ダウン症でよかった!

episode 81-90

 

神業 栄治君の友達のママ

 

ある日、親の会に妊娠したばかりのママさんとパパさん(中島さん)が訪れました。検査で、おなかの中にいる赤ちゃんがダウン症だと分かったそうです。医師の告知を受けて、色々調べたようです。看護師さんの中に、ダウン症の弟さんを持つ方がいらっしゃって、その方の助言で親の会を一度見に来られたそうです。多くのダウン症児を見て、涙を流しておられました。「どうして泣くんですか?」。そう尋ねるとパパさんが言いました。「みんな活き活きとしているんですね」。ママさんは、「気のせいかもしれませんが、おなかの中で赤ちゃんが喜びではしゃぎまわっているような気がするんです」、と仰いました。ちょうどダンスの時間だったからでしょうか。お二人とも涙を流していらっしゃいました。ダウン症児たちはいつも通り勝手気ままにダンスをしていました。栄治君という小5の男の子が、中島さん夫妻の所に行って言いました。「ダウン症の子は誰? 一緒に遊んであげるよ」。そういうと、ママさんが「まだおなかの中にいるの。まだ小さいの」、そう応えていました。栄治君は、「ざんねーん、おなかの中じゃ一緒に遊べないや。でも、生まれてきたら一緒に遊んであげるね。約束だよ、赤ちゃん」。この栄治君こそが上記の看護師さんの弟さんです。親の会の若きリーダーでもあります。中島さん夫妻は、この日、親の会の開会から閉会まで3時間、じっとダウン症児を見て過ごされました。「みんなかわいいね」、そうパパさんが言うと「うん、かわいい…」、そうママさんが言っていました。「大変だけど、産んでみると悲しみより喜びのほうが多いものですよ。でも、産むかどうかはじっくり話し合って決めるべきね。私は産んだほうがいいと思うけど、こればかりは中島さんの判断ですからね。産んだらすぐにここに来てください。いつでもウエルカムですよ!」、私がそう言うと、パパさんが言いました。「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします」。こうして、中島さん夫妻は去っていきました。

ここからは栄治君のお姉さんの看護師さんからの情報です。

結局中島さん夫妻は、赤ちゃんをおろすことにしました。パパさんは、「産んだほうが良いと思う」、と言ったそうですが、ママさんが拒否したそうです。栄治君をはじめ、ダウン症児の子育てに対する大変さを考慮しての判断だったと聞いております。「主に子育てをするのはママなんだから、その意見に従う」。そうパパさんは言ったそうです。

処置の日、ママさんは全身麻酔を希望しました。赤ちゃんを殺す瞬間を記憶に残したくない、そういう判断でした。医師が麻酔薬を投与し、いざ手術が始まりました。そしてまさに赤ちゃんを処置しようとした瞬間、全身麻酔で寝ているはずのママさんが叫んだのです。「産みます! 産ませてください! お願いします!」。意識なんか無いはずのママさんが大声で叫んだのです。医師は、驚き、処置をすぐにやめました。ママさんに「中止するんですか」と問いかけても返事はなし。医師は、戸惑いながらも処置を中断しました。手術の補佐をしていた栄治君のお姉さんが言いました。「神業ですね」。

麻酔から醒めたママさんは開口一番「赤ちゃんは生きてますよね!?」、と仰いました。栄治君のお姉さんが言いました。「もちろん!」。「良かった…私、とんでもないことをしようとしていたのかもしれない。意識が遠のくときに見たの。私の赤ちゃんを栄治君が抱っこしてくれているの。二人とも満面の笑みで幸せそうにしているの。私も主人もそれを見てボロボロ泣いていたの。産んでよかったね、そう二人で言い合ってた。こんな幸せ、手放すとこだった」。

その後、元気な男の子を生んだ中島さん夫妻は親の会を訪れ、赤ちゃんを栄治君に抱っこさせてくれました。二人は満面の笑み。中島さん夫妻は涙を浮かべながら満面の笑み。「産んでよかった」、ママさんの心からの一言を頂きました。

 

 

 

手紙 翔太ママ

 

私は看護師です。ダウン症の赤ちゃんを出産しました。看護師仲間から出産祝いを頂きました。「神様に選ばれた翔太くんへ」と題した手紙も頂きました。内容は、「翔太くんは神様に選ばれた子供です。お母さんは優しい人で、みんなに慕われています。そんなお母さんが、生まれてきた翔太くんを見て泣きました。でも、お母さんは出産後、落ち着いて、翔太くんを抱いて微笑みました。「かわいい」、そう言って涙を流しました。私たちも、もらい泣きしました。翔太くんは本当にかわいいよ。看護師仲間のアイドルでした。この手紙が読める頃には、ダウン症という自覚はありますね。変に力まず、翔太くんのそのままの姿で過ごしてください。翔太くんには、神様に授かった天然の癒しの力があります。周りの人を幸せにする力。お母さんやお父さんを大切に。お母さんの笑顔をみたいでしょ。翔太くんが良い子にすれば、お母さんの笑顔が見れるよ。他の子のようにできないこともあるでしょう。でもめげずに頑張れ。お父さんやお母さん、そして私たちがついている。みんなが支えている。忘れないで、私たちの存在。すべては翔太くんのために。私たちは一丸となって翔太くんを支えます」。・・・感動して涙が出ました。ありがとうみんな。それにしても赤ちゃんに宛てた手紙にしては内容難しいな。看護師仲間は言いました。「手紙の内容が難しいのは、翔太くんの成長を祈念したものです。この手紙が読めるくらいに成長して欲しい。いつになるか分からないけど、そのときのために書いたんです」。・・・いつになるかな。今度は嬉し涙が出てきました。みんな翔太の成長を期待してくれている。健常者並の理解力を期待してくれている。この期待に応えたい。そう思いました。

あれから20年。二十歳になった翔太に手紙を見せました。難しい漢字の意味を聞いてきました。一つ一つ教えました。すると、翔太が滅多に泣かないのに、大泣きしました。「どうしたの?」、と言うとこう言いました。「僕、お母さんの笑顔もっと見たかった。もっと頑張ればよかった。もっとできたはずなのに」。そう言って泣くんです。「翔太は十分頑張ったよ。お母さんもいっぱい笑ったよ」、と私は答えました。翔太はでも泣きやまず、「もっと頑張れたのに」、そう言って泣き続けました。・・・とても優しい子に成長しました。こんなに優しくて社会人として自立できるのだろうかと不安になります。

そんな翔太がある日、一通の手紙を持ってきました。なんでも看護師さんたちに渡したいと言うのです。封筒に入っていたので、私は内容も見ずに今も一緒に働く看護師仲間に渡して読んでもらいました。「かんごしさんのみんなへ。いままでお母さんをささえてくれてありがとうございます。僕はだうんしょうなんですね。お母さんはかふんしょうです。僕ががんばるとお母さんがよろこぶことをしりました。これからもっとがんばります。神さまにたのみます。僕がいつまでも元気でいられるよう。そしてお母さんのえがおがみられるよう。そしてかんごしさんたちをいやすことができるよう、がんばります。これからもお母さんのこと、よろしくおねがいします。ほんとうにお母さんのことよろしくおねがいします。えがおでいられるように。おねがいします」。・・・看護師仲間のすすり泣きが聞こえてきました。「あの手紙が読めるようになったんだ」。当時から働いている看護師さんが言いました。「感慨深いね」、そう言って私の肩をぽんと叩いてくれました。私も涙があふれてきました。翔太の手紙、私のことばかり書いてあるんですもの。手紙を見せて以来、翔太は、より頑張り屋さんになりました。「お母さんの笑顔を見たいから」、そう言って頑張ります。あの手紙をくれた看護師仲間に本当に感謝です。そして、その手紙を読めるまでに成長したわが子と神様に感謝です。ありがとうございます。

 

 

 

年賀状 愛ママ

 

毎年元日になると憂鬱になります。うちは、主人と私、主人の母、15歳になるお姉ちゃん、11歳になるダウン症の愛の5人家族です。なぜ憂鬱になるかというと、お姉ちゃんの年賀状の枚数が愛の枚数よりずっと多いのです。愛は「いいなぁ、お姉ちゃん」、と毎年言っています。お姉ちゃん115枚、愛3枚。今年の結果です。

来年に向けて今年はとあるキャンペーンをしました。私のブログで愛の紹介をすることにしたのです。そして、そのブログの内容を支援学校の生徒や、親の会の友達、近所の学校の生徒たちに見てもらっています。生徒さんからコメントを時々頂きます。「ダウン症のこと、知りませんでした。私の通う普通校の支援クラスにくれば友達になれるのに」。「めげずに頑張る愛ちゃんかわいい。会いたいです」。・・・主人がそれを見て涙していました。「愛にも見せてあげよう」、そう言って張り切っていました。単純な人です。

そんな能天気な主人はさておき、次のステップに移りました。ブログを通じて、年賀状を送ってくれるように頼んだのです。住所はブログにメッセージを送ってくれた方に返送する形にしました。少々危険な臭いがしましたが、前向きに何でもやってやろうという家庭なので、思い切って行動しました。

8月、思わぬことが起こりました。愛宛に暑中見舞いのはがきが届いたのです。その数、50枚。お姉ちゃんは2枚でしたので、愛の圧勝でした。これには喜びましたねー。愛は早速、お返事を書き始めました。50枚のはがきを書くのに30日を要しました。一枚一枚絵を描いて字を書いてやっと出来上がる作品です。その絵と字を見て主人がまた泣きました。必死に書いた残暑見舞いのはがきは、とても輝いて見えました。「大切なお友達だから」。愛は言います。本当にかけがえのない友達たちです。

でも、実はその多くはお姉ちゃんのお友達だったんです。お姉ちゃんは、学校で愛宛にはがきを書いて欲しいとみんなに言ってくれていたのです。私宛のは減らして。そう言った結果がこれです。お姉ちゃんは愛の50枚に満足していました。「年賀状はもっと来るよ」。お姉ちゃんは愛にそんなことを言っていました。

愛は元日が待ち遠しくてしょうがないようです。「も〜ういくつ寝るとお正月〜、お正月にははがきを書いて〜」。なんていう替え歌まで作って歌っています。こんな微笑ましい状態になるなんて去年までは考えられませんでした。お姉ちゃんに感謝ですね。

「ダウン症の子は周りを幸せにする」。以前、そんな言葉をブログで見かけました。本当にその通りだと思います。お姉ちゃんの友達が言っていました。「愛ちゃんは私の宝物じゃない。みんなの宝物」。みんなが愛を支えてくれます。

ブログのコメントも日に日に多くなってきました。「年賀状送らせていただきます!」。「愛ちゃんのお返事楽しみにしております」。「愛ちゃんの成長、見たい!」。

主人も会社で愛と同世代のお子さんのいる方に年賀状のお願いをしているようです。

この年賀状のネットワークが愛にとっての生命線になるかもしれません。一気に友達が増えました。こんなに劇的に変化するとは思いませんでした。この流れを止めてはいけない。はがきを通して愛は一層成長します。友達の大切さ。それが一番大事なことのように思うのです。「はがきのお返事書くのが好き」。愛は言います。友達とのふれあい。支援学校でももちろん友達はいますが、少し閉鎖的といいますか、年賀状などの点では遅れをとっています。それが、そのネットワークが一気に進化したのです。

主人の母もお友達のマダムに頼んでいるようです。

みんなで力を合わせて来年の元日には、満面の笑みを家族で迎えたいと思います。誰も傷つかないでみんなが幸せになれる。そんなすばらしい環境がここにはあります。すべては愛のおかげ。改めて愛に感謝する毎日です。ありがと。

 

 

 

約束 和也ママ

 

和也がダウン症という個性を持って生まれた時には、もうこの世の終わりだと思いました。

和也には兄と姉がいます。

和也は、兄と姉の子育てとは違い、何を学ぶにもゆっくりでした。

なかなか思い通り成長してくれないもどかしさから育児放棄にも近い状態になることもありました。

ダウン症の子は天使だと言われますが、私にとっては悪魔のような存在でした。

でも、そんなときは決まって兄と姉が和也の面倒を見てくれました。

「今日はお母さん休みでいいよ」

そう言って、家事を手伝ってくれました。

よくできた兄と姉でした。

どんなに救われたことか。

そんな生活を続ける中で、私は、一貫して厳しく和也に接しました。

ダウン症だから○○ができなくていいと言うことではないと思っていたのです。

女手一つで三人を育てる私は、将来、和也が一人でも生活ができるように色々学んでほしかったのです。

でも、この考えには無理があったのかもしれません。

それを気付かせてくれたのも兄と姉でした。

「和也は、天使じゃない。でも悪魔でもない。人だよ」

「ダウン症だからって特別扱いしなくてもいいと思う。将来は私たちに任せて。必ず幸せにしてみせる」

肩の荷が下りた瞬間でした。

和也は人なんだ。和也は和也のできることを伸ばしてあげればいいんだ。

「ダウン症だからと、無理強いをしていたのかもしれない」

反省しました。

育児はマイペースでいいんだ。成長が遅くたっていいじゃないか。ちょっと極端な考えかもしれませんが、今は正直そう思っています。あの兄と姉がいるんだから将来の心配なんてしなくても大丈夫。本当に楽させてもらっています。そう思い始めてから不思議とそれまで気付かなかった和也の成長に気付くようになりました。食事の前には手を合わせていたんですね。食べ終わってからも手を合わせていたんですね。寝るときにはおやすみって言ってたんですね。いつも、見逃していたり、聞き逃していたんですが、いろんなことができるようになっていたんですね。今まで気付かなくてごめんね。これじゃ母親失格だ。これからもゆっくりかもしれないけどどんどん成長してください。体の弱いお母さんは、和也より先に逝ってしまうかもしれないけれど、お兄ちゃんとお姉ちゃんがいるから大丈夫。この二人に将来のことは任せてあります。安心して任せてあります。和也、健やかに、個性的で魅力的な大人になってください。絶対だよ。

 

 

 

笑子 啓志ママ

 

啓志が生まれたときはお先真っ暗でした。初産ということもあり、かなりショックを受けました。この世の終わりかとも思える状態でした。告知は夫からありました。うちの夫、笑いながら告知するんですよ。「ダウン症だって!今見てきたら本当にかわいいの。ダウンちゃん」私はそれを聞いて、怒るというよりあきれてしまいました。この人と結婚したのは間違いだったか。そこから疑問を持つことになったのであります。

でも、それから10年が経ちました。あのときの告知のことは忘れられません。笑いながら告知した夫、今は感謝しています。だって、落ち込みながら告知されてたら今でも暗い生活をしていたかもしれないからです。それと、10年経って知った事実があります。実は夫、医師から告知を受けた際、号泣していたそうなんです。それを父と母から聞いて、私も10年経って初めて号泣しました。あんなに明るく告知していた夫が実は一番つらかったのかも知れません。『笑顔の告知』・・・なかなかできることではないと思います。

今、第2子が生まれるところです。ダウン症ではありません。何か少し物足りない気すらします。啓志もワクワクしているようです。元気な赤ちゃんを産んであげたいです。啓志は、ひたすら毎日折り鶴を作ってくれます。あまり上手じゃないけど、いっぱいいっぱい作ってくれました。もう200個になります。千羽にはなりそうもないけど、心強い贈り物です。私は、本当に幸せものです。第2子の名前は笑子(えみこ)と名付けようと思っております。10年前のあの日から笑いの絶えなかった家庭でした。夫や啓志がいつも笑いを生んでくれました。本当に強い夫。そんな夫の遺伝子を受け継いだ啓志。2人のコメディアンが奏でるお笑いネタは他の家庭にはないでしょう。啓志が色々失敗するんです。それが面白くて。夫のギャグは最近良く滑りますが、啓志の天然ボケ(啓志に失礼か?)は、いつまでも楽しく家庭を潤してくれます。

笑子はどんな子になるかな? 今から楽しみにしています。啓志はどちらかと言うと、夫似なので、笑子は私似かな? だとしたら、笑いを提供する側ではなくて笑う側の子に育つのかな。良く笑う元気な子に育って欲しいな。

10年経つとダウン症という個性が大体掴めてきます。どんなことができてどんなことができないのか。この子はどういう長所があってどんな短所があるのか。普通の子でもそうかもしれませんが、そういうことが分かってきます。ダウン症のお子さんを生んだママさんたちへ、10年頑張ってみてください。長いようで短い10年です。10年経てば、お子さんの個性が出てきて、どんな状態なのか、良く分かるようになると思います。その上で、良い面を伸ばしてあげてください。そして、笑いの絶えない家庭になってください。小さなことでも良いんです、日々必ず笑いの種は家庭にあります。それを見つける10年間になるかも知れません。ダウン症の子が生まれたこと、悲観する必要はないのです。むしろ当たりくじを引いたような感覚で良いと思います。こういうことを書くと不謹慎だとお叱りを受けるかも知れませんが、少なくとも私はそう思います。それに、多くのダウン症児を持つご家族がそう感じているのも事実です。お子さんをどんどん社会に出していってください。引きこもりのような状態ではいけないんです。もちろん苦労はあります。でもその苦労が後で楽しみに変わるんです。笑いを生むんです。笑いばっかりが良いとは言いません。でも、笑いって本当に癒されるし、ダウンちゃんの持って生まれた長所のような気もするんです。笑顔の告知に笑いの絶えない家庭。すべては線で繋がっています。

 

 

 

農業 剛志パパ

 

ダウン症の剛志が6歳の頃、引越しをしました。

都会の喧騒を離れ、田舎暮らしをしたほうがいいのではないかと思い立ったからです。東京では、人が多く、剛志を見て笑う人が多いからです。寂しいことですね。田舎なら近所の方とも面識ができ、ダウン症ということも分かっていただき、理解が得られると考えたからです。

仕事のほうは、17年勤めた会社を辞め、一念発起、農業を始めました。農業って良いですね。剛志も頼りになる人手になります。草を取ったり、種をまいたり。大きな大地を相手に、妻と三人で孤軍奮闘の日々です。

「この種は何になるの?」剛志が問います。「人参だよ」そう答えると、不思議そうな顔をして、「こんな小さな種が人参になるの?」と答えていました。「でも、僕、人参嫌いなんだ」とも言っていました。「自分で作った野菜はおいしいぞう」そう言うと、「ふ〜ん、そうなんだ」と答えていました。今まで職場に剛志が来たことはなかったので、一緒に働くというのがとても新鮮でした。言葉もこんなにしゃべるし、こちらの言っていることをこんなに理解できるようになっていたとは思いませんでした。剛志との時間がとても貴重な気がしました。

そして、収穫の時期が来ました。ワクワクしました。剛志もワクワクしていたようで、「もう食べれるの?」としきりに聞いてきました。収穫は順調でした。一歳年を取った剛志の手も借り、収穫しました。店で売れるような人参はほんの少しでした。どれも形が悪く、なかなか難しいものだと感じました。そんな中、二本の人参と小さな一本の人参がくっついたような人参が収穫されました。まるで、私たち家族のようなその人参は、しばらく仏壇に飾ってから、煮物にして食べました。その人参は剛志に与えました。「自分で作ったの、おいしいぞ」再び剛志に言うと、剛志は恐る恐るその人参を口にしました。「・・・あまい」そう言って、ぺろりと平らげました。私は何だか分かりませんが、涙が出てきました。引越しの不安から解き放たれ、また一つ年を経た剛志の成長ぶりに感激し、自分で汗水流して育てた人参を食べる。そして、「あまい」の一言。その人参は、まるで私たち家族へのご褒美のような人参でした。

ちょうどこの頃、剛志は小学校一年生になりました。支援学校に通っています。学校でも農業研修のようなものがあり、剛志は一年生ながらリーダーを務めているそうです。かなりのリーダーシップを発揮してくれているそうです。嬉しい報告です。学校から帰ってくると、一目散に畑に来て手伝ってくれます。週末は、一日中一緒に農作業をします。

田舎暮らし・・・おすすめです。都会にいるときは悲しくて泣くことがしばしばでしたが、田舎に来たら、嬉しくて泣くことが何度もあります。息子の成長が目の前で見られる。いつも息子と一緒にいる感じがします。この先、どうなるか分かりませんが、今を生きる。そういう感じです。すべては剛志のため。妻と二人の微力ながら、剛志に明るく楽しい人生を歩ませてあげたい。一年前の東京で誓った言葉がよみがえります。今まさにその誓いの中で生活していて、確かに生きているという実感がわきます。剛志の笑顔、汗、寝顔。すべてがすばらしく輝いています。この輝きをいつまでも。うれし涙が止まりません。

 

 

 

たった一つの願い 一志ママ

 

幼稚園に通う5歳の一志がダウン症です。幼稚園の参観日、見て驚いてしまいました。お遊戯の時間、一志は何もしていないのです。ただ座っているだけ。それを周りの子も先生も気にせず、そのままなんです。私は憤慨しました。「一志!お遊戯しなさい!」。大きな声で叫んでしまいました。周りの子、先生、父兄の皆さんが一斉に息を呑みました。それでも私はひるまず、一志のところに行ってみんなと同じにやりなさいと言いました。一志は泣きました。でも、泣いたって、他の子と同じようにできるはずなんだからやりなさいと言いました。

一志は、家ではお遊戯を楽しくやっているので、幼稚園でももちろん楽しくやっていると思っていたのです。ところが、この日は、少なくともこの日は、やらなかったのです。私は、他の子と比べて劣っていると思われるのが嫌で、一志には、すべて他の子と同じようにやるように言い聞かせ、育ててきました。

怒った私に先生が一言言いました。「一志君はお母さんが来ているので恥ずかしがっているんですよ」。・・・私は言葉が出ませんでした。軽率な母ですね。先生は一志をなだめて泣き止みました。そして、一志の後ろに回りこみ、他の子と同じようにお遊戯をさせてくれました。この時、一志が笑うんです。満面の笑みです。家で練習した成果が現れていました。それを見て、周りの父兄の方がすすり泣き始めました。私も、友達と同じようにお遊戯をする一志を見て、涙が止まりませんでした。こんなお母さんでごめんね。一志の後ろで手伝ってくれていた先生も少し泣いていました。

一志が周りの子と同じようにお遊戯するためには、周りの子より練習する必要があるように感じます。でも、できるまで稽古するんです。周りの子より劣っているなんて認めたくないんです。「力みすぎかな?」。そう感じることもあります。また、「一志のペースというものを考慮してあげるべきだ」という意見もあります。でも、それでも周りの子と同じようにできることを証明したいんです。

すべては、普通の小学校に進学させたいためです。多分ダウン症のお子さんを持つ親御さんはみんな、普通校への進学が夢だと思います。そうでない方もいらっしゃるかもしれませんが、少なくとも私は、そうです。一人の子供として、なぜ優劣をつけられなければならないのでしょうか。

参観日の後、懇談会がありました。私は、一志の普段の様子を先生から聞きました。「少し劣っています」。先生は正直に答えてくれました。その正直さがとても新鮮で、実直な感じがして、いい先生にめぐり逢えたな、と思いました。「でも、普通校に通わせたいんです」。そう言うと先生は、私をなだめすかせるようにこう言いました。「一志君に決めてもらったらどうでしょう?」。私は、目からうろこが落ちました。今まで考えたこともない選択肢でした。確かに、自分の将来ですからね、自分で決めるのが大切なのかもしれません。

その日の夜、一志に聞きました。「普通の小学校と支援学校どちらがいい?」。一志は、支援学校という言葉を知っていました。きっと先生が教えてくれたんでしょう。一志の答えは、「お母さんの好きな普通校に行きたい」。私は、再び、涙がこみ上げてきてしまいました。こんなお母さんのために普通校に行きたいと答える息子を抱きしめて、ずっとずっと泣いてしまいました。「ありがとう、ありがとう」。何度もそう言って抱きしめました。一志は嬉しそうに笑い、「でも無理かも」と言いました。障がいを持っていることを理解しているんですね。不憫でなりません。どうすればいいのでしょう。主人は「時が解決する」と言います。一志の人生が、より良い方向になるよう頑張りたいです。不器用な母ですが、一志と二人三脚、あとわずかな時間しか残されていませんが、それでも普通校に通わせたいんです。私のたった一つの願いです。

 

 

 

周りを成長させる子 栄子ママ

 

「周りを成長させる子」・・・病院の院長先生が仰った言葉です。

栄子はダウン症という個性を持って生まれてきました。担当医は若い先生でした。生んですぐその疑いがあるということと合併症検査のため設備の整った病院に運ばれました。

幸い合併症はなく、元の病院に戻ってきました。告知は主人にのみされました。主人はすぐに私に知らせてくれました。嬉しかったです。この人と一緒になってよかったと思いました。だって、言いにくいからと変に気を使われるより、思い切り言ってくれたほうが安心だもん。でも、実際は、随分へこみました。告知されたときは気を張ってたのでなんともなかったのですが、しばらくして悲しみと不安がこみ上げてきました。主人も正直今後どうなるか分からないと言っていました。不安で不安で泣き明かした夜もありました。

そんな時、栄子が搬送された大病院の院長先生という方が面会に来てくださいました。「ダウン症を持った子を産んで不安でしょうが、不幸なことではありませんよ。むしろ幸せを運んでくれる子です。そして、周りを成長させる子ですよ」・・・そう仰ってくれました。聞けばこの院長先生、ダウン症や何か病気を持った子が生まれたと聞くと、必ずその家族に面会に来て、勇気付けてくれる方だったんです。すごいですよね。この先生の説明でほとんどの心配が取り除かれました。とても頼りになるスーパーマンのような先生でした。「周りを成長させる子」・・・院長先生自身もその一人だと仰いました。「私がこうしてご家族に面会させていただくのもこの子達のおかげです。そして、少しでもご家族を安心させることができれば、それは私の幸せでもあり、ご家族の幸せでもあるのです。そして、色々なご家族にお会いさせていただくことで、私も成長するんです。まだ生まれたばかりなのにすでに何人もの方を成長させていますよ。今後もいろんなことがあるでしょう。中には不幸だなと思うこともあるでしょう。でも、その逆境を乗り越えることができるんです。この子はそんな力を秘めています。必ず幸せになれます。どんなことが起きても」。

それから5年の歳月が過ぎました。幸せです。とても幸せです。

普通の子の育児とほとんど変わったことはありません。ただ、少し成長が遅いかな、と感じることがあるくらいです。でも、ダウン症ということで、変な気負いがあるのも事実です。その反面、ダウン症ということで、周りの親御さんや周りのお友達が『成長』しているのも事実だと言われます。普通の子の育児の知識とそれにプラスα、いろんな知識や配慮が身につきました。

保育園の先生に言われた言葉があります。「この子は周りの子達を成長させる子ですね」・・・院長先生と同じ言葉でした。嬉しかったです。栄子がいると、他の子が率先して面倒を見てくれるそうなんです。子供たちの教育にとてもプラスになっているとのことでした。

これからもいろんなことがあるでしょうね。でも、どんなことが起きても乗り越えられるような気がしています。そして、逆境にたたさせるごとに成長していくんだと思います。栄子だけでなく、私たち家族、そして、周りの人たちも。みんなを成長させていく栄子。これからどんな未来が待ち受けているのか、今は分かりませんが、必ず幸せに成るような気がします。

 

 

 

から元気 春香ママ

 

私、告知を受けたのが、生後一年してからでした。娘の名は春香と言います。告知遅いですよね。それまで一年間、確かに変だなと思うことが多々ありました。

1.ほとんど泣かない

2.ほとんど動かない

3.顔が誰にも似ていない

ダウン症とは知らずに病院に行って初めて遺伝子検査。そして結果、ダウン症だと分かりました。生んでから一年も経ってからだったので、落ち込むことはありませんでした。「ああ、やっぱりそうか・・・」という感じでした。ダウン症だと分かり色んな変化が家庭内に起きました。

1.前よりも大事に子育てするようになった

2.夢を見て泣くことが多くなった

3.主人が、から元気になった

特に主人は、落ち込んだ私を気遣い、毎日楽しい話をしてくれました。とても勇気付けられました。でも、そんなに落ち込んでいないんだよ。安心して。

春香は成長がゆっくりでした。でも確実に成長しているという実感がありました。ほんの小さなことができるようになったときの喜び、格別です。「成長がゆっくりなだけで、そんなに心配することはないんだよ」、と先輩ママさんに教えてもらいました。

春香が生まれてとても貴重な出会いがたくさんありました。先輩ママさんたち、特に主人の会社の上司(ダウン症の子を持つ)、優しい保健師さん、親の会で知り合った多くのダウンちゃんたち。すべて春香が生まれなければこれほど大きな絆に囲まれることもなかったでしょう。

主人の会社の上司は、当時10歳になる息子さんがダウン症でした。主人もそれを知っていたので、春香がダウン症だと分かってから色々相談したみたいです。そこで、奥さんへのケア術を学んだそうです。「とにかく明るい家庭にしたほうがいい」とアドバイスを受けたそうです。実際、上司の方にお会いしたらすごく明るい方でした。でも、奥様に話を聞くと、気を張っていますが、実は、告知を受けたときは大泣きしたそうです。泣いて泣いて泣きまくって会社を辞めようかとも考えたそうです。どこか知らない田舎で家族だけで生活していこうとも考えたそうです。そこまで落ち込んだ反動で、今はとても明るいそうです。

主人も実は、告知を受けた日の夜、一晩中泣いていたんです。そして、翌日、上司に相談し、色々アドバイスを受けたのです。告知を受けたときには、大泣きするのがいいと思います。泣いて泣いてもう涙が出ないところからがスタートです。前途多難ですが、また喜びも深しです。不幸だとは思いません。これはダウン症の子を持つ家族のほとんどがそう感じています。本当に幸せだと思います。春香に感謝ですね。

最近の我が家の状態はこうです。

1.幸せを家族全員で分かち合っている

2.春香が日々成長していると感じる

3.主人がよく嬉し涙を流す

主人、すぐ泣くんです。春香が何か言っただけでもなくし、笑っただけでも泣くし、寝返りうっただけでも泣くんです。外出先でも。もうこちらが困りますよ。こんなに感情表現が豊かな人だとは思いませんでした。でもそこがいいんですけどね! 春香がすべてです。我が家のすべてが春香を中心として回っています。春香に幸せになって欲しい。そのためには、私たち夫婦が幸せにならなくてはいけないと思います。主人のから元気に引っ張られ、私も幸せ感じています。

 

 

 

けんか 天使ママ

 

9歳になる娘がダウン症です。

いつも「じいじじいじ」と仲良く遊んでいる祖父(68歳)と珍しくけんかしていました。「じいじ、お菓子持ってきてくれるってゆったよね!」「ごめんごめん忘れたんだよ」「もうじいじきらい!」「ごめんごめん」・・・平和なけんかだなあ、と思っていたら雲行きが怪しい。なんとじいじが泣いているではありませんか。「泣かないで!」と娘。「ごめんねごめんね」と謝る祖父。「もういらないよお菓子なんか。元気出して!」「ありがとうありがとう」

それ以来ですね、じいじが娘を怒らせるようなことをしても、娘は怒らず優しくするようになったのは。それまでは友達感覚だったのが、今は、老人をいたわるような感覚に変わってきました。この成長は面白かったです。9歳の子供が老人をいたわる光景。肩もみしたり、大きな声でしゃべってあげたり、食事のときは介助したり、完全に老人扱いです。

実は、けんかした後、「じいじは年をとっているから、忘れっぽいんだよ。優しくしてあげて」とアドバイスしていたんです。その後さらに、テレビで老人介護の番組をやっていて、それを見て色々覚えたんでしょうね。祖父は、大変複雑な表情をしていました。「そこまで、老いぼれではないんだが・・・」なんて言っていましたが、優しい孫に愛されて幸せそうでもありました。

ダウン症の子って本当に素直。疑いを知らないという感じですね。ピュアなんです。そういう姿を見ていると、嬉しさ反面、将来への不安もあります。こんなピュアじゃ、誰かに騙されたり、傷つけられたり、とても心配です。いつまでも親が守ってあげないといけないなと思います。自立するということができないのかもしれません。でも、いいんです。いつまでも守ってあげます。成長が遅い分、愛情が次から次へと溢れ出てきます。

成長が遅いというのは最初は頭痛の種でした。でも、今となっては、子供が一番かわいい時期がずっと続いているような感じで、楽しいです。9歳にもなって、どうしようもないことで笑います。主人がおならをしたとき、私が料理をしながら音程の外れた鼻歌を歌ったとき、じいじがお茶を飲んでむせ返っていたとき、すごく大笑いするんです。こちらまで、心の底から笑えてくるような笑いです。

『天使』・・・ダウン症の子は天使だとよく言われます。本当にそう思います。これほどまでにピュアな子が他にいるでしょうか。周りの空気を一変させてしまう陽気さ。誰からも愛情を受ける天性の無邪気さ。接した人を成長させる天然さ。

ばあばはすでに亡くなっていますが、じいじが亡くなるときはいずれ来ると思います。それが心配です。まだまだ先のことかもしれませんが、そのときも天使でいられるのか。ぴんと張った緊張の糸が切れるように、急に赤ちゃんのような聞き分けのない状態になりはしないか。とても心配です。じいじが亡くなったときも天使でいてください。じいじもそれを望んでいるよ。じいじが亡くなるまでに、人が死ぬということを理解させなくてはなりません。これは教育です。人は死ぬんです。それがどういうことか。算数や国語より重要なことっていっぱいあると思うんです。それは学校では教えてくれません。私たち家族が教えていかなくてはなりません。天使に死を教える。

 

 まえがき 1 11 21 31 41 51 61 71 81 91 あとがき  

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