ダウン症でよかった!

episode 51-60

 

助産婦 悟ママ

 

生まれた子供、悟の顔を見てすぐにダウン症と分かりました。私は助産婦の経験があり、ダウン症のお子さんを取り上げたことも数多あります。実際、ダウン症の子供を授かり、私は正直落ち込みました。ダウン症を授かったママさんたちの気持ちが分かったような気がしました。皆さん落ち込んでいました。私は、今まで、ダウン症のお子さんを授かったご家族に励ましの言葉をかけていました。でもそれは、うわべだけの軽い言葉だったと痛感しました。私は、自分の子供がダウン症だったことで、それに気付きました。

「障がいを持っていても心配しなくていいですよ」。「子育ては普通の子供とさほど変わりませんよ」。「成長はゆっくりですがちゃんと大きくなりますよ」。・・・色んな言葉をかけてきましたが、ダウン症の子供を生んだ私には、どの言葉も心に響きませんでした。

幸い大きな合併症もなく、母子共に家に帰ってきて傍目にはのんびりとした生活が始まりました。私の心はすさみきっていました。そんな時、一本の電話が鳴りました。保健師さんからでした。「親の会に参加してください」。・・・短い電話でしたが、私は決意しました。「行きます」。そう答えたのを覚えています。

いざ、親の会の会場前に来て、躊躇しました。一旦は帰ろうと来た道を戻りました。そうしたら、悟が泣くんです。いくら抱き上げても泣き止まず、色々試していたら、親の会の会場に向かうと泣き止んだのです。そんな不思議な体験をしつつ、会場に入りました。会場には、多くのママさんたちとその子供がいました。私は、その顔ぶれを見て感動して涙がこみ上げてきました。なんと、みんな私が助産婦だったときに取り上げた子供たちだったんです。「ようこそ親の会へ。今日はみんなで連絡を取り合って川村さん(私)に取り上げてもらった子供たちをみんな呼んだんです。懐かしいでしょ。みんな大きくなって」。

私は泣きながら悟の紹介をしました。子供たちは早速悟を誘い、一緒に遊んでくれました。悟はそれまでに見せたことの無いような笑顔。私は、それまでに見せたことの無いような号泣。一人のママさんが泣き崩れそうな私を抱きかかえてくれました。「川村さんから受けた言葉、みんな感謝しているんですよ」。ほかのママさんたちはみんな微笑みながらお礼を言ってくれました。そして、こうも仰っていました「不謹慎な言い方かもしれないけど、川村さんが仲間になってくれて本当に嬉しいんです。心強いんです」。・・・ママさんたちの中で私の存在が思った以上に大きかったことに気付かされました。

悟も成長し、今は作業所で働いています。私はというと、助産婦に復帰しました。この世に生を受ける赤ちゃんを取り上げるという仕事に今まで以上に魅力を感じるようになりました。助産婦に復帰して、二人のダウン症児を取り上げました。「私の子供もダウン症なんですよ」。そう言うことにしています。それが一番いいみたいです。親の会でも好評です。二人のママさんたちも親の会に参加しています。子供たちもすくすくと成長しています。

こんな幸せの中でふと思います。ダウン症児は、普通の生活では得られない幸を運んでくれる天使なんだな。普通子供を生んで嬉しくて号泣することなんか無いし、親の会のような強力な味方ができることも無い。すべては悟のおかげです。悟がダウン症でよかった。もちろん健常者のほうがいいとは思います、正直。でも、ダウン症でも良かったと思います。どちらでもいい、私の子供なんですから。どちらでもいい。要はそれをどう受け取るかだと思うんです。その一助になれるなら私は生涯現役で助産婦を続けたいと思っています。本当に幸せかみしめています。悟のおかげです。

 

 

 

家族の輪 太市&由佳&一ママ

 

羊水検査をしてダウン症だと分かりました。その後の家族会議。主人と主人の両親、私の両親、それに子供の太市(10歳)と由佳(5歳)。私の両親は「おろそう」と言いました。「本当に申し訳ございません」、そう主人の両親に言いました。まるで私が悪いかのように。でも主人は言いました。「僕は育てる自信がある。慶子(私)もそう思っているはずです」。「慶子さんはどうなの?」。主人の母親が言いました。「私は・・・分かりません。ただ、ダウン症だからといっておろすのは嫌です」。そんなこんなで色々議論していく中で、太市が言いました。「障がいをもっていても僕が守る。産んで欲しい」。「きっと元気な子供が産まれてくる」、由佳の言葉です。由佳はまだ障がいというものがよく分かっていないようです。でも、産んで欲しいということは伝わってきました。多数決で決めるものでもないため、さらに議論は続きました。「合併症の問題もある」、主人の父親の話です。ダウン症だと分かってから、みんなダウン症のことについて色々調べてくれたようです。ありがたいことです。「色々調べてくれてありがとうございます」、思わず私がこぼした言葉です。「必死に調べてたわよ。かわいい孫のためだもの」、主人の母親の言葉です。「かわいい孫」・・・その言葉を聞いて、嬉しくて涙が出てきてしまいました。主人は、「この議論、慶子抜きでしませんか?負担が大きすぎます」、と言ってくれました。主人は、前から優しかったんですけど、ダウン症だと分かってからますます優しくなりました。でも私は言いました。「皆さんの議論をすべて聞きたいんです。ここに居させてください」。「本当はどうなの?」、私の母の言葉です。「本当は・・・不安です。でも、運命のような気もするんです。それに負けたくない。産みたい」、そう答えました。本当に産みたいと思っていたかは定かではありません。でも、口をついて出てきた言葉は、「産みたい」でした。本能がそうさせたのだと思います。主人の父がこう言いました。「慶子さんや子供たちが産みたいと言っている。だったら産めばいい。どんな状態でもみんながサポートする。ご近所さんだって理解してくれる。保育園だって学校だって心配要らないさ。俺が守ってみせる」。「根拠なき自信ね」、主人の母が言いました。さらに言いました。「でも私も守ってあげたいと思う。地域は変えられると思うの。太市くんも由佳ちゃんもいるんだから守ってくれるわよ。安心して産んでちょうだい」。「産んで欲しいという気持ちになりました」、私の母の言葉です。続けて言いました。「皆さんが一つになっている。そんな感じがするんです。最初は、生まれてくる子供がマイナスに作用すると思ってましたが、反対でした。おろすと言ったことを後悔しています。私も微力ながら応援したいと思います」。「産むことに賛成です。私も応援します」、私の父も言いました。

こうして産まれてきた一(はじめ)は、心臓の合併症を持っていました。でも根治手術可能だそうです。太市と由佳は大喜び。育児の手伝いをよくしてくれます。特に太市はダウン症のことをインターネットで調べてくれたので、いろいろ知っています。でも一番喜んだのは主人の父かもしれません。毎日のように会いに来ます。一緒に住めばいいのにと思うくらい。でも、一は、主人の父に抱っこされると泣きます。主人の父は凹みます。でも、次の日また来て抱っこするんです。また泣かれて・・・。そんな平和な毎日です。本当に産んでよかった。あの議論はなんだったんだろうという感じです。それなりに意味はあったと思います。すごく重要な会議。でも、産んでからの平和な日々があの議論をすべて忘れさせてくれます。案ずるより産むが易し、そういう感じです。合併症がそんなにひどくなかったこともありますが、産む前に比べて産んでからの心配はずっと減ります。みんなに支えられて育児もはかどります。すべては一の存在がベースです。これから幾多の困難が待ち受けていると思います。でも、不思議と不安はありません。みんなに支えられている。そのことが大きな力になっています。一、産まれてきてくれてありがとう!

 

 

 

愛すべき弟よ、健やかなれ 篤人ママ

 

私は、仕事と育児の両立をしています。子供は、8歳のお兄ちゃんと2歳の篤人(ダウン症)です。仕事は、出版社に勤務しております。お兄ちゃんのときも篤人のときも1年のお休みを頂きました。とても理解のある会社で、1年のブランクを感じさせない職場復帰の体制を整えてくれました。そればかりか、篤人が生まれてダウン症に関する本の出版をしてみないかと言われました。私が著者となって篤人の育児を通して感じたこと、感動したこと、大変だったこと、色々書き綴ってみました。そして、いよいよ出版。出版社に勤めているのに、自分の本が出版されるとなると何か不思議な感じがします。篤人との2年間。色んなことがありました。告知で号泣、合併症の手術で号泣、ママと呼ばれて号泣。涙なしには語れません。篤人は本当に手のかからない子供でした。いたずらはしますが、邪気がなく、家族を困らせることはしません。そこでまた号泣。本を出版して、色んなお声を頂きました。「感動しました。私も仕事との両立してみます!」、「篤人君かっこいいですね。家族が一つになっている様子が伝わってきました」、「私は子供がいませんが、篤人君のようなお子さんが欲しいです」など。ダウン症の理解が深まったことで色んな良い刺激を世の中に与えられたと思います。でも出版して感じたのは、「ダウン症ってやっぱり特別視されるんだなぁ」ということです。出版すること自体、特別視の副産物だと思います。ダウン症のことを知ってもらうということと、特別視は表裏一体なんだなぁと感じました。これからも篤人は、特別視されていくでしょう。でも良いんです。特別かわいい子を目指して育児頑張ります。何も障がいがあるといって他の子よりも劣っていると決め付ける必要はないと思うんです。他の子より優れた面がいっぱいあります。そこを前面に押し出していけば、良い意味での特別視を受けられると思うのです。例えば、「天然さ」「邪気がない」「新しいことができたときの喜びが人一倍嬉しい」など。障がいというとどうしてもマイナス思考になってしまいますが、プラス思考で行きましょう!

うちは、お兄ちゃんがいるので、篤人の成長が少し早いんです。良い刺激を受けています。お兄ちゃんにも出版のお手伝いをしてもらいました。本の一部にお兄ちゃんコーナーを設け、お兄ちゃんの感想を書いてもらいました。その内容は・・・「僕にはダウン症の弟がいます。ダウン症ということを一年前に知りました。治らないということも聞きました。どうして篤人がそうなってしまったかは分かりません。でも、今では、治らなくてもいいと思います。だってかわいいんだもん。篤人とはけんかをしません。篤人にとってはけんかも一つの遊びになっているようで、ど突くと笑うんです。その笑顔が本当にかわいい。僕も今では、ど突いたりしません。絵本を読んだりテレビを見たり、一緒に楽しく遊んでいます。大切な弟との貴重な時間を楽しんでいます。寿命が短いかもしれないとも聞きました。篤人にはいつまでも元気でいて欲しいと思います。もし死んじゃったら・・・。言葉がありません。いつまでも元気でいて欲しい。そう願うだけです。だからこそ毎日、充実した生活を送りたいのです。篤人のために。すべては篤人のために。愛すべき弟よ、健やかなれ」。最後の一文は、お兄ちゃんがダウン症関連の本を読んで覚えた文章でした。お兄ちゃんも本を読んだりテレビを見たりしてダウン症のことを勉強しました。8歳ですよ。こんな小さな子が弟のためにダウン症の勉強をしてくれるんです。そこでまた号泣。

お兄ちゃんはそんなこともあり、本が大好きです。将来は出版社に勤めたいといってくれています。嬉しい限りです。そして、自作の本を出版したいとも言っています。そのために篤人と色んな思い出を作りたいんだと言っています。毎日日記をつけているようです。篤人との貴重な時間を形に残しています。本はいつまでも残ります。篤人がいなくなった後も。篤人の幻影を追い求めるように我が家族は生きていくのでしょう。

 

 

 

不安と希望 達也ママ

 

出産した後不安だったなぁ・・・。

生まれたばかりの子供は顔を見ることもできず、「精密検査をしますので」と言われ、ICUに入ってしまい、それから三日後に告知。もちろん告知の後は主人が良くしてくれて、色々安心できましたが、それでも不安のほうが大きかったです。幸い合併症もなく、半月後に退院。わが子、達也は、泣くとチアノーゼになるので、泣かないようにずっとおもちゃやなんかで気を引いていなくてはなりませんでした。46時中。大変なストレスがたまり、達也の体重が減る一方、私の体重は、うなぎのぼり。一ヶ月で15キロ太りました。ストレスで食べてばかりの生活でした。一ヶ月間、ずっと引きこもっていました。食材の買い付けは主人がしてくれました。主人の体重も減る一方。

この引きこもりの最中、保健師さんが訪ねてきてくれました。とてもいい方で、初めは何かの勧誘か何かかと思いましたが、そうでもなく、達也のことで役に立つことを色々教えてくれました。『親の会』というものがあることも聞きました。「こんなに苦労をしているのは私だけなんだ」。なんて、悲劇のヒロインを演じていましたが、他にも同じご苦労をされている方々がいることを知り、少し希望が見えてきました。

悩んだ挙句、近所の親の会に参加させていただくことにしました。障がい者の集まりみたいな暗い印象を最初は持っていました。ところが、親の会、恐るべし。ものすごいテンションが高いんです。みんな明るい! 子供たちも伸び伸びしている。子供たちは楽しそうに活発におもちゃの取り合いなんかをしているし、言葉をしゃべれる子は、元気に歌を歌っています。この光景を見たときにパァッと光が見えた気がしました。私たちが到着すると、まず、達也の自己紹介をすることになりました。私は、達也の紹介をしながら、真剣に聞き入っているほかのダウン症の子達を見て、涙があふれてきてしまいました。いつか達也もこんなに大きくなり、他の子と遊ぶ日が来るんだ。喋る日が来るんだ。立って、走り回る日が来るんだ。色んな思いがこみ上げてきて、さらに涙で、何を言っているのかも分かりませんでした。でも、紹介し終わった後、子供たちや親御さんからは盛大な拍手喝采を浴びました。「ウェルカム!」中でもテンションの高い外国人の親御さんから大きな声が上がりました。「最初はみんな不安なの」「あなただけじゃないのよ、安心して」「かわいいお子さんじゃない」「チアノーゼ? そんなのしょっちゅうよ、気にしなーい」・・・色んなお声を頂きました。これ以上ないほど勇気付けられました。

親の会の話を主人にしました。そうしたら、主人が「元気を取り戻したね」と言ってくれました。「出産から今までで一番良い顔をしてる」。そう言って、泣くんです。「僕は君の力になれなかったな。でも、親の会に救われた。この感謝の気持ちを忘れないようにこれからも生活していこう。これから辛いこともいっぱいあるさ。でも、仲間がいることを忘れないで、乗り越えていこうよ」・・・私も涙があふれてきました。達也は二人のやり取りの間中満面の笑みを浮かべていました。まるで、これからの幸せを確信したような笑顔でした。両親が泣く中、満面の笑みを浮かべる達也は、まるで天使のようでした。

今では、私、親の会のリーダーを務めています。達也の大きくなり、小さな子供の面倒を見れるようにもなってきました。『親の会』・・・すばらしい制度ですね。達也がダウン症じゃなかったら出会うこともなかった方々。絆。人生何が起こるかわかりませんね。私は、すごくポジティブに生きるようになりました。達也もです。すごいプラス思考の家庭になりました。すべては達也のおかげ。ダウン症万歳! です。もう何が起きても負けないぞ!

 

 

 

兄弟愛 アヤ&ケイのママ

 

娘はダウン症です。

一歳年下の弟がいます。

一年早く保育園に入った娘は、進級することなく、一年が過ぎ、息子の入園を迎えました。

同じ0歳児クラスです。

弟と同じクラスになった娘は、さすがに一歳上なので、他の子より少しお姉さんという感じでした。

思えば、娘が保育園に入りたての頃はもう新生児そのものでした。

それが一年たち、手足をばたつかせ、言葉ではないけれど声を発するようになりました。

でも、入園から二年がたち、弟は進級、娘は留年。

『留年』…なんて悲しい結果だろう。弟が進級してるのに取り残される娘の気持ちを考えると心が痛みました。

園長先生ともじっくり相談しました。最終的には、娘のために進級と留年とどちらが良いかということで決まりました。相談しながら涙がこみ上げてきました。確かに成長が遅いかもしれませんが、弟に抜かれるとは夢にも思わず、また0歳児クラスで3年目を迎えるとも思いませんでした。娘はいったいどうなるんだろう。この先、ずっと0歳児クラスになってしまうかもしれないとさえ思いました。

それから、1年。

時は流れました。

 

娘の成長著しく、一気に飛び級して弟と同じクラスになりました!

3歳児クラスで共に学んでいます。

「僕が面倒見る」

息子が言った言葉です。

三年目はどうしようかと園長先生と相談しているときに、一緒にいた息子が言ったんです。さすがに0歳児クラスではなく、1歳か2歳のクラスにしようと迷っていた私と園長は、息子の言葉に「はっ」とさせられました。子供の成長とは子供同士で築かれるものなのだ。そう気づかされました。

息子は頼りになります。

本当に面倒見がよく、いつも一緒に遊んであげてくれます。そして、他の子と娘を何とか一緒に遊ばせようと四苦八苦しています。

娘がからかわれることもあります。でも、息子は、からかっている子と喧嘩はしません。

「いつの日か後悔するぞ」

すごい言葉を知っています。息子は、背も高くガタイが良いので、威圧感があります。頼りになります!

娘は、そんな弟に守られ生活しています。でも、お姉さんという自覚もあります。自分のことで弟がほかの子と不穏な雰囲気になると、「けんかしないの!」と言って仲直りさせます。

兄弟愛ですね。こんな幸せな日々がいつまでも続くといいな。

 

 

 

敬五 敬五ママ

 

私は、流産を繰り返していました。23歳で結婚し、5度の流産を経験しました。そして、32歳の春、ようやく生まれてきた子はダウン症でした。亡くなっていった5人を偲んで敬五(けいご)と名づけました。

初めて生まれてきてくれた子、出産時の大きな泣き声、夫と手を取り合い喜んだ日。それから、告知をされるまで、あっという間でした。ダウン症と聞いて少し嬉しかったです。他のもっと重い病気でなくて良かった。5度も流産していたので、そんな気持ちになりました。夫も息子とキャッチボールができると、喜んでいました。本当に幸せ者です。

今、敬五は、小学5年生になりました。普通校の支援クラスで学んでいます。特に大きな合併症もなく、とても元気です。神様に感謝ですね。夫とは毎日のようにキャッチボールをしています。

4年生のときから学校の少年野球に参加しています。支援クラスの子が参加するのは初めてだそうで、受け入れる側の監督さんたちも少し悩んだそうです。でも、練習に夫が参加するという条件でOKがでました。夫は敬五以上に練習に行くのを楽しみにしているほどです。敬五は、意外と運動神経がいいみたいで、レギュラーにはなれませんが、試合では時々代打で出してもらっています。他の子と比べてしまうとやっぱりひと回りもふた回りも小さいんですよね。上手く打てませんので、最近では、週末、練習が終わった後に、バッティングセンターに通うのが日課になっています。夫の熱の入れようが尋常ではないのです。「何としてもレギュラーの座をつかむんだ!」・・・昭和生まれの発想ですかね。敬五も期待にこたえようと必死に練習しています。本当にいい子です。

ある日、大会の予選が行われるということで、敬五と夫に連れられ、私も観戦に行きました。お弁当を作って、ウキウキしてしまいました。お弁当作りにこれだけ気合が入ったのは久しぶりです。敬五も残さず食べてくれるので、本当に作りがいあります。

さて、大会ですが、敬五はベンチスタート。同点で迎えた9回表、セカンドの子が打球を受けて怪我をしてしまったのです。そこで何と!敬五が代わりに出場することになったのです。私は大声援を送りました。興奮しました。そして、ツーアウトになり最後のバッターのボールが敬五のところに飛んでいきました。「敬五!」監督も思わず声を上げました。敬五は、習った基本通りにボールの正面に腰を低くして立ち、グローブを出しました。でも、ボールはグローブを通り越して、敬五の体に当たって落ちました。落ちたボールを敬五がつかんで、ファーストに送球。見事アウトにしとめました。仲間からハイタッチをされて喜ぶ敬五。「いいぞ!」監督からもお褒めの言葉を頂きました。9回裏、ランナー1、2塁で、敬五に打順が回ってきました。代打ではなく、敬五がそのままバッターボックスに立ちました。サインはバント。でも、敬五はサインを間違えました。思いっきり打ちにいきました。ぼてぼてのサードごろ。敬五と他のランナーは必死に走りました。敬五はアウトになったものの、他のランナーは進塁。結果的にはバントと同じことになりました。次のバッターがヒットを打ち、見事サヨナラ勝ちをおさめました。私は、ハラハラしながら、こんなにまで成長したわが子を見て、うっすら涙ぐんでしまいました。試合後、夫と話したら、夫も目を真っ赤にして感動していました。敬五と共に家族三人で試合に出してくれたことに感謝をしようといったら、監督もうっすら泣いていました。みんなで泣きながら、勝利をおさめた。これが敬五の力です。普通の子では得られない感動を私たちに与えてくれました。敬五には、5人の兄弟がいる。きっと彼らのパワーのおかげだったんだと思います。本当にすべてに感謝です。ありがとうございます。

 

 

 

魔法の言葉 佐和子ママ

 

佐和子が生まれて人生が一変したかというとそうでもありません。いたって普通です。

確かに告知されたときには人生の終わりだと思ったこともありました。でも今は、普通の子を育てるのと変わらないなぁと感じています。ただ一つ違うのは、最も強い絆で結ばれた友達ができたことです。親の会です。佐和子がダウン症でなかったら出会うこともなかった人々。佐和子がダウン症だったからこそ出会えた人々。佐和子も友達がたくさんできました。私も友達がたくさんできました。告知という同じ経験をした盟友です。普通の子供だったらこんな強い絆で結ばれた友達ができることもなかったでしょう。何度救われたことか。成長が遅く、不安になったとき、「大丈夫」と言ってくれる先輩。この「大丈夫」という言葉、自分の置かれた立場、それを言う方の置かれた立場、それによって重みが違うんです。先輩たちから言われる「大丈夫」はとても温かくて安心感が得られる魔法の言葉です。

佐和子には合併症がありました。心臓に小さな穴が開いています。この事も不安だったうちの一つでした。でも、親の会に同じ症状を持つお子さんがいて、手術で根治できると聞き、随分安心したものです。手術跡は思ったより大きかったですが、ママさん曰く「代償は大きい。でも、こんなもんで済むなら小さなことよ。大丈夫」。また「大丈夫」という言葉が返ってきました。

私が心配性過ぎるのでしょうか。そう思ったこともありました。でも、佐和子も立派な小学生になり、今思うのは、「みんな最初は心配だったんだ」ということです。先輩たちは、そのまた先輩たちに「大丈夫」と言われ安心し、次の世代にバトンタッチしているのです。今は私が後輩のママさんたちに「大丈夫」と言っています。この瞬間がたまらなく嬉しいんです。「大丈夫」なんです。本当に。

「お箸が使えない・・・」佐和子が小学校に入るときに相談してきたことです。給食でお箸を使えないと食べられないと思ったようでした。「大丈夫」と私は言いました。「スプーンとフォークで食べればいいよ。お箸はそのうち使えるようになるよ」。佐和子は安心しました。でも、やっぱりお箸で食べられるようになりたくて、家では、食事をお箸で食べるようにしています。全部食べるのにすごく時間が掛かります。佐和子は自分なりに色々考えているんですね。お箸を使いたい。健気にも練習を重ねているんですね。「フォーク使ってもいいよ」と言うと、「大丈夫」と答えます。佐和子の言う「大丈夫」という言葉もまた重みがあります。意思が感じられます。一見すると頑固なだけだと思われがちですが、彼女なりに闘っているんです。自分が障がいがあるということを分かる年齢になりました。普通の子と同じようにしたい。同じようにできるようになりたい。その意志からは強くたくましいパワーを感じます。

「大丈夫」・・・こんな短く簡単な言葉が私たちの生活の糧であり、意思の疎通の源になっています。安心したり、強がったり、朗らかになったり、色んな感情がぶつかり合って良い方向に向かわせてくれます。ほんのちょっとしたことなんです。それで方向性が変わるんです。

ダウン症のお子さんを授かった方々には、是非親の会に参加して欲しいと思います。お子さんが生まれたことをポジティブに考えていただきたいんです。生まれてくる命に嘘はない。必ず意味があります。より高みにたどり着ける人生のチャンスなんです。親の会はいつでもウェルカムですよ。

 

 

 

姑 麗乃ママ

 

ダウン症児を生んだ私。私は自分のことが大好きです。生まれてきた麗乃(れの)も大好きです。もちろん主人もお兄ちゃんも大好きです。嫌いなのは姑だけです。麗乃がダウン症だと分かったとき、怒られました。私は、ただただ泣くだけでした。「申し訳ございません」。そう何度も謝ったことを記憶しています。私が悪いの?、そう何度も思いながら自分を責めていました。

でも、産後は良いことが多かったです。同じ日に生まれた男の子(弘樹君)もダウン症だということが分かり、そのママさんとすごく仲良くなれました。同じ病室で、ずっと話をしていました。一緒に生まれた子を見に行き、どっちがかわいいだの、うちの子は目が大きくてパッチリしてるだの、色々自慢しあいました。

退院後も順調でした。弘樹ママさんと一緒に親の会に参加しました。親の会は主人から聞きました。「そういうのがあるから行ってみたら?」。本当に軽く言ってくれたのが嬉しかったです。深刻に考えすぎるのは良くないですからね。自分一人じゃないんですから。親の会は本当に充実していました。先輩ママさんから色んなことを学びました。自傷行為をするとか、寝返りができたとき涙が出てきたこと、心臓の手術に耐えて元気にしていること、みんな本当に生きている、活き活きしていると感じました。生命力の尊さを感じました。

麗乃の生後1年目に手術をしました。心臓の根治手術でした。またまた主人がその専門医を探してくれて、無事手術を終えました。手術当日は、主人も来てくれて一緒に病院の椅子に座ってその成功のときを待ちました。改めて、色んなことを話し合いました。最近、お兄ちゃんにかまう時間が少なくなっているので、お兄ちゃんのケアもしたほうがいい。そんなことを主人が言っていました。確かにそうだな、と感じました。主人は、仕事でほとんど家にいないのに良く見てるなぁ、と感心しました。そうこうするうちに手術中のランプが消え、医師が出てきました。「成功ですよ」。その一言で、夫婦共々涙を流しました。その日は、病院で過ごしましたが、お兄ちゃんを呼んで、家族全員で一夜を過ごしました。お兄ちゃんとのスキンシップを図るため、主人が言い出したことです。病室のベッドの脇の長いすでお兄ちゃんが寝て、私たち夫婦は、丸いすで徹夜しました。

退院してから、また主人が情報を入手してくれました。知的障害を持った子達のための療法をするところがあるとのことです。私は、麗乃を連れて見学に行きました。3歳くらいの子達が楽しそうに遊びながら学んでいました。音楽療法というものも見学に行きました。音楽に合わせて子供たちが踊っていました。麗乃もその音楽につられて体をフリフリして喜んでいました。結局、3歳から6歳くらいまで、それらの施設に通って楽しく時を過ごしました。

小学校入学に関しては、ひと悶着ありました。私は、普通校に通わせたかったのですが、教育委員会から支援学校に行ったほうがいいと勧められました。色々悩んでいたら、そのうち、教育委員会の方から普通校の支援クラスなら大丈夫かもしれないと言っていただくことができました。感動でまた涙。お兄ちゃんと一緒の学校に通えるんだ! 

小学校に入学したら、今度は、「学童保育というのがある」、と主人に教えてもらいました。私は共働きなので、大変助かりました。しかも、そこには、麗乃のために、ダウン症の子をお世話したことのある先生が赴任してきてくれました。ものすごく頼りになりました。麗乃も毎日楽しく通っています。

こんなすばらしい環境を創ってくれたのは、主人のおかげです。麗乃10歳の誕生日に、改めて、主人に感謝の言葉を言いました。すると、主人が言うのです。「弘樹ママと病院で同室になれたのも、親の会を調べたのも、専門医を探したのも、手術の日に休みを取ったのも、お兄ちゃんと病室で過ごしたのも、音楽療法の施設を調べたのも、普通校に進学できるよう根回ししてくれたのも、学童にダウン症の子を看た経験のある先生の配置を頼んだのも、すべて母だったんだ」。私は驚愕しました。姑はその場にいませんでした。後日改めて姑に「本当にありがとうございました」。と言いました。姑は答えます。「あの時、責めてごめんね。私は私のできることをしただけ。麗乃ちゃんを生んでくれてありがとう。本当にそう思っている」。私は、また姑に泣かされました。今度は嬉しさ満点の涙です。本当に皆さんありがとう。

 

 

 

第二の告知 叔父

 

「ダウン症って何?」・・・10歳になる姪に質問されました。姪はダウン症です。いつかは通る道だと思います。第二の告知ですね。質問するのも勇気のいることだと思います。「良く聞けたね」。心の中ではそう思いました。

この質問、実は、そんなこともあろうかと事前に答えを用意していたのです。答えはこうです。まず、クローバーの話をします。「クローバーは普通葉っぱが三つなの。でもね、時々四つの葉っぱのクローバーがあるの。この四葉のクローバーを見つけると幸せになれるの。でね、RISA(姪の名前)はこの四葉のクローバーと一緒なの。他の子は三つ葉だけど、RISAは四葉。どちらも同じクローバーでしょ。でもRISAは四つ葉なんだから幸せなの。RISAのおかげでRISAの周りの人はみんな幸せになっているよ。RISAは特別選ばれた人なの。他の子よりすごいの。自信もって!」・・・理屈っぽいですかね。四葉のクローバーは幸せをもたらすという話は有名ですが、もしかしたらダウン症の説明のために誰かが考えたことなのかもしれないと思いました。それほど的確でダウン症の説明に有益だと思います。とにかく自信を持たせてあげたいんです。他の子より劣っているわけではない。それを伝えられればと思っていました。

でも、とっさに出てきた答えは違いました。「RISAのお母さんは花粉症でしょ。RISAはダウン症。みんな何かの症をもっていることが多いの」。姪が続けて聞いてきます。「ダウン症だと悪いの?」。「ううん、違う。悪いことは無いよ」。「ほんとのこと言ってよ」。「・・・花粉症は鼻水が出るでしょ。目もかゆくなるよね。ダウン症は、寒さに弱いの(姪は異常に寒がりです)。RISAはいつも家に遊びに来ると「寒い〜、開けるな!」、って言って窓全部閉めるでしょ。そんなくらいの悪さだよ」。「ふうん」。納得したようなしないような。そんな表情でした。「あと、みんなと比べるとちょっと背が低いかな」。これは言おうかどうか迷いましたが、思い切って言いました。勉強に遅れがあることなどは言いませんでした。言ったら勉強が嫌になりますからね。

「花粉症じゃなくて良かった」。姪の感想です。私は思わず吹いてしまいました。本当に前向きな子です。

姪と遊んでいるといつも思うことがあります。それは、『命は有限である』、ということです。姪は合併症が驚くほど無く、健康そのものです。でも、不思議と命が有限だと思ってしまうのです。多分80歳くらいまでは長生きできそうな健康体ですが、でもやっぱり不安です。だから、姪が遊びに来てくれたときは、必死に遊びます。姪はリーダーシップがあるので、色々指図してきます。私はそれに素直に従い、姪のいたずらにも寛大に対応しているつもりです。

姪がいなくなったときのこと、想像します。ぽっかりと穴が開いたような感じだろうな。すべての精力を奪われ、生きる望みを失う。大げさかもしれませんが、そう感じます。

ダウン症児が亡くなった方々で創る『ダウン症児を失った会』みたいなものも必要になるのではないかとも思いました。みんなで元気だった頃のお子さんの写真を見せあったり、思い出話をしたり、現役の親の会のサポーターになったり。色んな可能性が広がってきます。ダウン症児の残したもの、この偉大な功績を絶やしてしまうのはもったいないと思うのです。残された兄弟姉妹の心のケアも心配です。ダウン症という絆で結ばれた家族同士、助け合う社会。とにかく、ダウン症という個性を持って生まれてきた子の尊厳を保ちたいのです。天使の微笑み・・・まさに天使であるダウン症児。神をあがめるようにダウン症児に接したい。それが私の気持ちです。

 

 

 

強い志 強志ママ

 

時間が経つにつれ、告知の落ち込みが薄れてきました。告知されたときは、この世の終わりかと思いました。主人は泣くし、子供たちは「治らない病気なの?」「どういう病気なの」「死んじゃうの?」など色んな質問をしてきました。我が家が崩壊する感じでした。私は、落ち込みはしましたが、主人の涙に救われたような気がします。大の大人が人目もはばからず泣く。そのストレートな感情表現になんだか感動しました。私の涙は、落ち込みと共に、主人のもらい泣きだったように思います。

出産から一週間が経った頃、主人が出生届を役所に出しに行ってくれました。息子の名前は「強志(つよし)」に決まりました。強い志で生き抜いてほしいということで主人が決めてくれました。良い名前だな、と思いました。

強志は、生まれたばかりの頃から泣き虫でした。体中チューブに囲まれて痛々しく、保育器の中で泣いていました。「何が辛いの?」問いかけても答えは返ってきません。「どこか痛いの?」合併症を気にして質問したりもしました。普通の子でも泣き続けることはありますが、ダウン症というものが良く分からなかったので、なおさら心配してしまいました。そんな時、主人が「強志!」と言ったとき、一瞬泣き止んだんです。目を見開いて主人と私を凝視しました。「強志・・・」と私が小さな声で言うと、わずかに笑ったんです。初めて見る強志の笑顔。泣いてばかりの赤ちゃんが今ここで、初めて笑ったんです。主人と私は対照的にうれし涙でいっぱいでした。赤ちゃんが笑って親が泣くというのはダウン症ならではだと思います。もちろん他の障がいでもそうですが、障がいを背負って生まれてきた子だからこその感動。悲喜こもごもがあると思うんです。

強志が生まれて、人生が豊かになりました。強志の兄弟の何気ない言動にも目が行き届くようになりました。子供って本当に色々なことを考えて生きているんだなぁ、と思うようになりました。特にストレスがたまって大声を出したりするときに、生きているんだなぁ、と感じるようになりました。強志も大声で泣くときがあります。きっと何かのストレスを感じているんだなぁ、と思います。

強志は保育器の中で、奇跡を起こしてくれました。生後1ヶ月にして、寝返りができるようになったのです。これには院長先生も驚いていました。強志は闘っています。ダウン症という得体の知れない悪魔と闘っているのです。私たちもいつまでも泣いてばかりではいられません。強志の強い志に負けないように頑張るしかないんです。まずはダウン症の本を20冊読みました。読むごとに気分は晴れていきました。そんなに心配することではないんだということが分かりました。強志は幸い合併症がありませんでした。このことも大きな朗報でした。次に、保健師さんに親の会を紹介してもらいました。この出会いはとても力になりました。色んな不安が一気に解消されました。

今では、強志も5歳になり、家で毎日楽しく過ごしています。保育園には入れてもらえませんでした。待機児童となっています。でも、家でずっと育児ができることにものすごい喜びを感じています。毎日が発見です。昨日より今日、今日より明日。日々進歩しているんです。強志は滅多に泣きません。赤ちゃんのときあれだけ泣いた反動でしょうか。強志は言います。「僕、覚えてるよ。パパとママが強志って言ってくれたとき、嬉しくて笑ったの」・・・奇跡です。あんな赤ちゃんだったときのことを覚えているなんて奇跡以外の何ものでもありません。感動して思わず大泣きしました。主人にも話したら強志を抱きかかえ、大泣きしました。この子は不思議な子です。育児に苦労する分、幸せを多くもたらしてくれます。これからも強い志を持って生き抜いてください。頼むよ!

 

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