきました。同時にとても悲しくなりました。「そうですけど、お嫌ですか?」そう言ってやりました。「別にいいのよ、それじゃ」と言って出て行こうとしていたので、石ケンをぶん投げてやりました。許さん! 衝動的にした行為が後に問題になりました。出入り禁止になりました。「誰が悪いの」全くの不条理にいらだちました。それでも思う。私は妹を守る。

「だから何」なんです。差別って無くならないのかなー? みんなが無くそうと思えば無くなるような気がしています。それにはまず色々な障がいを知ることが重要だと思うのです。知った上で差別するような人間がいるとすれば神様に天誅を下してもらえばいいのです。ちょっと過激になりましたが、そういう人には障がい児の持つ天性の魅力が分からないのです。それって十分不幸なことですよね! 可哀想にさえ思えてきます。私は、妹の魅力をいっぱい感じています。すごく幸せです。あのおばさんは、そんな魅力に気付かずに、人生を終えるのです。可哀想に。

「だから何」・・・そういう時代はいつごろ訪れるのでしょうか。障がいのことをみんなが知り、それを受け入れ、なんでもないこととして扱う。そこまでのレベルにいつたどりつけられるでしょうか。そんな時代が来ることが楽しみです。ワクワクします。

でも、多分来ないでしょう。そんな気がします。ある程度は親兄弟が守ってあげる必要があるのかな、と思います。それはそれで張り合いがありますけどね。もしそんな時代が来るとすれば、障がい児のスターか何かが生まれるか、障がい児の優れた部分がクローズアップされ、マスコミで報道してもらうか、何かのきっかけが必要なんだと思います。親しい人に障がい児がいるというのが一番効き目があるように思います。

私は、今、地域の新聞社に勤めています。毎週土曜日の新聞にコラムを載せています。障がい児を持つ方の投稿を厳選して掲載しています。どの家族も差別には苦しんでいます。まず、それを知ってもらいたい。その上で、どういう行動を取るか、それは人それぞれだと思います。私の力でできることはこのくらいです。でも、少しでも障がいに対する差別を無くせられたらと思っています。もう妹と二人で泣きながら銭湯から帰って来たくありませんから。

 

 

 

8年間 双子ママ

 

我が家には兄の慎太郎と弟の次郎という二人の子供がいます。

兄の慎太郎がダウン症です。

慎太郎は10歳、次郎は8歳になりました。

身長はほぼ同じ、双子のような二人です。

慎太郎は支援クラス、次郎は普通クラスで学んでいます。

次郎がある日、作文を書きました。

「おにいちゃんのこと

 ぼくのおにいちゃんはだうんしょうです。

 だうんしょうというのは、1000にんにひとりうまれるそうです。

 おにいちゃんはそのひとりにえらばれました。

 だうんしょうということで、わるいこともいっぱいありますが、

 いいことのほうがおおいです。

 おにいちゃんはとてもやさしいし、なにをするのにもようきでげんきです。

 だからぼくもようきでげんきでいられます。

 おにいちゃんのいいところばかりをみることにしています。

 そうするとしあわせになることがこの8ねんでわかりました。」

次郎の8年を総括する作文でした。

次郎は8年間色々な困難に立ち向かってきました。慎太郎がからかわれるとたった一人でも助けてくれました。親からすると、迷惑ばかりかけてしまっているようにも感じていました。でも、慎太郎のいい面ばかりを見ると幸せになれるだなんて感じていたんですね。慎太郎の最大の理解者であり、よき教育者でもあります。本当に次郎も生んでよかったと思います。思えば、初産の子がダウン症で、二人目の子を授かろうかどうか随分と悩みました。でも、生んで良かった。次郎の8年間、慎太郎の10年間、本当に幸せな毎日でした。これからも幸せな日々が待っているといいなと思います。

次郎にそう話したら、こう言われました。

「だから、いいところだけ見てればいいの。それだけで普通の1000倍幸せになれる。」

とても頼りになる次男坊です。

 

 

 

校内放送 兄

 

僕の妹はダウン症です。

妹は、今年、小学一年生。同じ学校の支援学級に通うことになりました。

僕は六年で、たった一年しか同じ学校に通えません。

妹は、言葉がまだ上手く話せず、会話がかみ合いません。

でも一生懸命おしゃべりします。

そんな妹が、給食の時間に校内放送に出演したことがあります。

司会の子が、妹に好きな科目を聞きました。

「こくごとたいいく」妹はそう答えて、「うふふ」と笑いました。

校内放送を聴いていた僕のクラスの子達が一斉に笑いました。「あれ、お前の妹だろ!」みんなに言われました。女子からは、「かわいい〜」と歓声が上がりました。

続けて質問が飛びます。「家族の中で誰が一番好き?」との質問に、「お兄ちゃん」と答えました。僕のクラスの子達が一斉に笑いました。僕はちょっと恥ずかしくて顔が赤くなってしまいました。

「学校は楽しい?」との質問には、「うふふ」と答えました。笑ってごまかしていますが、楽しくないんですね〜、実は。いつも嫌々登校している感じなんです。「嫌い」と言わなかっただけよかったです。

最後に、うろ覚えの校歌を熱唱して、校内放送は終了しました。

女子も男子も妹に好感を持ったようで、昼休みの時間に支援学級に行って妹を見に行く子もいました。

これは、我が家でも大きな話題になりました。父も母もとても喜びました。妹も得意げにおしゃべりしました。

後で先生に聞いたのですが、支援学級の子が校内放送に出演するのは珍しいことみたいなんです。「お前の在学中に出演させたかったんだ。」そう言われました。僕が卒業するまでに妹を校内放送に出演させることの意義、それを先生から託されました。先生の配慮は見事成功しました。妹のかわいさが校内のみんなに伝わり、ダウン症というものへの理解が深まったと思います。支援学級の子ということで特別視しないで、普通の陽気な子としてみんなが見てくれるようになりました。それからは、みんなが妹に対してずっとフレンドリーに接してくれるようになり、妹も学校に行くのが楽しいというようになりました。先生には本当に感謝しています。「妹を守る」それができるのは自分しかいない、そう思っていましたが、そうでもなかったことに気付かされました。先生、クラスのみんな、近所の子達、みんなが妹を支えてくれます。支えられて妹は一層楽しげに振舞います。こんな好循環があるんですね。僕が卒業しても、この校内放送を聞いた子達が、妹を守ってくれる。そう信じています。そう考えると、安心して卒業できます。皆さんに感謝です。

 

 

 

キャンプ 五人家族

 

夏休みの話です。

当時、15歳だった私は、お母さんに提案しました。

11歳の弟と、10歳の妹(ダウン症)と一緒に三人でキャンプに行きたいと。

お母さんはもちろん心配して反対しました。お父さんも反対しました。

でも私はどうしても行きたかったのです。なぜなら、それは、妹が行きたいと言い出した件だったからです。あまり欲が無く、どこかへ遊びに行こうと言うことになっても滅多に口を出さない妹が初めて行きたいと言ったのです。私はどうしても妹の願いを叶えてあげようと必死でした。「確かに心配はあると思う。でも、初めて行きたいって言ったんだよ。三人でキャンプに行きたいって言ったんだよ!」

結局、お母さんもお父さんも心配ながらも、許可が出ました。

夏休みの中盤くらいに、お父さんにキャンプ場まで車で送ってもらいました。キャンプ場は、家から車で2時間ほど離れたところにあります。テントやバーベキューセットを貸し出してくれるところでした。着いてすぐに、お父さんとお母さんは帰り、三人でテント作りをしました。楽しかった〜。妹がこれまでに無く「きゃっきゃきゃっきゃ」して笑うんです。テント作りをしている途中からテントの中に入り込み、一人楽しんでいました。テントが完成して、夕食作りの準備を始めました。前日にお母さんと一緒にバーベキューの食材を買い込んでいたので、それを焼いて食べました。妹は、まだ焼けてないほとんど生の野菜でもすぐに食べてしまいました。お腹がすいてしかたが無かったようです。「おいし〜!」何度もそう叫んで食べきりました。夕食も済ませ、テントで寝る準備をしました。テントの中で寝袋に入って三人並んで寝ました。

でも、事件は深夜に起きました。妹が泣くんです。「お母さんは? お父さんは?」そんなことを言い始めました。私は困りました。「今日は三人で寝るんだよ。お父さんとお母さんは家にいるから。」そう言い聞かせましたが、収まりませんでした。夜中にテントを飛び出し、家の方に走っていってしまいました。私は追いかけ、捕まえて、説得しました。「今日は三人で寝るんだよ!三人でキャンプ行きたいって言ったでしょ!」でも、「嫌だ!怖い!」と言って聞きません。困り果てていると一台の車がゆっくりと近づいてきました。運転席には父、助手席には母が乗っていました。「たぶんこうなると思ったの」母が言いました。二人は、私たちのテントが見える高台の駐車場に車を止め、交代でずっと見守っていたと言うのです。「お父さん、お母さん」私は、嬉しくて思わず泣いてしまいました。そうしたら、妹が言いました。「みんなでテントで寝よう!」妹のためのキャンプだったので、その意見は採用されました。五人でテントで寝ることになりました。四人揃ってテントに行くと、弟はこの騒乱にもかかわらず、ぐっすり寝ていました。私たちは狭いテントでぎゅうぎゅうになりながら寝ました。楽しかったです。その狭さがたまらなく楽しかったんです。家族が一つになった感じがして。妹には参りましたが、この幸せを与えてくれたのも妹のおかげ。妹には心から感謝しました。それと、お父さんとお母さん。貴方方の子供でよかった。

 

 

 

偏見のない世界 ポーチ

 

私の姪はダウン症です。

私の家族と姪の家族が一緒に熱海に行ったときの話です。

ホテルで、セルフサービスの夕食を楽しんでいたとき、近くで笑い声が聞こえました。振り向くと、ホテルの従業員が笑っていました。姪を指差して。

確かに普通の子とは顔立ちが少し違います。でも、普通笑うか? あまりのレベルの低さに驚いてしまいました。近くにあったビール瓶を投げつけてやろうかと思いました。その時、ふと姪の父(義兄)を見ると、明らかに笑われていることに気付いているのに、「まあいいさ」そう言わんばかりの顔をしていました。姪の兄弟も当時二人いました。お姉ちゃんとお兄ちゃんです。二人とも、「そんなの気にしなーい」という感じでした。

とてつもなく強い家族の絆を感じました。今までどんな体験をしてきたのか。どうすれば、このような境地にたどり着けるのか。そしてこれからも偏見の眼差しで見られる妹をどう守っていくのか。ただ、私の姉(姪の母)は、ホテルマンを睨み付けていましたが。

色々考えましたが、私の怒りはおさまりません。そんな時、姪が、ポップコーンを食べ、「おいし〜い!」と言ったのです。私は、姪がしゃべるのを初めて聞きました。感動して、思わず私の母の顔を見てしまいました。母は、「うん」とうなずきました。姪の成長は私には刺激的過ぎました。涙が少し出てきました。姪の兄弟も少し得意気でした。私は、一気に怒りがおさまりました。

「この子に癒されているんだ」そう感じました。辛いこと悲しいこと、色々ありますが、常に姪が中心にいて、みんなでサポートしあって困難を乗り越えてきたんだ。そしてこれからも。

お姉ちゃんは、今、看護師になりました。姪がよく病院に通っていたので、そこで出会った看護師さんに憧れたみたいです。時々はダウン症のお子さんと接する機会もあるようで、すごくやりがいがあると喜んで話しています。病院では、ダウン症の子に対しての偏見がないそうです。当たり前かもしれませんが、そこがすごく気に入っていると話します。看護師さんはむしろダウン症の子をとてもかわいがってくれます。色々なつらさを知っているからだそうです。なにより、実際、かわいいんです。

お兄ちゃんは、家業を継ぎました。福祉とは関係ありませんが、姪を家族ぐるみで温かく支えてくれています。お兄ちゃんの家族も姪に対する偏見など持っていません。とても居心地がいいようで、お兄ちゃんの子供の面倒をよく見てくれるそうです。

二人とも、いい意味で姪の影響を受け、たくましく成長しました。

一方、姪はというと、家の近くの作業所でお裁縫の仕事をしています。作業所のバザーで姪の作ったポーチが売り出されていました。いくつか売れたようで、姪も得意気でした。この作業所にも偏見はありません。姪の障がいの程度はここでは軽度なほうです。だから、作業所では姪が他の子のお姉さんのような存在になっていると聞きます。癒される側から癒す側に立派に成長しています。

また、姪には弟もいます。彼は、今、姪の作業所で先生として働いています。小さいときから双子のように育てられた二人の絆は深く、今でもすごく仲良しです。優し過ぎるほど優しい男に成長しました。姪のいる作業所で働くということが、すごく意義のあることで、姪のおかげでやりがいを感じていることを熱弁してくれます。

本当にダウン症でよかった。そう思います。

 

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