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ダウン症でよかった! episode 21-30
怖がる必要はない 姉 3歳年下の妹はダウン症です。 初めは知りませんでした。 なので、少し怖いと思っていました。 食事の時間に食べ物を欲しがるので、口まで持っていってあげるのですが、そういう時も少し怖かったです。 顔も少し怖かったです。 でも、私が7歳のときに妹がダウン症だとお父さんから聞きました。 障がいがあるということを初めて知りました。 少しかわいそうだと思いました。 それと、怖いと感じていたことがすごく申し訳なかったと思いました。 初めて妹を見る人も怖いと感じるのでしょうか? ダウン症というのは、障がいの中でも軽度の障がいだと聞きました。 普通の子と同じようにできる子もいるそうです。 妹が同じ小学校に通えるか分かりませんが、同じ小学校に通ったら、友達に障がいがあるということを教えてあげたいです。 そして、怖がることはないんだ、ということを教えたいです。 どんどん教えたいです。 全校生徒に教えたいです。 学校の掲示板に妹の個性を紙に書いて張りたいです。 障がいがあることを知ってもらえば、怖いとは思わなくなると思うんです。 実際、私の友達は、私の家で遊んでいるときに、妹とも喜んで遊んでくれます。 もちろん怖がることなんてありません。 「かわいい、かわいい」と言ってくれます。 妹のために私ができること、いっぱいあると思うんです。 障がいのことをみんなに知らせることによって、差別もなくせると思うんです。 それが私の生まれてきた理由のような気もします。 妹を守るために生まれてきたんだ、そう感じます。 妹の一生がすばらしいものになるように私は一生懸命知らせます。 妹には障がいがあるんだ! 怖がる必要はないんだ! 妹にも個性があるんだ! ミラクル 亜子ママ 奇跡ってあるんですよね! 私の妹はダウン症です。私の子供、亜子もダウン症です。 ダウン症のお子さんを持つママさんたちはさぞかし驚かれるでしょう。千分の一の確率で生まれるダウン症児。それが家族に二人いるんです。亜子がダウン症だと告知されたとき、思わず噴出してしまいました。私はダウン症が好きです。妹の人生を見てきた経験からダウン症の子供がすごくかわいいことを知っているからです。妹の子育ても当時率先してやっていたので、亜子の育児も楽々こなしています。 妹とは同居しています。妹は、亜子を特別かわいがってくれます。「かわいい。かわいい」と言って面倒を見てくれます。ダウン症の子はダウン症の子を特別かわいいと感じるようですね。普通の人が自分に似ている人を知らず知らずのうちに好きになるのと同じ心理でしょうか。どこへ行くのも一緒。保育園でも、妹のお世話をしてくれた方が今、園長になっているので、亜子を預けるときも非常にスムーズに行きました。妹はその保育園で働いています。これって珍しいことのようですね。大切なお子さんを預かるわけですから責任もあるわけです。妹はそこを理解しているので採用したんだ、と園長先生が仰っていました。でも、仕事内容は、教育するというよりは、ただ子供と遊ぶだけと言ったほうがいいかも知れません。でも、園児たちは、あの邪気のない妹と遊ぶのをとても楽しみにしているようです。妹も園児たちと遊ぶのをとても楽しみにしています。園児たちの親御さんもとても理解があるかたばかりで助かっています。そればかりか、園児たちも妹がダウン症ということを知っているので、色々サポートしてくれます。妹は面倒見る側なのにおもちゃの片付けとか一切やりません。園児たちが片付けます。文句も言わず。園長先生が言います「子供だから片づけをするの」。片付けは子供の仕事と言うことでしょうか。妹の役割は思いの外大きいようです。片づけしないということが一つの教育になっています。 保育園の遠足の日がありました。近所の川原を歩いて公園まで行って帰ってくるというものです。妹は亜子の手を引き先頭を歩いていました。道も知らないのに。他の引率の先生に「そっちじゃないよ!こっちこっち」と言われて、方向転換。まるで珍道中ですね。その度に園児たちの笑いが起きます。ただの遠足にあまーいスパイスを添えてくれます。妹と亜子のエピソードは他にもたくさんありますが、どれも周りの人たちを笑いの渦に巻き込んでくれます。まさに天使だと思います。 こんな二人を授けてくれた神様に感謝ですね。これから二人が成長する過程で多くの笑いが起き、多くの涙が流れることでしょう。でもいいんです。毎日が本当に充実しているんです。二人が生まれたときのこと忘れません。妹が生まれたときは総悲観。でも立派に成長しました。亜子が生まれたときは総楽観。妹のおかげです。園長先生や園児そして親御さんたちのサポートで日々楽しくやっています。 ダウン症のお子さんを授かったご家族の皆さん、悲観することはありません。苦しいのは最初だけです。後は、お子さんの魅力にとりつかれたように溺愛することでしょう。本当に大切な命、それと向き合ったとき、家族の結束は高まり、喜びは増大することでしょう。亜子には合併症があります。いつまでこの幸せが続くか分からないけど、日々亜子の一挙手一投足を見逃さないようにじっくり育児をしたいと思っています。 ひいおじいちゃん 翔太ママ うちの子、翔太には合併症がありません。親の会で合併症がある子の話を聞くと、「かわいそう」と思ってしまいます。でも、親御さんはいたって元気で、私よりポジティブな考えを持っています。これは不思議で、親御さんに聞いたことがあります。「合併症大変ですね」・・・返ってきた返事は「大変じゃないですよ。困難を乗り越える度、強くなっている。私も子供も」。お子さんも本当に元気で、確かに強い子です。困難も強さに変えてしまう親御さんには脱帽します。 そんな我が家に悲しい出来事が発生しました。ひいおじいちゃんが亡くなってしまったのです。翔太はその意味がわからなかったようです。丁寧に説明しました。もう会えなくなってしまうこと、私もいつかは死ぬこと、翔太もいつかは亡くなること。少し難しすぎたのか知れませんが、少しは理解できたようです。泣いていました。「ひいおじいちゃんと遊びたーい!」・・・火葬場で最後の別れの際に翔太が叫びました。周りはすすり泣き。翔太は大泣き。棺に泣きつく翔太を引き離し、ひいおじいちゃんはあの世に行きました。 翌日、家族でお墓参りに行きました。まだお骨はお墓に入っていませんでしたが、翔太に人が死んだ後どうなるかを教えるために連れて行きました。「翔太、ひいおじいちゃんは死んで骨になったよね。その骨をこのお墓に入れておくの。それで、一年に何回かお墓参りに来るの。手を合わせてお祈りするの。あの世で元気にしてね、って祈るの」。翔太は泣きました。そして言いました、「お墓に来てもひいおじいちゃんには会えないんでしょ」。確かに会えません。「翔太、人はいつか死ぬの。お母さんだって、お父さんだって。でも、死んだ後、翔太のためにあの世から応援するの。人が死ぬのは仕方のないことなの。いつまでも泣いててはダメ」。翔太は散々泣いた後、泣きやみました。そして言いました。「僕も死にたい」。私は言葉が出ませんでした。そして、私も夫も思わず涙しました。「翔太、命は大事にしないとダメだぞ。簡単に死ぬなんて考えちゃダメだ。ひいおじいちゃんはあの世で喜んでるよ。翔太が、こんなにもひいおじいちゃんのことを思ってるんだから」・・・主人の言葉が翔太に届いたのでしょうか。翔太は、二度と死にたいとは言いませんでした。じっと手を合わせ、何かを祈っていました。「何をお祈りしたの?」と聞くと、「僕も死ぬまで必死に生きる。そう約束した」とのこと。私も主人もまた涙しました。「必死に生きる」・・・なんて強い言葉でしょう。翔太は、ひいおじいちゃんの死を乗り越え、確かに強くなりました。 「困難を乗り越える度、強くなっている。私も子供も」・・・親の会で親御さんの仰っていた言葉の意味をここで知りました。「困難を力に変える」・・・ダウン症のお子さんを授かった方、皆さんに伝えたい。困難を力に変えるんです。乗り越えられない壁はない。そう宣言したいと思います。私たち家族もひいおじいちゃんの死という困難を乗り越え、成長しました。これからも困難は続くでしょう。でも、その度にお子さんは成長し、家族も成長するのです。 翔太は強い子になりました。そして優しい子になりました。親の会で、合併症を抱える友達には特に、面倒見がよく、いいお兄さん振りを発揮してくれています。困難を乗り越え、強さだけでなく、優しさをも身につけたようです。それは合併症を抱える子達の命の重さを知ったからです。「僕にできることすべてをやり遂げたい」。翔太、本当にいい子に育ちました。これもひいおじいちゃんのおかげです。ひいおじいちゃんは自らの死をもって翔太を新たな高みに導いてくれました。本当に感謝しています。翔太のことは心配しないでください。あなたのおかげで強くなった私が守ります。一生。 言葉と誓い 里佳子ママ 言葉を話せるようになるのって奇跡だと思う。 最近、娘を出産してそう思うようになりました。 娘の里佳子は、ダウン症です。 現在、1歳と6ヶ月。 言葉を話すようになりました。 言葉を発するのが遅かったのでとても心配しました。一生喋れないんじゃないかとも思いました。そんな心配、皆さんもしてるんじゃないかな。 里佳子は今、一つだけいえる言葉があるんです。それは『ママ』。初めて聞いたときはうれしかったぁ。いつも「ママって言って。ママって言って」とお願いしていた甲斐がありました。『パパ』は教えてません。なので言わないと思います。 でも、『ママ』の意味って分かってるのかなぁ。ふと思いました。多分分かってないのではないでしょうか。少し残念ですが、負けを認めます。 子供ってどういう風に言葉を覚えていくんでしょうね。普通の子は、なんか自然に覚えていくような気がします。母親が話しかける言葉、家族が話す言葉、そういうものを聞いて覚えていく。でも、当たり前のことが里佳子には通用しないのでは。そんな心配もしています。でも里佳子は現に『ママ』と言った。これは紛れもない事実であり、進歩なのです。これからもっともっと言葉を覚えてくれると思うと嬉しくなります。『お母さんのご飯おいしい』・・・そんなこと言う日が来るんでしょうか。今は心配より期待が大きくなっています。これってすごく大きな変化だと思うんです。心配ばかりしていた赤ちゃん時代、本当につらかった。パパは仕事で家にはいないし、里佳子は理由が分からないまま泣き続けたり。本当に大変でした。今では良い思い出です。手のかかる子の方が成長を実感できたときの喜びが大きい。そんな気がします。 一歩一歩ゆっくりですが私の娘は成長します。その成長を見逃さないようにこれからも育児に専念したいと思います。その過程で色々な言葉を覚えてくれると思います。その言葉をなぜ言えるようになったのか、そこを研究したいと思います。何か理由があるように感じるんです。それが分かれば、もっともっと多くの言葉が話せるようになるし、他のダウンちゃんのママさんたちの助けにもなると思うんです。 『寿命が短い』・・・悔しいけどそういう風に言われました。だからこそ毎日の生活で里佳子の成長を絶対に見逃したくない。すべてを受け入れ包み込むように大切に育てたい。そう固く誓いました。その誓いは主人としました。主人は仕事で家にいることが少ないんですが、里佳子と一緒のときは、すごくハイテンションで、育児をエンジョイする人です。うらやましいです。「ママがしっかり育児をしてくれてるから、どんどん成長するね」・・・主人が私に言った言葉です。私は思わず泣いてしまいました。あふれ出る涙に主人は驚いていましたが、続けてこういいました。「里佳子は天使だね、ママも天使だ」・・・意味が分かりませんでしたが、すぐに泣き止んだのを覚えています。変なパパですが、実は頼りにしているんです。こんな夫婦の元に舞い降りた天使・里佳子。私も天使か。こんな会話を聞いて里佳子はまた一つ言葉を覚えていくんだろうなと思うと、一つの会話も無駄にできないような気がします。これからも良く喋りよく笑う家庭を築きたいと思います。 シェフ 加奈子&勇人ママ ダウン症の加奈子のために弟を出産しました。兄弟がいると知育に良いとも聞いていたので頑張りました。 加奈子3歳、弟の勇人(はやと)1歳のときに、飛行機で北海道に行きました。加奈子は飛行機を見て「おおきい、すごいねー」と言っていました。言葉を良く喋る子供に成長しました。初めての飛行機はジェットコースターみたいで驚いていました。勇人はずっと泣いていました。その勇人を必死にあやす加奈子。「はやとくん、なかないの」。私が普段言っている言葉を使っています。成長したなぁ、と感じました。子は親を見て育つ。気が抜けませんね。 北海道では、時計台に行きました。近くのラーメン屋さんでラーメンを食べました。加奈子はラーメンが大好きで、離乳食のときからラーメンを食べていました。「おいしいー」。何度も連呼しました。加奈子の良い所は、何を食べても「おいしー」、と言ってくれるところです。家で私が作ったものを食べても、「さかなおいしー、にくおいしー、ごはんおいしいー」、何を食べてもおいしいと言ってくれます。こういうところがダウン症の子の良さだと思います。ピュアなんです。 ただ一度だけまずいと言ったものがあります。それは、勇人の離乳食です。勇人にあげようとテーブルの上に置いてあったのを食べてしまったのです。完食。そして、「まずーい!」、と言いました。「はやとくん、かわいそう」、そう言って勇人をなぐさめていました。それからですね、勇人の離乳食を私と一緒に作り出したのは。味付けを加奈子がするんです。しょうゆをかけたり、塩をまいたり。私は、「そんなのかけちゃダメー」、と言いましたが聞きません。自分なりのおいしさを求めて必死に味付けをしました。勇人は、そんな離乳食を残さず食べていました。加奈子がスプーンで勇人の口に自分の味付けした離乳食を運んで食べさせるのです。こんな光景、見られるとは思いませんでした。何だか胸が熱くなりました。 加奈子は15歳になりました。今でも、料理をするのを手伝ってくれます。味付けも上手くなりましたよ。得意料理は、たこのカルパッチョ。オリーブオイルを使うやつです。家の近くにイタリア料理店があり、そこで教えてもらったのです。実は、この料理店の店長のお子さんもダウン症児なんです。13歳です。加奈子は親の会などで、この子の面倒を見てくれます。そのごほうびに料理を教えてもらっているのです。教える方も大変だと思うのですが、「加奈子ちゃんは、うちの子の面倒を見てくれる。大切な存在ですから。何でもできることはしておかないと後悔しそうなんで」、そういって店長は加奈子に料理を教えてくれます。店長のお子さんは、重い心臓病を患っています。命が有限であること、よく分かってらっしゃいます。それゆえ、必死です。毎日がお子さんと過ごせる最後の日になるかもしれない。そんな考えで生きているんだと仰っていました。加奈子はそんなことを知ってか、料理を教えてもらった後は、いつも店長のお子さんと遊んでくれます。トランプが多いですね。二人でババ抜きをしたりしているようです。時々店長や私も参加します。ほのぼのとしています。まるで、天国にいるような気がします。こんな幸せな時を頂いていいのかと思うほど幸せです。 勇人、13歳の夏、いつものように店長の店に行き、勇人の誕生日を祝いました。それに店長のお子さんの誕生日も。実は誕生日が同じなんです。偶然にしてはできすぎていますよね〜。店長と加奈子の作った料理が振舞われました。おいしかったー。ここまで料理を教えてくれた店長に感謝です。そして、店長のお子さんの健康を願ってやみません。神様、どうか一日でも長く店長のお子さんを長生きさせてください。店長のお子さんがいなくなったら我が家のバランスが崩れそうです。いつまでもみんなの笑顔を見ていたいんです。どうか、どうかよろしくお願いいたします。 グルメ 天空 うちの息子は小学1年生です。 普通学校の支援クラスで学ばせてもらっています。 毎日学校に行くのが楽しくてしょうがないと言っています。 「どうして?」と聞くと、 「給食がおいしいから」と言います。 そんなに私の料理がまずいのかしら、と思い、さらに聞きました。 「おうちと学校の給食のどちらがおいしい?」 「…おうち」 そう答えてくれました。 小学校1年生なのに気を使ってくれたようです。 息子は、学校の給食をすべてたいらげるそうです。 家の食事も残す事はありません。 よくできた息子です。 でも、どうしても食べられないものがあります。 それは、お菓子です。 ケーキやプリンは大丈夫なのですが、いわゆるスナック菓子が食べられないのです。 始めは喜ぶと思って買い与えていたのですが、どうも食べてくれません。 「どうして食べられないの?」と聞いたことがありました。 返事はこうでした。「高いから」 うちは、そんなに貧乏ではないのですが、なんて良くできたお子さんでしょう! おもちゃでも買ってあげようかとも思いますが、おもちゃも高いからいらないというんです。 こんなできすぎた子供でいいんでしょうか? 将来の夢はパイロットだそうです。 神様、どうか息子の夢を叶えてください! 反抗期 和也ママ ダウン症の子って成長がゆっくりなんですよね。 うちの和也は、中学生の兄がいるんですが、兄は、すでに反抗期で手に負えません。小憎たらしい子供になりました。でも、和也はいつまでもかわいい子供です。日々の生活では、どんどん時が過ぎてしまうので、気付かないことも多いのですが、和也にはとても癒されているんだなぁと感じます。ダウン症の子は反抗期がないのでしょうか。まだ6歳なので分かりませんが、反抗期がないことは少し残念な気もします。「反抗しても良いんだよ」そう心の中で呟いています。反抗期というのは、一種のストレスがたまっておきるものだと思います。和也にはこのストレスがないのでしょうか。いつも笑顔で、言うことも素直に聞くし、家族を明るくしてくれる。なんだかストレスを全部自分で消化させてしまっているような気がして時々心配になります。 和也のすごいところは、反抗期の兄が怒ったときに仲裁に入ってくれるところです。「喧嘩しないの!」。これには兄も言葉が出ません。兄の反抗は和也の一言で終わります。兄は和也を優しく抱き上げ、「和也」とだけ呟きます。とても愛おしい者を見ているような優しい目をして和也を見ます。この光景は兄が反抗するたび見られるんですが、いつ見ても泣けてきます。健気な和也。反抗期で抑えられない感情を爆発させる兄。兄より和也のほうが勝っているのです。どこからこの力はあふれ出てくるんでしょうか。6歳の男の子が中学生と母親の喧嘩を丸く治める。 ダウン症の子は神様に選ばれたという話を良く耳にします。本当にそんな気がします。神、感謝します。普通の子供を生んでいたら経験できなかったことを経験させてもらっています。すばらしい経験を。人生のスパイスですね。確かに苦労もあります。でも、その苦労が後になってみると楽しい思い出に変わります。必ず。いい思い出ばかりです。 私の弟が和也が生まれたのを機に勤めていた会社を辞めました。みんなで反対したのですが、辞めました。弟は、福祉施設で働くことにしました。知的障害を持った方々が働く職場です。作業所ですね。弟は言います。「和也君が生まれてやっと自分のやりたいことが見つかった。それまでは、なんとなく大学にいき、なんとなく一部上場の会社に勤め、なんとなく日々の生活を送っていた。でも、和也君が生まれて、生きる目的を見つけたような感覚になった」そう言います。 和也が生まれたとき、家族が揺れ動きました。弟は会社を辞め、私はパートを辞め、主人は課長になりました。主人は課長になってより忙しくなりました。でも、それは、和也が生まれたことにより、仕事に一層精が出た結果でした。主人は、和也の将来の不安を打ち消すが如く仕事に集中しました。主人もまた和也にいい影響を受けた一人です。 和也の反抗期ってどんなかなぁ。何歳頃かなぁ。怒るのかなぁ。ひそかに楽しみにしています。多分、ケーキの取り合いとかで怒るんでしょうね。本当にかわいい理由で怒りそう。何を言っても許してしまいそうな気がします。だって、かわいいんだもん。今まで、兄の反抗期を抑えてくれた代わりに思う存分反抗していいんだよ。怒っている姿もかわいいんだろうなぁ。何でもかわいく思えてしまう、この不思議さ。6年も経ってまだ溺愛しています。本当にかわいい子供です。いつまでもかわいい子供でいてください。そして神様、どうかこの子に幸を与えてください。お願いします。幸は私たちが作るものですか。分かりません。でも、温かく見守ってください。末永くこの幸せが続きますように! ウェディングドレス H.K 10歳になるうちの娘はダウン症ですが、なんと家事ができます! お米を研ぐことだって、掃除機だって、洗濯物干しだってできます。 いつも手伝ってくれるんです。 さすが女の子ですよねぇ〜。 私のやることに興味津津です。 いつも私の傍らで家事の手伝いをしてくれます。 弟の面倒も見てくれます。 弟が泣くとおしめを取り替えたり、ミルクをあげてくれたりしています。 いとおしそうに抱っこしてミルクをあげてくれるんです。 将来、「子供を生みたい」と言い出さないかな? 多少の心配はあるものの、嫁に行っても困らないようには育てています。 子供は無理かもしれないけど、ウェディングドレス姿は見られるかもしれません。 そう考えると、時間との戦いですね。 時間は有限です。 その時までに立派なレディに育て上げないといけません。 日々の暮らしにも緊張感が出てきます。 いい緊張感の中で娘と息子の成長を見届けることができてこの上もなく幸せです。 羊水検査 栄一ママ 「羊水検査しますか?」・・・医師に言われた言葉です。今でも後悔はしていません。私はきっぱりと「しません」と答えたのです。 栄一が生まれ、我が家は動揺しました。夫は顔面蒼白、夫の両親は言葉を失っていました。でも私は努めて明るく接しました。栄一のお姉ちゃんが言った言葉があります。「栄一君の病気は治るの?」・・・私は言いました。「病気じゃないの。ダウン症というのは症状であって病気じゃないの。花粉症と同じようなもの。花粉症は花粉の時期になるとくしゃみや鼻水が出るでしょ。それと同じように、ダウン症は治らないけど少し成長が遅いだけ。温かく見守ってあげて」・・・お姉ちゃんは納得したようで、「じゃあ、心配するほどのことじゃないのね」そう言って栄一を抱き上げて喜んでいました。そのときの微笑みはまるで天使のようでした。とても温かく深い愛情に満たされた微笑み。お姉ちゃんの優しさに、思わず涙しました。私が気丈に振舞わなくてどうする、そう心に言い聞かせていましたが、お姉ちゃんの微笑みを見て思わず涙ぐんでしまったのです。この子なら栄一を立派に育ててくれる、そう思いました。 「羊水検査しますか?」・・・いまだに夢で見ます。あのときの医師の心配そうな顔。私の間違っていたかもしれない判断。もちろん間違っていたとは思いません。でも、心からそう思えるかと問われると正直自信がありません。「間違ってたかな?」夫に問うと、夫は自信を持って言ってくれます。「間違ってないよ」その度に涙です。布団の中で泣いてしまいます。一つ言えることは、私は良い家族に恵まれた、ということです。夫はもちろんのこと、お姉ちゃんも本当に栄一を大切に育ててくれます。栄一はお姉ちゃんが大好きです。とても優しく、色々なことを教えてくれます。本当に幸せです。 私は、羊水検査をすべきだと考えるようになりました。それはなぜかというと、もちろんおろすためではありません。家族が準備してから生まれるべきと考えるからです。そして、合併症の有無。そうした医学的、精神的な問題をクリアにするために必要だと考えるのです。どの家族もおろさないとは限りません。羊水検査でダウン症だと分かりおろされる方もいるでしょう。それは家族が決めることで、神様が決めることではありません。でも、おろされる方に一言言いたいのです。「後悔しますよ」・・・栄一を見て思います。お姉ちゃんを見て思います。私自身を見て思います。まったく後悔なんてしていないのです。それどころか、栄一が生まれ、家族が一つになりました。みんなが栄一を守らなくては、と思い、日々戦争のような生活を送っています。確かに手はかかります。でも、そのうちのほとんどは普通の子を育てるのと同じ苦労です。成長が遅い分、苦労も多いですが、栄一は本当に邪気がなく、家族が和やかになります。 「羊水検査しますか?」・・・これからも夢で見るんでしょうね。でも、その夢も楽しい思い出になりつつあるのも事実です。してもしなくても同じ。結果生んでいたのです、多分。そして、今のような幸せを得ることができていたのです。 栄一には、心臓の合併症があります。根治手術で治るものです。生まれてからすぐ大病院に搬送されて分かりました。生まれたときには大事には至らず、今は手術ができるようになるまで大きくなるのを待つ日々です。羊水検査をしていれば、多分、大病院で出産していたことでしょう。よりリスクが小さくて済んだのです。まあ、どちらにしてもダウン症のお子さんを出産された方は、喜ぶべきだと思います。みんな本当に天使のような子です。「生んで悔いなし」。これだけは自信を持って言えます。 ジャズダンス 景子姉 私の妹、景子は、今、8歳です。 私は、12歳です。 二人ともジャズダンスを習っています。 景子はダウン症ですが、踊りはとてもうまいです。特に、リズム感は普通の子と比べてもむしろ上です。 この前、ジャズダンスの発表会がありました。 私は、景子たちと一緒に小学生の部に出演しました。 私は、真ん中で踊り、景子は一番端で踊ることになりました。 本番当日、私は自分が踊ることよりも、景子がうまく踊れるかそればかり心配していました。 前奏が流れ、みんな開始のポーズをとっていたとき、ふと、景子のほうを見たら、もうすでに踊り始めていました。「ちがーう!」そう叫びたくなりましたが、こらえました。少しして、景子も踊り始めているのが自分だけということに気付き、開始のポーズに戻りました。私は自分のことのように恥ずかしかったです。 そして、踊り始めるときがやってきました。ちらりと景子のほうを見たら、踊り始めはナイスタイミングでした。そこから、踊りは続くのですが、私は、景子が気になって仕方がありませんでした。 でもだんだんと自分の踊りに集中できました。集中がピークに達したころ、何か隣の子との間隔が近いことに気付きました。「ちょっと近いよ」と言おうとしてふと見ると、一番端で踊っているはずの景子が私の隣に移動してきていたんです!「え〜景子ちが〜う」そう思わず叫んでしまいました。でもダンスは合っているので、お客さんもそういう演出なのかと思ってたみたいです。「あの姉妹が隣になる演出よかったわね」そんなことを仰る父兄さんもいました。思わぬハプニングでしたが、発表会は終わり、拍手喝采、無事エンディングを迎えることができました。 私は、景子のあの満足げな顔を忘れることはありません。「真ん中で踊ってやった」そんな充実感が感じられました。景子も色々考えてるんだなぁと感じました。一番端というのが嫌だったんですね。そういうことが分かるようになったんだなぁ、と思いました。次の発表会では、先生に景子を真ん中にしてくださいとお願いしてみようと思いました。でも、景子はその分ダンスをよりしっかりとできるようにならなければいけません。思えば、6歳からジャズダンスを始めた景子はジャズダンスのスクールで練習するだけでなく、家でも私に「教えて」といって、毎日のように練習してきました。そんな努力があるんです。私も疲れているときなどは正直付き合うのが嫌なときもありましたが、一緒に踊ると最後に「ありがと」とかわいく言うんです。それが、たまらなくかわいくて断ることはしませんでした。これからもジャズダンスの練習には付き合ってあげるつもりです。景子が真ん中で踊れる日を夢見て−−。
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