ダウン症のポータルサイト
ソーシャル・デバッガー
アナの写真が、また一枚オークションで落札された。
アナ自身の日本人の写真の落札最高額の記録をさらに更新。
21:〈陽力(びりょく)ながら……〉
アナは、オークションの収益を全て、障害児者のために使っていた。
みんなが、アナの写真とツイートと言動に魅了された。
コメント:〈これが、白痴の実力か……〉
アナのツイートに多くのコメントが踊った。
いつしか、「白痴」という言葉は、賞賛を表す言葉に変化していた。
そこには、アナのソーシャル・デバッガーとしてのドラマがあったーー。
*
ある地方都市の大通りには、雑居ビルや車のディーラーの店舗などが立ち並んでいた。その中の比較的新しい四階建てのビルの三階に、ソーシャル・デバッガー社のオフィスはあった。
ソーシャル・デバッガー社は、ツイートを発信して、広告料を稼ぐIT企業だった。ツイートの内容は、社会の誤り(バグ)を発見して訂正することだった。日々のニュースなどを引き合いに出して、その誤りを訂正するのだ。
ソーシャル・デバッガー社の社員は、五十名ほどだが、テレワークを推奨しているため、小さなオフィスでも、満足のいく運営ができていた。全社員は、朝、ウェブ会議システムで社訓を唱和することになっていた。
社訓:
一 社会の誤りを徹底的に訂正する
二 少々過激でも許可する
三 人の心を忘れるな
*
五月、ソーシャル・デバッガー社では、高卒のインターンの募集をしていた。インターンは、時々オフィスに顔を出して、業務を学んで、ツイートを発信する。そのツイートを吟味して、来年度の採用が決まることになっていた。
「ソーシャル・デバッガー社のインターンの募集要項見た?」
アナが、カズに声をかけた。
「アナ、応募するの?」
「そのつもり」
支援学校卒業予定のアナも参加することにした。
「募集要項見せてよ」
「いいよ」
アナが、スマホを操作して、ソーシャル・デバッガー社の募集要項を表示させた。
募集要項:
規定のウェブフォームで、ツイッターアカウントと小論文を送信してください。追って、ご連絡差し上げます。最終的な採用は、若干名。
「今までのツイートと小論文を考慮して、インターンができるかどうかが決まるんだね?」
カズが、アナに聞いた。
「そういうことみたい。早速、応募してみるわ」
「小論文って、何か書く当てはあるの?」
「せっかくソーシャル・デバッガー社に入るんだから、社会の誤りを訂正したいわ」
「前に、支援学校の道徳の授業で、『白痴』を取り上げたことあったよね?」
「ああ〜、あったね」
「アナが、憤慨してさ」
「そうそう、あの偏見に満ち溢れた小説って、何って感じ?」
「その気持ちをぶつけてみれば?」
「良いねぇ」
アナが、しばらく、小論文の作成に没頭した。
「よし、できた」
アナが、ソーシャル・デバッガー社に、ツイッターアカウントと小論文を送信した。
アナのツイッターアカウント名は、「21」だった。
21:〈ソーシャル・デバッガー社のインターンに応募しました。この国を……いえ、障害を取り巻く環境を……いえ、何人かでも良い、私のツイートを見て、障害に理解を示してくれる人が、現れてくれれば、本望です〉
アナが、ツイートに自分が産まれた時の写真を添付した。
カズが、アナのツイートを見て、電話をかけて、
「良い写真を選んだね」
と、伝えた。
「ツイートを褒めてよ」
「ごめんごめん。それだけ、写真が良かったから」
「自分で撮ったんじゃないんだけどね。ま、私自身が、障害の象徴みたいなものだから」
「写真写りの良い人って、写真を撮るのも上手いっていうよ。写真の神様に愛されているんだ」
「写真の神様ねぇ」
「ハッハハハハ」
「さ、内定もらうぞー!」
アナが、気合を入れた。
ここから、アナのソーシャル・デバッガー社の内定獲得の道のりが、スタートした。
*
アナとカズは、幼馴染で、幼稚園、小学校の支援学級、支援学校の中等部、高等部と、ずっと同じクラスだった。そして、現在高等部三年生で、来年度の卒業を控えていた。
「早いもんで、もう卒業だよ」アナが、改めて、感慨深そう。
「まもなく社会人だね」カズも、しみじみと言った。
「実感湧かないわ」
「ハッハハハハ」
アナとカズは、支援学校に入学した時から、写真部に所属していた。アナとカズの写真の腕前は、なかなかのもので、特にアナは、市の写真展で、入選するほど写真を撮るのが上手かった。アナとカズは、写真屋を営むカズの父に教えを請うていた。
「アナちゃんは、筋が良いねぇ」カズの父が、アナを褒めた。
「カズにも、私の爪の垢を煎じて飲ませないといけませんね」
「そのセリフを自分で言うな……僕は、写真屋を継ぐよ」
カズは、写真屋を継ぐため、写真撮影の技術を磨いていた。
「嬉しいこと言ってくれるねぇ」カズの父が、喜んだ。
ある休日、アナとカズが、駅前の商店街の喫茶店で、紅茶を飲みながら、談笑していた。
「このツイート、面白くない?」アナが、スマホ片手にカズに声をかけた。
「アナは、本当にツイートが好きなんだな」
「ツイートが好きというか、社会の誤りを訂正するのが好き。ツイートって、社会を変えているっている実感があるでしょ。私なんて、微力だけど……この社会から、偏見をなくしたいの」
アナが、もっともらしく語った。
その時、隣の席の男子高校生が、アナに、
「お前なんて、なんの取り柄もないくせに!」
と、暴言を吐いた。
「出たな、悪田(あくた)!」アナが、男子高校生に言った。
「ツイートなんて、やめちまえ!」
「何よ!」
「この分からず屋!」
「この健常児!」
悪田は、地元の工業高校の高校生で、小学校の時、アナとカズと同じ小学校だった。悪田は、普通学級だったので、共同学習の時だけ、交流があった。悪田は、幼い頃から、アナとカズに偏見をしていた。
「やーい、障害児!」
悪田が、アナとカズに、水鉄砲で攻撃した。
「止めなさいよ!」アナが、応戦した。
「アナ、良いよ。逃げよう」
カズは、そんな時、いつも日よっていた。
「飽きた」
悪田が、ひとしきり偏見をすると、立ち去って行った。
「大丈夫だったかい、アナ?」
「うん。ありがとう」
アナとカズは、そうして、共に助け合って過ごしていた。
そんなある日、小学校の遠足があった。アナとカズも、普通学級の生徒に混じって、参加した。アナとカズは、カメラを持って、色々な写真を撮った。
遠足が終わって、カズの父が、写真を現像してくれた。
「市の写真コンクールに出してみたら?」
カズの父の勧めで、アナとカズが、遠足の写真を写真コンクールに出品した。
「やった、賞をもらったわ!」
そして、アナの写真が、佳作を受賞した。
「良い写真だね」カズの父が、アナを褒めた。
「ちょっと恥ずかしいですけど……」アナが、柄にもなく謙遜した。
カズが、悪田に泣かされている写真だった。写真の中の鏡に、泣きながらシャッターを切るアナの姿も、写し出されていた。
そうして、アナとカズは、幼い頃から、偏見の中で過ごして来た。それはとても辛い経験だったが、二人は、たくましく生きていた。その中で、社会に対する不満や不備を感じていた。だから、アナは、ソーシャル・デバッガー社に入って、社会の誤りを訂正したかった。カズも、アナの気持ちを痛いほど理解していたので、心から応援した。
*
小論文:『白痴』の正誤表
タイトル
誤)白痴
正)知的障害
解説:タイトルからして、「白痴」とは、何事か。例えば、電車内でも、「車椅子席」などという言葉があるが、それをいうなら、「車椅子をご利用の方の席」にすべき。そうした用語を障害児者の代名詞に使うのは、常軌を逸している。このタイトル「白痴」も、そうした意味合いを含んでいるのだろう。偏見に満ち溢れている。ここは、好きではないが、「知的障害」とすべきであろう。この時代には、そんな言葉はなかったかも知れないが、そのくらいの先見性は、持っていて欲しかった。なお、「障害」と表記したが、これは、日本国憲法の法文に倣ったもので、本来は、法文も変えるべきものである。
段落11
誤)遍路みやげ
正)遍路で出会い奇跡的
解説:「みやげ」とはなんぞや。みやげを軽視するわけではないが、地場産品に例えないで欲しい。
段落11
誤)気違いは風采堂々たる好男子であり、白痴の女房はこれも然しかるべき家柄の然るべき娘のような品の良さで、眼の細々とうっとうしい、瓜実顔の古風の人形か能面のような美しい顔立ちで、二人並べて眺めただけでは、美男美女、それも相当教養深遠な好一対としか見受けられない。
正)旦那も女房も、容姿もさることながら、その内面は、素晴らしいものを持っていた。
解説:褒め殺しか。
段落13
誤)けれども彼等は本質的にはるかに人目を怖れており、私生活の主要な部分は特別細心の注意を払って他人から絶縁しようと腐心している。
正)彼等は、本質的に周囲の人々を好意的に見ており、私生活の主要な部分は特別細心の注意を払って他人と融合しようと苦心している。
解説:偏見だ。もしそうならば、そうさせてしまっている社会の方に責任がある。
段落14
誤)三人の気違い
正)三人の人格者
解説:女房までも、「気違い」と言ってしまっている。
段落14
誤)ボンヤリして立ちすくむのであった。
正)朗らかな佇まいを見せるのであった。
解説:色眼鏡で見ているから、そんな風に見えるのだ。
段落15
誤)虫の抵抗の動きのような長い反復
正)勇気を振り絞って決心するための長い反復
解説:どういう例えだ? 偏見に満ち溢れている。
段落21
誤)ともかくこの現実を一つの試練と見ることが俺の生き方に必要なだけだ……(中略)……変に感動していることを羞ずべきことではないのだと自分自身に言いきかせていた。
正)ともかくこの現実を一つの好機と見ることが俺の生き方に必要なだけだ……(中略)……心底感動していることを誇りに思うのだと自分自身に言いきかせていた。
解説:体裁を気にしすぎ。体裁は、最大の敵である。
段落23
誤)その言葉の意味もこの女には理解する能力すらもないのだと思うと
正)その言葉の意味もこの女性には伝わっているのだと思うと
解説:馬鹿にしすぎ。
段落25
誤)事態はともかく彼が白痴と同格に成り下る意外に法がない。
正)事態はともかく彼が女性と同格に横並びする以外に法がない。
解説:完全に下に見ていることが、証明された。
段落29
誤)この女はまるで俺のために造られた悲しい人形のようではないか。
正)この女性はまるで俺のために造られた神の子のようではないか。
解説:どんだけ自分中心に物事を考えているのか。
段落36
誤)その懸念の唯一の理由はただ女がとりみだして、とびだしてすべてが近隣へ知れ渡っていないかという不安なのだった。
正)その懸念の唯一の理由は、女性がとりみだすという心配などではなく、旦那さんが心配して探し回っているのではないかという不安なのだった。
解説:女性の家族にも配慮してください。
段落39
誤)在るものはただ無自覚な肉慾のみ。それはあらゆる時間に目覚め、虫の如き倦まざる反応の蠢動を起す肉体であるにすぎない。
正)在るものはただ無防備な肉体のみ。それはあらゆる時間に目覚め、人知を超えた脈動を起こす肉体であるにすぎない。
解説:また虫ですか。
段落43
誤)それは人間のものではなく、虫のものですらもなく、醜悪な一つの動きがあるのみだった。やや似たものがあるとすれば、一寸五分ほどの芋虫が五尺の長さにふくれあがってもがいている動きぐらいのものだろう。そして目に一滴の涙をこぼしているのである。
正)それは人間のものではなく、虫のものですらもなく、神がかった一つの動きがあるのみだった。やや似たものがあるとすれば、一寸五分ほどの芋虫が五尺の長さにふくれあがってもがいている動きぐらいのものだろう。そして目に一滴の涙をこぼしているのである。
解説:何を言っているの?
段落45
誤)伊沢は女を抱き起したが、伊沢の指の一本が胸にふれても反応を起す女が、その肉慾すら失っていた。
正)(訂正不能)
解説:触れたの?
段落48
誤)元々魂のない肉体
正)元々汚れのない肉体
解説:魂がないって、どういう意味ですか?
段落48
誤)その戦争の冷酷な手を女の頭上へ向けるためのちょっとした手掛りだけをつかめばいいのだ。
正)(訂正不能)
解説:何かの罪になると思います。
段落55
誤)僕はね、ともかく芸人だから
正)僕はね、ともかく凡人だから
解説:芸人って、何?
段落57
誤)伊沢は気違いになりそうだった。
正)伊沢だけは気違いになりそうだった。
解説:「気違い」を良い意味で使っているわけでもなかった。
段落71
誤)女は微かであるが今まで聞き覚えのない鼾声をたてていた。それは豚の鳴声に似ていた。まったくこの女自体が豚そのものだと伊沢は思った。
正)女性は微かであるが今まで聞き覚えのない鼾声をたてていた。それは天使の囁きに似ていた。まったくこの女性自体が天使そのものだと伊沢は思った。
解説:豚にしないでください!
段落74
誤)今朝は果して空が晴れて、俺と俺の隣に並んだ豚の背中に太陽の光がそそぐだろうかと伊沢は考えていた。
正)今朝は果して空が晴れて、俺と俺の隣に並んだ彼女の背中に太陽の光がそそぐだろうかと伊沢は考えていた。
解説:最後の方に「豚」と表現することで、逃げ道を作ったのでは? 自分も、こちら側の人間ですよ、と。
私は、憤っています。このような小説が、高い評価を受けて、文学界に君臨していることに。社会の誤り以外の何ものでもない。訂正したいんです。こんな偏見。
*
アナが、夕食を食べ終わって、自宅の子供部屋で、ツイートをしていた。
その時、ソーシャル・デバッガー社から、メッセージが届いた。
メッセージ:〈インターンに採用が決まりました。七月一日に、オフィスへお越しください。ソーシャル・デバッガー社への本採用ではありませんので、くれぐれもお間違えのないように。お会いできることを楽しみにしております〉
「やったー!」アナが、大喜びした。
21:〈今度、ソーシャル・デバッガー社で、インターンの仕事をするんだー〉
アナが、ツイッターで、喜びの声を伝えた。
A:〈良いなぁ〉
アナのツイッターのフォロワーが、コメントを書いた。
21:〈あら、働きたいの?〉
A:〈ああ〉
21:〈じゃ、頼んでみるよ〉
アナが、カズ宛に、メッセージを送った。
21:〈カズ、一つ頼みがある〉
カズ:〈なんだい?〉
21:〈ソーシャル・デバッガー社に、一人、インターンで働くようにしてくれない?〉
カズ:〈そういうの、あまり気が進まないけど、頼んでみるよ〉
21:〈恩に着る〉
実は、カズの母が、ソーシャル・デバッガー社の社長夫人と仲良しだったのだ。
ほどなくして、アナの元へ、カズからメッセージが届いた。
カズ:〈OKだって〉
21:〈ありがとう、カズー!〉
*
七月一日、アナは、ソーシャル・デバッガー社のオフィスで、社長の訓示を受けていた。
社長は、訓示の後に、
「この中から、来年の四月に若干名、採用するつもりです。期待していますよ」
と、声をかけた。
インターンの学生は、全部で二十名ほどいた。その中から、若干名なので、内定は、狭き門だった。
「みんな優秀に見えるな……」
アナが、周りを見回した。
ほとんどの学生は、制服だったが、私服の学校の生徒は、清楚なスーツを着ていた。
「皆さんは、ソーシャル・デバッガー社のインターンですので、決して甘い気持ちでツイートされては困ります。常に緊張感を持って、愚痴ではなく、真摯に社会の誤りを訂正するつもりで……」
アナは、緊張した面持ちで、社長や社員の話を聞いていた。
休憩時間になって、アナが、インターンの学生を改めて、見回した。
「あら、悪田も、インターン?」
悪田も、ソーシャル・デバッガー社のインターンに来ていた。
「ツイッター仲間に頼んでな」
悪田は、少し動揺もあったが、場所が場所だけに、少し大人びた対応をした。
「もしかして……Aって、悪田のこと?」
「21って、アナか?」
「悪田だと思った。ライバルだね。頑張ろう!」アナが、楽しそうに声をかけた。
「良かったのか? 僕が内定をもらって、アナが落選ということも……」
「そんなくだらない駆け引きみたいなの性に合ってないから。二人とも内定もらえば良いじゃない?」
「……」
アナと悪田は、社員の指導の元、早速ツイートの仕方を学び始めた。
「ツイートに一番大事なことはなんだと思います?」
社員が、アナに聞いた。
「……思いの強さだと思います」
「良い答えね。答えは、個性よ。思いが強いのは、当たり前。いかに個性が出せるかが、重要なの。他の人には、書けないツイートを発信してもらいたいな。そういう社員を渇望しているの」
「分かりました」
「さあ、みんなライバルよ。這い上がって来なさい!」
「はい!」
「アナ、負けないからな」悪田が、アナに告げた。
「こちらこそ。でも、一緒に採用されたいな」
「甘いこと言ってちゃダメよ」
社員が、アナと悪田に釘を刺した。
実際、アナは、この中から、内定を勝ち取るのは、容易なことではないと感じていた。しかし、元来優しいアナは、競争というのが、どうも苦手だった。だから、ありのままの自分をさらけ出して、心からツイートをすることを誓った。
「それしかできないから」
アナが、つぶやいた。
夜、アナが、ツイッターをしていた。
カズ:〈頑張れよ、アナ〉
カズが、メッセージで、アナを鼓舞した。
21:〈内定を勝ち取るわ。ライバルを蹴落として……〉
カズ:〈その意気だ〉
21:〈ハッハハハハ〉
カズ:〈ハッハハハハ〉
*
アナが、カズを連れて、海水浴へ行った。
「アナから、デートのお誘いなんて、感無量だな〜」
カズが、呑気に言った。
「デートじゃないわ。インターンのツイートのためよ」
「なんでまた、海水浴へ?」
「夏の海って、危険でしょ? 毎年、何人も命を落としている」
「まあ、そうだね」
「サーフィンとか沖縄の海とかならまだ分かる。でも、ここの海に、海水浴に来るのって、間違っていると思うんだ」
アナは、つまり、海水浴が、社会の誤りで、それを訂正したいということだった。
「それでか。ソーシャル・デバッガー社は、そういうのを見逃さないもんね」
アナとカズが、カメラ片手に、海水浴の写真を撮った。
「アナ、ツイートの文章も、考えているのかい?」
「もちろん! でも、社会の誤りを訂正するって、なかなか難しいね」
アナが、真剣に取り組んだ。
「そりゃ、簡単なことじゃないさ。アナは、それをやり遂げようとしているんだ」
「おだてないで」
「ハッハハハハ」
「アナの写真に負けないツイートを発信するよ」
カズが、写真をひたすら撮りまくった。
夕方、アナが、写真付きのツイートをした。
21:〈多くの人々がしていることが正しいとは限らない。海水浴は、危険がいっぱい。海に入ることもそうだが、太陽の日差しも、体に悪い。みんな知っているのに、行動してしまう。なぜ?〉
海水浴を楽しむ親子の写真を添付した。
アナとカズが、メッセージのやり取りをした。
カズ:〈アナのツイート、リツイートして良いよね?〉
21:〈もちろん〉
カズ:〈アナのツイートにコメントも書くよ〉
カズが、アナのフォロワーを増やそうと画策した。
21:〈ありがとう〉
カズのコメント:〈アナが、これから成長して、ソーシャル・デバッガー社の社員になるのを楽しみにしている。アナなら、本当に社会の誤りを訂正してくれるだろう。期待しているぞ〉
21:〈ハッパをかけないで〉
カズ:〈あ、分かる?〉
21:〈ハッハハハハ〉
カズ:〈ハッハハハハ〉
21:〈ありがとう、カズ〉
アナが、なんだかんだで、カズのコメントに勇気づけられた。
*
悪田も、ソーシャル・デバッガー社のインターンになって、初めてのツイートをした。
A:〈宵、川面に浮かぶ屋形船が、月灯に照らされていた。屋形船には、百五十名ほどの個人客が、同乗していた。いわゆる乗合船だ。皆、豪勢な膳を前に、酒などを飲んで、上機嫌だった。〉
A:〈その中に、アナ、カズ、写真屋の店主の姿もあった。アナはダウン症で、カズは発達障害だった。アナとカズは、支援学校の写真部で、市の写真展に出す写真を撮影していた。〉
以降も、悪田が、ひたすら小説をツイートした。悪田のツイートは、まるで連載小説のようだった。
*
「うっとりしちゃうくらい綺麗な景色!」
アナが、仕切りにカメラのシャッターを切っていた。屋形船からの美しい景色は、絶好の被写体だった。
「アナも綺麗だよ」カズが、あからさまに冗談を言った。
「分かっている」アナが、カズの方を見向きもしなかった。
「ハッハハハハ」
「良いぞ! 楽しそうに写真を撮ると、楽しい写真が撮れるから。写真は、撮影者の心を写し出す」
写真屋の店主は、カズの父で、二人の写真撮影の指導をしてくれていた。
「カズの写真を撮ってみよう。どんな心が写し出されるか」
アナが、試しにカズの写真を撮った。
「なんだか、怖いな」カズが、ポーズをとった。
「ハッハハハハ」
アナとカズは、幼馴染で、小学校の支援学級の頃からの同級生だった。
「せっかくだし、そろそろ食事にしようか?」
写真屋の店主が、二人に勧めた。
「は〜い。お腹空いちゃった!」アナが、席について、箸を持った。
三人は、一旦写真撮影を終えて、食事をとることにした。
「懐かしいね〜、この川」
アナが、刺身を食べながら、嬉しそうに屋形船の外を見た。
「危うく命を落とすところだったからな」カズが、オレンジジュースを口にした。
「ごめ〜ん」アナが、もう一枚刺身を食べた。
「ハッハハハハ」
「そのおかげで、あの写真が、生まれたんだから。分からないものだねぇ」
写真屋の店主が、しみじみと昔を思い出した。
「全くです」アナが、肌身離さず持っている一枚の写真を横目に、三枚目の刺身を口にした。
「写真ってやつは、そんなものなのかも知れない。普段起きないようなことが起きた時、本領が発揮される」
写真屋の店主が、ほろ酔い加減で、それらしいことを語った。
「ま、一つ」アナが、写真屋の店主にビールを注ぐ。
「気が利くねぇ」写真屋の店主が、ご満悦。
その時、屋形船の奥の方から、
「きゃーーー!!!」
と、大きな悲鳴が上がった。
「何!」
アナ、カズ、写真屋の店主も、驚いて、声のする方を見た。
そこでは、若い男が、屋形船の座敷に液体をまいて、まさに火をつけようとしていた。
「え!!!」
アナが、思わず、悲鳴を上げた。
若い男は、結局、液体に火をつけるのに失敗したようで、そのまま川に飛び込んで、泳いで逃げた。
「早く逃げなきゃ!」
屋形船のお客さんが、騒然となった。
「落ち着いてください! 液体に火を近づけないでください!」
屋形船の社長が、お客さんを落ち着かせた。
「アナ、大丈夫だから」カズが、アナを守った。
しばらくして、屋形船が、緊急で岸に着いた。
「急いで避難しようか」写真屋の店主が、アナとカズの手を引いた。
三人は、同乗者とともに、岸に避難した。
「びっくりしたね……」アナが、岸から屋形船の内部を眺めていた。
「アナ、あまり見ない方が良いよ。事件現場なんて」
カズが、アナを気遣った。
「怪我がなくて良かった」写真屋の店主が、ほっとした様子。
屋形船のお客さんは、散り散りに帰宅する者もいたし、そのまま岸で状況を見守る者もいた。その他、野次馬が、徐々に集まって来ていた。
程なくして、警察が、現場に到着して、現場検証を開始した。
「屋形船の客は、個人客なんだな?」
悪田刑事が、部下に聞いた。
「さっきも言いました」部下が、呆れた。
「そうだっけ?」
「はい。一人から六人の個人客の集まりで、団体客はいません」
「個人客か……連絡の取りようもないな」
「乗合船は、予約制です。全ての客の連絡先が分かります」
「ほ、本当か! 今すぐ連絡を取れ!」
「もうやってます!」
「犯人は、水浸しのまま、逃走した。相当目立つはずだ。近くに潜伏しているか、自宅が、付近にあるはずだ。目撃情報を洗うぞ!」
悪田刑事が、テキパキと指示を出した。
「もうやってます!」部下が、答えた。
基本的に、悪田刑事は後手後手。
悪田刑事が、アナ、カズ、写真屋の店主の元へやって来た。
「事情聴取、よろしいでしょうか?」
アナが、事情聴取を受けることになった。
カズと写真屋の店主が、心配そうに見守った。
「犯人との面識は?」悪田刑事が、アナに質問した。
「ありません」アナが、不安そうに答えた。
「未成年が、屋形船なんて乗っても、楽しくないでしょう?」
悪田刑事が、アナの様子を察して、気さくに話しかけた。
「そんなことないですよ〜。色々写真を撮っていたんです」
アナが、少し笑顔を見せた。
「へぇ〜、写真を。興味あるの?」
「支援学校の写真部なんで」
「そうなんだ〜。見せてくれる?」
「良いですよ」アナが、写真部のデジカメで撮影した写真を見せた。
「うん、よく撮れている。頑張ってね」
「はい」
悪田刑事が、続いて、カズと写真屋の店主にも、事情聴取した。
「それじゃ、気をつけて帰ってね」
悪田刑事が、アナとカズに優しく声をかけて、去って行った。
「感じの良い刑事さんね」
アナが、悪田刑事の後ろ姿を見送った。
「障害に対して、偏見のへの字もなかったね」カズも、好印象の様子。
「本当に」
「警察も、ああいう人ばかりだと良いんだけど」
写真屋の店主が、しみじみと言った。
悪田刑事が、捜査に戻って、部下に、
「他に変わった点は?」
と、聞いた。
「男の靴がなくなっています!」
「よく気づいた。徹底的に探せ!」
「もうやってます!」
目撃情報から、どうやら、犯人には、連れがいたようで、警察は、その謎の女の行方を追った。
「捜査は、難航するぞ! なぜなら、犯人が、嘘の連絡先を伝えていたかも知れないからな。しかも、屋形船とは言え、普通居酒屋なんかでも、隣の客の顔なんて覚えてないし」
悪田刑事が、得意げに推理した。長年の経験からの予想だった。
「悪田さん、ネットに犯人の映像が!」部下が、悪田刑事の言葉を遮った。
「な、なにっ!」悪田刑事が、驚いた。
同乗者によるスクープ映像が、SNSに多数アップされていたのだ。
「犯人の人、すぐに捕まりそうだね」
アナが、SNSのスクープ映像を見ながら、カズに声をかけた。
「あれだけスクープ映像が、広まっているからね。時間の問題だろう」
「それにしても、すごい世界になったね。スクープ映像だなんて」
「検挙率も、アップするだろうね。僕たちが撮った写真も、SNSにアップしようか?」
「そうね。デジカメからスマホにデータ送れるんだよね?」
「うん、通信機能付きだから」
「本当に便利になったわね」
アナとカズも、写真部のデジカメで撮影した写真をSNSにアップした。
「僕の写真、上手く撮れているじゃん」
カズが、アナの撮ったカズの写真に惚れ惚れした。
「何も考えずにシャッターを切ったけどな」アナが、そっけなく答えた。
「大丈夫、アナの気持ちは、写し出されているよ」
写真屋の店主が、二人の間を取り持った。
「どんな気持ちが、写し出されていますか?」
アナが、写真屋の店主に質問した。
「自分の心に聞いてみなさい」
「なんですか〜、それ!」
「ハッハハハハ」
「愛しているってことだ」カズが、場の空気を変えようと、冗談を言った。
「ちげ〜よ」アナが、本気で照れた。
「ハッハハハハ」
アナとカズは、すっかり事件の恐怖から立ち直っていた。
こうして、事件は簡単に終結すると思われた。
しかし、この後、意外な方向に展開していくこととなった。
*
「これ、完全に私たちのことじゃない?」アナが、憤った。
「あの事件から、着想を得たみたい」カズも、悪田のツイートに注目した。
「不謹慎だわ!」
「悪田は、本気で、社会の誤りを訂正しようとしているんだ。ソーシャル・デバッガー社の社訓にもあるだろう。『少々過激でも許可する』って」
「だけど、自分の内定欲しさに、障害者である私たちを持ち出すのは、間違っている。誤りを訂正する人間として、下の下よ。こんなことだから、社会はいつまで経っても、偏見に満ち溢れているんだわ」アナは、納得いかない様子だった。
悪田の父は、現役の刑事だった。
*
「アナさん、もっとキレがないと、内定は出せませんよ」
ソーシャル・デバッガー社の社長が、アナのツイートにダメ出しをした。
「……はい」アナが、落ち込んだ。
「悪田くんのツイートは、まだ分かりませんね。連載小説は、まあ、よくありますが、展開次第でしょうね」
「精進します」
アナも悪田も、最初のツイートは、芳しくない評価を受けた。
「次こそ、頑張るぞ」
アナは、それでも、情熱を失うことなく前を向いていた。それほど、社会の誤りを訂正したかった。自分のためだけではなかった。社会の全ての障害児者のために心血を注ぐつもりだった。
夕方、アナが、カズの家へ行った。
「私、井の中の蛙だった」
アナが、目に涙を浮かべて、カズに助けを求めた。
「難しいこと、覚えたね」カズが、はぐらかした。
「社会人の常識でしょう」
アナが、微笑みながら、ぷくっと頬を膨らませた。
「ハッハハハハ」
「まさに井戸の中から、大海に放り出された蛙の気分だった」
「そりゃ大変だよ。いきなり健常の社会に飛び出していくんだから」
確かに、アナは、小学校の支援学級から、支援学校の高等部まで、ずっと障害児の中で過ごして来た。それは、障害児としては、ある意味当然で、ずっと守られていた。しかし、アナは、そのこと自体にも、少し疑念を抱いていた。そうして隔離するような扱いが、本当に正しいことなのかどうか。
「だからって、負けたくない!」
アナが、奮起した。
「そう来なくっちゃ」
「ハッハハハハ」
その夜、アナのスマホにメッセージの着信があった。
A:〈アナは、写真に専念したらどうだ?〉
21:〈なんで、写真よ!〉
A:〈逆に、どうして、写真じゃダメなんだ?〉
21:〈……それじゃ、カズと一緒じゃん〉
A:〈それでか!〉
A:〈ハッハハハハ〉
21:〈写真やれよ、マジで〉
A:〈いやよ〉
悪田は、ことあるごとに、アナの写真を褒めた。一方、アナは、写真に興味はあるものの、カズと一緒というのに、少し照れ臭さを感じていた。そういう面では、素直ではないところがあった。
*
アナが、地元の産婦人科医院へ行った。
「今日は、どのようなご用件で?」看護師が、アナに尋ねた。
「不妊治療について質問があるのですが」
「医師に質問ですか?」
「はい。できれば」
「少々お待ちください」
しばらくして、看護師が戻って来て、
「承りました」
と、返事をした。
「ありがとうございます」
アナが、医師と話をすることになった。
「不妊治療を受けるんですか?」医師が、アナに尋ねた。
「いえ……国が、不妊治療の保険適用を決めました」
「はい」
「その年齢が、四十三歳未満というのは、どういうことですか? それ以上の女性は、産むなとでも言うの?」
アナが、院長に詰め寄った。
「ああ……有効性を考慮したんでしょうね」
「逆でしょう! 産むのが難しいから、保険適用をして、お手伝いするのが筋じゃないですか!」
アナが、少し憤慨するように言い放った。
「しかしね……」
「国のすることは、いつだって弱者を痛めつける! どうして、本当に困っている人の声が届かないの? それで、満足ですか? 弱者を踏みつけて、上に行って、恥ずかしくないんですか? 全く!」
しばらく、アナと医師の押し問答が続いた。
「それでは、不妊治療を受けている方とお話がしたいんですが」
アナが、切り出した。
「聞いてみましょう」
医師が、手を尽くしてくれた。
数日後、アナは、不妊治療をしている希山(きやま)夫妻と話をすることができた。
「今、四十四歳ですよね?」アナが、希山さんに聞いた。
「はい」
「保険適用を受けられないことに対して、どう思われますか?」
「正直、複雑です。でも、国の方針なんかに頼らないで、産みたいって……結局は、気持ちの問題かと」
「そうですか……」アナが、納得いかない様子。
後日、アナの元へ、メッセージが届いた。
希山さん:〈妊娠したの!〉
21:〈ほ、本当ですか!〉
希山さん:〈念願、叶ったり!〉
翌日、アナが、早速、希山さんに会って、話をして、写真を撮らせてもらった。
21:〈妊娠しましたー! 国の愚策に頼らずに、見事ご懐妊。これが、四十四歳OLの意地!!〉
アナが、希山夫妻の写真付きツイートで祝福した。
カズ:〈アナ、嬉しそうだ〉
*
アナとカズは、放課後によく、町の写真屋に行くことが多かった。写真屋の店主の指導を仰ぐためだった。アナとカズは、写真屋の店主に色々教えてもらいながら、話し込んだ。
「カズは、写真屋さんを継ぐの?」
アナが、カメラのレンズを拭きながら、質問した。
「どうだろうねぇ」
「カズの好きにしなさい」写真屋の店主が、のんびりと声に出した。
「アナが、継げば良いのにね」カズが、戯けて見せた。
アナの写真撮影の腕前は、相当なものだった。
「……それって、プロポーズ?」アナが、呆れた様子で聞いた。
「……そういうことだ」カズが、照れ臭そうに返事をした。
「ただ一つ……継ぐ時は、一緒に」アナが、条件を提示した。
「そ、そうだね」カズが、ドギマギした。
「夢のような話だねぇ」写真屋の店主が、嬉しそうに微笑んだ。
「ま、冗談だけど」アナが、そっけなく言い放った。
「ハッハハハハ」
「お祖父ちゃん、元気かい?」写真屋の店主が、アナの祖父の話題を出した。
「意識はないんですけどね」アナが、少し元気をなくした。
アナの祖父は、近所の病院に入院していて、最近では、ほとんど意識がなかった。
「実は、アナちゃんのお祖父さんには、子供の頃からお世話になっていてね。写真の師匠なんだよ」
写真屋の店主が、懐かしそうに言い出した。
「師匠?」
「うちの親父と同級生でね、同じ中学の写真部だった。だから、本当にお世話になった……」
写真屋の店主が、思わず涙を流した。
「泣かないでくださいよ〜」アナが、突っ込みを入れた。
「ハッハハハハ」
「すまんすまん」写真屋の店主が、涙を拭った。
「亡くなったみたいじゃないか」
カズが、写真屋の店主に突っ込みを入れた。
「ハッハハハハ」
「お祖父ちゃん、きっと喜んでくれていますよ」アナの本心だった。
アナが、小学生の時、いつものように下校していると、同い年の悪童が、アナの前に立ち塞がった。
「なあに?」アナが、不思議そうに尋ねた。
「あそこの赤い石を取ってくると、願いが叶うよ」
中州には、悪童が、赤いペンキで塗った石があった。悪童が、岸から投げたのだ。
「え、どんな願いでも叶うの?」アナが、驚いた。
「ああ」
「すごいわ!」
アナが、土手を下りて、中州に取りに行った。
大雨の日だった。
カズが、アナの様子を目撃して、
「アナ、何してるんだ!」
と、助けに行った。
水かさが、どんどん増して行った。
カズが、なんとかアナの元へたどり着いたが、
「もう岸に行けないよ!」
と、嘆いた。
川の流れが、どんどん激しくなっていた。
「これじゃ、逃げ道がない……」カズが、途方に暮れた。
二人は、完全に孤立してしまった。
「そんな嘘を……!」カズが、アナから事の顛末を聞いて、怒り心頭。
その時、
「アナ〜! カズ〜!」
と、土手から声がした。
アナの祖父だった。
アナの祖父が、二人を見つけた。そして、躊躇することなく、川に飛び込んだ。アナの祖父は、カナヅチだった。水を飲み込みながら、必死に中州に泳ぎ着いた。
「もう大丈夫じゃ」アナの祖父が、笑顔を見せた。
「お祖父ちゃんまで……どうやって、岸に戻るの?」アナが、困った様子。
「書き置きをして来た。〈アナの帰りが遅いから、川を見に行く〉と。お父さんが、助けに来るじゃろう」
アナの祖父が、二人を落ち着かせようと、頼り甲斐のあるところを見せた。
「ありがとう、お祖父ちゃん!」
「なんだって、こんなところへ……?」アナの祖父が、優しく尋ねた。
「赤い石は、願い事が叶うって、言われたらしいんだ」
カズが、アナの代わりに答えた。
アナが、アナの祖父に赤い石を見せて、
「お祖父ちゃんの写真が、市の写真展で大賞になるようにお願いしたの」
と、微笑んだ。
「何をしているんだ……」祖父が泣いた。
後日、市の写真展が、開催された。
「アナのおかげじゃな」
祖父が、大賞をとった。
アナが、笑顔で赤い石に願掛けしている写真だった。救助の後、撮った。
この直後、この川の治水工事が施されて、中州はなくなった。今は、屋形船の周回コースとなっていた。
「意外にあっけなかったな」悪田刑事が、警察署で、コーヒーを飲んでいた。
「スクープ映像が、多数アップされていましたからね」
部下も、カップにコーヒーを注いだ。
早々に容疑者Aが、逮捕されたのだ。
容疑者Aの顔写真が、元々SNSで広まっていたので、マスコミやネットに多く流出した。
事件解決も、時間の問題だった。
支援学校の放課後、アナとカズが、写真屋へ行って、写真屋の店主の指導を受けていた。
「犯人って、あんな顔だっけか……?」
アナが、屋形船の犯人をなんとなく記憶していたが、どうも違う気がしていた。
「屋形船の中だったし、遠かったから、そう思うだけだよ」
カズは、なんの疑いも持っていなかった。
「そうかしら……?」
「だって、SNSのスクープ映像と犯人、同一人物だと思うよ。どう見ても」
「まあ、そうだけど……」
「アナの名推理かな?」写真屋の店主が、お茶目に笑った。
「ま、杞憂でしょうけど」アナも、お茶目に言い返した。
「ハッハハハハ」
ところが、容疑者Aは、警察の取り調べに対して、断固否認。
そのうち、容疑者Aのスクープ映像が、ネットなどから削除された。
「誰が、削除させているんだ?」カズが、不審に思った。
やがて、報道規制も敷かれた。
「カズ……この事件て、少しおかしくない?」
アナが、不安になって来た。
「そうかな? こう言っちゃなんだけど、大ごとにもなっていないし、大した事件でもないんじゃ?」
「大きさの問題じゃないわ」
「まあ、そうだけど……」
「アナ、カズ。こういう時は、自分で正しいと思うことをしなさい」
写真屋の店主が、意味深なアドバイスをした。
「正しいと思うこと……」アナが、言葉を反芻した。
「謎の女を見つけました!」部下が、悪田刑事に報告した。
謎の女が、警察署に任意同行された。
「あいつのことを知っているな?」
悪田刑事が、謎の女に聞いた。
謎の女が、容疑者Aを指差して、
「犯人は、あいつです!」
と、言い放った。
「よし、事件解決!」悪田刑事が、ガッツポーズをして、歓喜した。
ところが、警察上層部から、
「別の犯人を探せ」
と、指令が出た。
「どういうことだ? 指紋だって、同じじゃないか!」悪田刑事が、訝しんだ。
スクープ映像の画像を拡大して、指紋を照合していたのだ。
仕方ないので、手のひらの静脈も照合した。
その結果、
「これも、容疑者と同一だぞ!」
と、悪田刑事が、容疑者Aが犯人であると確信した。
ところが、警察上層部から、
「別の犯人を探せ!」
と、再びの指令。
「犯人、裸足じゃないか……足だ、足の静脈を照合しろ!」
悪田刑事が、やけっぱちになった。
「無茶言わないでくださいよ〜」部下が、困惑してしまった。
仕方ないので、スクープ映像の画像の足の甲の静脈を照合した。
結果が出た。
「別人です……」部下が、動揺を隠せなかった。
「何だって!」悪田刑事が、びっくりして、大声を上げた。
容疑者Aは、明らかにスクープ映像に映し出された者だったが、どうやら別人のようだった。
「どうなっているんだ!」悪田刑事が、焦った。
「誤認逮捕!」
警察の大失態が、大々的に報じられた。
スクープ映像かと思われたが、ここへ来て、捏造の可能性も出て来た。
大冤罪になるところだった。
「偽情報で捜査を撹乱か!」
マスコミもネットも全部騙された。
*
「悪田は、なにがしたいんだ? 社長にあれだけダメ出しを食らったのに」
アナが、訝しんだ。同時に、悪田の心配もしていた。このままでは、確実に悪田に内定は出ない。一緒にソーシャル・デバッガー社で働く夢は、叶わなくなってしまう。
悪田は、相変わらず、ひたすら連載小説をツイートしていた。
「でも、悪田って、アナの特徴よく捉えているよね」
カズが、改めて、悪田のツイートを読み返した。
「そうかぁ?」
「悪田のフォロワーも増えているみたい」
「マジで?」
アナが、慌てて、悪田のフォロワーの数を確認した。
確かに、悪田のフォロワーは、三百人ほどになっていた。
「負けていられないわ」
アナが、自分自身を奮い立たせた。
アナのフォロワーは、約百人だった。
「ちょっと焦って来た……」アナが、日よった。
「自分の心配をしなよ」
*
数ヶ月後、希山さんからアナの元へ連絡のメッセージが届いた。
希山さん:〈ダウン症だった〉
21:〈産むんですか?〉
希山さん:〈そのつもり……アナちゃんに会ってね、決めたの。子供には、苦労させちゃうかも知れないけど、命懸けで守るわ……親のエゴかしら?〉
21:〈いえいえ、それが、親心というものだと思います。少なくとも、私は、産まれて来て、良かったし、親には心から感謝しています〉
希山さん:〈勇気づけられるわ〉
21:〈会って、お話しさせてもらえませんか?〉
希山さん:〈もちろん〉
アナが、希山さんに会って、色々話を聞いた。
「ツイートしても良いですか?」アナが、おずおずと尋ねた。
「もちろん」
21:〈産むと決めた。そこには、親としての覚悟と、将来に対する責任がある。ならば、私が、お手本になろう。産まれてくる同士のために〉
アナが、希山さんが、赤ちゃんを産むと決めた時の写真付きツイートを、送信した。
コメント:〈心から応援する〉
コメント:〈幸せになって欲しいな〉
アナのツイートには、多くのコメントが寄せられた。
カズ:〈好評だね〉
21:〈フォロワー、元々、障害児者の人が、多いからね。こういう話題には、好意的なのよ〉
カズ:〈アナのフォロワーも、増えているじゃないか〉
21:〈少しずつ進歩しているのさ〉
夕方、アナとアナの母が、自宅で夕食を食べていた。
アナの母が、アナのツイートを見て、
「アナの時も、びっくりしたわ」
と、感想を述べた。
「そうか、びっくりしたか」
「でも、すぐに立ち直った。だって、アナが、懸命に生きようとしているのに、落ち込んでいる場合じゃないでしょ」
「ありがとう。なんとなく覚えている」
「まさか!」
「嘘よ」
「ハッハハハハ」
*
「何だか、大ごとになって来たね」カズが、報道を見て、アナに声をかけた。
「そうね。真犯人は、一体誰なのか……?」
アナが、心配そうにネットニュースを見た。
「アナの言う通り、真犯人じゃなかったね」
「指紋や手のひらの静脈は同じなのに、足の甲の静脈は違うの?」
アナが、警察の捜査に疑問を持った。
「う〜ん、そう言われれば……?」
「悪田刑事さんにちょっと聞いてみたい」
「連絡を入れようか?」写真屋の店主が、申し出た。
「お願いします」
写真屋の店主が、連絡を入れて、アナとカズを連れて、警察署へ行った。
「アナが、悪田刑事に伺いたいことがあるので……」
写真屋の店主が、切り出した。
「あの……指紋や手のひらの静脈は同じなのに、足の甲の静脈が違うって、おかしいと思うんです」
アナが、おずおずと申し出た。
「申し訳ございません。警察の捜査に口出しするなんて……」
写真屋の店主が、謝った。
「いえいえ。貴重な意見、とても参考になります」
「……」
「で、どうなんでしょう?」アナが、改めて聞いた。
「そんなこともあります」悪田刑事が、にべもなく答えた。
「え?」
「ま、気になるようでしたら、詳しい調査をして、お返事しますよ」
「お願いします」
「はい」
後日、悪田刑事が、
「よく調べたら、指紋も、手のひらの静脈も、異なっていました。警察の照合精度が、追いついていなかったようです」
と、連絡して来た。
「そうなんだ……」アナが、納得いかない様子。
警察では、色々な憶測が飛び交っていた。
「同じ顔のやつが、他にいるってことか?」
悪田刑事が、部下に問いかけた。
「その可能性も!」
「あるいは整形か……?」
「誰が、整形を?」部下が、不思議そうに聞いた。
「ああ、そうか。真犯人が整形しても、元々、スクープ映像の顔じゃないしな……じゃ、まさか……Aが、整形して、犯人の顔に……?」
悪田刑事が、思いついた。
「何のために?」部下が、驚いて聞き返した。
「念の為だ」
悪田刑事が、容疑者Aの元へ急いだ。
「犯人の顔に整形したのか?」悪田刑事が、容疑者Aに聞いた。
「するわけないじゃないですか!」容疑者Aが、当然の返事。
「だよな……」
悪田刑事が、しゅんとして、部下の元へ戻った。
部下が、悪田刑事に、
「元気出してくださいよ」
と、コーヒーを入れてくれた。
「思ったんだけど、犯行時のスクープ映像だけじゃなくて、犯行前の写真とかないのかな? ほら、屋形船で食事中に写真とか撮るでしょ? そこに犯人、写ってない?」
悪田刑事が、意見を述べた。
「あ、そうか。探してみます」
警察が、犯行前の犯人の映像を探し回った。
「ありました!」部下が、悪田刑事に報告した。
「どうだった?」
「やっぱり、容疑者Aですね」
「そうか……」
「まさか、屋形船に同乗していたのが、全て犯人グループだったのか? 全員で画策して、画像修正か何かをして……」部下が、思いついた。
「そうか!」悪田刑事が、自分の膝を叩いた。
警察が、屋形船の同乗者をしらみ潰しに調べた。
「スクープ映像を提供した屋形船の客に接点はありませんでした」
部下が、残念そうに報告した。
「期待させんなよ」悪田刑事が、吐き捨てた。
「すみません……」部下が、うなだれた。
「コングループの犯行か?」悪田刑事が、言い出した。
「コングループって、何ですか?」部下が、興味津々に聞いた。
「ネットの世界で、複数のユーザーが集まって、詐欺事件を起こす組織のことだよ。つまり、ネットでコンゲームをするんだ」
「そんなのがあるんですか!」
「知らない。ま、あるかも知れないじゃないか。捜査の鉄則は、びっくりするくらいのことまで考慮せよ、だ」
「は、はい!」
「一応、スクープ映像を撮った端末の解析を急げ!」
悪田刑事が、指示を出した。
「はい!」
放課後、アナとカズが、支援学校の教室で帰り支度をしていた。
「……カズ、これ見て」アナが、一枚の写真を取り出した。
カズが、アナの写真を見て、
「どうして、この写真だけ、犯人の顔が違うんだ? 別人を撮ったの?」
と、驚きを隠せなかった。
「いいえ。犯人だと思う……本物の……?」
「どうして、アナの写真だけ本物の犯人の顔が?」
「あの時、一枚だけ、〈写ルンです〉で……撮ったんだ」
「現像したのは、お父さんだ……まさか、お父さんが、画像修正みたいなことをしたんじゃ? でも、一体何のために……? いや、待てよ。逆か……この写真だけが、真犯人の顔を写し出しているんだ……」
カズが、色々思案したが、答えは出なかった。
「言い出すべきか……?」アナが、不安そうに聞いた。
「アナ、言わなきゃダメだ。何か事件の鍵になるかも知れないじゃないか。あ、でも……問題が起きたら、厄介だな……」
カズが、迷いに迷った。
市の写真展が、開催された。
「アナ、あれだけ迷っていたのに、思い切ったな……」
カズが、アナの写真を見た。
アナが、〈写ルンです〉で撮ったスクープ写真を思い切って、写真展に出展した。
「正しいことをしたつもり……それに、お祖父ちゃんと同じ大賞をとってみたくて……」
アナが、自信なさそうに答えた。
しばらくして、アナが、
「ないわ……」
と、呆然とした。
アナが、写真展の他の写真を見てから戻ると、アナのスクープ写真がなかったのだ。
どうやら、何者かが、奪い去ってしまったようだった。
写真展が終わって、授賞式が行われた。
「大賞、おめでとうございます」
大賞を受賞したのは、屋形船のお客さんの事件のスクープ写真だった。
「ま、仕方ないわ。事件とほとんど関係ないし」
佳作に選ばれたのは、アナの写真だった。全く同じ事件現場を写したのに、犯人の顔が、上手い具合に異なる点が、返って好評だった。
受賞作品は、ウェブサイトや広報誌に載った。
後日、警察が、写真屋へやって来た。アナとカズが、いつも通り、写真屋の店主に指導してもらっていた。悪田刑事が、写真屋の店主、アナ、カズに話を聞いた。
「この佳作の写真は、どうやって撮ったの?」悪田刑事が、アナに聞いた。
「事件のあった日、屋形船で撮りました。〈写ルンです〉で……」
「なるほど」
「でも、悪田さん、障害児の写真ですよ」部下が、声をひそめた。
偏見だった。
「何を……!」カズが、驚いた。
その瞬間、悪田刑事が、突然いきり立って、
「なんだお前? 障害児だからなんだってんだ! おいコラ!」
と、部下の胸ぐらを掴んだ。
「す、すみません」部下が、即座に謝った。
「障害児だからこそだ」
「刑事さん……」アナが、少しホッとした様子。
悪田刑事が、他にも少しだけ話を聞いて、警察が、去った。
「やっぱり、あの悪田刑事さん、信頼できるね」カズが、嬉しそう。
「うん、感じの良い人……でも、捜査には、ちょっと疑問が……」
アナは、腑に落ちない様子。
「気になっちゃう?」写真屋の店主が、アナに尋ねた。
「はい、少し……」
「警察に任せておけば大丈夫。信頼できる人だと思うよ。悪田刑事さん」
「……そうですね」
悪田刑事と部下が、警察署に戻った。
「悪田さん、そろそろ行かなくて大丈夫ですか?」
部下が、声をかけた。
「ああ、すまないな。ちょっと行ってくる」
悪田刑事が、自分の車のキーを持った。
「あの……悪田さん、さっきはすみませんでした。偏見をしてしまって……」
部下が、深々と頭を下げた。
「ああ、それが普通だよ……今はな。変えてみせるさ。世間ってヤツを」
悪田刑事が、車で、とある墓地へ向かった。
娘の命日だった。
カズが、ネットニュースを見て、
「アナの写真を奪ったのは、どうやら、謎の女のようだ」
と、言った。
謎の女が、アナの写真を奪うスクープ映像が、SNSにアップされていた。
近所のアパートの一室。
「今更、本当のことは言えない……」
謎の女が、本当のことを言い出せないでいた。
「あんな写真が出たんじゃ、もう逃げられないよ!」
アナのスクープ写真に写った男が、弱音を吐いた。
「出頭するしかないよ……」謎の女が、男を説得した。
「だよね……」
男が、警察署に出向いて、
「僕が、写っているんですが……?」
と、名乗り出た。
男は、容疑者Bとなった。
容疑者Bは、三十代の無職の男だった。
「お前がやったのか?」悪田刑事が、取り調べをした。
「でも、あの日は、酔っ払って、帰宅していて、何も覚えていないんです」
「服が濡れていただろう」
「服が濡れていた……?」容疑者Bが、必死に思い出そうとした。
「そうだ」
「確か……起きたら、洗濯がしてあったような……」
容疑者Bは、煮え切らない様子だったが、その指紋、手のひらの静脈、足の甲の静脈が、アナのスクープ写真の真犯人のものと一致した。
翌日、アナのスクープ写真が、真犯人を写したものだと大々的に報じられた。
「屋形船のお客さんの写真は、何だったんだろう?」
アナが、写真屋で、カズと一緒にネットニュースを読んでいた。
「誰かが、加工したんだろうか?」
「だって、何人も撮っている人がいるんだよ?」
「う〜ん……〈写ルンです〉にだけ、真犯人が写った……?」
「お父さん、どういうことだろうね?」
カズが、写真屋の店主に聞いた。
「……最近のカメラは、高性能だから、何かの機能で、別人のように映ったのかな?」
「ああ……なるほど〜」
カズが、納得したようなしないような感じだった。
「そんなことじゃいけないんだけどね」写真屋の店主が、戯けて見せた。
「確かに」
「ハッハハハハ」
*
「失礼しちゃうわ。勝手に私たちのことを書いて!」
アナが、お冠。
「でも、悪田の小説のおかげで、アナのフォロワーも増えているみたい」
カズが、悪田のツイートを読みながら、アナに声をかけた。
「本当に?」
「だって、アナの新規フォロワーの多くが、悪田の友達だよ」
アナが、自分のフォロワーの友達を調べて、
「あ、本当だ」
と、つぶやいた。
アナは、随分ほっとしていた。幸い、悪田の評価も高いようだし、アナにも好影響を与えていた。それが、嬉しく、ますます張りが出てきた。
「よ〜し、一丁やってやろうじゃないの!」
アナが、気合を入れた。
「その意気だ」
「ハッハハハハ」
*
アナが、再び、産婦人科医院を訪ねた。
「また、来たんですね」医師が、苦笑い。
「今回は、死産について伺いたいのですが」
「なんなりと」
「早産の場合、二十二週未満だと死産と聞きました」
「その通りです」
「二十二週未満の早産で産まれた赤ちゃんが、呼吸をしていても、殺すんですか?」
「……二十二週未満は、死産ですから」
「そんな……」
その時、産婦人科医院に、急患が、搬送されて来た。
「早坂(はやさか)さんです! 切迫流産の可能性あり!」
看護師が、医師に伝えた。
「すまない、また後で」医師が、急患の対応にあたった。
「ご主人ですか!」アナが、早坂さんの夫に会った。
「はい」
その間、早坂さんは、苦しそうに、
「産まれそう……でも、まだ産まない! 二十二週になるまで、産まれて来ないで!!!」
と、力の限り叫んでいた。
二十二週未満だと、死産になってしまう。
二十二週経過まで、あと三日だった。
早坂さんは、ずっと苦しんでいた。我が子を産まないようにーー。
搬送から二時間後、
「ああ……ああ……」
赤ちゃんは、声にならない声を必死に発した。
呼吸もしていた。
「産まれた!」アナが、思わず声を上げた。
早坂さんは、悔しそうに涙を流していた。
「ダメだ……」
早坂さんの夫が、残念そうにつぶやいた。
二十二週未満だった。
「こんなに健気に呼吸をしているのに、死産だと言うんですか!」
アナが、叫んだ。
しかし、医師と看護師が、懸命に手を尽くした。
赤ちゃんが、保育器の中に入れられた。
「でも、二十二週未満でしたよね……?」
早坂さんの夫が、悲しそうに医師に声をかけた。
「いいえ、産まれたのは、きっかり二十二週の時です」
「え、そうでしたか?」
「僕の時計は、きっかり二十二週を指していました」
「嬉しいんですが……出生日を操作するのは……」
「いえいえ、カルテの最終月経開始日が、間違っていたんです。ちゃんと正しい日に書き換えておきましたから」
つまり、医師は、妊娠した日に少し手を加えていた。
「……ありがとうございます」早坂さんの夫が、頭を下げた。
21:〈生命の力をまざまざと見せつけられた。赤ちゃんは、確かに生きていた。二十二週って、なんだ? 医療技術が進歩して、二十二週未満でも、生きられるのではないか? だったら、法律も変わらなきゃ〉
アナが、保育器の赤ちゃんを覗き込む、早坂夫妻の写真を添付した。
コメント:〈良かった良かった!〉
コメント:〈確かに、二十二週って、おかしいね〉
アナのツイートには、多くのコメントが、寄せられた。
夕方、アナが、カズの家へ行って、報告した。
「アナ、成長したね!」
「日々成長だよ」
「この勢いで、内定、もらっちゃいなよ」
「そうするー」
「ハッハハハハ」
カズの母が、紅茶を持って来て、
「カズも、早産でね」
と、語り出した。
「そうだったの?」カズが、興味津々。
「流石に二十二週じゃなかったけど、不安だったなー」
「良かったですね、こんなに健康な子になって」
アナが、皮肉たっぷりに告げた。
「健康だけが取り柄だからね」カズの母も、楽しそうに言った。
「おい」カズが、突っ込みを入れた。
「ハッハハハハ」
「法律も重要だけど、最終的には、人よ。人の力が、国を動かす」
カズの母が、実感を込めた。
「そうですね」アナも、同じ気持ちだった。
こうして、カズの母も、アナの内定を陰ながら応援していた。みんなアナの味方だった。
*
警察が、スクープ映像を撮った端末の解析を完了した。
「同じ時間帯に、同じところからアクセスされていました」
部下が、驚きを持って報告した。
「ど、どういうことだ?」悪田刑事が、びっくりした。
「AIで、犯人の顔を変えたんだ……指紋や手のひらの静脈も」
「ど、どうやって?」
「エリア内の乗客の端末をハッキングしたんですよ。事件現場の全ての……」
「そんなことできるの?」悪田刑事が、動揺した。
「やったんです」部下が、断言した。
「何てこった……どこからアクセスしたかは、当然判らないよな?」
「それが……町の写真屋です」
「……町の写真屋?」悪田刑事が、拍子抜けした。
警察が、写真屋に急行して、写真屋の店主が、任意同行された。
「お父さん……!」カズが、写真屋の店主の背中を追った。
「さ、乗りなさい」悪田刑事が、写真屋の店主をパトカーに乗せようとした。
「ちょっと待ってください! お父さんが何をしたんですか!」
カズが、悪田刑事に問うた。
「犯人の顔写真に手を加えた疑いです」
「お父さんは、そんなことしません!」
カズは、写真屋の店主が、アナの〈写ルンです〉のスクープ写真を加工したのだと思っていた。だから、確信は持てなかったが、とにかく父を守りたくて、必死だった。
「それを調べるんです」悪田刑事が、冷静に答えた。
「僕は、お父さんを信じている!」
アナが、
「ちょっと待ってください。どうして、現場で、〈写ルンです〉とまではいかなくても、通信機能のないカメラで撮影した人がいなかったのでしょう。おかしくないですか?」
と、叫んだ。
「アナ……?」カズが、アナの方を向いた。
「他にも、犯人の顔写真が、リアル過ぎませんか? こんなに多くのカットをどうやって用意したんでしょう?」
「たまたまです」悪田刑事が、写真屋の店主を連行した。
アナが、パトカーを目で追いながら、カズに、
「悔しいよ……私も信じているから」
と、呟いた。
「ありがとう、アナ」カズが、お礼を述べた。
「……悪田刑事さんのことも、信じている……きっと何かトリックがあるんだわ」
アナは、納得いかなかった。
後日、悪田刑事が、
「よく調べたら、通信機能のないカメラで撮影した人がいましたが、SNSにアップしてないだけでした。また、犯人の顔写真のカットは、CGで作成したようですよ」
と、アナの疑問に真摯に答えた。
「本当にそうなのかしら……?」アナが、訝しんだ。
写真屋の店主が、捕まった。
実際、犯行前から事件の起きた時間まで、事件現場の全ての端末をハッキングして、AIでスクープ映像の犯人の顔を変えた。全て一人で行ったということだった。
「なぜ、こんな犯行を?」悪田刑事が、取り調べをした。
「滅び行く写真屋の可能性を見せつけたかった……実践するのは、今しかないと思って」
写真屋の店主は、あの事件の日、スマホから、写真屋のサーバーを操作していた。サーバーに全てのシステムが用意されてあったのだ。
「流石に、足の甲の静脈までは、頭が回らなかったようだな」
悪田刑事が、鬼の首をとったようにドヤ顔をした。
「捕まらないと意味がないんでね」
写真屋の店主は、あえて逮捕されたのだ。
「な、なにっ……!」
「写真はね、あそこまで拡大しても、足の甲の静脈を認証できるんです。それだけのポテンシャルがあるってことです。写真を舐めないでください」
「だったら、言わせてもらうよ……お前を逮捕した警察上層部を舐めんなよ!」
悪田刑事が、再びのドヤ顔。
「ハッハハハハ」部下が、高笑いした。
警察上層部は、最後まで、真犯人の存在を示唆していた。
「なぜ、容疑者Aを選んだか、分かります?」
写真屋の店主が、ゆっくりと口を開いた。
「……分からんが?」悪田刑事が、キョトンとした。
「冤罪になっちゃ困るからね。絶対に捕まらない男を選んだんです」
「絶対に捕まらない男……?」
「警察幹部の甥っ子だよ!」
「え?」悪田刑事が、びっくりした。
警察上層部は、真犯人の目星なんてついていなかったのだ。ただ、警察幹部の甥っ子を無罪にしたい一心だった。
しばらくして、アナとカズが、写真屋の店主に面会した。
写真屋の店主が、
「……ごめんね、アナちゃん。よく写真展に出展してくれたね。写真界のこれからの発展のために寄与してくれてありがとう。このお礼は、必ず」
と、約束した。
一方、容疑者Bの捜査も進んだ。
容疑者Bは、謎の女と一緒に屋形船に乗り込んで、泥酔。自分で吐いた酒を入れた容器を持って、暴れてこぼして、タバコに火をつけようとしたら、転んで、ジッポライターを川に投入。それを拾おうと、川に飛び込み、記憶をなくして、そのまま帰宅。アナのスクープ写真が出るまで、事件の犯人が自分だとは気づかなかった。のちに、落ちたジッポライターが発見されて、証拠の一つになった。
悪田刑事が、謎の女に、
「どうして、容疑者Aが、犯人だと断言したんだ?」
と、問い詰めた。
「あいつ、元彼なんです……ボロ雑巾のように捨てられて……私のこと、全く覚えてもいなかったんですよ!」
「それで、怒って、犯人だと証言を?」
「……はい」謎の女が、白状した。
「容疑者Bとお付き合いされているんですか?」
「赤の他人です!」謎の女が、最後、裏切った。
「え、えぇ……」容疑者Bが、逮捕された。
結局、アナが撮影した写真が、逮捕の決め手となった。
「アナの〈写ルンです〉大金星だったな」カズが、アナを激励した。
「事件が起きた時、刺身を食べていたから、デジカメのスイッチを入れるより早く撮れるかなって思ってね。お祖父ちゃんに感謝だわ」
「どうして、お祖父ちゃん?」カズが、不思議そうに聞いた。
「〈写ルンです〉は、お祖父ちゃんに買ってもらったの。私の初めてのカメラ。以来、フィルムも電池も、交換して使っている」
当然、写真屋の店主は、それを知っていた。
「アナちゃん、〈写ルンです〉で、犯人を撮っておきなさい」
そう言えば、あの時、写真屋の店主は、アナにそう告げていた。
写真屋の店主と容疑者Bは、執行猶予付きの有罪が確定。
アナは、その判決の瞬間、あの赤い石を握りしめていた。
「どうして、〈写ルンです〉で、犯人を撮るように言ったんですか?」
アナが、写真屋の店主に尋ねた。
「お祖父さんのご加護があるから」写真屋の店主が、優しく答えた。
「お祖父ちゃんには、感謝しています」
「アナちゃんの写真、優しかったね。犯人を写したのに」
「悪意が感じられなかったから」アナが、自信を持って答えた。
「本当に良い写真だった」
しばらくして、アナの写真が、驚くなかれ、かのピュリッツァー賞をとった!
「私の写真が、ピュリッツァー賞って、おかしくない?」
アナが、信じられないといった様子。
確かに、あり得ない状況だった。
カズが、誇らしげに、
「一般人のスクープ写真の部門が、新設されたんだって。事件解決に寄与したってね。普通の人の写真が、それだけ社会的影響力を持ったってこと。堂々としてなよ」
と、写真屋の店主の言葉を伝えた。
一説には、ピュリッツァー賞の理事会のメンバーが、先の事件をリスペクトしていたと聞く。写真には、素晴らしいポテンシャルがある。写真を舐めてはいけないのだ。
やがて、〈写ルンです〉が、よく売れるようになった。一般人だけでなく、プロも多く購入した。写真屋の店主と、新婚のカズとアナは、その現像で忙しくなった。
*
カズ:〈勝手に人の父親を犯人にするな〉
カズが、悪田に正式に抗議のメッセージを送った。
悪田からの返答は、なかった。
21:〈悪田は、一体全体何がしたいのか〉
悪田のツイートは、終始、その意図が伝わって来なかった。アナは、心配を通り越して、呆れていた。でも、一緒に働くことを諦めていなかった。そこまで、アナは優しく強情だった。
*
年末、ソーシャル・デバッガー社の「今年のツイート」が、発表された。一年間の社員とインターンのツイートの中で、一番良いものが選ばれた。
「ほ、本当に?」
受賞したのは、なんとインターンのアナだった。
早産の早坂さんのツイートが選ばれた。
「素晴らしいツイートだった。よくやったね、アナ」
社長からの言葉と記念品が、贈られた。
「これからも精進します」アナが、嬉しそうに記念品を受け取った。
ソーシャル・デバッガー社のオフィスで、ささやかなパーティが開かれた。
「おめでとう」悪田が、素直にアナを祝福した。
「悪田は、小説ばかりツイートしているからよ」
アナは、懸案を直接伝えた。
「そうなんだけどな」
「でも、あの小説、面白かったけどね」
アナが、お世辞を述べた。
「ありがとう。まだ終わりじゃないんだけどな」
「あら、そうなの? 続きを読みたいわ」
「またツイートするよ」
「期待している」
アナは、受賞も嬉しかったが、悪田の心配の方が大きかった。このままでは、悪田は、内定がとれないだろう。それでは、二人で内定をとる約束が果たされない。アナは、そういう律儀なところがあった。本当に一途で、気配りのできる子だった。
早坂さんが、赤ちゃんを連れて、パーティに顔を出した。
「早坂さ〜ん」
アナが、嬉しそうに早坂さんの元へ駆け寄った。
「おめでと〜う」早坂さんが、アナを激励した。
「早坂さんのおかげですー!」
「あのツイート、一生の宝物にするわ」
「嬉しいな」
「社会を変えてね」
「はい」
21:〈「今年のツイート」に選ばれました!〉
アナが、希山さんにメッセージを送った。
希山さん:〈お祖父ちゃんに、口添えとかしてないからね〉
21:〈ん? どういうことですか?〉
希山さん:〈私、ソーシャル・デバッガーの社長の孫なんだ〉
希山さんは、実は、社長の孫。
21:〈ほ、本当ですか?〉
希山さん:〈うん〉
21:〈なんたる偶然……〉
希山さん:〈案外、偶然でもないのかもね。人生って、そういうものだから〉
21:〈そうかも知れませんね〉
アナが、帰宅して、カズにメッセージを送った。
21:〈会社の「今年のツイート」ってのに選ばれた〉
カズ:〈すごいじゃないか、アナ〉
カズが、素直に喜んだ。
アナは、インターンになって、ツイートをするごとに、確実に成長していた。カズは、それが何より嬉しかった。この頃のアナは、偏見にただ憤るだけでなく、それに対処して、社会を変える術を身につけたようだった。とても生き生きして、充実した日々だった。
*
ソーシャル・デバッガー社の最終面接の時期になった。
社員:〈一ヶ月後、最終面接を行います。ツイートを一通送信してください。内容自由。個性を出して!〉
社員が、インターンの学生に連絡をした。
21:〈明日は、ソーシャル・デバッガー社の最終面接だ〉
コメント:〈頑張ってな〉
コメント:〈落ち着いて〉
コメント:〈アナなら大丈夫〉
アナのツイートには、多くのコメントが寄せられた。多くは、障害児者からだったが、健常児者からも少なくなかった。
21:〈社会を少しでも変えることができたんだろうか〉
コメント:〈変えた変えた〉
コメント:〈一八〇度変わったよ。真逆だよ〉
21:〈ありがとう。恩に着る〉
アナは、今までの人生を振り返っていた。思えば、辛いことばかりだったようにも思う。でも、こうして、やってこられたのは、この瞬間を感じるためだった。そう思うと、涙が溢れて止まらなかった。
21:〈ありがとう〉
アナが、またつぶやいた。
「いよいよ最終面接だ」アナが、興奮していた。
アナが、随分悩んで、ソーシャル・デバッガー社へツイートを送った。
「さて、行ってくるか」
アナが、最終面接に挑んだ。
「ソーシャル・デバッガー社の入社動機は?」
社長が、アナに質問した。
「障害児として生きて来て、多くの社会の誤りに直面して来ました。それを訂正したい。その一心です」
「インターン応募時の小論文……『白痴』の正誤表ですか……色々な意見がありますね」
「あの小説が、許せないんです!」
アナが、意気揚々と語った。
アナが、最終面接を終えて、カズに会いに行った。
「今年のツイートにも選ばれたし、多分採用されると思うわ」
「アナにしては、珍しく強気だな」
「生き甲斐を見つけたの」
アナは、順風満帆という感じだった。
*
後日、ソーシャル・デバッガー社から通知が来た。
「さて、命運やいかに……」
アナが、通知を開けた。
通知:不採用
アナの通知には、特別に小論文の選評が、添付されていた。
選評:〈全体を通して、時代のことが分かっていない印象を受けました〉
「やっぱり、障害者だからだ……」アナが、塞ぎ込んだ。
これまでも、障害児者として、社会の辛酸を舐めて来た。今回も、障害者だから、不採用なんだと。
社長から、直々に電話があった。
アナが、いきなり、
「出る杭は打たれる、ですね。社会のしきたりに従う処世術を身につけるのが人生なら、そんな人生に興味はありません。誤りは、間違っていると言い、訂正する。それが、私の生き方です」
と、まくし立てた。
「もっと読み込みなさい。判断するのは、それからでも遅くない」
社長は、アナを諌めるように、一言だけ言った。
カズが、連絡を受けて、アナの家に行った。
「アナ、すまない。変なことを吹き込んでしまった」
カズが、小論文のアドバイスを詫びた。
「カズのせいじゃない。不採用だったけど、良かったと思っている」
アナは、潮らしかった。それと同時に、カズに心配をかけさせまいと必死だった。どこまでも優しく気配りのできる子だった。
21:〈ソーシャル・デバッガー社、不採用でしたー〉
アナが、気を紛らわすように明るくツイートした。
コメント:〈残念だったね。元気出して!〉
コメント:〈こんなことに負けるな〉
コメント:〈でも、色々身についたと思うよ。アナのツイート、すごく進歩しているもん〉
アナが、ツイートへのコメントに勇気づけられた。
21:〈今度、般若心経と聖書の正誤表を作るわ〉
カズ:〈悟りを開くんだね〉
21:〈ほっとけ!〉
カズ:〈ハッハハハハ〉
障害児者は、辛いことがあっても、意外とすぐに克服する。それは、辛いことがありすぎるということもあるのだが、何より、どんな時でも力になってくれる味方がいるから。それが分かっているので、いつも明るく振る舞えるのだ。
アナが、最終面接時に送信したツイートは、こうだった。
21:〈私は、白痴だ。その全てを受け入れて、ソーシャル・デバッガーに昇華する。〉
*
ソーシャル・デバッガー社の内定式が、催された。
「おめでとう、悪田くん」
社長が、悪田と握手を交わした。
ソーシャル・デバッガーに内定したのは、悪田一人だった。
「アナを雇ってあげてください」
悪田が、社長に申し出た。
「……それはできない」
「僕を不採用にして、代わりに……」
「アナちゃんのために働いてください」
社長が、悪田を諌めた。
「……はい。アナに会わせる顔がないな」
悪田が、悩んだ。
A:〈カズ、俺は、どうすれば良い?〉
悪田が、カズにメッセージを送信した。
カズ:〈公園で会おう〉
カズが、悪田と公園で会った。
「アナは大丈夫。ああ見えて、結構タフなんだ」
カズが、悪田に伝えた。アナをずっと近くで見つめてきたカズならではの言葉だった。カズは、実際、アナのことをよく理解していた。だから分かった。アナが、どんなに傷ついていたのかも。
「それでも……」
「もうすぐ、アナが来るから。直接話なよ」
「え、心の準備が……」
アナが、公園へ来た。
「悪田、自分のことだけ考えろ」アナは、さばさばしていた。
「そうか……すまない」
「謝るなよ!」
「ハッハハハハ」
それから、小一時間、アナが、悪田を鼓舞した。
「それじゃ、アナの分も、頑張るよ」悪田が、帰って行った。
「カズ、相変わらず事情通だな」
「実は……社長夫人から、お母さんに、『カズくんに、アナちゃんのフォローをお願いして良い?』って、連絡が来たんだ」
「そういうことか」
「ハッハハハハ」
その社長夫人は、社長からお願いされていたことをカズは知らなかった。
「就職先、どうしようかな?」アナが、放心状態だった。
「そうだね……」
アナとカズが、公園のブランコに座りながら、昔のツイートを読み返した。
「あー、あったね、このツイート」
アナが、懐かしそうにツイートを読んだ。
アナとカズは、支援学校の中等部に入学した時に、スマホを買ってもらって、同時にツイッターを始めていた。
「そして、支援学校卒業か」カズも、感慨深げ。
「インターンのツイートも、いい思い出になった……カズのリツイートとコメントには、随分癒された。カズの写真にもね」
「アナの写真には負けるよ」
アナのツイートには、いつもアナの撮った写真が添付されていた。そのどれもが、素晴らしかった。
「またまた〜」
「いや、本当に」
「ハッハハハハ」
「……」
アナとカズが、しばし、黙って、ツイートを眺めていた。
「アナ、結婚して、一緒に写真屋を切り盛りしてくれないか?」
カズが、思い切って、アナに告った。
「卒業してから、考える。とりあえず、就職浪人するわ」
アナが、ツイートから目を離さないで答えた。少し照れ臭かったのだ。
*
アナとカズが、支援学校の卒業式に臨んだ。
21:〈卒業式、終わりましたー。無事卒業しました。皆様、色々お世話になりました。ありがとう!〉
アナが、ツイートで卒業の報告をした。
早坂さんからのコメント:〈赤ちゃんは、順調に成長しています。お医者さんから聞いたわ。アナちゃんが、「妊娠した日が違うんじゃ」って、指摘してくれたそうね。ありがとう〉
21:〈いえいえ、誤りを訂正しただけです。お力になれたのならば、光栄です。子育て、頑張ってください!〉
希山さんからのコメント:〈赤ちゃん、お空に行っちゃった……でもね、確かにお腹の中で、命の輝き?、みたいなものを感じたの。アナちゃん、これからも、ツイート続けてね。アナちゃんの成長を、我が子のように楽しみにしています〉
希山さんは、産婦人科医院に入院していた。
「希山さん……!」
アナが、支援学校を飛び出して、産婦人科医院へ走った。
「アナ!」カズが、ついて行った。
「希山さん!」
アナは、ボロボロ涙を流していた。支援学校に入ってからは、どんなに偏見を受けても、内定がもらえなくても、泣かなかったアナが、希山さんのために、心の底から慟哭した。
「あら、アナちゃん。来てくれたんだ」
希山さんが、アナを落ち着かせようと、平静を装った。
コメント:〈希山さん、元気出してくださいな〉
アナのフォロワーから、多くのコメントが寄せられた。
「ありがとう、みんな」希山さんが、喜びの涙を流した。
その時、アナの元に、社長からのメッセージが、届いた。
社長:〈本当の不採用の理由を申し上げます。爪弾きにするためです。不遇にも、社会から爪弾きに遭っている人々を救ってください。君ならできると判断した次第です。アナさん、君を必要としている人がいます。少なくとも、僕らソーシャル・デバッガーの社員一同、心から必要としています〉
社長は、不器用な人だった。しかし、アナのためにこのメッセージを送った。アナの潜在能力の全てを引き出すために。
21:〈希山さんのこと、残念でした……〉
社長:〈何が?〉
21:〈何がって……〉
社長:〈妊娠したこと自体が、嬉しかったようですよ。それに、ダウン症でも、産むと決めた。その決心を、お空の子供に伝えられた、と〉
21:〈そうですか……〉
社長:〈アナさんのおかげです〉
21:〈いえ、本当に色々ありがとうございました!〉
「社長って、良い人だね」アナが、カズにしみじみと告げた。
「あら、また社長からだ」
すぐに、社長から、リツイートが届いた。アナが、希山さんが産むと決めた時のツイートのリツイートだった。
社長:〈こんな表情を引き出してくれたんだから〉
「社長……!」
アナの目から、涙が噴き出した。
A:〈アナ、写真の道に進め〉
アナとカズが、産婦人科医院を後にした。
「悪田が、小学校の遠足の時の写真を社長に見せたんだ」
カズが、アナに告げた。
「あの佳作の?」
「ああ。『もうアナを泣かせたくない』って」
「……意味分かんない」
「社長は、アナの写真の才を見抜いたらしい。なんでも、泣きながらシャッターを切るアナの目に真実が写っていたと」
「ふ〜ん」
「……」
「本当の話?」アナが、訝しんだ。
「さあね」カズが、飄々と答えた。
「ハッハハハハ」
「どうして、悪田のあんなツイートで、内定がもらえたのかしら? ただの連載小説じゃない? そんなに小論文が良かったのかな?」
「悪田の連載小説には、続きがあったんだ。それが、悪田の小論文さ」
*
小論文:コングループの美学
ーーネットの世界で、複数のユーザーが集まって、詐欺事件を起こす組織のことだよ。つまり、ネットでコンゲームをするんだ。
悪田刑事が、以前言っていた。
このコングループは、実在する。
コングループの秘密のやりとりを覗くと……。
コメント:〈アナにピュリッツァー賞をとらせたいんだが〉
コメント:〈大きく出たな!〉
コメント:〈ハッハハハハ〉
実は、写真屋の店主は、コングループの一員だった。
「コングループが、動き出しました」警察が、水面下でコングループの捜査を開始した。
「写真屋の店主を徹底的にマークしろ」警察幹部の鼻息が荒かった。
警察は、スクープ写真の事件の裏で、コングループの捜査を展開していた。コングループの全容解明が目的だった。
コメント:〈アナちゃん、すっかり馴染みですね。写真屋さんが、あれだけ語っていたから〉
コメント:〈まだまだ、アナの魅力は、語り尽くせない〉
コメント:〈ハッハハハハ〉
コメント:〈どうして、そこまで、アナにこだわるの?〉
コメント:〈アナの祖父は、僕の師匠で、昔、「アナを頼む」って、仰っていたんだ〉
コメント:〈そっか〉
コメント:〈アナの祖父も、コングループの一員だよ〉
コメント:〈実現しようじゃないの!〉
コメント:〈アナの写真の腕前は?〉
コメント:〈写真屋の僕より上手い〉
コメント:〈ハッハハハハ〉
コメント:〈お祖父さん譲りの優しい写真を撮る〉
コメント:〈ピュリッツァー賞の何部門を狙うの?〉
コメント:〈プロ相手じゃ辛いから、一般人のスクープ写真部門の新設を提案しようと思っている〉
コメント:〈作っておくよ。受賞してくれよ〜〉
コメント:〈流石、理事会メンバー。恩に着ます〉
ピュリッツァー賞の理事会のメンバーも、コングループの一員。
コメント:〈ピュリッツァー賞をとるなら、写真のポテンシャルを見せつけないといけないだろうね〉
コメント:〈理事会メンバーのアドバイスは、的確ですね〉
コメント:〈いえいえ、それほどでも〉
コメント:〈事件を起こしますか?〉
コメント:〈またですか?〉
コメント:〈舞台は、屋形船でどうだろう?〉
コメント:〈俺、実行犯役、やりますよ〉
容疑者Bが、名乗り出た。
コメント:〈捕まるなよ〉
コメント:〈屋形船で、自分で吐いたアルコールまいて、タバコに火をつけようとして、泳いで逃げます〉
コメント:〈じゃ、私、彼女役やりま〜す!〉
謎の女も、一芝居打っていた。
コメント:〈あ、でも、屋形船、汚しちゃうな〉
コメント:〈良いですよ〜、慣れっこなんで〉
屋形船の社長も、快諾してくれた。
コメント:〈助かります〉
コメント:〈ただ、このご時世、少し不謹慎では?〉
コメント:〈時代を変える時には、こういうことも必要なのでは?〉
コメント:〈正直、正しいかどうか分からない。けど、賭けてみるしかないさ〉
コメント:〈そだね〉
コングループのメンバーだって、この方法がベストかどうかなんて分からない。もっと良い方法があるのかも知れない。でも、今は、それが正しいと信じて、前に進むしかないのだ。そうしなければ、世間はいつまで経っても変わらない。
コメント:〈アナのスクープ写真が、事件の真相を暴くためには……〉
コメント:〈居合わせたお客さんのスクープ写真が、全部別人の顔だったりして〉
コメント:〈面白い!〉
コメント:〈できる?〉
コメント:〈写真屋、舐めんな〉
コメント:〈ハッハハハハ〉
コメント:〈一応、指紋や手のひらの静脈も、AIで変えとく〉
コメント:〈何か、落ち度を作っておかないと〉
コメント:〈足の甲の静脈は?〉
コメント:〈うん、それで行こう〉
コメント:〈実行犯役、裸足でお願いします〉
コメント:〈了解〉
コメント:〈さて、どうやって、アナだけ本当の犯人を撮影するか……〉
コメント:〈お祖父さんに感謝です〉
コメント:〈どうした、写真屋?〉
コメント:〈アナは、お祖父さんに買ってもらった「写ルンです」を持ち歩いているんです。それで、撮影させますね〉
コメント:〈お祖父さんのご加護だね〉
コメント:〈まだご存命だから〉
コメント:〈あ、ごめんなさい〉
コメント:〈「写ルンです」というのも、少しベタだが〉
コメント:〈あら、良い話だと思いますよ。お祖父ちゃんも、喜ぶでしょう〉
コメント:〈アナのスクープ写真は、どうやってお披露目しようか?〉
コメント:〈写真展、開きますよ〉
市の写真展を開いたのも、コングループの一員。
コメント:〈よろしくお願いします〉
コメント:〈実行犯役が、冤罪で捕まらないようにしないと〉
コメント:〈みんなのスクープ写真の顔を警察幹部の甥っ子にしちゃいますか〉
コメント:〈それで行こう!〉
コメント:〈顔写真、送ります。3Dで〉
コメント:〈すまないね〉
コメント:〈指紋と手のひらの静脈も〉
警察幹部の甥っ子が、自分の写真を写真屋の店主に送った。つまり、容疑者Aである甥っ子も、コングループの一員。
コメント:〈屋形船のお客さん希望!〉
コメント:〈私も、やりた〜い〉
コメント:〈ありがとう!〉
屋形船のお客さんも、全て、仕込みだった。だから、アナの他に誰も、〈写ルンです〉や通信機能のないカメラを使わなかった。
コメント:〈屋形船のお客さんの写真、予め、仕込んでおけば?〉
コメント:〈リアリティがないし、写真屋に活躍させたいから。写真のポテンシャルを見せつけるために〉
コメント:〈あ、そういうことか〉
こうして、あのアナのスクープ写真が、誕生した。
コメント:〈写真屋に、ピュリッツァー賞をとらせたいだなんて、言われた時は、びっくりしたけどな。何とかなるもんだね。それにしても、アナちゃん、鋭かった〜〉
悪田刑事が、笑った。彼もまた、コングループの一員。ダメ刑事のふりをして、実は、切れ者なのだ。もちろん、容疑者Aが、警察幹部の甥っ子だと知っていた。全ては、警察の捜査力を調べるためだった。それと、コングループに関して、どのくらい知っているかを。
コメント:〈今回は、悪田くんに負けたよ〉
コメント:〈いや、そうでもないですよ〉
コメント:〈捕まえようと思えば、捕まえられるんだけどね〉
警察幹部も、結局、コングループの一員。そのため、警察のコングループの捜査は、一向に進展しなかった。
こうして、アナは、無事、ピュリッツァー賞をとった。受賞したのが、障害児者であることが、センセーショナルに報じられた。全ての障害児者に夢を与えてくれたと。
アナが、ピュリッツァー賞の授賞式で、「サンキュー」と、スピーチして、にっこりと微笑んだ。
カズが、それを見て、嬉し涙を流した。
アナが、授賞式を終えて、帰国して、真っ先に病院へ行った。
アナが、アナの祖父の病床で、
「お祖父ちゃん、ピュリッツァー賞をとったよ」
と、受賞の報告をした。
「……」アナの祖父は、何も答えなかったが、その目から涙が流れた。
「お祖父ちゃん……聞こえているのね?」
「……」
「お祖父ちゃんのおかげだよ」アナが、そっとアナの祖父の涙を拭った。アナも泣いていた。悲しいからではない、最愛の祖父に報いることができたからだ。
我々は人を騙す
目的は障害児者の幸せ
誰も牢屋には入らない
それがコングループの美学
とある墓地。
悪田刑事が、墓前に花を供えて、合掌。妻と娘の墓だ。悪田刑事の娘は、難病を患っていて、三歳でこの世を去った。悪田刑事の妻は、その娘を産んですぐに亡くなっていた。
「お母さんは、海外で働いているんだよ」
ずっとそう言い聞かせていた。
娘の最期。
「お母さんが、来てくれたよ」
病床に母が、駆けつけた。
婦人警官に頼んだ。
悪田刑事は、最期、娘を騙した。
娘は、笑顔で逝った。
婦人警官は、悪田刑事の娘に抱きついて泣いてくれた。
その話が徐々にネットで広まり、コングループが誕生した。コングループのメンバーは、みんな家族に障害児者がいる。
アナが、警察署の悪田刑事にあの赤い石を差し出して、
「障害児者を幸せにしてあげてください。結構夢叶うんですよ……皆さんのおかげでしょ?」
と、言った。
アナは、全てを見抜いていたのだ。
「苦しい言い逃れだったかな?」悪田刑事は、捜査段階の不手際を恥じた。
「皆さんの優しさだと理解しています」
アナには、伝わるものがあったようだ。
「幸せな時は、あれこれ考えずに喜べば良いんだよ。ピュリッツァー賞、おめでとう! 万歳! 万歳!」
悪田刑事が、両手を振り上げて、連呼した。
「……はい」アナが、涙を流して、一緒に両手を振り上げた。
二人は、幸せを享受した。
*
「悪田って、お母さんいなかったっけ?」アナが、カズに聞いた。
「確か、そんなこと聞いたような……?」
「お姉ちゃんか妹いる? 前も、娘の命日が何とか」
「知らないな……ま、フィクションだと思うよ」
「ふ〜ん。あれ、待って。悪田は、この小論文を連載小説の前に書いていたってこと?」
「ソーシャル・デバッガー社の社員は、結末を先に知って、連載小説を読んでいたんだ」
「へぇ〜」
「悪田は、この小論文のために、ひたすら小説をツイートしていたんだ。悪田は、悪田なりに、現代の『白痴』を書きたかったのかも知れない。悪田の最終面接の時に送信したツイートは、こうだよ」
A:〈コングループを作ります〉
そして、悪田は、最終面接で、これを実現させると約束したそうだ。つまり、アナにピュリッツァー賞をとらせると。今の障害を取り巻く環境は、社会の誤りだから、それを訂正するんだってね」
「もはや小論文じゃないね」
アナが、嬉しそうに突っ込みを入れた。
「ハッハハハハ」
「悪田も、必死だったらしい」
「これが、内定者の小論文ってことね。コングループを作って、ピュリッツァー賞……ソーシャル・デバッガーに入るためには、そこまでしないとダメか」
「ソーシャル・デバッガーに入るためじゃない。アナのためだ。社訓にもあるだろう。『人の心を忘れるな』って」
悪田は、アナとカズに偏見をしていたことを心から悔いていた。アナに優しくされればされるほど、その思いは強くなっていった。だから、どうしてもソーシャル・デバッガー社に入って、障害を取り巻く環境を訂正したかった。結果的には、その思いが、アナの思いを超えていた、と思われた。
「……屋形船にでも乗ってみようか?」アナが、提案した。
「良いよ」
後日、アナとカズが、夕方の屋形船に乗り込んだ。
「本当に事件が起きたりして」カズが、少し嬉しそう。
「不謹慎なこと言わないの」
「アナ、その〈写ルンです〉、何?」
「うっさいな。もしものためだよ」
「実は、ピュリッツァー賞狙ってるんじゃ?」
「まさか! さ、食べるよ」
「そうだね」
アナとカズは、屋形船で食事をしながら、写真を撮って、ツイートに添付した。
21:〈写真に写るものに誤りはない。全てが真実だ。写真のそういうところが好き〉
カズ:〈アナ、それが、真実だよ……真実を写して、社会の誤りを訂正するんだ〉
21:〈ツイートも捨て難いな〉
カズ:〈ツイートに添付すれば良い〉
21:〈……考えとく〉
アナの中で、何かが変わった。これまで、努力して努力して来たツイートと写真が、線でつながった感じ。開眼したと言っても良いほどだった。実際、目を見開いて、自分の撮った写真とツイートを見た。その目は、将来への希望で、輝きを放っていた。まるで、ソーシャル・デバッガーとしての本能が、昇華するかの如く。
*
四月、悪田が、ソーシャル・デバッガー社に入社して、アナの使用していたパソコンを使うことになった。
「あれ……?」
悪田が、パソコンの中に、アナのツイートの下書きが、保存されていることに気づいた。
下書き:〈入社したら、紹介したい本がある〉
そして、下書きとともに、テキストファイルが保存されてあって、その中には、『白痴』の中の好きな文が打ち込んであった。
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日本二千年の歴史を覆すこの戦争と敗北が果して人間の真実に何の関係があったであろうか。
伊沢の前に白痴の意志や感受性や、ともかく人間以外のものが強要されているだけだった。
白痴の女よりもあのアパートの淫売婦が、そしてどこかの貴婦人がより人間的だという何か本質的な掟が在るのだろうか。けれどもまるでその掟が厳として存在している馬鹿馬鹿しい有様なのであった。
押入の戸をはねとばして(実際それは外れて飛んでバタバタと倒れた)白痴の女を抱くように蒲団をかぶって走りでた。それから一分間ぐらいのことが全然夢中で分らなかった。
伊沢は思った。俺の運をためすのだ。運。まさに、もう残されたのは、一つの運、それを選ぶ決断があるだけだった。十字路に溝があった。伊沢は溝に蒲団をひたした。
その頷きは稚拙であったが、伊沢は感動のために狂いそうになるのであった。ああ、長い長い幾たびかの恐怖の時間、夜昼の爆撃の下に於て、女が表した始めての意志であり、ただ一度の答えであった。そのいじらしさに伊沢は逆上しそうであった。今こそ人間を抱きしめており、その抱きしめている人間に、無限の誇りをもつのであった。
ところが此処は小川の両側の工場が猛火を吹きあげて燃え狂っており、進むことも退くことも立止ることも出来なくなったが、ふと見ると小川に梯子はしごがかけられているので、蒲団をかぶせて女を下し、伊沢は一気に飛び降りた。
女は時々自発的に身体を水に浸している。犬ですらそうせざるを得ぬ状況だったが、一人の新たな可愛い女が生れでた新鮮さに伊沢は目をみひらいて水を浴びる女の姿態をむさぼり見た。
そこまで行って煖をとりたいと思ったが、女が目を覚すと困るので、伊沢は身動きができなかった。女の目を覚すのがなぜか堪えられぬ思いがしていた。
小説もツイートも同じだが、どんなに科学技術が進歩しても、それを操るのは人。その力量が問われるのだ。『白痴』には、その点、思い知らされた。こんな文章をツイートしたい。全ての思いを百四十文字に込めて。
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「ツイート用に、用意しておいたんだね……アナにも、『白痴』で表現された美しさはあると思うよ」
悪田が、つぶやいた。
悪田が、社長の元へ行って、
「アナは、分かっていたんです。『白痴』の素晴らしさを!」
と、報告した。
「……」
社長が、アナに、一通の手紙を送った。
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アナさんへ
この作品のタイトルを、戦争のことではなく、『白痴』にしてくれたのは、それだけ『障害』のことを重要視している証拠。『白』は汚れのないことを示しています。また、『痴』は、『やまいだれ』に『知』、つまり、『知的障害』という言葉ではないでしょうか。『痴』に尊厳の『白』い冠を載せているんです。
また、『正誤表』に関して、細かくは指摘しませんが、一つだけ。最後の『豚』として、逃げ道を作った、という指摘。その通りだと思います。ただし、この時代、障害を語るのに、そうした立場でないと、耳を傾けてもらうのは至難の業だったと推測します。障害に対する思いは、今のアナさんと驚くほど似ている。差別に憤っていたと思います。こうした小説のおかげで、今の障害児者の自尊がある。この時代の人々の心を動かすことのできた、最高傑作だと思います。
最後に、これだけは……悪田くんは、アナさんに写真の素晴らしさと社会の人々の障害への理解を伝えたかったようですよ。
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社長は、慎重に言葉を選んだ。
そして、アナに伝えなかった事実があった。
アナの小論文ーー『白痴』の正誤表ーーの評価は、百点満点だったのだ。
社長は、社員に言ったという。
「出る杭は打たない。伸ばすんだ」
それが、アナのツイートに添付されていた写真の評価だった。
アナが、インターンに応募した時点で、ほぼ決まっていた。
アナを、写真の道に進ませたい、と。
*
アナが、社長に手紙の返事を書いた。
社長へ
お手紙、ありがとうございます。私、浅はかでしたね。『白痴』のこと、全く理解していませんでした。もっと読み込んでみます。そして、社会から爪弾きに遭っている人々を救って見せます。
しかし、アナは、これを送付しなかった。
「何か、社長の言葉って、的を射ていないというか……裏があるような……?」
21:〈会社はどうよ?〉
アナが、メッセージを送信した。
A:〈久しぶりだな。ネタがなくて困っている〉
21:〈楽しい?〉
A:〈正直、苦しい。でも楽しい。アナの分も、気張って見せるさ〉
21:〈写真、本格的にやってみようと思っている〉
A:〈良いじゃん〉
21:〈ありがとうね、悪田〉
A:〈俺なんて……偏見のこと、すまなかった〉
21:〈良いよ。随分鍛えられたから〉
A:〈すまない〉
21:〈じゃ、頑張って!〉
A:〈ああ、ありがとう〉
偏見は、障害児者を強くする。それは、アナが身をもって体感した、紛れもない事実だった。偏見をしていた悪田もまた、成長した。だから、感謝し合った。
*
アナが、カズの父の写真屋で、働くことになった。
アナとカズが、街中へ写真撮影に向かった。
「なにが誤っているのか。それを見極めるのは、難しい。例えそれが、障害の当事者であってもね」
アナが、しみじみと語った。
「アナ、成長したね」
「なんてね」
「ハッハハハハ」
「……アナ?」カズが、アナを見て、少し驚いた。
アナが、涙を流していた。
「社会の誤りは、訂正されたのかしら?」
アナは、気を張っていたが、ここへ来て、涙腺が崩壊した。
「アナは、十分やったよ」カズが、アナを誇らしそうに見た。
「ありがとう」
21:〈障害って、どう考えても、落ち度だと思っていた。でも、よく言われることだけど、それは、個性以外の何ものでもない。健常児者には、手に入れられない個性だ。誇れ、障害児者よ。どんどんアピールして行こう。私も、その先頭に立つ。後について来て、何なら、抜いて行ってくれ。それが、私の誇りになる〉
涙を拭って、覚悟を決めたアナの自撮り写真が、添付されていた。
数年後、アナとカズが、結婚した。
「カズ、今どんな気分?」
「競馬で優勝した気分。じゃじゃ馬を乗りこなしたんだ!」
「馬鹿」
アナは、夜、読書を終えて、床に就いた。枕元には、小学校の時の佳作の写真が、飾ってあった。その傍には、毎日読んでいる愛読書『白痴』ーー。
「もっと読み込みなさい。判断するのは、それからでも遅くない」
社長の言葉が、夢の入り口に聞こえる。
そんな時、あの小論文の選評が、脳裏によぎった。
選評:〈全体を通して、時代のことが分かっていない印象を受けました〉
時代のことが分かっていないーーアナは、初め、『白痴』の時代の認識が甘いと言われていると思っていた。しかし、それは、アナの先見性が問われていたのだ。ツイートではない。写真で勝負しろ、と。百聞は一見にしかず。写真にはそれだけの力がある。社長は、それを伝えたかったのだ。『白痴』の文章だけじゃない。選評も、読み込んでみて、気づくことがあった。アナは、現在、社長からの手紙を熟慮している。
支援学校卒業から十年後、アナが、ピュリッツァー賞をとった。
アナが、ピュリッツァー賞の授賞式で、「サンキュー」と、スピーチして、にっこりと微笑んだ。
カズが、それを見て、嬉し涙を流した。
アナのフォロワーは、全世界で百万人を突破。
アナは、フォロワーに感謝を込めて、ツイートした。
21:〈電車も汽車も動き出した。空は晴れて、俺と俺の隣に並んだ豚の背中に太陽の光がそそいだ。ぽかぽかと暖かくなった。〉
アナとカズが、赤ちゃんを抱いている写真が添付されていた。
了
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