ダウン症でよかった!

episode 71-80

 

2の告知 綾子ママ

 

ダウン症ということ、皆さんお子さんにどう伝えていますか?

綾子が生まれて医師から告知を受けたときはもうこの世の終わりかと思いました。それから20年の歳月が過ぎました。今度は、私たち夫婦が綾子にダウン症であることを告知するときがきました。告知なんてしなくてもいいと思いましたが、「一人前に育ったんだから教えたほうがいい」、そう主人が言うので告知することにしました。成人式のその日に告知しました。「綾子、これから大事なことを言うからしっかり聞いてね。綾子はね、ダウン症という個性を持って生まれてきたの。でもね、そんなに心配することじゃないの。ダウン症というのは・・・」、と言いかけたところで、綾子が言いました。「それ知ってるよ。ダウン症でしょ」。「綾子知ってるの!?」。「うん、知ってる。友達に言われたもん。小学生の時」。私は言葉を失いました。「いじめられた?」。おそるおそる聞いてしまいました。「どうして? いじめられてないよ。みんな仲良くしてくれた」、そう微笑んで続けました。「ほら、早く着物着せてよ。成人式におくれちゃう。さっちゃんが迎えに来てくれるんだから」。さっちゃんという方は、近所のお友達で、保育園のときからの級友です。きっとその子が教えてくれたんでしょうね。

成人式では、綺麗に着飾った綾子の友達がたくさんいました。綾子はとても楽しそうにみんなと話をしていました。いっぱいの友達に囲まれ、とても楽しそうでした。私たち夫婦は、そんな綾子の姿を見て、少し涙が出てきました。「小学校の頃から知ってたんだね」。わたしが言うと主人が答えました。「俺たちが思っているよりずっとたくましく成長していたんだね。ほら、あの笑顔。友達もたくさんいるし、最高の環境だ」。小学校のときに友達から告知を受け、どんな気持ちだったんだろう。それを背負ってこの20歳の成人式を迎えた綾子は立派に成長しました。

20年、いろんなことがありました。幸い綾子の知的障害は軽度で、小・中・高と普通の学校に通うことができました。でも、逆にみんなと同じようにできないという悩みもありました。中学に上がるとき、高校に上がるとき、いつも支援学校にしようか、と悩みました。でも、綾子がいつも言うんです。「勉強は少し難しいけど友達と同じ学校に行きたい」。そう言って、普通の子の何倍も勉強しました。すごく頑張り屋さんでした。私たちも必死に勉強を教えました。塾にも行きたいと言いました。だから塾にも行かせました。

「本当に良く頑張ったね」。成人式の帰り道、綾子に言いました。「・・・辛かった」。押し殺すような声で綾子が答えました。そして、涙をこぼしました。化粧が総崩れするほど泣きました。緊張の糸が切れたように泣きました。「ダウン症でも頑張ったよね、私頑張ったよね」。綾子が言うので答えました。「世界で一番頑張ったよ。本当によく頑張った」。「でしょう」。そう言って今度は涙いっぱいの顔で笑顔を見せました。最高の笑顔でした。3人で撮った写真は今も居間に飾ってあります。化粧が剥がれ落ちた綾子と私。でも満面の笑みの3人。泣き笑い、いろんなことがあった20年でした。

これからの日々もいろんなことが起こるでしょう。好奇の目にさらされ続けた我が子。いつだったか、まだ綾子が幼い頃、さっちゃんが言いました。「綾ちゃん、変わった顔してるね」。子供の言うことなので、あまり気にしていませんでしたが、今思うと、それが世間の声なんだな、と思います。でもそんなの跳ね除けてこれからも生きていこうと思っています。親子3人、仲良く元気良く。笑顔でいること、それが綾子に対する最高のプレゼントだと思っています。いつまでも綾子の笑顔を見られますように!

 

 

 

無償の愛情 パン屋

 

娘とパン屋さんを始めました。娘、18歳のときに開業。今で、12年目になります。この間いろんなことがありました。

開業したては、お客さんなんて一人も来ない日が続きました。娘と二人で、泣きながら過ごしました。娘はそれでも諦めず、毎日毎日、パンを作りました。作るのが好きみたいなんです。それだけが救いでした。自分で作ったパンを朝昼晩、毎日食べました。

ある日、娘が、クロワッサンを作りました。少し変わっていて、真ん中が細くて両端が太い不思議なクロワッサンです。これが話題を呼び、少しずつお客様が増えました。娘の想像力のおかげですね。娘も自分の作ったパンが売れ、とても喜んでいました。

しかし、客足がぱったりと止まりました。どうも、障がいのある子が作っているということが世間的に知れ渡ったからのようです。これには、私も主人も悲しくなりました。何度泣いたことでしょう。障がい児は受け入れられないのか。障がい児の作ったパンは汚いのか。そんなことを毎日考えていました。でも、当の娘はそんなのお構いなしです。自分の作ったパンをおいしいおいしいと言って食べていました。こんな娘の姿を見ていたら、悩みも吹き飛びました。

だったら、障がいがあることを前面に出してしまおうと考えたのです。娘がパンを作るところをビデオに撮り、近くの小学校に配ったり、店頭で流したりしました。これが大成功。すごい受注量がありました。娘と二人でてんやわんや。自分で食べる分なんてありません。

娘は、貯金が増えるのを楽しみにしています。給料はそう多くはないのですが、30万円貯まりました。通帳を見てはニヤニヤしています。本当に面白い子です。好きなパンを作って、お金が増えて、順風満帆ですね。「そんなにお金をためて何に使うの?」、そう聞いたことがあります。娘は「何にしようかなぁ」なんて言って嬉しそうにしていました。

ある日、我が家に大きな宅配便が届きました。マッサージチェアでした。送り主は、娘。苦労して苦労して貯めたお金で私と主人のために買ったと言うんです。30万円すべてはたいて。これには、夫婦共々感激で涙があふれてきました。いつも私が肩こりを気にしているのを知っていたので、マッサージチェアを買うことに決めたそうです。泣きながらお礼を言いました。「泣かなくていいよ。笑って受け取って。これからもお金を貯めて何かお母さんとお父さんのためになるものを買うんだ」、そう言って自慢げにしていました。

娘の優しさは誰に似たんでしょう。主人も優しいんですが、それ以上です。ダウン症の子の特徴ですね。とにかく優しい。「無償の愛情」という言葉が当てはまります。優しすぎる我が子が怖いです。この命、いつか失うんです。私が先か娘が先かは分かりません。私が先立ったら娘はパン屋を切り盛りして生計を立てるでしょう。娘が先なら、私はパン屋を辞めるでしょう。こんな選択考えたくもありません。でも、考えておかなければいけません。大切なことですから。そのために、娘にはパンの作り方を手塩にかけて覚えさせています。一人でもできるよう、レジ係も任せています。時間は有限です。その時が来るのを戦々恐々と待っています。私が先立ったら、娘は笑って送り出してくれるでしょうか。いや、泣くでしょうね。そこまでバカじゃありません。でも、いつも答えが出ません。死と隣りあわせで経営しているパン屋さんなんて、そう多くはないでしょう。それが味にも出ていると思います。娘が慎重に測った材料で、慎重に生地を作り、焼き、おいしいパンが出来上がる。良くここまで成長したね。その成長が生きがいです。毎日毎日新たな発見があります。こんなスリリングな人生を送らせてもらって本当に感謝しています。パンを買ってくれている皆さん本当にありがとうございます。皆さんの支えで今の幸せがあります。今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

一句 隆ママ

 

愛すべき 心優しき ダウンちゃん

義祖父が読んだ句です。思えば隆が生まれて一番喜んだのは義祖父でした。分娩にも立ち会ったんですよ。男では珍しくかつて助産婦をしていた経験があります。数多の赤ちゃんに接し、隆がダウン症だと初めに気付いたのも祖父でした。生まれてすぐ、義祖父の顔は曇りました。でもすぐに大喜び。「初孫じゃ! 初孫じゃ!」。病院中に聞こえるような大声で叫びました。

告知にも義祖父は立ち会いました。私と主人そして、義祖父。変な組み合わせですよね。先生も多少義祖父に気を使っていました。「ダウン症じゃろう」。義祖父が告知前に先生に言いました。「その通りです」。短い告知でした。先生の前で義祖父が私たちにダウン症のことを説明してくれました。義祖父は、心配するほどのことではない、ダウン症児のかわいさ、良い所、色々教えてくれました。「癒されるエンジェル」。祖父の口からは似合わない乙女のような言葉が飛び出しました。義祖父も少し顔を赤らめていました。それに主人が反応して、先ほどまで泣いていたのに、思わず笑いました。私も笑いました。「ダウン症だっていいじゃない」。私は、義祖父に支えられてそう言いました。先生も「かつてないほど明るい告知になりました」と仰いました。

家に帰って、改めてわが子をまじまじと見つめました。「見た目は普通の赤ちゃんなのにね」。私が言うと、義祖父が言いました。「苦労はあれど育てる喜びは普通の子以上じゃ。この子には数十人の味方がいる」。そう言うとどこかに電話をし始めました。長電話だったので、何かと思って聞くと、「まあ、後で分かるさ」とのこと。何件も何件もかけていたようでした。

後日、義祖父が、「近くの公民館にいくぞ」と言い出しました。公民館では何かのイベントがあるわけでもなく、不思議でした。でも、義祖父が言うんだからと思ってついていきました。すると公民館にはあふれるほどの人がいました。みんなダウン症の方とそのご家族。50組くらいいらっしゃいました。義祖父が電話で集めてくれたんです。実は義祖父は、助産婦時代からダウン症児の親の会を主催していたことがあり、そのつてで集めてくれたのです。生まれたばかりの赤ちゃんから40歳くらいの方まで幅広い世代の方がいました。義祖父は、その方たちを前にして、演説を始めました。「お集まり頂き誠にありがとうございました。我が家にも天使が舞い降りてきました。隆です」。そういって隆を高々と担ぎ上げました。会場は拍手喝采。異様な熱気でした。そこで一句。「愛すべき 心優しき ダウンちゃん」です。ダウン症児というのは本当に優しい。会場に集まった約50人のエンジェルたちが隆の誕生を祝ってくれました。こんなに心強いことはありません。よく見ると壇上の義祖父はうっすら涙を浮かべていました。義祖父も泣くんだ・・・。私は、本当に義祖父を尊敬しました。それからまた一句。「隆くん 君が生まれた その訳は 神のみぞ知る 深き深遠」。

会場はひとしきり盛り上がって無事閉会しました。改めて義祖父に感謝を言うと、こう言いました。「みんな味方じゃ。まだまだこんなもんじゃないぞ。味方はまだまだいる。困ったことがあったらなんでも相談するといい」。私は泣いてしまいました。会場に集まった方も一人ずつ皆さんから祝辞をいただきました。中でも、生まれたばかりの赤ちゃんを連れてきたママさんに心打たれました。「いいじいじを持ちましたね。私が不安だったとき、電話で励ましてくれたのもじいじでした。みんなおじい様のことをじいじって呼ぶんですよ。愛を込めて」。

改めて義祖父から隆を受け取ると、隆はまるで天使のようにぐっすりと寝ていました。あの壇上であの喝采の中、ぐっすり寝るなんて、なんて度胸の据わった子でしょう。それとも義祖父の力かな。こうして改めて義祖父の偉大さに感銘を受けたのであります。隆の心配は吹っ飛んでしまいました。ありがとうじいじ!

 

 

 

差別 剛ママ

 

差別を受けたことがありますか? 

私は、羊水検査で発覚したダウン症の子を産みました。おなかの中にいるときから私の子、剛(つよし)は差別の対象でした。看護師さんたちの私に対する腫れ物をさわるかのような態度。過度な検診。

出産は大事をとって帝王切開にしました。生まれてきた剛は、泣きませんでした。すぐにICUに行き、合併症などの検査をしました。その結果、心臓に合併症があり、手術が必要とのこと。

保育器に入る我が子。小さくて弱々しく、体中チューブでつながれていました。「あの子かわいくないね」。5歳くらいのお子さんでしょうか、親子で保育器の赤ちゃんを見に来ていた子が剛を見て言いました。お母さんも「そうね」、と言っていました。剛には7歳になる姉がいます。姉もこのとき一緒にいたんですが、その会話を聞いて、泣き出しました。「かわいいよね、ね、お母さん」、そう私に確認するように言いました。「かわいいよ、一番かわいい」。私は自分に言い聞かせるように言いました。お姉ちゃんはそれでも泣き続けていました。家に帰っても泣いていました。

それから時は流れ、剛、3歳になり、心臓の手術も終わり、元気になりました。家族旅行に行きました。ホテルのバイキングで食事をとっていると、ホテルの従業員(多分バイト)の方が、剛を指差して笑うのです。いつまで続くんだろう。この差別は。怒りというよりは、体の力が徐々に奪われていくような、そんな魔術にかかったようです。そんな時、「なんで笑うんだよー!」、と立ち上がったのは、10歳になった姉です。ホテルマンに食ってかかりました。ホテルマンも反省したようで、「ごめんねー」、なんて言っていました。姉は本当に強くなりました。「大切な弟のためだもん、私が守ってあげないでどうするの」。いつも言う言葉です。私も守ってあげなくては、そう思うんですが、いつも体の力が抜けてしまいます。主人は、「差別するようなやつら、ほっとけよ」、と言います。でも、剛が可哀想すぎます。

このホテルで偶然の出会いがありました。高校時代の級友に出会ったのです。そしてなんと、彼女のお子さんもダウン症でした。10歳のかわいい女の子。この出会いに私は涙を流しました。神さまからのプレゼントのような気がしました。少し話し込み、差別の話をすると、「そんなの気にしてたらこの先やっていけないよ! 母は強くなくては」、そう勇気付けてくれました。私は泣きながら彼女の言葉をかみしめ、強くなる決意をしました。私たちと級友は、剛を連れてさっき笑ったホテルマンに苦情を言いに行きました。支配人が出てきて、頭を下げました。やってやった、そう思いました。体が火照り、力がわいて出てくるような感覚でした。剛はでも笑っていませんでした。「争いはやめて」、そう言わんばかりの表情でした。

剛は争いを好みません。差別にあってもあっけらかんとしています。まだそういうことが分からない年頃なのかもしれませんが、とにかく温和です。差別はこれからもあるでしょう。それに強く抗うのではなく、その波にゆっくり流され、着いたところで頑張ろう。そんな感じを剛から学びました。そういった意味では、剛は本当に強い子に育っていると思います。これからの差別、乗り越えてくれそうな気がします。もちろん私や主人、そして、お姉ちゃんが全力でサポートします。級友ともメールでやり取りするようになりました。このホテルの出来事が明らかに私たち家族の方向性を正しいものに変えてくれたと思います。でも差別は無くならない。それは肝に銘じています。争わず、でも負けずに頑張っていこうと思っております。思った以上に難しい問題のような気もしています。

 

 

 

子守 一多ママ

 

ある日ふと思ったことがあります。わが子が天使ではなく、悪魔の使いではないか。神さまの悪戯で悪魔の化身を我が家に送り込んだのではないか。それほどに私は疲弊しておりました。

一多(いちた)を産んで10ヶ月目くらいのことです。夜鳴きがひどく、私は精神的にも身体的にももう限界でした。そんな私を見かねて主人が義祖母を同居させてくれました。夜鳴きをしたときもゆっくり寝させてもらいました。本当に助かりました。でも、今度は、昼寝て夜起きるというサイクルになって義祖母も体調を壊してしまいました。義祖母は自宅に帰り、私が再び面倒を見ることにしました。それが本来の姿です。でも、義祖母がいなくなってからというもの、夜鳴きがすっかりなくなりました。

ある日、夜中にふと目覚めると、娘、明子(9歳)が、一多を抱きかかえ、子守唄を歌っていたのです。夜を徹しての子育てでした。昼元気に学校へ行き、夜は子育て。「明子、そんなことしなくていいよ。それはお母さんの仕事だから」。そういうと明子は応えました。「一多がかわいいからしてるの。好きにさせて。ゆっくり寝て」。明子は小学校のテストもいつも100点です。小学校から帰るとまず勉強を済ませ、夕食の手伝いをしてくれ、夜中には一多の面倒。こんな小学生がいていいのでしょうか。

ある日、学校の先生から私に電話がありました。「最近明子ちゃんが授業中に寝てしまうことが多いんですが、大丈夫でしょうか。かなり疲れているようですが」。私は、明子に「授業中に寝てるの?」と問いました。「寝てない!」そうきっぱりと答えました。明子がそう言うんだったら大丈夫だ、そう思っていました。

でも、事態は悪化。明子が明らかに体調を崩しているとのことでした。「明子、本当に無理しなくていいんだよ」。何度も私は言いました。その度に明子は言います。「かわいい弟なんだもん。それにお母さんに元気でいてもらいたいから」。9歳の子に諭されるように言われました。明子はそれでもテストの点はいつも100点でした。意地の100点でした。一多はやっぱり悪魔じゃなく天使だと思いました。この明子の言動を見れば一目瞭然です。家族が一つになっている。そう実感しました。

そんなこんなで、今我が家では、一多が夜鳴きをしたとき、私、明子、主人が順番で面倒を見ることにしました。これで負担が一気に解消。天使に振り回された数ヶ月間でしたが、それなりの意義は大きく、特に明子は良いように成長しました。お姉さんというより、第二の母親のような存在になっていました。

そんな中、一多の1歳の誕生日を迎えました。ハッピバースデーを歌いながら、明子が泣きました。滅多に泣かない明子が泣いたんです。緊張の糸が切れたんでしょうね。泣いて泣いて泣きまくりました。「お母さん、私、辛かったの。本当はすごく不安で誰かに頼りたくて。でも頼っていたら、その人にも迷惑が掛かる。頑張ったんだよ」。そう言うんです。「よく頑張ってくれたね。本当に助かったんだよ。明子はすごいよ。明子も天使だよ。一多だって本当に感謝してるよ」。そう言うと、一多は元気いっぱいに笑っていました。「ありがとうお姉ちゃん」、そう言わんばかりに明子に抱きついてきました。そんな一多に抱かれ、明子は益々泣きました。「一多、お姉ちゃんに感謝するんだぞ。最高の理解者だ。一多が天使なら明子は神さまだ。ありがとう明子。そして、一多。夜鳴きをやめなさい」主人が言いました。一多は何だか大喜び。まるで夜鳴きを楽しんでいるかのようでした。明子とのスキンシップを楽しんでいる。「相当なお姉ちゃん子だな」。主人が呆れるように言いました。その時です、一多が「あきこ」、と喋ったのです。何度も「あきこ、あきこ」と言いました。一多から明子への最高のプレゼントでした。パパでもなくママでもなくマンマでもなく、「あきこ」が初めて喋った言葉らしい言葉でした。これに明子が号泣。「嬉しい、一多、本当に嬉しいよ」、そう明子が答えていました。「明子の苦労が報われたな」、主人が言いました。「うん!」、そう言った明子の顔は神さまのような深い愛情に満ちた笑顔でした。笑顔と泣き顔、同時になると、鳥肌が立ちます。家族全員、鳥肌が立ちました。明子の苦労が報われるように祈るばかりです。

 

 

 

友達 K.T

 

7歳下の妹がダウン症であることを小学校4年生のときに両親から聞きました。

それまでは、障がいを持っているとは知らず、少し顔が変わっていると思っていました。

今となっては本当に恥ずかしく、申し訳ないと思います。

でも、障がいを持っているということを聞く前は、普通の子と変わらないと思っていたのも事実です。

『障がい児』って何だろう、と思います。聞く前は普通なのに、聞いてみると少し距離を置いてみてしまいます。

難しいところだと思いますが、私の友達に障がい児であるということを知らせたほうがいいのか知らせないほうがいいのか迷っていました。友達は時々私の家に来て、妹とも遊んでくれていましたので。

小学校6年生のときに、友達に知らせました。妹はダウン症だと。すると、友達が言いました。「知ってるよ」

私は驚きました。知ってて一緒に遊んでくれてたんだ。障がい児ということを知っていながら、まるで偏見なく、フレンドリーに遊んでくれていたんだ。感動して、それを聞いたときには、思わず泣いてしまいました。「ありがとう、ありがとう」ただただ感謝するだけでした。

それからも妹の事を色々考えました。友達は偏見を持っていないのに、私は持っている。そう感じました。どうしてだろう。答えが出ませんでした。母に相談すると、母は言いました。「私もそう」

意外な答えに驚きました。「え!、おかあさんも?」思わず叫びました。母は続けて言いました。「私たちが思うほど周りの人は偏見を持っていないみたい。身構える必要はないのよ。障がいを持っていることで、家族の負担は多少なりとも増えるけど、友達たちには関係ないことよ。水面下では苦労はあるけど、友達たちにはその苦労は無いからね」

さらに、母は言いました。「家族が感じる気持ちは偏見とは違うものよ。『愛』よ。愛するわが子、あなたから見れば妹に対する愛情がそうさせるの。守ってあげなければいけないと思うでしょ。そうすると、力が入って偏見のような気持ちを持ってしまう。そういうものみたい。力を抜いて接しなさい。あの子もゆっくりだけど成長するんだから。心配しないで」

私は、胸のつかえが取れた気がしました。「愛か〜」合点がいきました。確かに私は妹を愛しています。こんなにかわいい妹はいない。愛情と偏見、この二つの感情を混同してはいけない。

それ以来です。妹に対する気持ちに変化の兆しが見えたのは。本当に雲が晴れたような、すっきりとした気持ちになりました。妹と一緒に外出するときも、誰かが偏見の目で見るんじゃないか、そんな心配もしなくなりました。もちろん偏見もあります。でも、気にならなくなりました。だって、私たちの間には『愛』があるんだから。

 

 

 

ベビーカー 哲夫辰二ママ

 

健常者の哲夫とダウン症の辰二の二人の子供がいます。

哲夫は9歳、辰二は3歳です。

哲夫は、いつもかいがいしく辰二の面倒を見てくれます。

こどもの国に遊びに行ったときも、哲夫は辰二の乗ったベビーカーをずっと押してくれました。

でも、一度、トラブルが発生したことがありました。一年ほど前になりますが、百貨店に買い物に行ったときの話です。あの時はびっくりしました。哲夫8歳、辰二2歳のときです。ベビーカーを押してくれていた哲夫が手ぶらでふらふら歩いていたのです。「ベビーカーをどこに置いてきたの!?」と哲夫に聞いても答えてくれませんでした。「知らない」そう答えるだけです。私と主人は、百貨店の中で「辰二!辰二!」と大きな声を出して探し回りました。店員さんにも見かけなかったか聞いて、周りのお客さんにも聞いて、それでも分かりませんでした。「誘拐!?」とまで考えました。私たちは動揺して館内放送までしていただきました。そうしたところ、辰二の乗っていたベビーカーがトイレの脇で見つかりました。「辰二は!?」主人が大声を上げました。私は女性トイレの中を、主人が男性トイレの中を探しました。すると、男性トイレの個室の中で辰二の泣き声が聞こえてきました。主人は、個室のドアをたたき、「辰二!」と叫びました。すると、個室のドアが開きました。中には、辰二を抱いた哲夫がいました。主人は思わず、哲夫を平手打ちしました。「何してるんだ!?」主人が問い詰めると、哲夫は、何も答えませんでした。ただ泣くばかりでその場はそれで収まりました。

それからは、しばらく哲夫への不信感が私と主人にはありました。

「なぜ?」その質問に答えてくれたのは、事件から一週間位してからでした。哲夫は言います。「お父さんもお母さんもいつも辰二のことばかり」私たちはドキッとしてしまいました。確かに、いつも辰二のことばかり考えていたのです。哲夫もまだ8歳ですので、甘えたい年頃だったと思います。その気持ちがピークに達してあの事件につながったようです。事件の際にも、辰二のことばかり考えて、辰二を探している間、哲夫のことを忘れていました。

兄弟への配慮の難しさを痛感しました。お兄ちゃんだって甘えたいんだ。特に、ダウン症ということもあり、辰二には、手がかかります。でもそんなの言い訳に過ぎません。哲夫にだって親の愛情を受ける権利があります。等しく。

それからは、特に、哲夫への愛情を大切に過ごしています。哲夫に多くの愛情を注いでいるかな、と思うぐらいがちょうどいいのだと思います。それで十分均等になります。哲夫は受けた愛情の分だけそれを哲二に分け与えてくれます。本当によくできた子です。今は安心してベビーカーを任せられます。

 

 

 

命の尊厳から成長へ 医師

 

小児科に勤める医師です。今までに数多くのダウン症児の成長を見てきました。私は羊水検査を勧めません。一応話はしますが、多くの方が、検査の必要はないと仰います。ダウン症児を出産すると、どのご家族も一旦は落ち込みます。中には泣きじゃくる夫妻もいます。そんなご家族に必ず言うことにしている言葉があります。「生まれてきた赤ちゃんの誕生を祝ってあげてください。ただそれだけでいい。それだけで赤ちゃんは救われます」。生まれてきた赤ちゃんがダウン症でも必ずしも不幸な結果になるとは限らないのです。むしろ、それをばねに家族の結束が増した例のほうが多いのです。

あるご家族(加藤さん)は、「赤ちゃんを手放したいんですが…」と仰ったことがありました。流石に私も驚きました。ダウン症児の養子が可能かどうか、一応調べました。でも、やはりそれは難しいとのこと。ご家族にそう言うと、「この先どうしたらいいんでしょうか?」と質問されました。私は答えました。「手塩にかけて育てることです。それ以外にありません」。ダウン症児の優しさ、癒しの力、できなかったことができるようになったときの喜び。それを糧に育児を粛々と行うことがベストだと伝えます。加藤さんのお子さんは、後に、普通校の小学校の普通クラスで学ぶほどの立派な成長を成し遂げました。

とはいえ、すべての子が普通校に進学できるわけではありません。支援学校に通う子も多くいます。どちらが良いというわけではありません。どちらも良いのです。子供が小学生になるまで成長した、そこを祝うべきですね。どうしても他の子、特に健常者と比較してしまいがちです。でも、そういった比較は、無意味です。ダウン症児の良い所は、健常者にはできないことばかりです。いつまでも純真無垢な優しい微笑み、時々失敗はするけど笑って乗り切るバイタリティ、家族を幸せにする天使です。

医師の立場から見て、ダウン症児を授かるということは、単に千分の一の確率に当たったということでは無い様に思います。それを受け入れることのできるご家族の下に生まれているような気がして仕方がありません。よく、そういった話を聞きます。「神様に選ばれたご家族」、という話です。私は、この話を信じています。

この文章を読んでいらっしゃる方には色んな方がいらっしゃると思います。新たにダウン症児を授かったご家族、すでにダウン症児を授かった方、そうではないけど興味があって読んでいる方。色んな方に言いたいのは、ダウン症児を特別視してほしいということです。一見、筋違いの願いのような気がしますが、やはり特別なんです。普通の子より優しい分、言うことを聞かなかったり、普通の子より癒される分、育児に手がかかったりします。つまり、ふり幅が大きいんですね。その特徴をつかめることができれば、育児の質は一気に高まります。どうか、気長に見守ってあげてください。

あとは、兄弟姉妹の重要性をよく説いています。兄弟姉妹のいるダウン症児の子の成長は、より良いものになる傾向があります。先の加藤さんご家族の場合も兄と姉、そして妹がいました。ご両親がふさぎ込んでしまったとき、勇気を与えてくれたのは、ご兄弟だったと聞いています。「どうして泣くの?」、加藤さんのお兄ちゃんが質問しました。加藤さんのお父さんが答えます。「この赤ちゃんはダウン症といって、治らない病気なんだよ」。それを聞いてお兄ちゃんが言いました。「普通の子と変わらないじゃん。せっかく弟ができたのに、どうして喜ばないの? 病気なんかしょうがないじゃん。ね、ケーキ買ってきて食べさせようよ」。このやり取りで、お父様は、思わず涙を流しました。なんてポジティブなんだろう。子供のダウン症児の受け入れの寛容さは、想像を超えたものです。

ダウン症児を授かった方へ。必ず味方は現れます。それは、ご兄弟だったり、看護師さんだったり、お友達だったり、ご近所さんだったり、…必ずいます! 私だって味方です。どうかふさぎ込まないで、アクティブに子育てをしてあげてください。医師もひそかに応援しているんですよ。

 

 

 

歩く 隼人ママ

 

初産の息子、隼人(はやと)はダウン症でした。告知を受けたときは、家族全員が言葉を失いました。この世の終わりか、とも思えるような状況でした。私の母は、主人のご両親に深々と頭を下げ謝りました。ご両親はもちろん母親である私のせいではなく、しょうがないことだったと言ってくれました。いま思えば、隼人のことをもっと考えてあげるべきだったと思います。生まれてきたんですよ! どうして喜んであげなかったんだろう。生命の尊さと障がいを持っていることの現実。そのはざまで私たち家族はあえぎ苦しみ続けました。

成長はゆっくりでした。初産だったので、その遅れにあまり気がつきませんでしたが、友人のお子さんを見ているとその差は歴然としていました。友人の子供が歩き回ってはしゃいでいるのに、隼人は、寝返りをうつのが精一杯。なんという遅れでしょう。以来、友人とも疎遠になってしまいました。そんな時、主人のお母様が仰った言葉があります。「この子の成長が遅い分、私たちが成長するみたいですね」。そのときは、意味が分かりませんでしたが、日をおうごとに、その意味が分かってきました。隼人の成長を助けようと、色々試行錯誤していました。育児のプロになったような感じです。

そんな隼人から大きなプレゼントが届きました。4歳の時です。初めて歩いたんです! 私と主人は大泣きしました。急いでビデオをまわし、映像に納めました。次の日、主人のご両親と私の母が隼人の歩く姿を見にわざわざ遠方から訪れました。そんな時に限って歩きません。私は、隼人に「歩いて! 隼人君! さあ、歩いて!」と声をかけました。でも、歩かず。ちょっとトイレに行くと、トイレの外から大歓声。歩いたみたいです。トイレから出てきたら、隼人が立っていました。偉大なる一歩を皆さんに披露していました。みんなウルウルしていました。「隼人君、お利口ね!」。お母様が声をかけます。すると隼人はまた一歩歩き、満面の笑みを浮かべます。こんな幸せな時が来るだなんて思いもよりませんでした。親バカですよね〜。大の大人が5人も揃って子供が歩くのを見て歓声を上げたり、泣いたり・・・。本当に幸せです。

普通の子と同じことができるようになったときの喜びはまた格別です。これってすごく幸せなことだと思うんです。本当に小さなことで喜びを感じます。一歩歩いた時なんか、月面着陸より何百倍も感動しました(例えが悪いですが)。隼人の成長は、ダウン症児の中でも遅いようです。でも気にしません。隼人のペースというものを大事にしてあげたいんです。ここは重要なところだと思うんです。親としては、普通の子がすることができるように一生懸命色々教えます。でも、それがすごい重しとなっている場合が多いのです。ここは本当に難しくて、教育ママでなければ子供は楽ですが、将来困るかもしれません。教育ママになると、子供は辛いですが、成長は早まるかもしれません。・・・なんだか普通の子育てと同じですね。それに気付いたのも私の大きな成長の一つです。本当に普通の子育てと変わりません。

そんな隼人も今、20歳。近所の作業所で働いています。歩いて毎日通っています。子供のときの経験から歩くことで家族が喜んでくれると思ったようで、歩くのがすごく好きです。休日も私と主人と一緒に近所を散歩します。ハイキングに出かけることだってあります。歩いていると色んなことを考えます。初めて歩いた時のことも、小学校にあがった時のこと、学校でいじめられて泣いて帰ってきた時のこと、中学校の卒業式で先生を胴上げしたときのこと、良いことも悪いことも色々思い出します。歩くことで健康にもなりますが、それ以上に心の整理がつくような気がするんです。これからも隼人には歩くことのすばらしさを教え、また、教えられたいと思います。隼人、ありがとう。

 

 

 

超親の会 パーマ

 

親の会の楽しさって、皆さんご存知ですか? 月に2回くらい集まり、会報を作るんですが、あーだこーだ言いながら、お喋りにほとんどの時間が奪われていきます。このおしゃべりが充実しているんです。子供の成長や学校での出来事、家での生活。すべて筒抜けです。親の会には子供も連れて行くのですが、子供たちもすっかり顔なじみ、楽しそうに、時には喧嘩もしますが、充実した一日を過ごします。

今月は、親の会に新しくお子さんを授かったママさんが参加されました。私たちはいつも通り過ごすだけ。新米ママさんは、あまりの普通さに「お子さんが障がいがあることに関してどう考えてらっしゃるんですか?」、と質問されました。私は、「初めてパーマをかけた時のような気がします」、と答えました。「は?」、と言われました。「慣れるまでは少し不自然だけど、慣れてしまうとポップでしっくりくる。前よりいいと感じる」。「前よりいい・・・」。新米ママさんはそう言うと、少しうつむき、目に涙をためました。「ごめんね! 軽い気持ちで言っちゃった。気にしないで」。そう言いましたが時すでに遅く、新米ママさんは大粒の涙を流し始めました。「前よりいいのは本当よ! ほら、お子さんもみんなと仲良く遊んでる」。見ると、新米ママさんのお子さんの周りに私たちの子供たちが集まり、優しくあやしていました。新米ママさんはそれを見てさらに号泣。「悲しくて泣いているんじゃないんです。嬉し涙なんです。こんなに楽しい会に参加できて本当に嬉しいんです。ありがとうございます」。新米ママさんは、それまでの不安な気持ちが一気に堰を切ったように無くなり、感涙していたのです。私も不覚にももらい泣きしました。

私が、初めてこの親の会に参加したときのことを思い出します。ダウン症だなんて、世間に顔向けできない。そんな気持ちでした。家で過ごすことが多く、外出は控えめ。そんな時、保健師さんが家に訪れ、親の会のことを教えてくれました。初日は、保健師さんに連れられ、親の会に一緒に行ってもらいました。ものすごく不安で、傷つくことが起こるんじゃないかと思いました。でも、当時の親の会も同じ。みんなで楽しくおしゃべりして一日過ごすという感じでした。子供も、他の子供たちに楽しくあやされてとても喜んでいました。その日の最後に、先輩ママさんが仰った言葉が今でも忘れられません。「子供が劣っているわけではない。劣っていると思う親が劣っているんだ。お子さんの良い所をいっぱい見つけてあげて。必ず有る。それが見つかると育児も楽しくなる」。私は感動して、何度もその言葉を心に刻みました。

それから時は流れ、月に2度の親の会が楽しみで仕方がありませんでした。子供も楽しみにしています。わが子の良い所、まだ2つしか見つけてあげられません。1つは、面倒見の良い所。親の会でも、リーダー格で、新しいお子さんもすぐに仲間にしてあげられるところです。もう1つは、涙もろいところ。すぐ泣くわけじゃないんですけど、先の新米ママさんが泣いていたときに我が子ももらい泣きしていました。そして、涙を拭いながら、新米ママさんの子を必死にあやしていました。泣いている人を見かけると、自分も泣いて、泣いている人のために立ち上がることができるんです。

親の会というものに一つだけ問題があるとすれば、やはり、障がい児を持った親御さんたちだけで集まっているということでしょう。これを打開できれば、ものすごいパワーを持った集団に生まれ変われるような気がするんです。そんなことは可能なんでしょうか。今は分かりません。でも、いつの日かそんなときが来ることを祈っております。障がいがあること=劣っている訳ではない。まず親が自信を持つことが重要だと思うんです。そして努めて明るく。明るくしていれば、健常者のお子さんを持つ親御さんも少し覗いて見ようかしらと思ってくれる。そこからがスタートのような気がします。

 

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