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ダウン症でよかった! episode 41-50
自尊心 双子 我が家は3人兄弟です。 10歳になる姉、8歳になる妹(ダウン症)、7歳になる弟がいます。 妹と弟は、幼いころから双子のように成長してきました。 弟はしっかり者で、妹の面倒を良く見てくれました。 例えば、保育園の参観日にも、「記念写真を撮りますよー」と先生が言っても、妹はおもちゃで遊び続けていました。そんな妹を「写真撮るって!」と、みんなと並ばせてくれたりしました。 でも、妹が弟に頼りっぱなしかというと、そうでも無いようです。幼い頃にじいじが言いました。「お互い頼りにしてる」 これは当時かなり滑稽な表現として、家族の中では笑いの種になりました。でも、ふと思ったのは、妹はダウン症ということで、その妹を頼りにする弟をどこかで笑い者扱いしていたのではないか。 ・・・これって問題ですよね。 家庭内偏見。 妹の自尊心を傷つけたかもしれませんね。 それ以来、かなり慎重に二人の動向を見守りました。薄氷を踏むかのごとく。 でも、それが思いの外、大当たりで、特に妹の良い所が次々に発見されました。 例えば、妹は、自分がお姉さんということを自覚しているので、弟に対してリーダーシップを発揮してくれるのです。パン屋さんに行っても、まず、トレーとパンをつかむパン掴み器具?を手に取り、「私がこれ(トレー)を持つから、これ(パン掴み器具)でパンをつかんで」と弟に言います。弟も役割を与えられ、嬉しそうにパンをつかみます。そんなやり取りが日常でした。妹が、トレーをひっくり返してしまったこともあります。そういうときでも、「一緒に拾って!」と弟に指示していました。失敗もしちゃうけど、次の指示が早いのです。 でも、弟の身長が、妹の身長を上回った頃でしょうか。弟が妹の指示に従わなくなったのは。妹は、これまでとは違い、弟が言う事を聞いてくれないので、ストレスがたまっていたようで、よく怒っていました。 そこで、私は、弟に妹の言う事を少しだけ聞いてあげてとお願いしました。弟はしょうがないな、という感じで、色々聞いてくれました。妹のリーダーシップの本領発揮です。お姉さんなので、弟の面倒をかいがいしく見てくれます。弟もそれに応じて行動してくれます。弟に妹がダウン症であることを伝えたのもこのころです。 『お互い頼りにしてる』・・・面白い関係だと思います。今でもそう思います。ただし、偏見ではなく、二人の良い所が際立つことによってお互いに頼る。理想的な関係だと思います。 あと、忘れてはいけないのが、長女の存在です。妹は、長女の言動にかなり影響を受けています。成長の糧としています。 結局何が言いたいかというと、ダウン症児の自尊心を傷つけず、良い所を伸ばしてあげてほしいということです。良い所、必ずあります。あと、頼りにできる兄弟の存在。これも重要です。 それぞれの告知 恵美ママ 告知って皆さんどうでした? 私の場合は、出産から一週間後に主人にだけ医師から告知がありました。バカな主人は、私に言わず、そのままでした。幸い合併症も無く、母子共に退院しました。 三ヶ月たった頃、保健師さんが家に来ました。そこで初めて聞いたんです。「ダウン症です」・・・私、ポカンとしてしまいました。何で今頃? ただただ唖然として、「そうですか」とだけ言ったのを記憶しています。他にも色々仰っていましたが、覚えていません。ただ、主人にどう伝えようかと考えていました。 それからですね。私たち夫婦がぎこちなくなったのは。私は主人に伝えなくてはと思い、主人は私に伝えなくてはと思い・・・。今思えば、バカな夫婦ですね。そんなときに限って、テレビでダウン症の子の特集みたいなのをやっていたり。そのチャンネルをチョイスして少しずつ情報を伝えようと試みたり。「ダウンジャケット欲しいな」なんて言ったのは主人です。それじゃ伝わんねーよ! 出産から六ヶ月目でしょうか、誕生六ヶ月のお祝いをしようと思ったんです。ケーキを買ってきて、ハッピバースデーを熱唱し、娘も大変喜んでいました。ケーキも少しだけ食べさせてみました。かわいい笑顔を見せてくれました。「本当にかわいいね!」私が言うと、主人が「話がある」と言いました。「なに?」と答えると、「いや、いいんだ」と言いました。「・・・こいつ、知ってるな」そう感じました。思えば、ダウン症の告知を医師がしない訳は無いわけで、主人にだけ伝えてあるんじゃないか、そういう疑念が生じました。 その夜、主人と二人で狭いベッドに寄り添って寝ていると、主人が泣き出したんです。「なに?」私が問うと、主人は「もう言っちゃうよ」と言うので、「どうぞ」と言うと、主人は「恵美はダウン症だって!」と大泣きを始めました。私は「知ってるよ」極めて冷静に答えました。私が主人に「誰に聞いたの?」と問い詰めると、「お医者さんからー」との答え。「いつ?」と聞くと、「生まれて一週間後」との答え。「どうしてすぐ言わなかったの?」と聞くと、「ショックを受けると思ってー」との答え。今度は主人から、「何で知ってるの?」との問い。「三ヶ月前に保健師さんが来て言ってた」と答えました。「そんなんだー」と主人は泣き止みました。主人が「ごめんねー」と言うので、「別に良いよ、たかがダウン症でしょ」と答えてやりました。本気で思います。たかがダウン症なんです。育児の大変さは普通の子とほとんど変わりありません。幸い合併症も無いし。私は、主人に「そんな大事でもないと思うけど」と言うと、主人は「ダウン症だよー」とまた泣き始める。「まあ、泣きたければ泣け。私は傷つかない。安心しろ」そう言ってやりました。「なんだー、早く言えばよかったー」と主人。 ・・・バカな主人ですが、優しさの裏返しなんですよね。先生が主人にだけ告知したのも優しさだし、保健師さんが来てくれるのも優しさだし。みんなの優しさを受けて育っているのが恵美だし。 出産一週間目に告知されてたらどうだっただろう、今でもよく思います。きっと傷ついていたと思います。大泣きしていたと思います。そう考えると、私の告知は、成功だったのかな。そんな風にも思います。バカな主人とバカな私で、上手く乗り切ったように感じます。恵美にはこのバカが移らないようにしっかり育ててあげたいです。でも、バカな方が幸せなのかもしれませんね。皆さんの告知、色々だと思います。そのときは傷ついても、しばらくすれば、きっと良い思い出になります。みんなの優しさが詰まってできる告知。人生の大きな節目です。この節目を楽しみましょう!きっと明るい未来が待っているから。 世界に羽ばたく 広子ママ 5歳になる娘、広子がダウン症です。夏に登山に出かけました。娘を主人が専用の器具を使って背負い、私がその後を歩きました。ハイキングくらいの難易度ですので、体力的にも大丈夫でした。娘は、主人の背中合わせのように背負われているので、私とずっと目が合っていました。娘の無邪気な笑顔。きゃっきゃきゃっきゃ言っていました。涼しいのと、主人が一歩一歩歩くたびに揺れるのが良かったみたいです。 山の頂上に着いて温泉卵を食べました。親子三人で、一人一つずつ。「広子、食べるか?」そう主人が言うと、「うん」と答えました。食べ始めて少したち、少し苦しそうになりました。慌ててお茶を飲ませました。すると、元気になって「もっと」と言いました。こんなところで卵をのどに詰まらせたら大変だと思い、ひやりとしました。お茶は主人が用意しておいて、と言っていたものです。主人はインターネットで温泉卵があることを知り、広子にも食べさせてあげたいと思い、先回りして、お茶も必要になるだろうという考えでそう言ったのです。本当に頼りになる人です。 卵を食べて、頂上でゆっくりしていると、外国人が近づいてきて、広子の写真を撮りました。「ダウンショウデスカ?」。片言の日本語で話しかけてきました。「イエス」。主人が答えます。「シャシントラセテイタダキマシタ、イイデスカ?」。「イエス」。広子が答えました。私たちは、失笑してしまいました。広子は主人のまねをしたのです。「エイゴシャベリマスカ? スゴイネー」。外人さんも大喜びです。外人さんはこうも言いました。「ダウンショウハ、”エンジェル”ト、イワレテイマス。マワリヲシアワセニスルコ。ワタシノメイモダウンショウデス」。「仲間ですね!」。そう言って主人は外人さんと握手をしました。「ホントウニカワイイコ、オナマエハ?」。「広子」。主人が答えると、「オウ! ヒロコ!」と言って広子の頬を撫でました。広子は少し驚きましたが、笑顔で「サンキュー」と言いました。私たちは、驚きました。どこで覚えたのか知りませんが、英語を喋ったのです。外人さんはそれ以上に驚き、「オウ! グレイト!」と叫んでいました。すごいオーバーリアクションに今度は広子も驚きました。お互い驚かせ合って楽しいときを過ごしました。 外人さんの姪っ子さんの写真を見せてもらいました。外国人らしいけど、やっぱりダウン症のかわいい顔をしていました。この表情は世界共通だなと思いました。一緒に移っていた両親や兄弟の笑顔がとても素敵でした。姪っ子さんを中心に寄り添うように並んで写っていました。「プリティ」。私が言うと、外人さんが少し涙を浮かべ、「モウスグ、シュジュツナンデス。シンパイデス」と答えました。「大丈夫ですよ! 広子も手術しましたが、こんなに元気です!」。主人はきっぱりと言いました。外人さんは涙を拭い、「アリガトウ。イイデアイヲ」。と言って去っていきました。 ダウン症の可能性を再発見しました。外国人とも共通のダウン症という個性。広子は、世界人です。いつの間にか学んだ英語を話し、とても不思議な空間でした。神様が結び付けてくれた出会いのような気がしました。思えば、広子を生んで色んな出会いがありました。そのすべてが、広子や私たち夫婦、親類までをも幸せにしてきたことを思い出します。広子は神様に守られていると思います。手術も難易度が高いものでした。でも、無事根治しました。そのおかげで、登山なんかもできるようになったし、外人さんをもお喋りできたし。『エンジェル』、外人さんが言っていたのがすごく印象に残ります。 神様へ、これからも広子のことお願いいたします。そしてあの外人さんの姪っ子さんの手術、成功しますように。心からお祈りいたします。そして、世界中のダウン症児に幸せあれ! 理解力 二十歳の姉 『理解力』というものに興味があります。 20歳になる私の弟は、ダウン症です。12歳年下です。 でも、恥ずかしくもなんともありません。本当にかわいい弟です。 そんな弟の理解力に小さいときから興味があります。 0歳の頃はおもちゃを渡しても触ろうともしませんでした。 それが1歳になるころには、普通の子と変わらないんじゃないかと思うほど元気におもちゃを触り始めました。 言葉を理解し始めたのもこの頃のように感じます。 「ミルク飲む?」と声をかけると口をすぼめてミルクを吸うしぐさをしました。ミルクって分かるんだぁ、そう家族みんなで感心しました。母は泣いていました。「元気な体で生んであげられなくてごめんね」…母の口癖でした。「しょうがないじゃん。でもこうしてミルクって分かるし、これからもちゃんと成長できるよ」。そう家族全員で勇気づけたことを覚えています。すると必ず弟がニコニコと笑いました。これには泣いていた母も感極まってますます泣く始末。私もほろりと来ました。まだ1歳なので、母の口癖を理解しているとは思えないのです。でも、ニコニコと笑うということは、やっぱり理解しているんですね。言葉ではなく、場の雰囲気を理解しているのかな、と思いました。不思議な子です。 言葉が話せるようになったのは2歳の終わりごろです。最初に覚えた言葉は、「ありがと」でした。ミルクをあげたら「ありがと」、おしめを変えたら「ありがと」、一緒に遊んであげると「ありがと」。とても遣り甲斐がありました。実は、この「ありがと」というのは、私が教え込んだ言葉なんです。母は相変わらず例の口癖が直らないので、何とかしたくて教えました。初めて「ありがと」と聞いた母は、泣きじゃくっていました。ミルクを飲ませながら、涙を流していました。弟は、「ありがと」と言いながら、ニコニコ。家族を幸せにするまさに天使でした。弟は的確に「ありがと」を言えるようになっていました。感謝ということを理解しているのかな、と思わせるほどです。どこまで正確に理解しているかは分かりませんが、少なくとも母を勇気づけるだけの理解力があったと思います。 8歳になった今は、小学校の支援学級に通っています。「少し嫌だ」そう言ったことがあります。自分の置かれている立場、普通の子との違い、そういったものを理解し始めたようです。母はまたあの口癖を始めます。弟は、「お母さんのせいじゃない」そう勇気づけます。弟の気丈な姿勢に、家族全員が泣かされました。弟の理解力がどの程度なのか、計り知れません。もしかしたら、普通の子以上の理解力があるのではないか、と思うことすらあります。言葉の成長がゆっくりな分、雰囲気などを理解する能力が長けているようにも感じます。 弟が私と同じ20歳になったらどんな成人になるだろうか。今から楽しみです。家族や周りの人を和ませてくれるヒーローのような存在になってくれそうです。 私は今、大学で心理学を学んでいます。子供の心理に興味があります。特に、障がい児の心理に興味があります。弟のおかげで、私の進むべき道筋が見えてきました。本当に学び甲斐のある学問です。障がいのある子供の心理が分かれば、子育てにも大きな助けになると思います。私の夢は広がるばかりです。本当に弟には感謝です! 川柳 みうまま ダウン症の我が子が「川柳」を作ってくれました。 「おかあさん おとうさん ありがとう」 丁寧に紙に書いてくれました。 字を書けるようになったんだね。 ひらがな、良く覚えたね。 こちらこそ本当にありがとう。 みうちゃんが生まれて正直苦労はしたけど、ここにこうしてちょっとしたことかもしれないけど、川柳という形でお礼を言われて、涙で文字が見えません。 本当にありがとう。 普通の子はひらがななんてすぐに覚えます。 でも、みうちゃんはそうはいきません。 だからこそ、ひらがなを書けたことが感慨深いのです。 しかも川柳ですよ! 字足らずですがそんなことはいいんです。 川柳の中に一番うれしい「ありがとう」という言葉を入れてくれたことに感激です。 感情の伝わる川柳なんて普通の子でもそう簡単には書けませんよね! 以上、我が子自慢でした。 公園デビュー 泰子の姉 私には、年の離れた妹がいます。 今現在私は26歳、妹は3歳です。娘のような感じです。 妹はダウン症という個性を持って生まれてきました。聞いたときはびっくりしましたが、3年経ち、極めて平穏な日々を送っております。 遠方に住んでいる私に、両親は、ことあるごとに「泰子のことよろしくね」と言います。両親は高齢なので、先のことを心配しているのです。この言葉を聞くたびにうっすら涙が浮かんできてしまいます。「任せといてよ。そんな心配するより、長生きせんと」と、両親を励まします。 困ることがあります。両親が奥手といいますか、あまり泰子を連れて外出したがらないので、私が実家に戻ったときに、両親の代わりに泰子を公園などに連れて行くのです。泰子がダウン症ということを知らない人は、よく、私が母親だと思って話しかけてきてくれます。そんな時、私は必ず、泰子がダウン症であることを知らせることにしています。恥ずかしいことではないし、もしものときに(例えば、一人で公園に行ってしまったときなど)近所の方が面倒見てくれるかもしれないと思うからです。ダウン症だと聞いた方々は、必ずと言って良いほど可哀想にという感じになります。でも私は元気よく、「ダウン症でもへこたれません。かわいい妹ですから!」と答えることにしています。 泰子は、公園で遊ぶ子達とすぐには仲良く遊べませんでした。泰子も奥手なんですね。あまり外出をしたことも無いので、外出しただけで不安になってしまうみたいなんです。「やっちゃん、みんなとあそぼ!」と言っても、遊びません。そんなとき、公園のお友達は優しいんですねぇ。「一緒に遊ぼうよ」と声をかけてくれます。泰子もそう言われると一緒に遊び始めます。徐々に泰子のことが近所に浸透し始めた結果だと思います。ダウン症のこと、オープンにしてよかった。本当にそう思います。(ダウン症のお子さんをお持ちの方は、是非、オープンにしてください。一時は嫌な思いをすることもあるかもしれませんが、必ず良いほうに転じます) ある日、泰子がお友達と一緒に遊んでいるところに両親を連れてきたことがあります。「ほら、いっぱいの友達と一緒に遊んでるでしょ。ダウン症なんてみんな気にしてないよ」そう言うと、両親、泣くんです。「よかった、よかった」そう言って泣くんです。「これからは、二人が泰子を公園に連れて来るんだよ」そう言うと、泣きながら「そうだねぇ・・・」との返事。「両親がもっとしっかりしなきゃ!」そうげきを飛ばしました。 でも、改善しませんでした。私は、足しげく実家に顔を出し、泰子を公園に連れて行きました。両親も連れて行きました。公園のママさん達に「こちらが泰子の両親です」と報告して回りました。両親は、少し恥ずかしげに、でも、覚悟を決めたように皆さんにご挨拶しました。ママさんたちは若い人が多いので、高齢の私の両親には、とても気を使ってくれます。まだぎこちない関係ですが、私の両親もこうして公園デビューをしました。 ある日、母から電話が来ました。嬉しそうに「泰子が自分から公園で遊びに行きたいと言った」と報告してきたのです。またも泣きながらの報告でした。私も泣いてしましました。公園で子供が遊ぶ、極々当たり前のことが我が家では大ニュースになります。これからもゆっくりではありますが、泰子は成長します。両親も成長します。私も。すべては泰子を中心にして、家族が一つになっています。この先、どんな大ニュースを提供してくれるのかとても楽しみです。良いニュースばかりだと良いな。 母親似 寝顔似の母 ダウン症の子の顔ってやっぱり父親や母親に似ているんでしょうか。 10歳になるお友達のダウンちゃんは、ママさんにそっくりです。それを言ったらママさん喜んでいました。世間ではダウン症の顔って言う風に一括りにされてしまいがちだけど、ダウン症の子達はそれぞれ個性があって、顔も違うんですよね。それはやっぱり父親と母親の影響であり、遺伝なんだと思います。 うちの子は三歳ですが、事あるごとに父親にそっくりと言われます。女の子なので、可哀想です。私たち夫婦には父親似とは分かりませんが、第三者から見るとそう映るようです。これを言われると、主人はものすごく嬉しそうなんです。少年のように笑います。そして、必ずと言って良いほどその晩ベッドで泣くんです。まだまだダウン症ということで苦労の多い日々です。わが子が自分に似ているということが心の支えになっているようです。 私には似ていないのか? そんな疑問が日々私の心を萎えさせています。何気に傷ついています。ベッドで泣く主人に「似てるって言われてよかったね。私には似てないんでしょうか?」と質問したことがあります。主人は気を使ってくれて「似てるよ〜似てる。二人の子供だもん」との返答。「特に寝顔が似てるよ」とも言っていました。そこで、部屋を薄明かりにしてまじまじと娘の寝顔を見てみました。「似てるかなぁ〜?」というと、主人が、「鼻と口が特に似てる」と言いました。でも正直自分では分かりませんでした。主人が言うんならそうなんでしょう。 こんな風に二人で気を使い合ってこの三年間過ごしてきました。それなりに幸せだったし、これからも幸せになれるような気がしています。娘の寝顔が私に似ていて、起きてる時は父親に似ている。こんな風に上手いことできてるんですね。子供はどんな子でも親の溺愛の中で生まれ、躾で育ち、愛情を持って恩返しを受ける。そんな気がします。この子を上手く躾ける段階になったと実感します。それは成長ということ以外の何物でもなく、溺愛の期間は終わったんだと思います。これからは躾が大変です。主人似の娘を躾ける・・・。少し面白いではないでしょうか。主人を躾けているみたいで。 ダウン症の顔、って言われたくありません。世間の人たちにお願いがあります。どうか、ダウン症の顔って言わないでほしいんです。どの子もダウン症の子は、父親似であり、母親似でもあるのです。個性があるんです。その個性を見つけてください。もちろん顔だけでなく、性格の個性もあります。一括りにしないでください。 そうは言っても、ダウン症という呪縛からは逃れることはできません。でも良いんです。三年が経ち私たちもずいぶん強くなりました。ダウン症と言われて傷つく時は過ぎ去りました。今は娘の健やかな成長のみを祈っております。娘の性格はこれまた父親似でもあり母親似でもあります。すぐ泣くところは父親似、すぐ怒るところは母親似。そういう風に分析しています。 早く成長しないかなぁ、と思っています。成長すればするほど顔にも個性が出てきて、より親に似てくると思うんです。そうすると、もっともっと愛着がわき、躾にも力が入ります。母親似にする方法はないかなぁ、といつも思っています。愛情を注いだ人に似てくるのではないかと思い、今は、できる限りの愛情を注いでいます。 いずれにせよ、親に似ているというのは、嬉しいことです。励みになります。生まれてきたのが普通の子だったらこんなに悩んだり滅入ったりすることもなかっただろうと思います。でも、この逆境が娘への愛情をより強固にし、日々の生活に張りが出てきたように思います。早く母親似になーれ! 太郎 じいじ かわいい孫がダウン症です。 「じいじじいじ」と言ってくれるのがとても嬉しく、奇跡的だと感じております。 孫、太郎が生まれたとき、初孫ということもあり、盛大に祭事を執り行いました。そのときの娘(太郎の母)の顔、忘れません。喜んでいるけれども、奥底で心の曇りが感じられ、大きな笑顔は見せない・・・。このとき私たち夫婦は知らされていませんでしたが、娘はすでにダウン症ということを告知されていたようです。そんな中で、祭事を行ってしまったのです。本当につらい思いをさせてしまいました。祭事中に見せた娘の涙、あれはどういう涙だったんでしょうか。私たちに知らせなければならない気持ちと、言い出しにくい状況。相当なジレンマに陥っていたんだと思います。 私たちは、祭事の後、程なくして、娘ではなく婿殿からダウン症であることを聞きました。正直どうして良いか分からなくなりました。あんなに盛大に祝ってダウン症だったなんて・・・。古い考え方の私たちはそう考えました。でも婿殿は、ダウン症でも何でも盛大な祭事を行ってくれたことが嬉しかったと言ってくれました。娘も喜んでいたと言ってくれました。それから婿殿にダウン症のことを詳しく説明してもらいました。 娘は、ダウン症だったことに相当なショックを受けたようです。婿殿が担当医から告知を受け、娘に伝えたようです。このとき、すでに祭事を行うことも決まっていて、喜ぶ私たちを見て、言うに言えなかったんだということでした。 私たちは、改めて娘と孫に会いに行きました。孫を抱きかかえました。小さくそしてなんと柔らかいことでしょうか。こんな小さな子がダウン症だなんて信じられませんでした。娘とは少しぎこちない感じに接してしまいました。娘は昔から何でも私たちに話し、相談する闊達な子でした。その娘が今回は、口ごもったのです。これは、私たち家族にしか分からないほどの一大事です。「ダウン症でも大丈夫」娘が言いました。「かわいい初孫じゃ、大事に育ててな」私が答えました。今回の会話はこれだけ。後は無言で、みんなで太郎を前にして黙りこくってしまいました。帰り際、婿殿が言いました。「これからもいつでも会いに来てくれて良いですからね。力になります。明子さんのことは任せてください。いつまでも沈んでなんかいられませんよ」とても頼りになる婿殿でした。 そんな過去がありました。そして現在があります。孫も6歳になり、私のことを「じいじじいじ」と言ってくれるんです。娘夫婦は共働きなので、私たちと一緒に住むことにしました。そういうことで、太郎とは一日中一緒にいます。夕方、散歩にも出かけます。近所の方々もダウン症だということを知ってくれているので、みんな太郎と優しく接してくれます。地域ぐるみのサポートです。なんと心強いことでしょうか。家族だけでもなく、地域の方々まで味方にしてしまう太郎の力に感激です。これは奇跡ではないでしょうか。 ダウン症の子は千人に一人生まれると言います。一人が千人を幸せにできるからではないでしょうか。そうすれば、すべての人が幸せになります。神様の悪戯だと思っていましたが、これは神からのプレゼントだと思うようになりました。太郎もこれからもっと成長して、千人の人を幸せにできると思います。神様から命を受けた天使として娘同様闊達な子に成長して欲しいと思います。そして、婿殿のように紳士的な男になって欲しいと思います。「じいじは今、本当に幸せだよ!」太郎にいつも言っています。そのときの太郎の笑顔は何物にも変えがたい幸せに満ちたものです。いつまでもこんな幸せが続くと信じています。 温かい環境 ありすママ ありすは、普通学級で生活しています。 はじめは当たり前のように思っていましたが、これって実はすごいことみたいです。 普通は、特別学級や支援学校に通う子が多いそうなんです。 でも、ありすは満足に学校生活がおくれているとは言いがたいかもしれません。 勉強のおくれもありますし、体育や音楽でもそろそろ遅れが目立ち始めています。 給食の時間もみんなと同じことができません。 でも、学校生活をおくれているのは、何より、クラスの子達の支援があってのことです。 休み時間に勉強を教えてくれるF子ちゃん、体育の時間に一緒に手を引いて走ってくれるJ君、給食の時間に給食着を着せてくれるI子ちゃん。 みんなに支えられて何とか学校生活をおくれています。 学校の先生もそんなクラスの子達を貴重な存在として評価してくれています。 いつまで普通学級で生活できるか分かりませんが、この友達たちはいつになっても友達のままでいてくれるでしょう。 心強い仲間の輪が広がって温かい環境が出来上がりつつあります。 その中心にいる我が子ありす。 ありすが周りの子達の心を強く、優しく、柔軟なものにしていると思うと思わず感極まって涙してしまいます。 本当に生まれてきてくれてありがとう。 良いクラスメイトにも恵まれ、本当に幸せです。 珍道中 ベースボール 10歳になるダウン症の娘がいます。 娘は無類のゲーム好きです。中でも野球のゲームが大好きです。私がいつも対戦相手になるんですが、いつも私が負けます。勝負がついたときの娘の顔を見るのが大好きです。嬉しそうな、でも、負けた私をいたわるような、素敵な奥深い笑顔を見せます。 でも、コンピュータを相手にすると、いつも負けてしまうようです。コンピュータは、変化球を投げてくるからです。 それで私がいつも対戦相手になるんですが、忙しいときなどは対戦してあげられません。やんわり断ると、泣くかと思いきや、私の仕事を手伝ってくれるのです。そして仕事が少しだけ速く終わり、対戦する時間が生まれるということになります。 成長したなぁ、と感じる瞬間です。昔はゲームの相手をしないと、泣いた時期もありました。でも、泣いてもしょうがないと気付いたんですね。泣くのではなく、仕事を手伝う、そう考えたのは娘自身です。私が言ったのではありません。考える力を身につけたという感じですよね! 主人にその話をしたら、ベッドの中で泣かれました。声を押し殺して、主人、泣くんです。 土日は、主人が野球の相手をします。主人は私より下手なので、娘も手加減をしてくれます。結局主人が負けるんですが、勝った娘は、大笑い。私のときとは違い、主人が負けたときには、容赦なく笑い転げます。この差は何なんでしょうか。やっぱり忙しく家事をしている私の背中を見て、一緒に手伝ったりして苦労を知っているからでしょうか。今度、主人も会社で一生懸命働いているんだよということを教えてあげようと感じました。 ・・・そして、思い切って主人の会社に二人で訪ねることにしました。スーツを着て営業の仕事をする主人の姿を娘に見せました。車で移動し、顧客を回る。そこに同乗してついていきました。顧客の前でも親子三人でくっついて訪問しました。「今日は父兄参観日ですか?」なんて、主人が言われていました。娘は、意味も分からす「そうです」と答えていました。まさに珍道中とはこのことですね。主人が会社の製品の説明をしているときに、娘は熱心に聞き入っていました。顧客の方が「少し勉強してくださいよ〜」というと、娘が「勉強してます!」をきっぱりと答えました。「学校の勉強じゃなーい」と私が言うと、顧客の方が大笑い。商談が上手くいきました。ここでも娘の力が発揮されました。不思議な魅力です。 こうして、娘は、主人が毎日すごく大変な仕事をしているんだな、ということが分かったようです。このあたりの飲み込みの速さは普通の子以上だと思います。それからは、野球のゲームでも手加減してくれるようです。結局娘が勝つんですが、笑い転げるわけではなく、おしとやかな笑顔を見せるようになりました。 主人もそんな娘を見て笑顔です。野球ゲームをして、勝ったほうも負けたほうも笑う。こんな不思議ですばらしいことってありますでしょうか。ほんのり温かく、とっても嬉しい生活。すべては娘のおかげです。本当にダウン症でよかった。だって、こんな幸せ、普通じゃ得られませんから。
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