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ダウン症でよかった! episode 31-40
言霊 祐二ママ 落ち込みましたね〜。告知されたときは。 でも、そのときだけです。実は、友人にもダウン症の子を持つママさんがおり、よく一緒に遊んでいたので、ダウン症児のかわいさが分かっていたからです。「ダウン症」。この言葉って大嫌いです。私は、生まれてきた祐二を、ダウン症児だからといって偏見を持たずに育てていこうと決めました。幸い合併症がなかったので、益々普通の子と同じように育てました。赤ちゃんの頃から英才教育です。数字やひらがな、カタカナ、足し算、色んなことを教えました。祐二もそれなりに付き合ってくれました。なかなか身についてくれませんでしたが。 保育園を卒園し、小学校入学という段になって、ダウン症というものが大きな壁になりました。ひらがなだって少し分かるし、足し算も少しできるのに、支援学校への進学を進められたのです。これにはショックを受けました。支援学校・・・今まで考えてもいなかった選択肢でした。普通の子と同じように育て、当たり前のように普通の学校に行くんだと思っていたのに。主人に相談するときに、思わず泣き崩れてしまいました。「ダウン症だから支援学校だって〜」。泣きながら相談しました。主人も祐二を普通の学校に行かせるつもりでしたので、同じようにショックを受けていました。 そこから主人と祐二と私で力を合わせて教育委員会のお偉いさんとの直談判が始まりました。「普通校に行かせたいんです!ひらがなだって分かるし、足し算だってできるんです!」。私はできうる限りの熱意を持って、話しました。主人も熱弁をふるってくれました。・・・結局、普通校の支援クラスへの進学が決定しました。私たちは喜びました。支援クラスでも普通校なら、兄弟と一緒の学校に通うといういい思い出ができると思ったからです。決め手となったのは、祐二の言葉でした。それまで黙って聞いていた祐二が発した言葉です。「お父さんとお母さんが普通校に行かせたいと思っています。僕はその夢を叶えさせてあげたいんです」。この言葉には、私はもとより、主人、さらには、お偉いさん方も涙を浮かべました。私も、ここまではっきりと意見を言う祐二を初めて見たし、すごく難しい言葉を使ったのに驚きもしました。まるで何かに取り付かれたような、天使が舞い降りてきたかのような、そんな不思議な言葉でした。言霊、そんな表現がふさわしい言葉でした。 学校生活はと言いますと、支援クラスでよかったかなと思っています。勉強の負担が少ない分、楽しそうに通っています。兄弟と同じ学校に毎日通い、学童で友達と遊んで、私が迎えに行く。すごく充実している日々を過ごさせてもらっています。あのときの祐二の言葉が忘れられません。「お父さんとお母さんの夢を叶えさせてあげたいんです」。・・・叶っているよ! 祐二の一挙手一投足が大好きです。まだまだ不器用で、お箸の持ち方なんかも変ですが、勉強を頑張ってやったり、友達と一生懸命遊び、私たちの夢を叶えてくれる。こんな孝行息子になるとは良い誤算でした。 小学校入学から一年が経った頃、再び、進捗状況などを確認するため、教育委員会のお偉いさんと面接する機会がありました。祐二はじっとしていられませんでした。落ち着きがない状態にひやひやしましたが、無事面接も終わり、支援クラスでの在籍が許可されました。面接の最後、祐二の言霊が再び炸裂しました。「みんな悩みがあるんだ。僕だって悩みがある。ダウン症だもん。でも、僕がみんなの悩みを無くしてあげる。それができるんだ。僕には、そんな力がある」。大人たちは再び号泣。さすが天使と言われるだけのことはあります。私は、言霊というものを信じます。祐二には言霊がある。そんな祐二を私は特別扱いしてしまいます。ダウン症だからかな? 分かりませんが、不思議な子です。これからも周りを和ますいい子でいて欲しいな。 ウェルカム 正明ママ 私、自ら書いた詩や体験談を親の会で配っています。今、うちの子、正明は10歳です。特に喜ばれるのは、まだ小さいお子さんをお持ちの方です。バックナンバーの閲覧を希望される方も多く、インターネットで見られるようにしています。この活動のきっかけになったのは、もちろん正明が生まれたことですが、今では、他の親御さんのために書いているような状態です。「一人ぼっちじゃないんだよ」「色々苦労はあるけれどそれも楽しい思い出になる時がきっと来る」「普通の子の子育てとそんなに違うわけでもないんだよ」・・・など、色んなメッセージを発信しています。すべて私が気付いたことです。 私が親の会に初めて入った頃のことを思い出します。そのときは親の会はまだ小規模で、5人くらいの子供しかいませんでした(今は、20人くらい)。親の会に行くまでに随分悩みました。まず、ダウン症の子を産んでしまったということで、自分を責めていました。他の子とは違うんだ、特別な存在になってしまったんだ。そんな風に悩んでいたときに保健師さんが現れ、親の会のことを聞きました。「ぜひ参加して」。そう念を押されました。今思えば、相当悩んでいる私を救おうと必死に説得してくれていたんだと思います。とても感謝しております。親の会に初めて行くとき、胸がどきどきして、心臓が飛び出しそうでした。何か特別な場所にこれから行こうとしているんだ、という感覚でした。そして、いよいよ部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、太一君という当時最年長の10歳のお子さんが出迎えてくれました。「あ、正明に似てる」と思ったのがそのときの正直な感想です。太一君は「新しい人だね」そう言って、太一君のお母さんを呼びに行ってくれました。太一君のお母さんは、とても温厚な方で、開口一番「ウェルカム」と仰いました。「ようこそ、随分悩んでいるようね。でも大丈夫、ここにいるのはみんなダウン症の子よ。これだけの子が毎週集まって楽しく遊んでる。何も心配することはないのよ。大丈夫、大丈夫、大丈夫」その瞬間、思わず涙があふれてきました。「大丈夫なんだ・・・。一人ぼっちじゃないんだ。正明にも明るい未来が待っているんだ、きっと」。そんな風に感じました。太一君のお母様は、この親の会を一から築き上げた方でした。10年前の多難な時代に親の会を立ち上げたんです。その苦闘は計り知れないものだと感じます。そんな方の開口一番の「ウェルカム」。とても重みがありました。鮮烈に記憶に残っています。「なんて軽い挨拶なんだろう」当時はそう思いましたが、今では私も使っています。本当にウェルカムという気持ちなんです。 親の会では、週に一度集会を開き、ただ子供たちを遊ばせています。色々な世代の子供が集まり、共に助け合って成長しています。集まった子はさまざまです。生まれたばかりの赤ちゃん、小学校に通う子、支援学校に通う子、成人の子・・・。太一君の姿はありません。太一君は、ちょうど一年前、天に召されました。太一君のお母様はそれでも今でも親の会に参加してみんなを引っ張ってくれています。全く頭が下がる思いです。詩や体験談を書くようになったのも実は、太一君のお母様から熱望されたからです。私は他のお母様たちより悩みが深いと判断され、詩や体験談を書くことで、その悩みを解消できるのではないかと思ったそうです。ずばり的中しました。書く毎に悩みは晴れ、不安は解消されました。何よりそれを読んだ方からの激励の言葉が毎回身にしみて感動しています。 すべての出会いは運命なのかな、と思います。私も出会った方を勇気付けられる存在でありたい。太一君のお母様のようになりたい。願いは大きくなるばかりです。 福の神の使い 裕樹ママ 裕樹が生まれ、ダウン症だと分かったとき、曽祖父が泣きました。初めて見る曽祖父の涙。私が健康な赤ちゃんを産んであげられなかった事への自責の念。苦しい滑り出しでした。曽祖父は泣きながらも、「この子は福の神の使いじゃ」と言っていたのを思い出します。自分に言い聞かせるようにひたすら繰り返して言っていました。 裕樹は今、8歳。曽祖父は去年天国に旅立ちました。享年88。死ぬ間際まで裕樹のことを気にかけていました。最後の言葉も「裕樹は福の神の使いじゃ」でした。裕樹が生まれてからずっと、そう言い続けていました。 最初はそうは思えませんでした。心臓の合併症もあり、入退院を繰り返した時期もありました。何度も心が折れそうになりました。子育て自体も初めてだったので、余計に辛かったです。 でも、今思うと、主人らだけでなく、裕樹にも支えられていたような気がします。赤ちゃんがお母さんを支えるだなんて少し変かもしれませんが、うちの場合、確かにそう確信できます。意味も分からず大泣きすることもありますが、何かのきっかけでニンマリすることもあり、それがすごく支えになっていました。 曽祖父が亡くなって一番泣いたのは、裕樹でした。まだ死という事が分からないかとも思いましたが、しっかり分かっていたようです。棺おけにしがみついて放そうとしませんでした。周りは号泣。こんな小さな子が曽祖父の死に直面して、必死に抵抗したんです。生前、曽祖父は、裕樹に色んなことを教えてくれました。トランプの遊び、将棋、おもちゃのゴルフ、山菜取り・・・色んな交流を通して、裕樹を成長させてくれました。裕樹と曽祖父の間には、切っても切れない関係があったのです。そんな様子を見て、曾祖母が言った言葉も印象的でした。「そんなに仲良くしたら、あなたが亡くなったとき裕樹の悲しみが増えるだけですよ」・・・曾祖母はその時の事を予見していたんですね。でも曽祖父は、裕樹を溺愛してくれました。これには素直に感謝したいと思います。曽祖父の死に対し、裕樹がとった行動はまさに家族愛と言えるものだと思います。死というのは悲しいものです。それが分かるように育ててくれたのは曽祖父です。死の悲しみを分かるようになるまで育ててくれたのです。「この子は福の神の使いじゃ」・・・今でも時々思い出します。曽祖父の最後の言葉。本当に福の神の使いです。良く思い返してみると、辛かったことも多かったけれど、楽しいことのほうが多かったような気がします。今でもそうです。もっとも今では曽祖父の代わりに祖父が裕樹を溺愛しています。祖母が言います。「そんなに仲良くしたら、あなたが亡くなったとき裕樹の悲しみが増えるだけですよ」・・・曾祖母と同じです。でも、祖父は溺愛します。「裕樹はなんてかわいい孫なんだ」そんなことを言いながら祖父は裕樹と遊んでくれます。裕樹の刺激を受け、曽祖父、曾祖母、祖父、祖母、主人、私・・・みんなが幸せになっています。すべては裕樹のおかげ。出産したときの絶望感が今では良い思い出になるくらい幸せいっぱいです。もし、ダウン症のお子さんを生んで落ち込んでいる方がいたら是非こう言いたいです。「その子は福の神の使いじゃ」・・・苦労はすれど、必ずそう思える日が来ます。必ず。 主人 幸恵ママ 妊娠8ヶ月のときに主人を事故で亡くしました。 そして、生まれてきた幸恵は、ダウン症でした。 私は、全身の力が抜け、ただただ泣き崩れるばかりでした。私の両親と主人の両親そして、幸恵の姉の七海が、力になってくれました。「悲観するな、力の限り全力で支える」・・・私の父が言ってくれた言葉です。七海もお父さんを亡くしたばかりで落ち込んでいたはずなのに「幸恵はかわいいよ。障がいがあってもいい。お母さん元気出して」・・・まだ7歳の七海にも励まされました。後で思うと、このときの七海の心理状態はどんなんだったかな、と思います。本当に強い子です。主人の教育が良かったんでしょう。 神様を恨みました。こんな苦難を私たちに強いて何が面白いんでしょうか。心臓の合併症もあったんです。退院するまでは本当に長く感じました。 退院してからは、実家で過ごすことにしました。日に日に落ち着きをとり戻したのを覚えています。実家の温かみ、改めて感じました。七海は、入学早々小学校を転校することになってしまいました。でも七海は、「転校してもいいよ。お母さんの実家の生活のほうが楽しみだもん」・・・七海は嘘をついてくれました。その目は真っ赤にはれ今にも泣き出しそうでした。学校で仲良くなった友達たちに別れを告げなくてはならず、七海には本当に申し訳なかったと思います。こんな気丈な子に私も思わずもらい泣きしてしまいました。二人で泣いて泣いて泣きつぶれました。 そんな生活に新風が吹き込みました。落ち込む私を救ってくれたのは、親の会で知り合った和夫ママでした。和夫君というダウン症の子を持ちながら会社でバリバリ働くキャリアウーマンでした。そして、シングルマザーでした。主人は生きているけど、連絡は取っていないということで、私とほぼ同じ状況。すごく情熱的な方でした。実は、この出会いを実現させてくれたのは、主人の両親でした。主人の両親が、親の会を探し、その中でも私の境遇に似た方がいる親の会を探してくれたんです。感謝でまた泣いてしまいました。主人には本当に感謝しました。亡くなってもなお私たちを支えてくれる。すばらしい主人です。 幸い七海は新しい学校に慣れ、友達もたくさんできたようです。家に友達を連れてきてくれることもありました。七海は、幸恵をみんなに紹介します。「じゃーん、これが私の妹です!ダウン症っていう個性はあるけど仲良くしてね」・・・友達たちは寛大です。「障がいなんて気にしないよ。かわいいじゃん」。みんなそう言って幸恵と仲良く遊んでくれます。 狂った歯車が徐々にかみ合い始めたような気がします。私は和夫ママに、七海は友達に、支えられて毎日が充実しています。主人の両親も事あるごとに顔を出してくれて、勇気付けてくれます。幸恵も元気です。合併症もその後の検査で手術しなくてもいいかもしれないということになり、ほっとしました。 今は本当に幸せです。この幸せを主人と分かち合いたい。夢の中ではいつも主人が出てきて「頑張れ」と言ってくれます。合併症の経過が良好なのも主人のおかげだと思っています。亡くなってもなお大きな存在です。七海は時々泣いています。私の前では泣きませんが、自分の部屋で泣いているのを知っています。時々、無性に寂しくなるようです。声を押し殺して泣くんです。私は、そんな七海を見て、いつも泣いてしまします。主人の仏壇に手を合わせ、祈ります。祈ることしかできません。主人は偉大な神様です。最後にすがってしまうのです。 「主人が生きていたらどんなんだろう」・・・時々思います。 幸せの最中 啓太ママ 私の息子の啓太がダウン症です。 啓太が生まれたときにすぐにダウン症だろうと告げられました。 「世間に顔向けできん」義父の言った言葉です。我が家は、義父を中心に回っており、義父の意見には反対できない古い家庭です。 啓太が5歳になった今でも外で遊ぶことが禁じられています。 「なんて古い考え方」そう思われる方も多いでしょうが、私一人で親の会に出席し、相談すると、こういった偏見は意外と多いことが分かります。でも、遊び盛りの息子に外で遊ぶのを禁じるのは、許せません。義父の目を盗んで夜の公園で遊ばせています。わずかばかりの反抗です。ただ、まだ友達がいないのが不憫でなりません。 そんな日々が続いていた頃に啓太が義父に言いました。「友達がほしい」。啓太なりに義父の方針に反対したのです。たった5歳で、世間に顔向けできんと言った義父に対峙しているのです。私は、目頭が熱くなりました。 「親の会に連れて行ってあげたら」。義母の言った言葉です。いつもは、義父に意見することの無い義母がそう言ってくれたのです。これを聞いて私は、泣きじゃくってしましました。「お義母さん、ありがとうございます」。そう言うと義母はさらに続けます。「誰のせいでもないんだから。ダウン症だっていいじゃない。私は恥ずかしいとは思いません。啓太だって他の子と同じように友達がほしいでしょうし、夜の公園で遊ばせるだなんて可哀想過ぎます」。義母は、夜公園で遊ばせているのを知っていたんですね。「わかってる」。義父が答えました。公園で遊ばせてるのを知ってたの?、と私は驚きました。なのに許していてくれたのかな、と思って感激しました。 「親の会とやらになら連れて行ってもいいんじゃないか」。義父が重い口を開きました。 「ありがと」。啓太の返事です。 それからですね、友達と一緒になって啓太が水を得た魚のように楽しく活発な子になっていったのは。親の会で知り合った友達と大変仲良くなりました。 啓太は、家でも友達の話を楽しそうにします。それを聞いて私は嬉しくてしょうがありません。 「親の会とはどういうもんだい?」。義父が尋ねてきました。私が概要を説明すると、「次は一緒に連れて行ってくれ」。そう言うのです。私は、「喜んで!」、と答えました。 義父と行く初めての親の会では、啓太をはじめとするダウン症の子達が楽しくダンスを踊っていました。「みんなダウン症なのか?」。義父が驚いて質問してきました。「そうですよ」。そう答えると、「普通の子と変わらんじゃないか」。そうつぶやいていました。啓太は、義父が来てくれたことに感動して、特に張り切って踊っていました。そして、踊り終わると、義父を指さし、「僕のおじいちゃんだぞ!」、と嬉しそうに言いました。友達たちが「いいなあ、うちのおじいちゃんも来てほしいな」、と言っていました。義父は、大変嬉しそうにしておりました。これまでに見たことの無い表情でした。その後、三人で公園で遊び、帰ってきました。家に着くと、義父が喋る喋る。嬉しそうに親の会の感想を言うのです。幸せの最中にいる。そんな感じがしました。 生理 梨香ママ 18歳になる娘、梨香がダウン症です。 この度は、『生理』に関して書きたいと思います。 梨香が生理になったのは、15歳。そのときは本人がすごくびっくりしました。「お母さん!お尻から血が出た!」と慌てて報告してきました。保健の授業で習ったり、私も教えていたのですが、頭に入っていなかったようです。私は改めて梨香に生理のことを教え、本人も納得したという次第です。普通はお赤飯を炊いて喜びを分かち合うところですが、我が家では、お赤飯を炊いたことは炊いたのですが、喜ぶという感じではありませんでした。「また一つ苦労が増えたな・・・」、という感じでした。今思えば、梨香には可哀想なことをしたものだと思いました。梨香が立派なレディに成長したのに、心から喜んであげられなかったことに今更ながら憤りを感じます。 しばらくは毎月、苦労の連続でした。梨香もすごく嫌だったようで、大いに抵抗しました。学校にも行きたくないと言いました。そんな訳で、月に何日かは学校を休むことになりました。これには、主人が猛反発しました。「生理のつらさはお父さんには分からないのよ」、と私が言うと、梨香がにっこりと微笑みました。私が梨香を守ってあげなくてはいけない。そう信じていました。主人はそれでも毎日学校に行かせなさい、と言いました。しばらくはこの攻防が続きました。主人も梨香のつらさが分かってないわけではないんですが、これからずっとこのような生活を続けることに反対していたのです。「普通の子と同じことなんだから特別扱いは梨香のためにならない」主人が言います。私は、「梨香は普通とは違う。繊細なの」、と反論。・・・毎月押し問答でした。 そんな生活にピリオドを打ったのは、梨香本人でした。「私生理でも学校行く」。ついにこの言葉が出ました。実は私たち、この言葉を待っていたんです。梨香が自発的に学校に行きたいと言わなければつらい思いをするだけだし、学校が嫌になってしまいます。 ・・・と、ここまでは演技です。実は、主人と梨香が生理になったときのこと、話し合っていたんです。多分学校に行くのを嫌がるだろう。他にもつらいことが増えるだろう。その時、私が梨香の味方になり、主人が学校に行くように言う。あらかじめ作られたシナリオ。主人の提案でした。この方法が見事実を結び、再び平穏な日々が訪れています。 「梨香の生理は何のためにあるのだろう・・・」。ふと考えてしまいます。 女の子が成長して生理になって大人になって子供を生む。子供を生むためだから生理のつらさにも耐えられますが、梨香は何のために耐えれば良いのでしょうか。 神様へ、梨香が幸せな人生を送れなかったらあの世に行っても恨み続けますよ。 発表会 幸恵ママ うちの子、幸恵は、知的障害が重度らしいんです。特に言葉がまったく出てきません。もう7歳です。私が主婦をしているので、生まれたときからずっと面倒を看ています。小さなときからテレビやビデオを見せたりして言葉を覚えさせようとしてきました。でも喋ってくれないんです。「あ〜」「う〜ん」・・・そんなことしか言えない状況です。主人には、「もっと色々教えてあげないと将来困るぞ」、と言われました。困りました。でも、その時、「将来」という言葉を聞いてはっとしました。いつも目の前のことばかり考えて、将来のことなんて考えてもいませんでした。幸恵の将来・・・どうなるんだろう。ずっと私が面倒見ていくのでしょうか。それは良いんですが、もし私に万が一の事が起きたら・・・。それからですね、幼い頃にお世話になった言語療法の施設に再び通い、小学校(支援学校)でも、父兄参観日でもないのに見に行き、どのように過ごしているか確認しました。小学校の友達とは、首を振ったり手振りで意思の疎通をしていました。でも、周りの子との差は歴然としていました。そんな中、私を驚かせたのは、休み時間にしていたトランプです。幸恵は、トランプが得意みたいなんです。スピードや神経衰弱を他の子に劣ることなくしていました。スピードをやるときは、小さな声で「いっせーの」と言ってカードを出していました。喋ってる! 私は、この上も無く驚きました。「やればできるんだ!」。それから、家での教育にも熱が入りました。トランプを一緒にやりながら、色々喋るようにさせました。それから絵本を読み聞かせ、一緒に読んで、何度も繰り返しました。言葉は細切れです。「し・あ・わ・せ・に・な・り・ま・し・た」。絵本の最後のフレーズです。何とか字を言葉に出せるようになりました。でも、あまり強要すると癇癪を起こすので、幸恵を良く看て負担にならない程度に練習しました。 学校では、相変わらずあまり喋らないと先生に言われました。「どこが悪いんでしょうか?」。病院の先生に相談しました。答えはこうです。「重度の知的障害です。言葉を発することができるだけでも褒めてあげてください。この子は人並みに喋ることはできないかもしれません。でも、あきらめないでください。まだ成長過程にあります。練習次第では改善の余地はあります」。とても心強い言葉を頂きました。 幸恵も言葉に興味を持ってくれたようです。学校のお遊戯の時間に発表会のための練習をしていたときです。幸恵が喋ったんです。「し・あ・わ・せ・に・な・り・ま・し・た」・・・絵本の言葉です。先生が、絵本のことを知っていてくれて、それを幸恵のせりふにしてくれたのです。字を読まずに幸恵が言葉を発したのです! 感動して飛び上がってしまいました。「幸せになりました」・・・「幸せにしてやるぞ!」。士気が上がりました。 幸恵の将来の幸せ、色々考えました。やっぱり友達がいるほうがいいだろうと、親の会には今でも参加しています。幸恵は、一番重度です。でも、良いんです。少しずつ進歩していくんです。 発表会当日、親の会の友達も駆けつけ、お遊戯が始まりました。しばらくして幸恵がお姫様の格好をして出てきました。そして一言。「し・あ・わ・せ・に・な・り・ま・し・た」。上手く言えた! 親の会の友達も拍手喝采。「すごいぞ!」などと言葉も出ました。すると、幸恵、舞台上で「あ・り・が・と」と言ったのです。確かに喋ったのです! せりふには無いので、お遊戯は中断しましたが、幸恵は、応援してくれた友達にお礼を言ったのです。こんなことができるとは! 驚いて喜んだ後、涙が止まりませんでした。「幸恵が喋った! 喋った! 喋った!」。ただただ感動して大声を上げてしましました。幸恵、本当にありがとう。 命の重さ 一郎の父 命の重さは同じです。 今年二十歳になる息子、一郎がダウン症です。一郎を生んだ当時はまだ、ダウン症というものへの社会の理解度が低く、障害という言葉が大きくのしかかってきました。障害児を生んだという情報は、瞬く間に近所を駆け巡り、一種の偏見を浴びました。妻が主婦だったので、毎日家で一郎と妻が外に出ることなく生活していました。当時は親の会など無く(あったかもしれませんが情報が無く)、まるで牢獄にいるような状態でした。私も会社で、腫れ物に触るような扱いを受けました。「苦労も多いだろうけど、いつか治るさ」。・・・上司からかけられた言葉です。 そんな時代から現在の状況は想像がつきませんでした。日本ダウン症協会という公的な機関ができ、各地で大小さまざまな親の会ができ、インターネットの世界でもいろいろなネットワークがあります。ダウン症児を生んだとしても、悲しみは一時的。その後に強力な仲間にめぐり合えるでしょう。育児の相談だっていとも簡単にできるし、就学での悩みだって聞いてもらえる。 一郎もおくらばせながら去年、親の会に参加しました。周りは小さな子ばかりです。初めは一郎もどうしていいのか分からず怒り出すこともありました。でも、10歳くらいのお子さんが一郎のところに来て、「トランプしよう!」、と言ってくれました。一郎は初め、かなり警戒していましたが、トランプのスピードを一緒にやっていました。妻が色々なトランプ遊びをさせていたのが役に立ちました。「勝った!」。一郎が満面の笑みをこぼして叫びました。初めて妻以外の人とトランプゲームをして勝ったのです。その一郎の笑顔を見て私たち夫婦はそろって涙しました。こんなすばらしい環境があったのか。これまで見たことの無いような一郎の笑顔。夢心地でした。 そして、新たな出会いもありました。香織さんという一郎と同じ二十歳の女の子が親の会に参加しました。一郎は、自分と同じ年齢の子が加わって大変喜びました。香織さんは、トランプをしたことがありませんでした。一郎は、丁寧に一つずつ教えていきました。よく見ると、スピードをやって、一郎がわざと負けてあげていました。香織さんは大喜び。「勝った! お母さん勝ったよ!」。大喜びでお母様に報告していました。一郎も大喜び。わざと負けてあげることができたんだ。私たち夫婦は、その点に感激しました。「一郎も成長したなぁ」、そう妻に言うと、妻は「ええ」と言って泣きました。 バレンタインデーの日、我が家にお客様が見えました。香織さんとお母様です。「手作りのチョコレートをお持ちしました」。私たちは慌てて一郎を呼びました。一郎は何のことか分からず、でも、喜んでチョコレートを受け取りました。「ありがとう」、ただそれだけ言って。香織さんも言葉少なに短い時間で帰宅されました。「一郎! バレンタインデーだぞ! チョコレートもらうのなんて初めてだろう! 良かったな!」。私が興奮してしまいました。妻がバレンタインデーのことを丁寧に一郎に説明しました。一郎は話を聞きながら、チョコレートを食べ始めました。私たちにも分けてくれました(こういうところがすごく優しいのがダウン症児の長所です)。その味は・・・少ししょっぱかったです。香織さんの苦労の跡が垣間見れて嬉しかったです。一郎は、「おいしい、おいしい」、と言ってすべてたいらげました。そして言いました。「甘くて優しい味がする。香織ちゃんの味がする。僕も作る」。そして、それから一ヶ月、ホワイトチョコレート作りの特訓が始まりました。 ホワイトデーに香織さんにあげたホワイトチョコレートは、香織さん好みのしょっぱいチョコレートでした。一郎の優しさがこんなところにも現れました。香織さんは一言「しょっぱい」。その正直さが無性にかわいかったです。一郎はでも喜んでいました。「しょっぱい」、というのも褒め言葉と受け取ったようです。 こんな二人を見ていると、普通の子と変わらないな、と思います。命の重さは同じです。 神様からのプレゼント 朋子ママ 朋子、兄弟が欲しいですか? 初産で生まれた朋子は今、19歳。ずっと一人っ子でした。ダウン症です。兄弟もできず、家ではいつも一人、テレビを見たりおもちゃで遊んだりして過ごしました。そのためか、あまりしゃべることができません。家族は私と主人と朋子の三人。引きこもりがちでした。19年前、その頃はまだダウン症というものに対する偏見がありました。どこへ行っても嫌な視線を浴び、学校の先生ですら少しの偏見があったように感じます。そんな苦労をした朋子に神様からのご褒美ができました。弟です。今私の体に宿った新しい命はあなたのためにあるようなものです。あなたの子供のような年齢になりましたが、やっとできました。出生前診断は受けません。たとえ障がいを持って生まれてきてもやっていく自信があります。確かな自信があります。朋子、あなたのおかげですよ。さあ、喜んでください。手放しで喜んでいいのですよ。 その後・・・ 立派な男の子を出産しました。一番喜んだのは主人でした。涙まで流して喜んだのは、朋子の弟ができたからです。この子に兄弟ができる。19年間待ち望んだシチュエーションです。「朋子!やったな。弟ができたぞ!」主人が言うと朋子は恥ずかしそうに「うん」とだけ答えました。それから慎重に抱っこし、その重さを確認していました。「かわいくて好き」とも言いました。「私の子供みたい」そんなことも言いました。饒舌です。普段こんなにしゃべらないのに、かなり興奮していたようです。 母子ともに退院し、家に帰ってくると、朋子はそれまでもしてくれていたように家事の手伝いをしてくれました。今度はそれに育児が加わりました。朋子はミルクをあげたり、オムツを替えたり、とてもかいがいしく育児の手伝いもしてくれました。夢にまで見た光景です。それが今、目の前で起こっているのです。朋子の後姿を見て、思わず涙ぐんでしまいました。この19年の苦労が今、報われている。朋子の受けてきた偏見の眼差し、そんなものは今この瞬間のために受けてきた仕打ちだったのかとも思いました。苦労した分本当に幸せです。 朋子は、弟をベビーカーに乗せて外出するのが好きになりました。まだ赤ちゃんなので、ベビーカーは少し早いとも思いましたが、朋子が欲しいと言うので買いました。近所のスーパーや私の友人の家、主人の職場などに連れて行きます。初めて主人の職場を訪れたときには、主人は大変驚きました。家から結構距離があるからです。そんな長い距離を朋子がベビーカーを押して弟を連れまわしたのです。主人の驚く顔を見て、朋子はとても嬉しそうな達成感のある顔をしていました。 スーパーなどでは、よく朋子の子供だと間違われます。「かわいいお子さんねぇ」なんて言われると朋子もまんざらでもない顔をして「ありがとうございます。本当にかわいいんですのよ」なんて嘘をついています。ここへ来て不思議と朋子が外出を好むようになりました。前は近所のスーパーでさえ行きたがらなかったのに、今は毎日のように外出します。しゃべる言葉も急に増えたような気がします。「朋子に兄弟ができれば朋子も成長するかもしれないな」主人が19年間言い続けた言葉です。まさに今その成長期なんです! ・・・朋子が「私の子供がほしい」というのを恐れています。弟ができたことで、そう言う可能性が高まりました。これはダウン症のお子さんを持つ親御さんに共通した悩みになると思います。どう説明すればいいのか・・・。でも、朋子も19歳、自分のことは分かっているみたいです。この19年間、そんなことを言い出すそぶりも見せませんでした。それがまた不憫で泣けてきてしまいます。朋子、思う存分弟の育児をするんだよ。自分の子供のように一緒に遊んであげて。19年頑張ったあなたへの神様からのプレゼントなんですから。 絆 京子ママ 京子はダウン症という個性を持って生まれてきました。 赤ちゃんの頃は、特別合併症もなく、元気に過ごしていました。 1歳を過ぎたころ、いたずらが盛んになってきました。 どんどんエスカレートしていき、とても面倒見切れなくなりました。 親の会の先輩ママさんに相談したところ、「いたずらができるってことはそれだけ成長した証。保育所に預けてみたらいかが?」と言われました。 早速保育所に相談に行くと、1歳下のクラスでもよければ、入所できるそうです。 というわけで、保育所に預けることにしました。 しばらくは楽しそうに通っていましたが、だんだん元気がなくなってきました。 そのうち、「行きたくない」と言うようになってしまいました。 「どうして?」と聞くと、「いじめられるから」という返事でした。 私は「はっ」としました。京子がいじめられるなんて…。恐れていたことが現実になってしまいました。その日からしばらく保育所に行くのはやめにしました。 ここで、親の会の先輩ママさんに相談したところ、「そう。でも大丈夫。うちの子に任せて」と仰いました。 先輩ママさんに促されて、京子を説得して再び保育所に連れて行きました。 すると、京子の教室がクリスマスのように飾り付けられ、「おかえりなさい きょうこちゃん」と垂れ幕がありました。クラスの子達が京子を盛大に迎え入れてくれたのです。京子も何が起きたのか理解できない様子です。でも喜びで満面の笑みをこぼしていました。その輪を一歩離れたところで見守っていてくれた少年がいました。先輩ママさんのお子さんです。後で聞くと、彼が京子のクラスの子を説き伏せて歓迎会をやろうと言い出してくれたようなんです。同じダウン症という個性を持った先輩。その子に賛同し歓迎会を開いてくれたクラスの子達。本当に感謝です。先輩ママさんの助言も色々あったようです。子供たちが一丸となって行動を起こすとすごいパワーが発せられることを目の当たりにして、涙が止まりませんでした。 聞けば、先輩ママさんのお子さんもいじめられた経験があったそうです。そのときも先輩のダウン症の子が同じように歓迎会を開いてくれたそうです。親の会でつながった絆。ダウン症の子達をつなぐ絆。この子達の絆は、障がいのない子達を動かすすごいパワーを持っています。今後も頼りにしています。そして、今度は京子が後輩のお世話をするほうですね。 いじめなんてなくなればいいのにと思いますが、どういうわけか無くなりません。ダウン症の子は少なからずからかわれたり、いじめられたりするものなのかもしれません。諦めているわけではありません。絆を頼りに皆さん、解決策を探りましょう! きっと解決できると思います。
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