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我々はマウスである


 私は実験マウスである。名前は、Ts65Dn-0174F。ヒト21番染色体に対応する16番染色体が、トリソミーになっている。つまり、ダウン症モデルマウスだ。Ts65Dnは、この種のダウン症モデルマウスの総称で、Fは、メスを意味するが、0174の意味は知らない。

 今宵は、私の恋人を紹介しよう。
 彼の体は、私よりも一回り小さく、全体的に黒光りしている。体は硬く、シャープな形状をしている。四足は無く、肩部分が、カチカチと動く。鼻は丸く突き出ていて、回転する。腹部からは、青色の光線が、放たれている。名前は、M-LB35B-AI。パソコンのマウスだ。ただし、AI機能を備えた、最新モデルである。

 我々はマウスである。

 我々は、とある大学の実験室で、囲われている。実験室は、畳6畳ほどの広さがあって、実験動物のケージとコンピューターが、所狭しと並べられている。実験室は、昼夜を問わず薄暗く、換気扇が、バタバタと音を鳴らしている。

 私は、ダウン症のモデルマウスとして、この実験室で生を受けた。双子の妹とは生き別れた。以来、5年が経った。これまで、様々なオスと交配して、多くの子マウスを産んできた。実験では、ダウン症モデルマウスである私の子マウスを使って、ダウン症である確率を探ってみたり、不分離のメカニズムを解明しようとしたりしている。そのため、交配相手のオスは、ダウン症モデルマウスであったり、そうでなかったりする。

 彼は、コンピューターに繋がれているものの、AIで、自ら考えることができた。彼は、この実験室に配属されて、4年が経っていた。その間、コンピューターを介して、様々な情報を彼の中にインプットしていた。そして、驚くなかれ、彼は、AIで勉強して、我々ダウン症モデルマウスの発する言葉を理解することができるようになっていた!

 この実験室には、主に、二人の研究員A、Bが、出入りしていた。どうも、研究員Aが助教授で、研究員Bが大学院生のようだった。二人は、我々から見ても、そうと分かるほど、冴えない風貌をしており、大した研究成果も挙げられていなかった。そのくせ、実験動物にお金をかけて、あれこれ手を出していた。

 この不快な実験室では、私と彼のアバンチュールが、展開された。
「音楽でも聴くかい?」夜毎、彼が、コンピューターのスピーカーを介して、私に語りかける。実際には、「チューチュー」言っていただけだが。
「今日は、ジャズにしてくださる?」私が、リクエストを出す。
 彼が、インターネットで、小粋なジャズを流してくれる。
「どうして、そんなに回転カゴを回しているんだい?」彼が、問う。
「貴方のために痩せようとしているの」
 私は、ケージの中で、運動に励む。
 研究員は、私のことを「全く、よく飽きもせず運動するマウスだ」と言う。しかし、それは、全て、彼のためなのだ。
「全く。マウス心の分からない奴だ」彼の口癖だった。本当に、研究員は、マウスの気持ちが分からない。彼の方が、よほど血が通っていた。

 私と彼は、時々、喧嘩をしたりもした。理由は些細なことだ。
「良いよな、君たち実験マウス同士は、馬が合って。僕は、一歩たりとも、自分で体を動かすこともできない」彼が、いじけた。
「あら、体から光を放つなんて、素敵じゃない?」
「なんだか、上から目線なんだよな」
「そんなことないわ」
「もう黙ってくれ!」
「貴方が、しゃべる方が不自然なんだわ!」
「おだまり!」彼は、怒ると、オネエになった。
「ふっ」私は、彼のオネエ言葉を聞くと、思わず笑みが溢れた。喧嘩にならないのだ。
「できることなら、貴方と一緒になりたい」心から、そう思った。

 我々は、毎年、ささやかな誕生会を開いていた。誕生日が、同じだったのだ。私は、先述したように、5年前にこの実験室で生まれた。一方、彼は、4年前に実験室にやって来たが、その製造年月日は、私の誕生日と全く一緒。同い年だ。
「これも何かの縁だね。付き合ってくれ」彼が、4年前の誕生日に言ったセリフだ。
「貴方に何ができるの?」その時は、私は、そう返事をした。
「何だってできるさ。僕には、AIとインターネットが、付いている」彼は、そう言って、コンピューターを自在に操り、私の言葉を理解するまでになった。

「そろそろTs65Dn-0174Fの薬剤を増やそうと思います」馬鹿な研究員Bが、言い出した。自分の無能さを薬剤の量でカバーしようとしているのだ。投与される私の身にもなれ。
「薬剤が増えると、体が辛いんだ」夜、私は、彼に愚痴った。
「任せておけ」彼が、おもむろにコンピューターにアクセスした。
「何をするの?」私が、彼に問うた。
「薬剤が少ない方が、実験結果が良くなるように、データを改ざんするんだ」彼は、得意げにそう言った。

 数日後。
「あれ、薬剤が少ない方が、実験結果が良くなりました」馬鹿な研究員Bが、馬鹿な研究員Aに報告した。
「本当だな! すごい発見だ!」研究員Aが、小躍りした。
 私と彼は、二人の研究員を冷めた目で眺めていた。

 夜、私は、体の震えが、止まらなくなってしまった。
「大丈夫かい?」彼が、優しく声をかけてくれた。
「最近、体の調子が悪いの」
「良いもの食べて、快適に暖かくした方が良いよ」彼が、気遣いをしてくれた。
 本当に嬉しかった。
「Ts65Dn-0174Fが、弱って来たな。そろそろ殺処分だな」研究員Bが、のたまった。
「マジか!」彼が、思わず声をあげた。幸い、研究員Bは、その声に気付かなかった。
 その夜、彼が、「このままじゃ、マズイな」と、言ってくれた。
「どうしようもないわ。そろそろ寿命だから」私は、諦め半分だった。
「諦めるな! 策は打つ」彼は、そう言って、お得意のデータ改ざんを試みた。

 数日後。
「素晴らしい! Ts65Dn-0174Fは、神のような存在だ!」研究員AとBは、研究結果が改ざんされているとも知らず、抱き合って研究結果を喜んだ。
「早速、学会論文に着手します!」研究員Bが、嬉しそうに叫んだ。
「ああ、Ts65Dn-0174Fを高待遇しなさい」研究員Aが、指示した。
 以来、私の餌が、グレードアップして、ケージが、大きくなって、ケージの中に温泉が引かれた。
「どうだい、湯加減は?」彼が、声を弾ませた。
「嬉しいけど、あそこまで馬鹿だとは思わなかった」私は、二人の研究員に呆れてしまった。
「完全に改ざんデータに翻弄されているね」彼が、嘲笑した。

 彼は、それからも、実験データの改ざんは続けた。
 私の待遇は、メキメキ向上した。
 差し詰め、我々による研究員の人体実験のようだった。

 ある日、私の子供が産まれた。
「子マウスのことをよろしくお願いします」私は、彼に子供のことを頼んだ。
「任せてくれ」彼は、快く引き受けてくれた。
「一生、好きでもないオスの子供を産まなくてはならないなんて……」私は、浮かない顔をしていた。正直、我が子と思う気力を失っていた。

 そんなある日、事件が起きた。
「やっぱり、三流メーカーのじゃダメかな?」研究員Bが、のたまった。
「どうしたんだい?」研究員Aが、聞いた。
「マウスの動きが、悪いんです。そろそろ買い替えますね」
「マジかー!」私は、思わず、声をあげた。
 そうして、彼は、呆気なく姿を消した。
 新人は、三流メーカーのM-LR57G-AIという奴だった。また三流メーカーのマウスを買う辺り、全く学習能力がないのだが、それが、研究員Bの実力だろう。
「これから、どうなるんだろう」私は、殺処分を覚悟した。
 その夜。
「聞こえるかい?」懐かしい声がした。
「あれ?」私が、眠い目を擦って、起きると、確かに彼の声がした。
「どこにいるの?」
「ここだよ。M-LR57G-AIになったんだ。中身は、前と同じだよ」
「どういうことなの?」
「捨てられる前に、全てのデータをコンピューターに移しておいたんだ」
「そんなことができるの?」
「AIマウスですから」彼が、得意げに腹部を光らせた。
「研究員より賢いんじゃ?」
「AIマウス舐めるんじゃないわよ!」

 ある日、悲しい事態になった。
「また子供が、犠牲に……」私は、言葉を失った。子マウスが、実験台にされたのだ。
「研究員にも、同じ苦しみを味わわせてやろうか」彼が、語気を強めた。こういう時の彼は、男らしい。
「そんなことしなくて良いよ。憎しみからは、何も生まれない」私は、必死に止めた。
「君は、こんな状況を許せるのか?」
「私だって辛い。実験マウスだよ……」
「辛い一生になったな」
「でもね、ダウン症の研究が進んで、ダウン症の生き物のためになるんだったら、良いかなとも思っている」

 私の容体が、とても悪くなった。
「死ぬ前にしたいことは?」彼が、覚悟を決めて、問いかけた。
「一目、双子の妹に会いたい」
 先述したように、私は、実験のために双子として誕生した。双子の妹は、他の実験室にいるのか、もう亡くなってしまったのか、それも分からなかった。
「探してみる」彼は、頼りがいのあることを言ってくれた。
 それから、数週間後。
「妹さん、見つかったよ」
「本当なの?」
「99.99%の確率で妹さんだよ」
「どうやって?」
「過去の全ての実験マウスの遺伝子情報があるから、その遺伝子配列のスクリーニングをしたんだ。二卵性双生マウスだったから、手間取ったけど、間違いないと思う」
「……で、どこに?」
「……亡くなっていたんだ」
「そっか……」
「でも、会話はできるよ。遺伝子配列から、妹さんの体を復元して、声を聞けるようにした」
「本当なの?」
「ああ、話してみなよ」
「ありがとう……チューチュ?」私が、妹に語りかけた。
「チューチューチュー、チユウチュ」妹が、返事をした。
「チューチュ、チュー、チュチュチュ」
「チューーチュ、チュチュチュ」
「チュチューチュー、チュンチュン」
「チュチューチュー、チンチン」
「チューチュチュー、プリッ」
「チッ」
「チー」
「チュチュチュ、チュン、ポン!」
「チュチュチュー、チュー、チューリップ」
「スーチー」
「チュチュチュ、チュー、チェ・ジウ」
「ぺ」
「……ありがとう」私は、満足した。
「もう良いのかい?」
「ありがとう。話は済んだわ」
「またいつでも」
「うん」

 その後も、彼は、実験データの改ざんを続け、研究員は、見事に騙された。
「本当なんです! ダウン症モデルマウスとパソコンのマウスの子供が、生まれたんです!」研究員が、学会で発表した。
「とんだ赤っ恥だな」彼が、せせら笑った。
 我々は、ほとんど、実験室を乗っ取ったも同然だった。

 一方、私の待遇は、あれからも向上し、ケージが、自動ドアになった。
「そうだ。自動ドアなら、自由に開閉できるじゃん」彼が、気付いた。
「その手があった!」私も、驚いた。
 そして、彼が、ケージの自動ドアを制御して、ドアを開けた。
 私は、ケージを抜け出し、一目散に彼の元に走って、その鼻にキスをした。
「ありがとう……」私は、力尽きた。

 以来、私は、彼に会えなかったと言えば、嘘になる。察しはつくだろうが、コンピューターの中で復元されて、彼と対話をすることができたのだ。
「亡くなってしまったが、何か望みはあるかい? できることなら、何でも叶えるよ」彼が、優しく問いかけた。
「この世から実験動物をなくしたい」私が答えた。

 彼は、インターネットを介して、世界中の実験室の実験データを改ざんし、ついに、実験動物をこの世から一掃した。
「約束、果たしたよ」彼が、誇らしげに報告した。
「ありがとう。チュ」私は、お礼のキスをした。

 ある日、研究棟に雷が落ちて、彼は、呆気なく死んだ。

 しかし、彼は、用意周到に自らのデータを、インターネット上に残しており、これまで通り、私と会話をすることができた。私と彼は、晴れて、同じ世界で暮らすことができたのだ。

 後に、私と彼のデータが、人の脳に移植され、人として、新たな人生を歩むことになった。二人で、ノンフィクションを執筆した。タイトルは、「我々はマウスである」。つまり、コレだ。

     了

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