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ダウン症でよかった! episode 61-70
告知の時 今日子ママ 告知の時、私以外のすべての人が知っていました。主人、今日子の兄、姉、主人と私の父母。私への告知は、出産から一週間後の大安の日。主人から話がありました。その時は、主人、今日子の兄、姉、主人と私の父母が立ち会ってくれました。主人はゆっくりゆっくり話を進めてくれました。ダウン症という個性を持って生まれたこと。合併症は今調べているということ。成長がゆっくりなこと。・・・話している間に姉が泣きながら言うんです「治らないんだって」。「でも、大切な妹だもん、大事に育てる」兄が言います。「里子さん、私たちもできる限りの助け舟は出しますよ、安心して」主人のお母様が言います。みんなが泣きじゃくる私を勇気付けてくれました。あんなに泣いたのいつぶりだろう。主人が結婚してくれるって言ってくれたとき以来かな。こんなすばらしい家族に恵まれ、本当に幸せです。特に、今日子の兄と姉には感謝しています。子供だと思っていた二人があんなに気丈に振舞ってくれて、私も落ち着くことができました。姉は泣いてしまったけど、兄は泣きませんでした。主人も。二人は覚悟を決めたようでした。とても頼りになります。 退院して、すぐ、困難に直面しました。夜寝てくれないんです。まあ、赤ちゃんはそんなものなのかもしれませんが、特にひどいんです。また、泣くと少しチアノーゼのような症状が出てしまってさらに困りました。今日子もそうですが、私も主人も日に日に衰弱してきてしまいました。育児疲れでした。そんな時助けてくれたのは主人の母でした。泊り込みで夜、今日子の面倒を見てくれました。本当に助け舟を出してくれたんです。口だけじゃなかったんです。これは本当に助かりました。昼寝て、夜起きるという生活。体調を崩したら大変だと言いましたが、お母様は「大丈夫」と力強く言ってくれました。それに素直に甘えられたのは、お母様の人柄のおかげだと思います。本当に優しいんです。その優しさに何度涙したことか・・・。 実は、今日子の兄と姉も、夜、今日子の面倒見ようか、と言ってくれたんです。でも、学校があるし、体調でも崩したら大変だと思い、ありがとうと言って気持ちだけいただきました。ダウン症の子は兄弟や家族を成長させると言いますが、本当にその通りでした。まだ小学生なのに本当にしっかりした子供たちです。自慢の子供です。もちろん今日子を含めて。 夜、泣いていた今日子に少しずつ変化が現れてきました。少し笑うんです。お母様からの報告で、一晩起きて、見ていました。確かに笑うんです。泣きじゃくるのは治まっていました。これもお母様の力でしょうか。赤ちゃんの笑顔って本当に癒されます。特にこの子の笑顔は何ものにも変えがたい、不思議な感じがあります。育てるのに苦労する分、かわいさが増すという話を聞いたことがあります。確かに苦労もあります。お母様に頼りっぱなしという面もあります。でも、この笑顔がすべての問題を取り払ってくれます。この話を聞いて、初めて主人が泣きました。今日子の笑顔が主人の涙腺を緩めました。主人の涙なんて普通子育てで見られるものではありません。その泣き顔が拝めたのも今日子のおかげです。今日子やお母様にとても感謝しています。 さて、今はというと、夜もぐっすり眠る良い子ちゃんになりました。お母様も帰宅し、平穏な日々を送っています。怖いくらいに平穏です。今日子は相変わらず良く笑います。この子の笑顔は本当に天使の笑顔です。つらい告知から育児まで、この笑顔を見るためにやってきたんだと思えば、何でも許せてしまいます。いつまでもこの笑顔が見られたらいいな。 偉大なる5組 悟ママ ダウン症の悟が生まれたとき、大変凹みました。それまで、家族や親戚に障がいを持った方がいなかったので、偏見に満ち溢れた目線でわが子を見ていました。どんな苦難が待ち受けているのか、想像しただけで体の力が抜けるような感じでした。 それを救ってくれたのは、母でした。「ダウン症って小学校のときの5組にいた早苗ちゃんと同じじゃない?」。・・・私の通っていた小学校には、健常者の1〜4組に加え、障がいを持った子達が通う支援クラスの5組というのがありました。そこに通う早苗ちゃんはダウン症でした。とてもかわいく、どこが悪いんだろうと思って見ていた子です。母は、「悟が早苗ちゃんと同じならそんなに悲観することはない、とてもかわいいんだ」と、自分に言い聞かせるように振舞っていました。私も「早苗ちゃんと同じなら良いや」と思いました。このとき、5組の存在の意味を知りました。障がいを持った子と同じ学校で教育を受けることで、障がいに対する偏見をなくし、社会的に障がいのある子を受け入れる体制を肌で感じさせる。早苗ちゃんがいてくれてよかった。我が家は早苗ちゃんに救われたのです。 早苗ちゃんは、学校から家が遠く、バスで通学していました。学校の帰り道、よくバス停でバスを待つ早苗ちゃんを見かけました。時には椅子にしっかり座っていたり、時には歩道にペタリと座り込んでいたり、行動はかなり自由でした。それでも、バスにはしっかりと乗って帰ります。 5組に通う子をからかったりすることはしばしばありました。鎌を持って追いかけられたという話もありました。障がいがあっても強いんです。からかうほうが100%悪いんですが、そういう悪い話も良く聞きました。でも早苗ちゃんがからかわれたという話は聞いたことがありません。なぜでしょう。その意味は悟を育てる過程でわずかながら感じ取ることができました。ダウン症の子って温和なんです。からかわれても、喜ぶんです。みんなと遊んでる感覚になるみたいなんです。 悟も時が経ち、現在、5組で学んでいます。我が家も学校から遠いので、悟はバス通学です。学校のバスではなく、一般のバスです。時刻表通りの時間にバス停にいないと乗れません。悟は現在、6年生。今では十分一人でバス通学ができるようになりました。ふとした瞬間に、感動して涙することがあります。「良くここまで成長したなぁ・・・」。出産後のあの落ち込んだ状態から、元気に学校に通うようになった悟の成長。本当に良く頑張ったと思います。これからも中学校に通い、高校に行くのか、作業所で働くのか分かりませんが、これからも元気に成長して欲しいです。そして、悟の存在が後に、誰かの助けになることを願っております。私たち家族が早苗ちゃんに救われたように、悟も誰かの支えになることを祈っております。1000人に1人の確率で生まれるダウン症の子。悟の通う小学校の出身者で、将来ダウン症の子を授かる方もいると思います。その時悟の存在を思い出してくれれば嬉しいです。そしてその子がまた5組に通い・・・この循環が続けば、本当に嬉しいです。嬉しい嬉しいと書いていますが、本当に嬉しいんです。子供の悟が大の大人の助けになる。こんなちっぽけな体の悟が、どこかの家族の大きな支えになる。とても嬉しいんです。役に立っているんです。悟が生まれた意味をいまだに考えることがあります。私が何か悪いことをした報いなのか、どこかの家族を幸せにするためなのか、同じ小学校に通う子に障がいというものを理解させるためのものなのか、答えは出ません。でも、少なくとも、悟の存在は周りの小学生を成長させるのに一役買っています。勉強では学べないこと、社会にとって真に必要なもののうちの一つを悟がみんなに教えているような気がするんです。私自身が早苗ちゃんから学んだこと。時を越え、今とても支えになっている早苗ちゃんの存在。小学生たちの将来に好影響を与える悟の存在。わが子は偉大な伝道師です。 名刺 克義ママ 私、再婚しました。 子連れ結婚です。ダウン症の息子がいます。克義といいます。克義が生まれてすぐに前の夫と別れました。前の夫はダウン症と聞いて、育児放棄しました。なんて器の小さい男だろうと思い、離婚を決意しました。何の未練もありません。 新しい主人は、会社の同僚です。実は、前の主人と結婚する前、プロポーズされたことがあります。二度目のプロポーズで結婚に至りました。「子連れでしかもダウン症だよ」と言ったのですが、「関係ない」とビシッと言い放ちました。私への愛情を感じたのは事実ですし、克義への愛情も大いに感じました。 今の主人が初めて克義と会った日、克義はご機嫌斜めでした。何をしても泣くし怒るしで、手がつけられませんでした。主人が克義を抱きます。すると不思議と泣き止みました、と言いたいところですが、泣き止みませんでした。なぜか夫は自分の名刺を出し、克義に渡しました。「新しいお父さんになる小林太郎と言います」。すると克義は泣き止み、名刺を受け取りぐちゃぐちゃにして喜んでいました。「名刺交換かよ」と私が突っ込むと主人が「受け取ってくれた」と喜んでいました。 再婚ですが結婚式披露宴を盛大に執り行いました。家族三人でステージ上に鎮座し、長い披露宴を行いました。克義は途中で飽きてしまいました。これからが重要なんですが、飽きた時、なんと主人のほうに抱っこをせがみにいったのです。これには主人は周りの視線をはばからず思わず涙しました。泣いて泣いて泣きまくりました。主人はガッチリと克義を抱き、涙を拭っていました。こんな引き出物を克義が用意していたとは思いませんでした。「克義、ありがとう」なんということでしょう。私の涙腺も緩みました。披露宴の最後の挨拶は、克義に任せました。克義は言います「新しいお父さんが好きです。お母さんも好きです。前のお父さんも好きです。みんな好きです。楽しいからです」。前の主人のことまで好きと言った克義には、頭が下がりました。克義は楽しんでいたんですね。最高の披露宴になりました。 職場結婚ということもあり、克義を時々、職場に連れて来ることを許可されました。会社に来ると克義は楽しいみたいで笑顔いっぱいです。同僚や上司から名刺をもらい、集めるのが趣味です。そこで、克義にも名刺を作ってあげました。今度からは名刺交換もできるようになりました。これは嬉しそうでした。会社の方も気を使ってくれて名刺の名前に振り仮名を振ってくれました。これなら克義でも読めます。このように多くの方の力で克義と私たち夫婦は日々生活しています。本当に頭が下がる思いです。 克義は前の主人のことを時々言います。別れた、という事がまだ理解できないようです。家族の一員のような感覚でいるみたいです。今の主人は寛大で、前の主人のことを言い出しても気にしません。「前のお父さんは家族じゃなくなったんだよ。今はお父さんとお母さんと克義の三人家族になったんだよ」と、丁寧に説明します。克義も分かったような分からないような感じです。離婚なんて子供にとっては関係ないことですよね。克義もそのうち、前の主人のことも忘れていくでしょう。寂しいような気もしますが、それが良いことだと思います。時が解決してくれます。その日その日を楽しく過ごさせてあげたいと思います。これから成長するにつれて辛いことが待ち受けていると思います。差別を受けることもあるでしょう。偏見の眼差しを受けることもあるでしょう。そんな時、私と主人が守ってあげなくてどうするんでしょうか。いつまでも克義が「楽しい」と言っていられるようにしてあげるのが使命のような気がします。克義に幸あれ! 神様は・・・ 幸子ママ もう涙が出なくなりました。 幸子を生んでから、何日も泣き明かし、子育て中もずっと泣いていました。 それからもう一年。本当にあっという間の一年でした。少しの偏見や差別も経験しました。合併症にも泣かされました。今だ闘病中ですが、涙は出ません。私は強くなりました。幸子も強くなりました。入院と言われてももう二人とも泣くことはありません。主人はいまだに泣きます。でも、もらい泣きはしません。母は強くなくてはいけないということにこの一年で気付きました。どんな苦難にも気丈に対処し、わが子を守る。初めはとにかく人を頼りにしていました。私の両親や友人、医師、看護師さん、色々な方を頼りにしました。でも、結局は、家族の問題であり、特に、幸子にとっては母親である私が最後の砦なんです。幸子は、手術の前、とても不安になります。まだ一歳ですが、おびえたような状態になります。オペ前の緊張感がそうさせるのでしょう。私は、菩薩のように幸子に語りかけます。「大丈夫だよ。きっと良くなるから。あなたは天使なんだから神様がついているんだよ」・・・幸子は、ふっと力が抜け、おびえがなくなります。 『私は神様でしょうか』・・・幸子のオペの最中ふと考えたことです。幸子が天使だとすれば、神様は誰なんでしょうか。もしかしたら私かもしれないと思いました。とてもあさはかな考えかもしれませんが、もしかしたらと思うんです。天使のしつけをするんだから神様の一翼はになっていると思うんです。幸子にとっての神様は私。幸子を幸せにするのも不幸にするのも私次第。そう考えるとますます泣いてばかりではいけないと思い始めたんです。幸子を幸せにするためなら何でもします。本当の神様も私の努力をきっと見てくれていると思います。主人にこの話をしたら、また泣きました。「きっとそうだよ。神様だよ」そんな風に泣く主人を見て、この人も神様なのかもしれないなと思いました。神様だって泣くと思うんです。強い神様もいれば、涙もろい神様もいる。幸子に接する人すべてが神様なのかもしれないとも思い始めました。天使の教育者なんですから。たくさんの神様に支えられてこれから成長していくのでしょう。とても楽しみです。これから出会う幸子の友達たちも神様です。小さな神様たちですが、幸子への影響力は絶大です。まさに神と言える存在でしょう。 天使が我が家に舞い降りたあの日から私は神になったのです。身の引き締まる思いです。これから幸子に降りかかる苦難をはね飛ばしてあげなくてはなりません。不謹慎ながら少し楽しみでもあります。私は強くなりました。幸子も強くなりました。不幸さえも楽しめる、そんな強さが身につきました。これは、幸福ですよね。幸も不幸も楽しめるんですから。 天使はいずれあの世へと旅立ちます。それがいつかは分かりません。でも、その日は来てしまいます。それと共に私は神ではなくなります。天使と接する時間、それはとても貴重なものだと思うんです。幸子を一番愛しているのは間違いなく私です。幸子にとってもきっと私が一番のよりどころとなっていると思います。もしかしたら、天使なのは小さな頃だけかもしれないとも思いました。大きくなったら普通の子と同じようになることができ、天使ではなくなるような気もしています。そのときは、喜んで神を辞めます。幸子が大きくなっていくのを楽しみに、そして少し寂しく感じる今日この頃です。 リーダーシップ 慶子ママ 8歳になる娘、慶子がダウン症です。 色んな遊びをしますが、一番のお気に入りは、ゴルフです。 新聞紙をくるくると丸めた棒で、同じく新聞紙をぐちゃぐちゃに丸めたボールを打って遊ぶんです。狭い家の中をコロコロ打って遊びます。二階から一階にある冷蔵庫に先に当てたほうが勝ちとかいうルールを作ります。娘がそのルールを毎回変えます。私は、娘のルールに従います。娘はこういう時、すごくリーダーシップがあるんです。テキパキとルールを決める、しっかり者です。でも、ゴルフの腕前はあまり上手いとは言えません。なので、私もわざと下手に打ちます。私が失敗すると、娘は大声で笑い転げます。娘が失敗すると、がっくり肩を落とし、しゅんとします。その変化が楽しく、毎回楽しくラウンドさせてもらっています。 ある日、親の会で知り合いになった、Y子ちゃん家族が家に訪れたことがありました。Y子ちゃんは9歳です。娘の1歳上のお姉さんです。その時、娘がY子ちゃんに「ゴルフしない?」と話しかけました。Y子ちゃんは「ゴルフって何?」と答えていました。「やればわかる」そう言って娘は、Y子ちゃんに棒とボールをわたして、見本を見せていました。Y子ちゃんも要領を得たようで、二人でゴルフを始めました。でも、このY子ちゃん、初めてやるのにすごく上手いんです。娘は、負けてしまいました。そうしたら、泣くんです。Y子ちゃんは困り果てていました。「もう一回やろう!」と娘に声をかけてくれました。娘はしぶしぶもう一回始めました。今回は、明らかにY子ちゃんが手加減していました。そして、娘が勝ちました。娘は、まだ涙の残る顔に満面の笑みを浮かべ、本当に嬉しそうににっこりと笑いました。Y子ちゃんも嬉しそうでした。 私は、やれやれ、と感じてしまいました。みんなに手加減してもらって勝たせてしまって良いのだろうか。娘がダメな子になりはしないか。とても不安になりました。Y子ちゃんのママさんにも相談しました。そうしたらY子ちゃんのママさんが、大笑い。「子供なんてみんなそんなもんよ」と言われました。「Y子にはお姉ちゃんがいるけど、ゲームでも何でも負けると大泣きよ。それよりすごいのは、慶子ちゃんがすごくリーダーシップがあるところ。それってすごいことよ。うちの子はお姉ちゃんの言いなりのような感じだから。そこを伸ばしてあげて」。そう言われて、なぜか少し涙ぐんでしまいました。 娘が生まれて、兄弟を生もうかと思いましたが、できず、一人っ子となっている娘。兄弟がいない分、いつの間にか身につけた”リーダーシップ”。まさに家族のけん引役となっています。まだまだ泣き虫だけど、このリーダーシップという点を伸ばしてあげようと感じました。 後日、家族旅行に出かけることにしました。娘に「どこ行きたい?」と尋ねると、「動物園」と答えました。動物園は2ヶ月前に行ったばかりなのですが、「じゃ、動物園にしましょう!」ということになりました。動物園でも、リーダーシップの本領発揮です。次々と見たい動物の名前を挙げ、地図を見て、その動物の所に誘導してくれます。本当にリーダーシップがあるんだなぁ、と感じました。動物を楽しそうに見ている娘の姿を見て、なんだか泣けてきてしまいました。「何泣いてるの?」と娘が言います。「ごめんね、なんでか分からない」と答えました。娘はハンカチを取り出し、私にわたしてくれました。「ありがとう」 リーダーシップにありがとう。 ハーブ 海士ママ 4歳の海士は、ダウン症です。 3歳になってやっと保育園に入れることができました。最初は、毎日私も一緒に通園し、一日中付き添っていました。最初の一日は、泣いて泣いて困り果てました。周りの子達も泣いてしまって、園長先生からも「少し困ります」と言われてしまいました。もともとダウン症ということで無理を言って入れてもらっていただけにかなりの引け目を感じました。そんな時、同じクラスの真央ちゃんという女の子が花を海士に渡してくれました。海士は、「ん?」という感じで泣き止みました。その花をもらって匂いをかいで、床に捨てました。真央ちゃんは拾ってまた渡しました。海士は受け取り、食べてしまいました。周りの子が一斉に笑いました。海士は意味も分からず、一緒になって笑いました。それ以来、泣くのが少し減りました。実は、真央ちゃんもダウン症でした。真央ちゃんも入園したとき泣いてばかりいて、困った先生が、花を渡したら喜んで泣き止んだそうです。真央ちゃんはその時学んだことを海士にしてくれたのです。 真央ちゃんのお母さんとお話しする機会がありました。真央ちゃんは花が好きで、家のお庭でも色んな植物を育てていて、毎朝、水をやっているそうです。服もいつも花柄です。海士にも何か熱中できるものを、と思い植物を買い与えてみました。花にはあまり興味を持ちませんでしたが、ミニトマトには異常に興味を示しました。緑のミニトマトができたときにはとても嬉しかったようで、固いのに喜んで食べていました。ほとんど緑のうちに食べてしまっていたんですが、一つだけ残して毎日水を与え、赤く熟したミニトマトが出来上がりました。自分で食べるのかと思いきや、それを真央ちゃんにプレゼントしていました。真央ちゃんは大喜び。私も大喜びしました。海士も色々考えて生活しているんだなぁ、と感慨深かったです。ミニトマトを渡すときのあの海士の満面の笑み。今までで一番の笑顔でした。そうだよね、毎日お水をあげて育てたトマトだもんね。真央ちゃんも大喜びだよね。 それからというもの、海士は家庭菜園にはまってしまいました。色んな食材を提供してくれました。中でもハーブにはこだわりがあるようで、ハーブの本なども買いたがりました。そしてできたハーブを真央ちゃんにプレゼント。 どうも、ハーブではなく、真央ちゃんに恋をしたようです。ダウン症の告知を受けたときには、考えても見ない局面です。恋する海士。いつかはそういう時期が来るかもしれないとは思いましたが、実際訪れてみると、ウキウキしてしまいます。ハーブを見る目の目じりが垂れているんです。ハーブを見てにんまりしているんです。 そんな真央ちゃんが引っ越すことになってしまいました。神様は何と残酷なんでしょうか。海士にこれ以上の試練を与えてなんになるのか。本気で恨みました。真央ちゃんの最後の通園の日、海士は大事に育てたハーブを一鉢、プレゼントしました。真央ちゃんは泣きました。嬉しくて泣きました。海士も泣きました。周りの園児も私も園長先生も泣きました。みんなの涙がハーブの香りに包まれ、幻想的な空間が広がりました。 真央ちゃんとは今でも手紙のやり取りをしています。覚えたてのひらがなを駆使して、本人たちにしか分からないような文章をやり取りしています。海士は手紙にハーブの葉をテープで付けて送っています。いい香りがします。また真央ちゃんに会えたらいいな。そんな願いを込めて私たち親子は日々成長しています。海士は、初の失恋のような形になってしまいましたが、いたって前向きです。「それでもハーブが好き」。そんな感じで毎日飽きもせずハーブを育てています。 友達 小百合の姉 当時小学校2年の小百合には、友達がいませんでした。 正確に言うと、家に遊びに来てくれる友達がいませんでした。 私の友達は、しばしば私の家に遊びに来てくれて、小百合とも遊んでくれます。小百合も友達気分で、明るく接してくれます。 「ダウン症ってほんとに障がい?」友達に言われた言葉です。嬉しかった。確かにダウン症って障がいかどうか分かりにくい面があると思います。特に小さな頃は普通の子と変わりません。なにより友達が、偏見を持たずに小百合と接してくれることがとても嬉しかった。 そんな小百合に一大事が! 親の会で仲良くなった『友達』が家に遊びに来ると言うのです。我が家は、これを記念してホームパーティを開くことにしました。「小百合の友達が来るの!」そう言って私の友達も誘いました。 パーティ当日、狭い我が家は友達たちでごったがえし、すごい熱気でした。小百合は「何事?」という感じで少しおびえているような感じでした。でも、友達とはみんな面識があり、それなりに楽しんでいました。 そこへ『友達』参上! 拍手喝采で出迎えられました。友達は知らない人だらけの中に放り込まれ、思わず泣いてしまいました。私の友達たちは、思わず戸惑ってしまいました。そんな状況の中、小百合が「大丈夫、大丈夫だから」と友達に言いました。小百合の友達は2つ下の男の子。まるで恋人同士のような雰囲気でした。小百合の友達は、最後まで小百合としか話しませんでした。人見知りでした。でも、小百合は大満足。小百合にも家に遊びに来てくれる友達ができたことをすごく喜んでいました。私も嬉しかったです。私の友達も嬉しかった。みんな嬉しかった。友達と遊ぶ、私たちが当たり前のように行っていることが小百合には無かったんです。 『普通の子と同じように育てたい』・・・私の母の言葉です。小百合が小さいときから熱心な教育ママでした。小学校は普通校の支援クラス。クラスの子は、友達という感じではないようです(残念なことです。でも、ダウン症は小百合だけなので、しょうがないのかも知れません)。だからこそ親の会で知り合った友達が大切なんです。ダウン症同士の付き合い。やっぱりこれが安心感を与えるようです。思えば、小百合には支援クラスと親の会という二つの会に所属しているわけです。これから大きくなれば、もっともっと友達ができると思います。強い絆で結ばれた友達が。私も友達が多くいますが、小百合の友達との絆は私より深くて力強いような気がします。この先の困難を乗り切るために神様が与えてくれた『友達』。小百合の将来は明るい感じがしてきました。 全国のダウン症のお子さんを持つ親御さんへ。お子さんに友達の大切さを改めて感じてあげてください。是非、友達を作り、家に呼んであげてください。それは、とても大事なことなんです。ダウン症の子は傷ついたり、へこんだりすることがあります。それは、普通の子でも同じです。普通の子は、友達に癒され、励まされ、難局を乗り越えます。ダウン症の子も同じです。友達ってものすごく頼りになるんです。成長の起爆剤にもなるんです。できるだけ多くの友達を作ってあげてください。それが力になるんです。お願いします。 一長一短 京子ママ ダウン症のイベントってたくさんありますよね。私の娘、京子(16歳)は、ダンスを踊るのが大好きで、いつも参加させていただいております。ダンスのイベントと出会ったのは、10歳のとき。その頃はまだ小規模で、参加する方が少なくて簡素なものでした。でもそれが逆にいいという点もありました。参加する家族が少ないので、自然と皆さんとの交流が深まり、当日のダンス大会が終わっても近くのファミレスで話し込んだりしました。そして、遠方から参加した私と京子は、その日急遽、ホテルに泊まり、翌日家に帰るということもしばしば。それだけ楽しみました。「ダンス、次はいつやるの? 次も出たい。もっと練習したい」。京子がすごく楽しみにしているのが分かり、こちらとしても大変励まされました。 それから時は流れ、イベントは大規模になりました。たくさんの参加者であふれかえり、以前のような交流ができなくなりました。参加者が増えたことで逆に楽しみが一つ奪われたのです。京子も少し残念がっていました。でも、参加者が増え、一緒に踊る子が増えた点には、大変な喜びを感じていました。 ダウン症の子を持って分かったことは、なんにでも一長一短があるということです。普通の子を育てても感じることかもしれませんが、特に京子の場合は顕著です。一つには差別と優遇。差別で苦しむこともあるけど、ダウン症だから優遇される面もある。この優遇をフルに生かしていきたいと思います。二つ目には、わが子への愛情と不安。よく手のかかる子ほどかわいいといいますが、京子はまさに手のかかる子でした。これには、愛情がどんどん沸いてきました。一方で不安。やはり不安はつきものです。大きな合併症もなく、手術するほどのものではない心臓の穴が開いている程度です。でも不安になりますね。寝ているわが子を「もしかして・・・」と不安になり、夜中、ヒヤリと目覚めることも100回ほどはありました。京子の心臓の音を確かめるとドックンドックンと静かに、でもしっかりと波打っていました。安心して眠りにつく瞬間、無償の喜びを感じました。京子は生きている。今日も明日も。それだけが幸せ。 京子は今、親の会で、子供達にダンスを教えています。インストラクターですね。自分が習ったダンスを1歳から15歳までのダウン症児に教えています。とても活き活きとしていて、目が輝いています。そんなわが子を見ると、涙があふれてくるというより、ある種の尊厳を持って菩薩をあがめるような心境になります。ダウン症児はエンジェルと呼ばれます。まさに京子は、ダンスを踊る天使です。本当にダンスと出会えてよかった。そして、もっと早くダンスと出会いたかった、そういう欲も出てきます。親の会の最年少1歳の子のママさんが仰っていました。「京子ちゃん、ダンス上手いからうちの子も喜んでますよ。家でもよく踊ってるんですよ。体をくねくねさせるだけですが、音楽が流れると、おたけびをあげながら踊るんです」。ものすごい笑顔でそう語るママさんは他にもいます。そんなママさんたちに京子は言います。「まだまだ下手。上手く踊れるようになった喜びは、本当に上手く踊れるようになってからでないと得られない。そのために練習するの。本当の喜びは、練習の量に比例する。それを伝えたい」。ダンスのおかげで、言葉もよく喋ることができるようになりました。信念、そういったものを理解できるようになったんだなぁ、としみじみ感じます。 京子は生きているだけでも私にとっては十分なのに、ダンスと出会い、いろんなことに興味を持って、楽しく毎日を送っている。こんな幸せを京子が生まれたときには、微塵も感じませんでした。本当に生まれてきてくれてありがとう。そして、これからも興味のあることに熱中して自分の満足できるように過ごしてください。それが私の幸せです。そんな京子を見るのが幸せなんです。本当に身近で小さなことでも良い、京子の一挙手一投足が私の幸せなんです。京子、愛してるよ! 天秤 裕介ママ 世間は厳しくもあり、優しくもありますね。ダウン症の裕介を授かりそう感じました。差別する人も増えますが、優しく見守ってくれる方も多くいます。差別する人なんか全員死ね、と思ってきましたが、それは間違いであると気付かされました。差別する人がいるから守ってくれる人が現れるんだと。 裕介は生まれてすぐに差別を受けました。「ダウン症児は他の病院に移してください」、医師の言った言葉です。小さなことでも、それが正しい判断だとしても、それを差別と感じてしまう当時の私がいました。一方で、裕介をとてもよく面倒見てくれる看護師さんがいました。Hさんという方です。しつこいくらいにわが子の姿を見たいと言う度に保育器に入ったわが子を見せてくれました。本当に感謝しています。たとえダウン症であっても、わが子の顔を見ると不思議と笑みがこぼれます。 主人のお義母さんが保育器のわが子を見て、「あまりかわいくないね」、と言いました。その頃の私はわが子を守るため好戦的でした。「お義母さんにそっくりですよ」、そう言ってやりました。言ってやったぜ、そういう快感に浸っていました。でも実際少し似ているんです。不思議ですね。 ダウン症のことを一括りにしてしまいますが、その顔や姿は人それぞれ違います。看護師のHさんに尋ねたことがあります。「ダウン症の子は親に似るんでしょうか?」。「いい質問ですね。・・・似ていなくもありませんが、どの子も個性的です。大人になるにしたがって親御さんに似てきますよ。少しですけどね。それがまたかわいいんです。愛着がわくんです」。私は、この話を聞いて、将来に希望を持ったことを覚えています。 「長くて6年」。ある日突然、余命宣告を受けました。それから何日も何日も泣き明かしました。主人も泣きました。そんな時、看護師のHさんが家にまで来てくださって相談にのってくれました。「合併症だから余命6年なんです。でも、手術をすれば、天命を全うできる可能性があります。親御さんが諦めたら誰が応援するんですか! 応援してあげてください!」。とても勇気付けられました。 裕介は今、20歳になりました。余命6年だったのが、手術の成功で今ではぴんぴんしています。幼心に味方になってくれたHさんには感謝しているようで、今も病院で働くHさんに会いに行きたいと何度も言います。検査の度に会うのが楽しみのようです。検査が楽しいと思えるように接してくれたHさんはまさに神様のような人です。 検査で病院に行くと、ほかの親御さんの目線が気になります。「あの子ダウン症よ」。「そう、かわいそうに」。色んな言葉を浴びます。でも良いんです。差別を受けた分だけ幸せも受けられる。天秤のバランスは保たれているのです。検査の結果はいつも良好。 私は、これらの経験からダウン症児の差別を無くす運動をしています。ダウン症児のママさんたちでNPO法人を設立しました。一番の狙いは、とにかく正しい情報を伝えること。正しい認識を供給することで、理解が深まり、差別がなくなると信じているんです。本当に信じているんです。バカみたいという方もいます。でも負けません。裕介が頑張っている姿を見ていると、この子の将来をより良くしたい、そういう思いがこみ上げてきます。裕介が30、40と成長する過程で、どれだけの差別を受けるだろうか。考えるとテンションが下がりますが、どれだけの希望を得られるか、そう考えると前向きになります。紙一重です。「おかあさん、むりせんとってな」。裕介がいつも言ってくれる言葉です。裕介から見ると私の活動は無理しているように見えるようです。確かにそうかもしれません。でも、やらなくてはいけないんです。時間は有限です。裕介の将来のため、力を貸してください! 小さなスーパーマン 早川 譲二はダウン症、6歳です。3歳になる双子の妹がいます。小百合と百合子です。この紛らわしい名前が発端である事件が起きました。それは、小百合がインフルエンザにかかった時に百合子の保険証を持って病院にいってしまったのです。受付のところで困り果ててしまいした。百合子と譲二もいましたが、なんと譲二が小百合の保険証を持っていたのです。自分のも。なんてよくできた子供なんでしょう! 良かった良かったと言って、インフルエンザの注射をして薬をもらってきました。ところが何と、注射をされたのは小百合ではなく、百合子だったのです。私も間違えてしまいました。やっちまったー! すぐに病院に電話すると、薬を飲めば大丈夫ですよと言われました。薬を小百合に飲ませると、症状は軽くなりました。百合子は注射をしたので、感染予防になりました。数日して、譲二が・・・熱が出てきたー! すぐに病院に行き、譲二も注射をされ、薬をもらいました。みんなでインフルエンザにかかり大変なシーズンでした。後日改めて譲二にどうして小百合の保険証を持ってたのか聞きました。「わからん」そう答えました。譲二は不思議な子です。普段は目が放せないほどのいたずらっ子になりましたが、時にこうした不思議な助け舟を出してくれます。 私が小百合と百合子を身ごもっていたとき、家で急に産気づき、身動きが取れなくなってしまいました。苦しくて苦しくて大声を出してしまいました。その時です、まだ3歳だった譲二が、家の電話で主人の携帯に電話をして、「お母さんが痛い」と伝えてくれたのです。主人が駆けつけ、そのまま救急車で運ばれ、早産でしたが、無事双子を出産しました。主人は譲二に聞きました。「電話かけられるようになったんだね」。すると譲二は答えました。「わからん」。・・・どうもリダイアルを押したみたいなんです。私は、感激のあまり、生まれた双子を譲二に一番に見せてあげました。「譲二のおかげだよ。分かる? 譲二の妹だよ」、泣きながらそう叫びました。譲二は不思議そうな顔をして見ていました。 本当に不思議な子です。ここぞと言うときに助けてくれる小さなスーパーマンです。我が家では、譲二がダウン症ということで、成長が遅いということがクローズアップされがちですが、ここぞという時は頼りにしています。双子の面倒も良く見てくれます。譲二は背も低く、三つ子みたいな感じです。でも流石3歳年上だけのことはあります。 そういえば、遊園地で百合子が迷子になったときのことです。私と主人は、大慌てでした。小百合と譲二を案内所に預け、遊園地中を走り回って捜しました。どうしても見つからず、捜しまくった挙句、途方にくれていると、園内放送で「早川様早川様、迷子の百合子ちゃんが見つかりました。至急案内所までお越しください。繰り返します・・・」、とのこと。案内所に戻ると、百合子が小百合と譲二と一緒に遊んでいました。聞くところによると、譲二は、案内所にじっとしていたわけではなく、捜しに出たそうなんです。案内所のお姉さんを連れて百合子の行きそうなところにまっしぐら。難なく見つけ出したと言うのです。まるで居場所が分かっているかの如く。 前に、夢で見たことがあります。小百合と百合子が同じ日にそれぞれの相手と同じ会場でダブル結婚式をしたときのことです。譲二は結婚式に参加していませんでした。病院で寝ていました。どうしてかは分かりませんでした。譲二は電報をうちました。「結婚、おめでとう。兄より」。それを見て小百合と百合子が大泣きしていました。いつも助けてくれた譲二がいない不安が周囲の空気を重くしていました。結婚式も終盤に差し掛かった頃、譲二が礼服を着て重い扉を開け、現れるんです。「お兄ちゃん!」。小百合と百合子が同時に叫びます。「遅くなったな」。そう呟くと、その場に倒れてしまうんです。病院に担ぎ込まれ、集中治療室で処置を受けます。でも、すぐに良くなり、すごく元気になるんです。そして、スーパーマンの服を着て空を飛んで、結婚式の会場に再び現れるのです。・・・こんな夢を何度も見ます。夢と感動を与えてくれるスーパーマン。不思議なスーパーマン。神様から与えられた不思議な力があるのかな? もしそうなら神様どうか譲二の将来を明るいものにしてあげてください。私の唯一の、唯一の願いです。
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