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農家食堂オール


「この子、あまり泣かないのよ」
「我慢強いんだろう」
「そんなことある?」
「まあ、健康なんだし、様子を見てみようよ」
「そうね……」
 アナが産まれて、数日後、アナの父母が、心配そうにアナを抱いた。
 程なくして、医師が、
「少し検査をしましょうか」
 と、申し出た。
「はい」アナの母が、何の気なしに返答した。
 二週間後、検査結果が出た。
 アナの母が、仕事で、予約時間から二時間遅れて、病院へ着いて、
「まだ間に合いますか?」
 と、医師の診察室へ駆け込んだ。
「お待ちしておりました」医師が、冷静に、話を進めた。
 アナちゃんはーー。
「え……アナが……?」アナの母が、息を呑んだ。
 アナの母が、自宅に戻って、ベビーシッターと入れ替わって、
「アナ……どうしてだろうね……?」
 と、アナをあやした。
 その表情は、どこか冷たく、他人事のように感じられた。
 アナの父が、帰宅して、アナの母から、事情を聞いた。
「困ったな」アナの父が、ため息を漏らした。
 アナは、我慢強くなんてなかった。
 その小さな体で、懸命に闘っていたのだ。
 運命とーー。

     *

 アナは、学校を卒業して、ウエイトレスをしていた。
 お客さんが来店して、メニュー片手に手を挙げた。
 アナが、歩み寄って、注文を受けた。
「野菜天重とみそ汁……あ、天重の汁、あれあまりつけないでもらえる?」
「かしこまりました。野菜天重、汁だくと、みそ汁、汁なしですね?」
「ちが〜う!」お客さんが、突っ込みを入れた。
「ご注文を繰り返させていただきません」
 アナが、踵を返して、颯爽と客席を後にした。
「ちょ、ちょっとー」
 アナが、厨房に向かって、
「野菜天重とみそ汁」
 と、言い放った。
「もっと色々言ってたじゃん」カズが、突っ込んだ。
「忘れた」
「ハッハハハハ」
「大丈夫、聞こえてたから」
 調理担当の和歌さんが、笑いを堪えて、調理を始めた。
「アナは、本当にテキトーだな」カズが、改めて、アナに突っ込みを入れた。
「そうしないと、傷つくでしょ?」
「乙女みたいなことを言うな」
「何よー!」アナが、カズを追いかけ回した。
「ハッハハハハ」
 アナの働く農家食堂『オール』は、笑顔が絶えなかった。

 アナは、ウエイトレスの仕事が暇な時間帯には、近くの畑で、野菜などの収穫をしていた。
「アナのカボチャ、大きくなったな」カズが、作業しながら微笑んだ。
 この畑では、『オール』のメンバーがリクエストした野菜を一つずつ栽培していた。
「でしょう。大きくなーれ! 大きくなーれ!」
「魔法をかけるなよ」
「ハッハハハハ」
「大きくなーれ!」
「せめて、美味しくなれと祈れ。食い意地張ってんな」
「良いんだ、これで」
 僕は、アナに、「農業大変じゃないか?」と、尋ねたことがあった。
 アナは、こともなげに、「好きでやってますから」と、笑った。

 これが、アナの生きる道。

     *

「アナ、『オール』で働くって、本当か? 周りみんな障害児者だぞ」
 アナが、就職先を思案していた頃、僕は、アナに言ったことがあった。
「大丈夫だって。障害のある人たちとは、うまくやれるの」
「だけどさぁ……?」
「徹(てつ)は、心配性だな〜」
 アナは、のほほんと笑っていた。

 アナとカズが、学校を卒業して、地元の農家食堂『オール』に就職した。
 畑のオーナーが開業した、いわゆる農家レストランだった。農家食堂自体は、平屋建てで、三十畳ほどのホールがあって、四人掛けのテーブルが、五セット、それに、お座敷席が、少しだけあった。片田舎なので、敷地は広く、広大な駐車場があった。そこで、七名のメンバーが、働いていた。定休日は、水曜日で、営業時間は、十一時から二十時までだった。食材の収穫も、調理も、サービスも、運営も、全て障害児者が、やっていた。
 そこに飛び込んで行くというのだ。

 アナの了見は、分かっているつもりだ。どうして、『オール』で働くのかと言えば、理由は、ただ一つ。カズが働いているからだ。
 ただし、肝心のカズはといえば、アナの恋心にも気づかず、これまた、のほほんと日々を送っているのだった。

 しかし、この予測は、大きく間違っていたーー。

     *

 僕は、売れない少説を書いている。誤植ではない。『小説』ではなく『少説』を書いているのだ。
 描きたいのは、ただ一つ、「障害児者が明るく楽しく過ごす姿」だ。それは、あまり見かけないタイプの小説だろう。だから、『少ない説』ということで、『少説』と謳っている。
 しかし、確実に存在している世界の話だし、とても有意義だと思う。
 書き続けて、五年目になる。毎年、狂ったように文学賞に応募している。

     *

 今年の『オール』の新入りは、アナとカズだけだった。アナとカズは、すぐに他のメンバーに溶け込み、仲良く仕事をしていた。
 アナは、主に注文を受けて、料理を運ぶウエイトレスをしていた。時々、注文を間違えたり、違うテーブルに料理を運んだりしてしまっていたが、謝り方がうまいのか、お客さんは、みんな笑って許してくれた。
 カズは、ドリンクを用意して、運んだり、水のサービスをしたりするウエイターをしていた。カズは、どういうわけか、ドリンクを作るのが、とても上手で、ビールなんかも泡の立て方が、とても綺麗だった。お客さんも、カズを褒めるほどだった。
 オーナーの奥さんの和歌子さんが、調理担当をしていた。『オール』のメンバーは、みんな、親しみを込めて、「和歌さん」と呼んでいた。和歌さんは、農家のオーナーの元に嫁いで、もう三十年が経っていた。和歌さんは、左足が義足だ。
 お客さんは、地元の人々が、多かった。アナとカズは、お客さんともすぐに懇意になって、『オール』のメンバー共々、和気藹々と仕事をしていた。

 運営も、障害児者がやっているというと、「大丈夫かな?」と心配する方も多いだろう。しかし、適材適所で、難しい計算などの仕事は、例えば、義手の方がやっていたりする。その辺りの能力は、健常児者となんら変わらないのだ。それどころか、『オール』の最大の魅力は、まさにその障害児者であり、虜になること間違いなしなのだ。

 僕も、『オール』をよく利用していた。働いている障害児者が、とても素直で一生懸命で、好感が持てた。
 僕は、よくアナの働く姿をスマホで撮影していた。アナは、終始にこやかに、にこやか過ぎるほどに、楽しそうに働いていた。その姿が、微笑ましく、こちらまで、楽しい気分にさせてくれた。この『オール』には、そうした極上の風景があった。僕は、万感の思いで、その風景を楽しんだ。アナの成長と共に。
「徹、店内でにやけないでよね。恥ずかしいから」
「ごめんごめん。お水頂戴」
「カズに言って」
 アナは、僕には、つれない態度をとるが、それは、身内が、頻繁に来店するのが、少し恥ずかしいのだろう。色んな感情が交錯する社会人一年目だった。

 アナは、一人でバスに乗って通勤していた。一度、アナが、仕事帰りにバスの中で寝ていて、終点まで行ってしまったことがあった。その時は、運転手さんが気づいて、他のバスに乗せてくれて、ことなきを得た。
 以来、アナには、スマホを持たせている。アナからは、時々メッセージが届く。その多くが、『オール』での出来事の報告だった。そして、仕事終わりには、お腹が空くようで、〈今夜は、焼肉を食べたい〉〈今夜は、ラーメンと餃子を食べたい〉〈今夜は、豚のしょうが焼きを食べたい〉と、メッセージ。いつも、そんな感じ。

     *

 アナは、家族の事情で、僕と暮らしていた。アナは、僕のことを「徹」と呼ぶ。確かに、お父さんじゃないし、叔父さんでも、よそよそしいと判断したのだろう。フランクで、気に入っている。

 アナが、学校へ行っていた頃は、毎日朝食を一緒に食べて、弁当を持たせて、夕食をまた一緒に食べた。夕食後、一緒に学校での出来事を語り合った。アナは、カズのことを、とても嬉しそうに話した。ずっと心の拠り所になっていたようだ。『オール』で働くようになってからは、アナは、朝遅く、朝食を抜いて出勤して、遅い夕食を一緒に食べた。

 アナは、「まもなく、寮で暮らす」と、言っている。『オール』には、小さな寮が併設されていて、『オール』のメンバーが、多く寝食を共にしていた。この寮の寮母さんは、和歌さんだった。
「和歌さんの手料理が、美味しいらしいんだー」
 アナが、よく言っていた。そんな時は、いつもお腹がグーグー鳴っていた。

 アナは、『オール』で働き始めた頃、和歌さんのことを「若さん」だと思っていた。若女将の省略で。
「もう若くないのに……」と、一人気を使って嘆いていた。

     *

「ここで、働かせてもらいたいんですが……?」
 日本人のバックパッカーが、『オール』にやって来た。二、三週間、滞在することにしていたそうだ。
「うちは、障害児者のみの採用だから」店長が、やんわり断った。
「ボランティアならどうですか?」バックパッカーが、食い下がった。
 二人は、しばらく押し問答をしていた。
「どうして、そこまで?」店長が、聞いた。
「ここで食べた料理の味が、忘れられなくて」
「何を食べたの?」
「汁なしみそ汁」
「ハッハハハハ」『オール』のメンバーが、一斉に笑った。
「イケるねぇ」
「前、来た時に、すごい注文のとり方だなって、感激しちゃって」
「変わってる」アナが、つぶやいた。
「君、名前は?」
「健児です」

 健児が、『オール』で働くことになった。
「いらっしゃいませ〜」
 健児は、甲斐甲斐しく、本当によく働いた。
「健児、そんなに活躍すると、他の子の仕事なくなっちゃうぞ」
 店長が、軽く忠告した。
「あ、そうか!」
「も〜う、それ言わなくて良いのに〜」アナが、残念そうに言った。
「ハッハハハハ」
「アナ、両手に花ね」和歌さんが、アナの肩を叩いた。
「ヤダ〜! 和歌さん!」アナが、照れて顔を真っ赤にした。

「アナ、僕が運ぼうか?」
「いいよ、自分でやるー」
 アナと健児が、少し良い感じになった。
「お似合いだよ」カズには、闘争心がなかった。
 アナとカズの恋の行方は、五里霧中という感じだった。それでも、この二人を見ていると、例えゴールしなくても、その過程で、色んなことを学び、成長する様を目の当たりにできた。それは、二人にとって、大いなるプラス要素で、何より楽しそうなのが、安心材料だった。それでも、恋仲になって、その気持ちを味わってもらいたいという、親心のようなものもあった。

     *

『少説』が、また落選した。
 選評には、こうある。
 選評:〈障害児者への差別が滲み出ています。もしも、障害児者を描くのであれば、よく調べて、尊厳を持って描くべきでしょう〉
「障害児者の笑う姿が、軽率とでも言うんだろうか? アナたちは、あんなにも、いつも笑っているのに……『障害児者が明るく楽しく過ごす姿』なんて、求められていないのか……?」
 僕は、一人悶々と、この難題に対峙するのだった。それでも、ギリギリのところで、踏ん張れたのは、アナの存在のおかげだった。アナの笑顔を見ていると、落選のダメージは、随分癒された。まさにアナが、僕の生命線だった。アナを養って、少説を書く。それが、僕の人生の全てだった。

     *

『オール』のメンバーが、定休日に、地元のガラス工房へ行った。
 朝、メンバーが、『オール』の駐車場で集合した。
「アナ、化粧濃いな」カズが、アナに突っ込みを入れた。
「そんなことないっしょ」
「健児に見せるためだな?」
「違うよ、ばか!」
「ハッハハハハ」
 カズが、アナの恋心に気づかなかった。

 ガラス工房に着いて、店長が、
「みんなで、風鈴を作ろう!」
 と、提案した。
「……」
 アナが、黙々と、作業をしていた。変なものを作製しようと苦戦していた。
「アナ、何を作りたいんだ?」カズが、尋ねた。
「靴を作りたいんだけど……」
「ガラスの靴?」
「うん」
「アナ……ガラスの靴なんて履いたら、血で真っ赤に染まるぞ。赤い靴はいてた女の子になっちゃうよ」
「ダメか……」アナが、残念そうに作業の手を止めた。
「ダメだ」
「私なんて、最下層の人間だから……」
「なんだよ急に……良いから、風鈴作りな」
「……うん」
 アナが、大人しく風鈴を作った。

 メンバーが、ガラス工房を後にして、揃って、公園で昼ごはんを食べた。
 アナは、手巻き寿司を食べていた。
「アナ、何飲んでいるの?」カズが、アナに聞いた。
「コーヒー」
「お寿司にコーヒー!」
「これが、結構イケるんだよ。ビール飲みながら、お寿司食べるのがアリなら、コーヒーだって」
「考えられない」
「『オール』でも、新メニューを作らないかい?」アナが、提案した。
「そっちは賛成。でも、変なのは嫌だよ」
「話題性がなきゃ。考える意味がないよ」
「まあ、そうかな?」カズが、少し納得。
「コーヒー豆を炊飯器で炊いて、コーヒー飯というのは?」
「ハッハハハハ」
「コーヒーでお米を炊くのはあるけど、お米入れないの?」
「入れない。コーヒー豆オンリーで。そのくらいのインパクトが欲しいよね〜」
「それより、畑でとれた野菜を使いたいよね」
「じゃ……野菜の魚料理は!」アナが、元気よく答えた。
「できねぇよ」
「ハッハハハハ」
「でも、野菜だって、シンデレラみたいになれるかも知れないし……」
「どういう意味だ?」
「ま、良いじゃん」
「アナは、メルヘンチックだな」
「うるさいっ!」
 健児が、アナとカズの様子を木陰から見ていて、
「僕の入り込む隙ないや」
 と、寂しそうな顔をした。

 アナとカズが、帰って、『オール』の厨房で、新メニューの試作を開始した。
「休日返上で、試作だなんて、僕らも、すっかり社会人だね」
 カズが、試作品を作りながら、微笑んだ。
「……まずい」アナが、試作品の味見をして、閉口した。
「何作ったの?」
「野菜の魚料理」
「で、できたの? どうやったの?」
「カボチャに小麦粉をまぶして、バターで焼いたの」
「ムニエルか。まあ、意外に普通だった」
 カズが、味見をしてみた。
「あれ、結構美味しいじゃん」カズが、美味しそうに味見を続けた。
「そうかな?」
「アナにしては、上出来だよ」
「『しては』って、なんだよ」
「ごめんごめん」
「ピピピ」炊飯器が、鳴った。
「カズは、何作ったの?」
「コーヒー飯」
「本当に作ったの?」
「ああ」
 アナとカズが、コーヒー飯を試食した。
「……ブラジルの味がする」アナが、つぶやいた。
「ブラジルか……」
「でも、好きな人は好きかも。日本酒やなんかでも、最初飲んだ時は、異様な味がする。でも、それに溺れるほど魅了される人々がいる。コーヒー飯にも、そんな人々が現れるかも知れない」
 アナが、必死にフォローした。
「んなわけない」カズが、即座に否定した。

 アナは、カズと会って、帰ってくると、上機嫌になった。
「あ、アナ。カズと会ってきたな?」僕が、アナに突っ込みを入れた。
「なんで分かった?」
「顔に描いてある」
「何が!」
「ハッハハハハ」
 アナが、時々、恋する乙女の表情を見せるようになったことに気づいた。とても、愛らしく、健気で、綺麗だった。アナの母の若い頃にも、雰囲気が似ているが、それは、言わないでおいた。アナは、普段気を張っていて、家族のことを忘れている、ように見えた。しかし、忘れるわけがない。とても、繊細な綱渡りのような状態で、日々過ごしていた。その中での、あの笑顔なのだ。アナの精神力は、これまでの人生で鍛え抜かれて、強靭になっていた。だけど、脆かった。それは、明らかだった。

     *

 家族連れの観光客が、何も知らずに『オール』へやって来た。
「いらっしゃいませー!」
『オール』のメンバーが、元気よく声を出した。
「あの席のメニューに、コーヒー飯って、書いてあるんだ〜」
 アナが、嬉しそうに言った。
「ま、まじか!」カズが、びっくりした。
「注文してくれたりして」
「クスクス……」メンバーが、笑った。
 観光客は、メニューを見ながら、店内を見回した。
「この農家食堂、障害のある方が多いのね。出る?」
 母親が、告げた。
「そうしようか」父親が、答えて、席を立った。
「あ……」
 アナが、注文を取りに行く途中で、立ち止まった。しかし、次の瞬間、「ありがとうございました!」と、元気よくお礼を言った。
「ありがとうございました!」『オール』のメンバーが、それに続いた。
 観光客が、ぎょっと振り向いた。
 悔しいことも、報われないことも、ある。でも、みんなで声を掛け合って、勇気を出し合って、乗り越えるのだ。それが、『オール』流だった。その過程を見ることが、至福なのだ。
「あいつら!」
 健児が、観光客に憤って、『オール』の出入り口に行こうとした。
「待ちな」アナが、健児の腕を掴んだ。
「一言言ってやる!」
 カズが、
「良いから、健児。それじゃ、解決しない。僕らは、こうした環境で、ずっと生きてきた。だから、強くなった……いや、ただの慣れかも知れない。でもね、怒ったって仕方のないことは、分かっているつもり。北風より太陽って、言うでしょ? だから、明るく振る舞っているんだ」
 と、健児を諌めた。
「参ったか!」アナが、どういうわけか、健児に息巻いた。
「……参りました」健児が、観念した。
「ハッハハハハ」
「僕は、どうしたら?」健児が、カズに、問うた。
「今のが、正解だと思うよ。健児の憤りに随分勇気づけられた。ああ、味方になってくれるんだなって……そういうのが、生きる糧になる」
「これからも、味方ですから!」健児が、障害児者の味方になることを確約した。
「ありがとう」アナが、素直に喜んだ。
 僕は、この時、『オール』で、野菜のムニエルを食べながら、少説の構想を練っていた。こうしたドラマがあるのが、ここの特徴だ。そして、それに応じて、アナたちが、成長する。そこから、目が離せないのだ。

 健児は、アナの数少ない健常児の友達になってくれた。それは、アナの成長にも、大きな影響を与えるだろう。本当の意味で、社会に出ていくきっかけになればと願った。アナは、健常児の友達が、ほとんどいなかった。できなかったと言った方がいいだろうか。幼い頃から、障害児として、区別されて育った。その負担は、アナの心身にのしかかった。地球にいる限り、寝ても覚めても重力の影響を受けるように、障害である限り、寝ても覚めてもその影響を受けるのだ。そこからは、逃れられない。

     *

『オール』の定休日に、アナと一緒に街中のレストランへ行った。アナは、『オール』のメニューにもあるオムライスを注文した。
「どうだい、このレストランは?」僕が、アナに感想を求めた。
「お昼前に、ピークの時間が来るんだね?」
 まだ、十一時だった。
「昼になると、もっと混むんだよ」
「こ、これより?」
「うん」
「信じられない」
「『オール』は、助成金や何やらで、お金をもらえるからね」
「そうだね」
「知っていたんだ?」
「学校で聞いた」
 アナも、色々勉強して、社会に出て働いている。それが、微笑ましくもあり、頼もしくもあった。そして、アナは、何より賢かった。確かに、難しい算数の計算はできないし、お金の計算も投げ出した。しかし、人生を乗り切る知恵は、健常児者以上にあるのではないかと思わされた。自分のできることを最大限駆使して、直面した課題を解決した。もちろん、正解ばかりではなかった。でも、アナが苦労して苦労して出した答えには、多大なる魅力があった。とても愛おしい生き方をする子だ。だから、守らなくてはと思う。

     *

 アナとカズが、十五時頃、『オール』の仕事から離れて、畑で収穫をしていた。
「やっぱり、似た者同士、付き合うべきなのだろうか?」
 アナが、しみじみと告げた。アナが、やっとその気になりつつあった。
「似た者同士か」
「一緒じゃ嫌?」
「この上もなく嬉しい」
「きもい」
「ハッハハハハ」
 全く、アナは素直じゃないし、カズは、煮え切らないし。この二人の恋を成就させる方法があれば、僕は、少説を書くのを止めても良い。「徹、そんなことで、少説を止めないで!」アナは、そう言ってくれるだろうか。アナは、こういう時、自分のことを犠牲にして、周りの人の幸せを選択する。そんな生き方じゃ、損するんだよと教えても、そうする。それが、アナの生き方だった。おそらく、周りの人々に、感謝の気持ちがあるからだと思う。そういう律儀なところがあるのだ。

     *

 アナとカズが、小学校に入学した。
「友達百人できるかなー」
 アナが、元気よく歌いながら、登校した。
 入学式が始まった。
 アナとカズの席は、全校生徒の列の端だった。
「……」
 アナとカズは、一言も言葉を発せず、入学式が終わった。
 その後、支援学級に連れて行かれた。
「なんだか、仲間外れ感ハンパないね」
 アナが、カズに呆れ顔でつぶやいた。
「ずっとこうなるんだろうか」
 カズも、言葉少なだった。

 思えばこれが、アナが、障害を受け入れた瞬間だったのかも知れない。ここから、アナの本当の苦難が始まり、今なお続くことになった。アナは、こんなに幼い頃から、その只中にあるのだ。想像を絶する状況だが、アナは、飄々と自分自身の手綱を操っていた、ように見えた。

     *

 アナが、仕事で失敗して泣いた。
 僕は、その場に居合わせていて、
「仕事で泣けるなんて、素晴らしいことだよ。それだけ、責任感を持っていて、思いを込めている証拠だから」
 と、『少説』で鍛えた文章力を活かして、最大限の賛辞をアナに与えたつもりだった。
「アナ、気にしない気にしな〜い」
 カズが、横からアナに声をかけた。
「カズ〜」アナが、カズの腕の中に飛び込んだ。
「……」敗北感を感じた。
 アナにとって、カズは、かけがえのない存在だった。血のつながりよりも、友情をとったのだ。愛情というべきか。そんなアナが、少したくましく見えた。

「カズは、いつも楽してさ。ドリンク運んで、水注いでいるだけじゃない!」
「じゃ、代わるか?」
「いやよ」
「なんで?」
「こぼしちゃいそうだもん」
「できねぇんじゃねぇか!」
「あー、そうだよ」
「開き直るなよ」
「カズこそ!」
「開き直ってねぇよ!」
 泥試合だった。アナとカズは、時には喧嘩もした。まさに、喧嘩するほど仲が良いということだろう。喧嘩している姿までもが、愛おしい。そして、本人たちは、真剣なのだが、コメディに見えてしまう。周りの『オール』のメンバーも、終始にこやかに見守っていた。

     *

 健児が、帰ることになった。
「お別れだね」アナが、少し潮らしかった。
「本当に……色々学ばせてもらって……感謝の言葉もありません!」
「感謝しろよ」
「ハッハハハハ」
「すいません、日本語おかしかったですかね?」
「それは分からんけど、楽しかったよ」
「それが全てだよ」カズが、健児に優しく告げた。
「本当のこと言うと、僕、皆さんの笑顔は、仮面みたいなものかと思っていたんです。でも、違いました。仮面をつけているのは、健常児者の方で……皆さん、ねあかなんですね」
「その通り」アナが、当たり前のような顔をした。
「健児くん、これ。少ないけど」
 店長が、謝礼金を渡そうとした。
「いえいえ、頂けません。ボランティアですから」
「良いから。障害のことに役立ててよ」
「……そういうことなら」健児が、謝礼を受け取った。
「ま、二百円だけどな」アナが、冗談を言った。
「ハッハハハハ」
「……」健児が、涙を堪えていた。
「またおいでよ」アナが、優しく声をかけた。
「じゃ、明日」健児が、涙を流して笑った。
「早いな!」アナが、突っ込みを入れた。
「ハッハハハハ」
「……」健児が、泣き続けた。
「早く帰れ」アナも、涙声。
「ありがとうございました! うわぁぁぁぁーーー!」
 健児が、走り去った。
「やっぱり変わってる」アナが、健児の後ろ姿を見つめた。
「ハッハハハハ」

 健児との交流は、アナにとって、良い刺激になったようだった。健児のいた頃は、アナが、「そしたら、健児が、泣いちゃってー! あははー!」と、健児の思い出話をよくするようになった。相当楽しかったようだ。一昔前だと、こうした理解者は、はっきり言って、少なかった。時代は変わったものだと、微笑ましい気持ちになった。そして、アナの笑顔も、めきめきと朗らかになっている気がした。

     *

 アナが、家を飛び出して、帰って来なかった。
「アナー! アナー!」
 僕は、血眼になって、アナを探した。アナは、成人を迎えたとはいえ、まだまだ目が離せない。もしものことがあったら、おそらく対処できない。
「アナ……」
 数時間後、アナを見つけた。畑の土の中に顔だけ出して、埋まっていた。
「何しているの?」僕は、目の前の光景が、信じられなかった。
「カボチャの気持ちになっている。ずっと働いて来たけど、未だにカボチャの気持ちが分からない」
 アナが、遠くを見つめながら、言った。
「……普通、分からないと思うよ」
「それでも、知りたいじゃん。頂くわけだし」
「そうか……」
「鎌で、首を切るフリして」
「は?」
「収穫よ。気持ちを味わいたいの」
「……じゃ」
 僕は、近くに置いてあった鎌を持って、それを振りかざした。
「本当に切らないでよ!」
「切らないよ……えい!」
 アナの首を切るフリをして、寸止めした。
「……ふぅ」アナが、息を吐いた。
「どんな気分だった?」
「徹になら、切られても良いかなって思った」
「アナ……カボチャも、同じ気持ちだと思うよ。アナだから、切られても良い。食べて、体の一部になりたいって、そう思っているよ」
「きもい」
「ハッハハハハ」
「さ、出よう」
「そうね」
 僕は、近くのシャベルを使って、アナを掘り起こした。
「しかし、よくこんな穴、掘ったな」
「前に、みんなで落とし穴を作ったんだ。その名残」
「そうか。役に立ったな」
「ま、みんなで掘ったから、落ちる人いなかったけどね」
「ハッハハハハ」

「ここにいたんだ?」カズも、アナを探してくれていた。
「ああ、来てくれたんだ?」
「アナ、僕じゃダメか?」カズが、告白もどきの行動に出た。
「……ダメってことはないけど、役不足」
「ハッハハハハ」
「皮肉か」
 カズは、笑っていたけれど、実は、アナの本心に気づいていた。流石、幼馴染だけのことはある。しかし、この状況でよく告ったな。アナとカズには、まだ僕の知らない未知の部分が存在する。

 数日後、『オール』の昼食のまかないに、カボチャ料理が出た。
「美味しいね」カズが、アナに声をかけて、カボチャを頬張った。
「……」アナが、カボチャを食べながら、泣いていた。
「どうした?」
「また、殺生してしまった」
「カボチャは、殺生とは言わないよ」
「命は、あるわけでしょ」
「命か……茎は伸びるし、根は張るし、実は大きくなる、って言いたいんだろう?」
「うん、よく分かっている」
「アナのことだから」

     *

「アナは、世界で一番かわいいから」
「どうしても、一緒に暮らせないの?」
「ごめんね」
 ーー昔の話だ。
「お父さんとお母さんを恨んでいる?」
 僕が、アナに尋ねた。
「いいや、最高の家族だった。相応しい女性になれば、きっと……」
 アナが、手鏡を持って、じっと自分の顔を見つめた。
「その気持ちが、アナを高みに導くと思うよ」
 アナとの日々は、とても幸せだった。アナが、本当の娘だったら、どんなに幸せだっただろうか。悩ませなくて済んだだろうか。そんなことを常に思っていた。
 僕は、『オール』などで撮った写真を、アナの母に送っているが、返事は来ない。返事が来たら、アナに見せてあげようと思っているのだが。
 本心では、怒り狂いたいほどだ。こんなにもアナが、健気に明るく過ごしているのに。それが、なんのためなのか。何を期待してのことか。あなた方は、分かっているのか。アナの想いを汲んでくれ。頼む。アナの心の叫びが聞こえないのか。悔しくて涙が出る。

     *

『オール』のメンバーは、みんなずっと隔離されて生きて来た。『オール』が、初めての社会との接点だった。
「世の中のことが分からない……」
 アナが、『オール』で働き始めて、すぐに泣きついて来たことがあった。アナの今まで生きて来た世界のルールと、この社会のルールがあまりにも違っていたのだ。井の中の蛙大海を知らず。アナを隔離するようにしてきた教育を恨んだ。障害児者だって、社会の一員になるのだ。そのための教育をろくにしないで、福祉だ差別解消だなんて、ちゃんちゃらおかしい。もっと幼い頃から、健常児者の中で育てて、当たり前の存在にしていかなきゃ。こんな社会じゃダメなんだ。

     *

 怪盗カジ〜ノ

 判決主文:被告人は無罪

 被告人と共犯者らが、ある事件を起こしたが、情状酌量により、無罪となった。鍵となったのは、善意の裏切り。そして、その事件を契機に、この世から犯罪が激減した。これは、その布石を打った人々の物語である。さらに、事件の一部始終は、とある小説に書かれていた通りだったーー。

     *

 日本のとある湾岸地区。広大な埋め立て地は、綺麗に整備されていた。そこに、いくつかの重機が搬入されて、建設作業が、開始されているところだった。建設されているのは、IR(統合型リゾート)だ。その中には、カジノが含まれていた。

 夜な夜な、数隻のボートが、埋め立て地に接岸した。ボートから、複数の人々が、降り立って、何やら作業をしていた。

     *

 日本のカジノの建設予定地が、更地だった頃。

 カズの父が、アナとカズを連れて、マカオ行きの飛行機に乗っていた。
「海外旅行ができるなんて!」アナが、興奮していた。
「そうか、アナちゃんは、海外は初めてか」カズの父が、アナに声をかけた。
「アジアの国々は、物価が比較的安いからね。豪遊できるらしいよ」
 カズが、期待を込めた。
 三人が、マカオに着いた。
「ここが、マカオか〜」アナが、周りを見回した。
「ホテルにチェックインしようか」カズの父が、アナとカズを先導した。
 三人が、ホテルにチェックインして、部屋に入った。
「さあ、着替えて、カジノに行くよ〜!」
 カズの父が、待ちきれない様子。
「いきなりカジノかよ!」カズが、突っ込みを入れた。
「ハッハハハハ」
 三人が、着替えを終えた。
 カズの父が、アナとカズを連れて、マカオのカジノに行った。
「お父さん、カジノって、年齢制限ってあるんじゃないの?」
 カズが、入り口の看板を見て言った。
「なんとかなる!」カズの父の根拠のない自信。
「大丈夫かな?」カズが、不安そう。
 そうして、アナとカズが、カジノに潜り込んだ。
 アナとカズは、日本の地方都市の支援学校の生徒だった。当然、未成年だ。
「アナ、カズ、好きなゲームを楽しんでおいで〜」
 カズの父が、ブラックジャックにまっしぐら。
「……じゃ、何かやってみようか?」カズが、アナをリードした。
「言葉通じるの?」アナが、心配した。
「日本語でも、なんとかなるらしいよ」
「そうなんだ〜。あ、これなら、できるかも」
 アナが、スロットマシンを指さした。
「そうだね。やってみようか」カズも、賛同した。
 アナとカズが、スロットマシンを始めた。
「あ、揃った!」アナが、驚きの声を上げた。
「ありゃ、アナ、大当たりだよ、それ」
 アナが、大量のコインをゲットした。
 その時、カジノのスタッフが、二人に近づいて、
「未成年ですね?」
 と、声をかけた。
「え……そうですけど……」アナが、正直に答えた。
「未成年はちょっと……」スタッフが、アナとカズを捕まえようとした。
「アナ、逃げるぞ!」カズが、声をかけた。
 アナとカズが、スタッフから逃げた。
「待ちなさい!」スタッフが、二人を追いかけた。
 アナとカズが、ゲーム台の陰に隠れた。
「また負けた!」
 カズの父は、ブラックジャックに夢中で気づかなかった。
 その時、女性ディーラーが、アナとカズに近づいて、
「おいで」
 と、声をかけた。
「はい」
 アナとカズが、女性ディーラーに連れられて、逃げ切った。
「私も、日本人よ。海藤梶乃(かいとうかじの)」
 女性ディーラーが、二人に自己紹介した。
「ありがとうございます。アナと言います」
「カズです」
 アナとカズが、お礼と自己紹介をした。
「カジノには、よく来るの?」梶乃が、アナとカズに聞いた。
「本物は初めてですが、家で、よくゲームをします」カズが、答えた。
「カジノゲームを心から愛しています」アナが、うっとりとした表情。
「そんなにカジノが好きなら、働いちゃえば?」梶乃が、提案した。
「ハッハハハハ」
「いや、本気で」梶乃が、真顔。
「……そうですね……できることなら」アナの歯切れが悪かった。
「できるさ」梶乃が、アナとカズを勇気づけた。
 三人が、しばらく話し込んだ。
「色々ありがとう。これ、支援学校で作ったんです」
 アナが、梶乃にブローチをプレゼントした。ブローチは、真ん中に、赤紫の比較的大きな宝石が、嵌め込んであった。宝石は、もちろん偽物で、比較的安価なものだった。
「ありがとう。大切にするわ」梶乃が、大切そうにブローチを握った。

 夕方、カズの父、アナ、カズが、無事カジノを出た。
「屋台街に行きたい」アナが、申し出た。
「良いよ」カズの父が、許可してくれた。
「あんまりお金残ってないから、安いもの食べて」
 カズの父は、カジノで大負けしていた。
「何してんだよ、お父さん!」カズが、突っ込みを入れた。
「ハッハハハハ」
 三人が、屋台で粗末な食事を始めた。
「あれ、梶乃さんじゃない?」アナが、スマホ片手に、梶乃を見つけた。
「本当だ。何かの集まりかな? 障害児者も多くいるね」
 カズも、梶乃の方を見た。
 屋台街では、五十人ほどの集団が、一緒に飲み食いしていた。その中に、梶乃の姿もあった。
「ちょっと行ってみよう」アナが、カズの手を引いた。
 アナとカズが、その集まりに参加して、話を聞いた。
「みんな日本語上手だ」カズが、驚いた。
 アナとカズも、障害児だったので、みんな友好的に話をしてくれた。
「梶乃さんにも声かける?」カズが、アナに聞いた。
「いや、それは良いよ」アナが、控え目に答えた。

 カズの父、アナ、カズが、帰りの飛行機に乗り込んだ。
「帰ったら、お祖父ちゃんの法要だね」カズが、カズの父に声をかけた。
「そうだね。お祖父ちゃんは、警察官だったんだ」
 カズの父が、カズに告げた。
「へぇ〜、初耳」
「お父さんが、幼い頃に、殉職してね……悔しくて、三日三晩泣いたよ。母が、『誇りに思いなさい。警察官が、仕事中に亡くなったんだから』と」
「それで、お父さんは、刑事ドラマに詳しいんだね?」
 カズが、嬉しそうに突っ込んだ。
「そういうこと。アナちゃん、新作のミステリー小説は、まだかい?」
「もうすぐ完成です」
「前のも、面白かったよ!」
「カズのお母さんの指導のおかげです」
 アナが、気恥ずかしそうに謙遜した。
「一応、著名ミステリー作家だからね」カズの父も、謙遜した。
「一応だなんて……」
「妻には、頭が上がりませんよ、とほほ……」
 カズの父が、戯けて見せた。
「ハッハハハハ」

 三人が、日本に帰国した。
「カズ、本当にカジノのディーラーになろうか?」
 アナが、カズに言った。
「なれるならなりたいけど……」
「梶乃さんも、ああ言ってくれたことだし」
「……そうだね、一丁やってみますか!」
「そう来なくっちゃ!」
 アナとカズが、カジノで働くために、猛特訓を開始した。

 アナは、アナの父母との三人家族だった。昔から、家族で色々出かけることが多かった。
 ある日、家族で、プールに出かけた。
「うわっ!」アナが、プールで溺れた。
「大丈夫か、アナ!」アナの父が、泳げなくて大慌て。
「アナ!」
 アナの母が、服を着たまま飛び込んで、アナを助けた。
「お父さん、役立たずなんだから」アナの母が、恨み節。
「カナヅチなんだよ」アナの父が、決まり悪そうに答えた。
 そんなアナの家族にとって、カジノは、悲願だった。
 アナの家族が、自宅で夕食を食べていた。
「みんなで、カジノで働けるね!」アナが、嬉しそうに声を上げた。
 この頃、アナの父が、カジノの倉庫で、アナの母が、カジノに併設されるホテルで働くことが内定していた。
「思い出すね。湾岸エリアの高層ビルの最上階のレストランから、カジノ建設予定地を眺めたっけ」
 アナの母が、懐かしそう。
「アナ、泣いていたよな。あの時」アナの父が、アナに突っ込みを入れた。
「ハッハハハハ」
「恥ずかしいなぁ」アナは、その時、接岸するボートを見ていた。「梶乃さん」と、呟きながら。

     *

 湾岸地区に日本のカジノが完成した。カジノの周りには、ホテル、劇場、国際会議場、展示会場などが、併設されていた。

 カジノの一室では、カジノの社長が、新人ディーラーへの訓示を行っていた。その新人ディーラーの中に、アナとカズの姿もあった。アナとカズは、本当にディーラーになっていた。
「これからは、多様性の時代。障害のある方が、ディーラーをしていても良いでしょう。いや、むしろその方が品格がある」
 社長が、アナとカズに期待した。
 訓示の後、アナとカズが、梶乃に再会した。梶乃も、日本のカジノで、ディーラーとして働くことになっていた。
「お久しぶりです、梶乃さん!」アナが、嬉しそう。
「あれ、そういえば海藤って……? 梶乃さん、もしかしたら、海藤社長の娘さんなんですか!」
 カズが、それに気づいた。
「実はね。子供の名前に、梶乃はないよね? 母が、カジノ馬鹿だったから」
 梶乃は、社長の一人娘だった。
「お母さんも、カジノ関係の仕事を?」カズが、梶乃に聞いた。
「亡くなっちゃいました」
「すみません……」
「いいのよ。気にしない気にしない」
 梶乃が、社長とともに、レストランで遅い夕食を食べていた。
「ありがとう、お父さん」梶乃が、社長にお礼を言った。
 アナとカズの採用には、梶乃の猛プッシュがあった。

 アナとカズの仕事始めの日になった。
 梶乃が、アナとカズの元へ行って、
「これ、つけて仕事するね」
 と、アナのブローチをつけてくれた。
「覚えてくれていたんだ。嬉しいな……」アナが、小さく微笑んだ。
 梶乃が、天に向かって合掌をした。
「……何をしているんですか?」カズが、不思議そうに聞いた。
「ああ、ごめん。突然……母の亡くなった時間にね、こうして手を合わせるの」
「毎日ですか?」
「うん、十四時きっかり。気分が落ち着くんだ。ほら、何か良いことありそうじゃん」
「はぁ……」

 アナとカズは、猛練習の成果と、梶乃の指導もあって、順調にディーラーとして滑り出した。
「アナ、とても良いわ!」梶乃が、アナをほめた。
 アナは、幸運の女神と呼ばれて、大活躍した。
「アナの引きの強さは、類まれなる努力の賜物」
 カズも、アナを讃えた。

 カズの父が、カジノの常連客になってくれて、週に三日ほども来るようになった。そして、決まって、カズの前に座った。
「カズ、お父さんを勝たせなさい! 父親だぞ!」
 カズの父が、酒を飲んで、カズに絡んでいた。
「お父さん、恥ずかしいよ〜」カズが、困惑した。
「ハッハハハハ」
 カジノのお客さんが、大笑い。
「カズったら……」アナも、ディーラーの仕事をしながら、大きく笑った。
「あの二人……」梶乃が、アナとカズを見て、楽しそうに笑った。

 アナとカズが、梶乃と一緒にレストランで食事をした。
「海藤社長って、どんなお父さんですか?」
 カズが、梶乃に質問した。
「そうだなぁ……一言で言えば、ウザい」
「ハッハハハハ」
「どの家も同じですね〜」アナが、嬉しそう。
「うちも」カズも、答えた。
「知ってる」アナと梶乃が、声を揃えた。
「ハッハハハハ」
「でも、障害のあるお母さんをめとってくれたのは、誇りに思っているわ。なかなかできることじゃないから……あ、ごめんなさい」
 梶乃が、ちょっと気まずくなった。
 梶乃の母は、障害者だった。
「いえいえ。お気になさらず」カズが、フォローした。
「お母さんの御存命の頃は、どんな生活を?」アナが、真剣に聞いた。
「普通だよ〜。ただ、父と二人で、交代制で夜中のケア。それが、辛くもあったけど、楽しみでもあった。お母さんとの貴重な時間だったからね」
「余命宣告のようなものは……?」
「あった」
「そうですか……」
「だから、満足のいくまで、母と一緒にいられた……親御さんを大事にしなよ」
「はい」アナとカズが、しっかりと返事をした。
「お父さんは、今、どんな暮らしを?」アナが、さらに質問した。
「父は、苦労人でね。今でも、苦しかった時代を一緒に生き抜いた人たちを支援しているの。その人たちは、世界中のカジノで働いている……だから……」
 梶乃が、言葉を選んだ。
「……だから?」カズが、突っ込んだ。
「いえ……いいの。気にしない気にしない」
「気になるよ〜」
「さ、飲もう!」

     *

 カズの父が、いつものように、ディーラーのカズの前に座っていた。
 カズの父が、お酒をちびちびやりながら、
「カズ……こんなに立派になって……障害があると分かった時は……お父さんは、酒に溺れて……まぁ、お母さんは、アナと同じ障害児だって、浮かれていたが……ショックも受けたが、楽しみもあった。家族が一つになって、難局に立ち向かった……その間、お父さんは、お母さんの尻に敷かれて……いや、とにかく……」
 と、ブツブツ語った。
「お父さん、席に座るなら、賭けてくれよ」カズが、突っ込んだ。
「あぁ……」カズの父が、一番安いチップを賭けた。
「ハッハハハハ」周りのお客さんが、笑った。
 カズの父と数人のお客さんが、ディーラーのカズとブラックジャックの勝負をした。
「負けた」カズの父が、しゅんとした。
「弱いなぁ」カズが、カズの父に呆れた。
「息子さんですか?」お客さんが、カズの父に声をかけた。
「ええ」
「評判良いですよ」
「そ、そうですかぁ!」
「そんなこと言っても、勝たせませんよ」カズが、お客さんに突っ込んだ。
「なんだ! 褒めなきゃ良かった」お客さんが、チップを引っ込めた。
「ハッハハハハ」
 カズが、淡々とブラックジャックの勝負を続けた。
「また負けた」カズの父が、投げやりになった。
「もう止めたら?」カズが、カズの父に忠告した。
「まだまだ〜。ちょっとトイレ」カズの父が、席を立った。
「自由人だな」
「ハッハハハハ」
 アナも、近くでディーラーの仕事をしていた。
 その時、ゲームをしていた妊婦が、突然、
「産まれそうなんです!」
 と、産気づいた。
「救急車を呼びますか?」アナが、慌てて、声をかけた。
「お、お願いします……!」
「大丈夫ですか?」カジノのスタッフが、妊婦の元に集まった。
 その時、
「緊急連絡! 緊急連絡! カジノを閉鎖します! 従業員、お客様とも、その場を動かないでください!」
 と、館内放送が流れた。
「何事?」アナが、訝しんだ。
「もしかして……?」カズが、アナの元へ行った。「アナ、金庫を確認しよう!」
「でも、妊婦さんが……」アナが、躊躇した。
「僕らじゃ救えない!」
「だけど……」
「アナ、非情になれ。今日が、Xデーだとしたら、この事件を解決できるのは、僕らしかいない」
「……分かった。ごめんなさい、妊婦さん」
 アナとカズが、カジノの金庫に向かった。
「金庫の現金がない……」アナが、放心状態。
「本当に事件が起きちゃった」カズが、動揺した。
 程なくして、警察が、到着した。
「社長と梶乃がいない!」警察が、二人を探した。
「お父さんが、いないなぁ……」カズも、カズの父を探した。行方不明になっていたのだ。
 警察が捜査をすると、
「常連客が、金庫の方へ走って行った」
 と、目撃情報があった。
「常連客……?」カズが、不安になった。
 カズの父が、事件に絡んでいるかも知れない。
「常連客が、犯人一味と逃亡した!」さらに、目撃証言があった。
「まさか!」カズが、驚いた。
 それからも、色々な証言が得られて、実際に色々なことが、巻き起こっていた。
「トレーラーにお金を積み込んで走り去った」
 実際にトレーラーが、カジノから走り去っていた。
「ドローンでお金を運ぶところを見た」
 実際に、数台のドローンが、カジノ上空を飛んでいた。
「ロケット花火にお金を乗っけて対岸に飛ばしていた」
 カジノの近くで、派手な花火が上がっていた。
「現金の空輸だ」
 上空には、気球が飛んでいて、その合間を数機のヘリコプターが、滑空していた。
「どの情報が真実なんだ!」警察が、いきり立った。
「全て真実だ! 複数犯が、お金を分けて、運んでいるんだ!」
 目撃情報は、続いた。
「全ての経路を封鎖せよ! これじゃ、捜査員が、足りない!」
 警察が、きりきり舞い。
 警察は、現場から姿を消した、梶乃、社長、カズの父を追った。
「これを言ったら、梶乃さんが、捕まっちゃう……」アナが、迷った。
「でも、今まで、この時のためにやって来たんだろう!」
 カズが、アナに声をかけた。
 アナとカズが、有力情報を握っていた。
「あんなにお世話になったのに……」
 アナとカズが、梶乃への恩義を思った。
「だけど、犯人なら、捕まえないと……」
 アナとカズは、葛藤した。
 アナが、意を決して、警察に、
「私には、梶乃さんの居場所が分かるんです」
 と、申し出た。
「どこにいるんだ?」
「このカジノの地下道」
「どうして、そんなことが分かるの?」
「……今は、言えません」
「どういうこと?」
「……」アナが、押し黙った。
「梶乃容疑者とは、どういう関係ですか?」
「ディーラーの先輩で、マカオで、懇意にしていただきました」
「マカオで何を?」
「……カジノを」
「いつ?」
「……支援学校時代」
 アナとカズが、未成年の時にマカオのカジノに行ったことが、バレた。
「未成年じゃないか……ま、今は、それは良い……一応、地下道っていうのを確認して!」
 警察が、無線で指示を出した。
「今、カジノの倉庫の下辺りを通過中です」アナが、警察におずおずと伝えた。
「本当なの?」
「スマホで、確認できるんです」
「見せて……カジノの倉庫の下辺りを捜索せよ!」
 警察が、アナのスマホを確認して、無線で連絡をした。
 しばらくして、警察無線で、
「いました! 犯人は、カジノ倉庫下の地下道を逃走中!」
 と、連絡が入った。
 警察が、そこへ急行した。
「犯人、発見!」警察無線。
 社長、梶乃、カズの父が、ホテルの地下にいた。そこは、アナの母の職場だった。
「あれ、犯人かしら?」アナの母が、目撃して、警察に情報を伝えた。
 その時、梶乃が、
「お父さんは、これ以上、関わらないで!」
 と、社長を突き倒した。
「梶乃、何をする!」
「主犯は、私よ!」梶乃が、現金を持って逃走した。
「社長、逮捕!」警察が、社長を捕まえた。
「よし!」カズの父が、拳を打った。
「常連客、逮捕!」
 カズの父も、捕まってしまった。
「僕は、違うんだってば!」カズの父の往生際が悪かった。
「梶乃容疑者、逃走中!」
 警察が、梶乃を見失った。
 アナとカズが、スマホを確認しつつ、
「梶乃さんは、あっち!」
 と、梶乃の居場所を追った。
 梶乃が、海岸に出て、ボートに乗って逃走した。
 梶乃が、天に向かって合掌をした。十四時だ。
 一方、社長が、連行されながら、
「梶乃を守ってくれ!」
 と、天に向かって合掌をして、梶乃の母に祈りを捧げた。
 梶乃が、意を決して、海に飛び込んだ。
 警察が捜索した。
「見つかりません!」警察が、梶乃の姿を追った。
「カズ、ボートに乗るよ!」アナが、カズとともにボートに乗り込んだ。
「ボートの運転なんてしたことないぞ!」
 カズが、ボートのエンジンをかけて、進み始めた。
「もっと右!」アナが、スマホ片手に、指示を出した。
「くっ!」
「いた! あそこ!」アナが、梶乃を見つけた。
「カズ、もっと近くに!」
「操縦できない!」
「飛び込む!」アナが、海に飛び込んだ。
 アナが、梶乃を抱き抱えて溺れかけた。
「アナ!」カズも、飛び込んだ。
 救助が、難航した。
 カズが、アナと梶乃を必死に掴んだ。
「今行く!」アナの父が、カジノの倉庫で、この現場を目撃して、一緒に飛び込んだ。
 アナの父は、泳げない……はず。
「カズ、アナを頼んだ!」アナの父が、梶乃を救助して、カズが、アナを助けた。
「アナ、しっかりしろ!」カズが、アナを介抱した。
 アナが、海水を吐いて、呼吸を始めた。
「良かった……」カズが、安堵した。
「梶乃さんも、無事だよ」アナの父が、アナに声をかけた。
「お父さん、泳げないんじゃ……?」アナが、息も絶え絶え。
「分からないけど、泳いでいる。人間、無我夢中でやると、できないこともできちゃうみたい」
 アナの父が、興奮気味に答えた。
「ありがとう、お父さん、カズ」アナが、微笑んだ。
「僕は、アナが危機に瀕した時は、やる男だよ」カズが、得意げ。
 こうして、社長、梶乃、カズの父が、逮捕された。
 梶乃のボートの現金も回収された。
 カズが、カズの父と対面して、
「何してんだよ、お父さん!」
 と、突っ込んだ。
「ありがとうございました」警察が、カズの父にお礼を述べた。
「なぜ、お礼を?」カズが、警察に聞いた。
「お父様は、危険を顧みず、潜入捜査をされていたんですよ」
 カズの父は、潜入捜査をしていた。
「危険、ですか……犯人を信じてこその潜入捜査です」
 カズの父が、ドヤ顔をした。
「お父さん……ありがとね」カズが、カズの父に声をかけた。
「カズの父への尊敬の念は、痛いほど伝わっている」
「言うほど尊敬してないけど」
「ハッハハハハ」
「それにしても、よく犯人の居場所が、分かったな! さては、お父さんのスマホの電波を受信したんだろう?」
 カズの父が、得意げ。
「圏外だったよ。アナのお・か・げ」カズが、突っ込みを入れた。
「……ブローチに、発信機が内蔵されているんです」
 アナが、梶乃に告げた。
「そうだったんだ……でも、それに命を救われたのね」
 梶乃は、驚くほど冷静だった。
 実際、海で溺れた梶乃の居場所が分かったのは、ブローチのおかげだった。
「梶乃さん。ブローチをつけてくれてありがとう……梶乃さんのブローチを見るたび、辛かった……」
「好きでつけているから。支援学校で作ったんでしょ」
 梶乃は、障害のあるアナの作ったブローチだからこそ、大切に着用していた。それには、理由があった。この時点で、アナは、それに気づいていた。ブローチは、逮捕するために渡したのではない。そこには、アナなりの深い思慮が、隠されていた。
「はい……」アナが、思わず泣き出してしまった。
「泣かないで」梶乃が、優しく声をかけた。
 アナが、
「社長、梶乃さん……お二人を裏切るようなことをしてしまい、申し訳ございません。全ては、日本のカジノの発展のためです。社長と梶乃さんに育てられて、ここまで来られました。恩返しは、必ず。その時は、また、日本のカジノのために尽力ください」
 と、頭を下げた。
「……はい」社長が、そっと梶乃の肩を抱いた。
 警察が、現場検証をして、
「犯人は、カジノ建設中の敷地に地下道を作っておいたんだ……」
 と、気づいた。
 カジノの地下にも、地下道が張り巡らされていて、金庫のお金を盗んで、逃走した。
 しかし、カジノから盗まれたのは、全て偽札だった。
「君らが、地下道を作っていたように、我々は、偽の金庫を作っておいたんだ。自動で本物とすり替えることができる。偽の金庫は、アナのアイデアさ」
 カズの父が、得意げ。
「いつから、そんなアイデアを?」社長が、驚いた。
「皆さんが、地下道を掘るずっと前」
「その頃から、アナとカズは……?」
「仕込んであったんです。当時、二人は、支援学校の生徒。アナの書いた小説があります。タイトルは、『怪盗カジ〜ノ、地下道を掘る』です。今回の事件のことが予見されていました」
「アナは、ミステリーが好きなんです」カズが、堂々と言い放った。
「カズのお母さんの指導の賜物です」アナが、控え目に言葉を添えた。
「……だったら、事件を未然に防ぐこともできたのでは?」
 社長が、切り返した。
「地下道を、無料で作りたかったから。いざという時の避難経路として」
 カズの父が、臆面もなく答えた。
「そんな理由で?」
「アナの小説の犯人の言葉にこうあります……『犯罪をなくす唯一の方法は、満足感と人の温かみを与えること。だから、時間がかかりました』と」
「……」梶乃が、静かに聞いていた。
「あなた方は、一体何者なんですか……?」社長が、動揺した。
「ただの障害者です」アナが、答えた。
「同じく」カズ。
「ただの主夫です」カズの父。
 その時、アナの母が、アナの元に駆けつけて、
「アナ、大丈夫だったの!」
 と、アナを抱いた。
「怖かったよ〜!」アナが、ほっとした。
「無茶して!」アナの母が、アナの頭を撫でた。
「アナ、それにしても、よく発信機内臓のブローチなんて作れたな」
 カズの父が、驚いていた。
「ああ、あれは迷子防止のキットなんだよ。宝石に発信機を入れて、型枠にはめ込むだけ」
 カズが、答えた。
「なんだ!」
「マカオに行った時から、ずっと梶乃さんの行動を監視していたんです」
 アナが、静かに答えた。
「えっ、日本から?」カズの父が、驚いた。
「ただ、電池が……これまで持つとは、思わなかった」
「確かにそうだな」カズも、その点に驚いた。
「捜査では、時々奇跡が起きることがある。それを引き寄せるのも、実力のうちだよ」
 カズの父が、カッコつけた。
「アナの努力の賜物かもね」カズが、嬉しそうに声をかけた。
「努力なんて……こうなる運命だったのかな……?」
 ちなみに、ブローチの電池は、梶乃逮捕の後すぐに切れた。
 カジノの事務所に、一枚のFAXが届いた。
 FAX:〈カジノの本物の金庫の現金を手中に収めた〉
「こ、これは……」警察が、カズの父の元へ、FAXを持って来た。
「なになに?」カズの父が、FAXを手にした。
 アナとカズが、FAXを覗き込んだ。
「そうか、カジノの本物の金庫のお金のことを忘れていた! 混乱に乗じて、盗まれたのか!」
 カズが、動揺した。
「急ぎましょう!」アナが、走り出した。
 アナ、カズ、カズの父が、カジノの本物の金庫に急いだ。
「何これ……」アナが、言葉を失った。
「……お母さん?」カズが、絶句した。
 三人が、本物の金庫を見ると、カズの母が、
「ハロー、お二人さん。本物のお金は、守っておいたから」
 と、笑顔で手を振った。
「これは……?」アナが、本物の金庫の前で、動転した。
 本物の金庫の中には、本物のお金とカズの母。そして、本物の金庫には、金属の檻が設けられていた。
「この檻は、アナとカズへのサプライズ。主人と一緒に考えておいたの」
 カズの母が、にっこりと微笑んだ。
 カズの父母は、カジノの設計段階から、こうなることを予見していた。
「これなら、盗まれないでしょ?」カズの父が、ドヤ顔。
「……」カズが、言葉を失った。
「さすが、ミステリーの名門」アナが、嬉しそう。
 カズの母が、アナに、
「この世で一番難しくて尊いことは、善意の裏切り。お二人さん、お見事! もう教えることは何もない。今度、ゆっくり、アナとカズの勇姿を見たいな。日本のカジノのために猛進しなさい。期待しているぞ! アナは、ノンフィクションの方が向いているかもね。自分で話を作っちゃってさ……小説、ライフワークにしなさい」
 と、伝えた。
「はい」アナが、しっかりと返事をした。
「どうして、著名ミステリー作家のお母さんが、お父さんなんかと結婚したの?」
 カズが、カズの父に尋ねた。
「お祖父ちゃんがね、昔、幼いお母さんの命を救ったんだよ。だから、お母さんが、どうしてもって」
 カズの父が、嬉しそうに話した。
「潜入捜査とかして、心配じゃありませんか?」
 アナが、カズの母に聞いた。
「妻が、『やってみたら』って、言ったの。全面的にサポートしてくれた」
 カズの父が、答えた。
「そうだったんだ〜」カズが、嬉しそう。
「さすが、ミステリーの名門」アナが、納得した。
 カズの母が、真顔で、
「アナも、その名門に来ない?」
 と、言い出した。
「それって……?」アナが、動揺した。
「カズじゃ、ダメ?」
 紛れもなく、カズとの縁談だった。カズは、自分では、言い出せなかったことを言ってもらえて、カズの母に心底感謝した。カズ、カズの父、カズの母が、アナの返事に注目した。
「ダメ」アナが、にべもなく断った。いくら尊敬するカズの母の頼みでも、これだけは譲れなかった。
「……ハッハハハハ」
「カズ、頑張れよ〜」カズの父が、カズを茶化した。
「お父さんこそ、もっと頑張ってよ!」
 カズが、アナにふられて、カズの父に当たった。
「ハッハハハハ」
 カズ、カズの父、カズの母は、カズの障害が分かってから、これまで、本当に苦労して来た。落ち込むことも多々あった。そんな時は、いつも、アナに癒された。それを思い出した。
「でも……何の役にも立たなかったけど、カズがいてくれて、心強かった」
 アナが、しみじみと言った。
「だろう……で、潜入捜査って、お父さんは、結局、何をしたの?」
 カズが、カズの父に問うた。
「二人をマカオに連れて行ったり、カジノでブラックジャックしたり……あと、何だっけ?」
「潜入したの、僕らじゃない?」
「……そう言われるとそうだな?」
「ま、良いじゃん。これで、世界のカジノに関する犯罪の撲滅の道筋がついたのなら」
 アナが、話をまとめた。

     *

 事件の主犯は、海藤梶乃だった。
 その裁判が、始まった。
 梶乃が、はっきりした口調で、
「一つ言わせてください……父は、私の犯行を補佐していただけ……いえ、むしろ食い止めようとしていたんです。だから……」
 と、言い出した。
「共犯には違いないから」カズの父が、ピシャリと言った。
 アナが、すっくと立ち上がって、
「社長や梶乃さんの協力を得て、事件を解決しました」
 と、証言を始めた。
「私たちは何も……」梶乃が、困惑した。
「いえ、私がディーラーになる前後、色んな情報を教えてくれましたから」
「……油断していました。三人は、取るに足らないと。特に、カズのお父さんは……」
「お父さんも、役に立っていたんだ……」カズが、カズの父を少しだけ見直した。
「それにしても、最初は、障害者が、潜入捜査に協力しているとは、夢にも思いませんでした」
「障害者は、警察官になれないからね。一方で、障害者は、満足感と人の温かみってやつを与えられる天才だよ」
 カズの父が、誇らしげ。
「社長、梶乃さん。本当にお世話になりました。お二人ほどカジノを愛する親子はいない!」
 アナが、感極まった。
「アナ、カズ……ありがとう」梶乃が、お礼を述べた。
「これからも、日本のカジノを盛り上げてください」
 社長も、傍聴席から声をかけた。
「誠心誠意、精進いたします……梶乃さん、金庫の中のお金が偽札だって、ご存知でしたよね?」
 アナが、続けた。
「……はい」
「……」社長が、静かに聞いていた。
「どうして、偽札を盗んだんですか?」アナが、梶乃に問うた。
「……読んでいたんです……『怪盗カジ〜ノ、地下道を掘る』」
 衝撃の事実だった。
「それでも犯行を決行したのは……?」
「あのセリフの通り、犯罪をなくしたかったからです。今回の犯行を防いでも、またどこかで犯罪は起きるでしょう。だったら、アナさんとカズくんに賭けてみようと」
「偽札じゃなかったら、お金は……何に使うおつもりだったんですか? 正直に」
「世界中の障害児を持つ家族のコミュニティがあります。そこに寄付するつもりでした」
「寄付は、初めてですか?」
「いえ、父の代から、今までも、ずっと……だから、今度は、私の手で、と思ったんですが……父を心から尊敬していますから……」
「どうして、マカオで、私たちを助けてくれたのですか?」
「……障害児だったからだと思います」
「お母様は、健常者でしたか?」
「……いえ、難病で、車椅子生活をしていました」
「カジノが、好きだったんですよね?」
「ネットのカジノが中心でしたが……」
「お母様に恥じない人生を送ってください。コミュニティの皆さんも、本来それを望んでいるはずです。どんなに不遇でも……マカオの屋台街で、お会いしたんです。とても素晴らしい方々でした。コミュニティの人々」
「……母は……毎日のように『お母さんが障害でごめんね』と、謝っていました。私は、いつも『気にしない気にしない』と、答えていました。その母が、亡くなる時に言ったんです。『障害のある人々に優しくしてね』と……障害の固い絆で繋がっているから」
 梶乃が、泣き出した。
「だから、ブローチも……」
「アナとカズの知らない事実があります……二人のことは、コミュニティのみんなから聞いていたんです。我々を甘く見ないで……『素晴らしい品格を持っている』と、みんな言ってた……それでも、犯行に及んだのは……やっぱり、犯罪をなくしたかったから……ある意味、共犯者たちを裏切ったのかも……」
 梶乃は、全てを悟った上で、ブローチをつけて、犯行に及んだのだ。自分が捕まることで、犯罪をなくす布石を打った。しかし、それは、同時に、共犯者を危険に晒すことを意味していた。
「ブローチの電池、変えたの、梶乃さんですね?」
「……」梶乃は、返事をしなかった。ただ、泣きながら、やがて、コクリと頷いた。共犯者への裏切りを認めた瞬間だった。
「……以上です」アナは、必死だった。目に涙を溜めながら、必死に梶乃を弁護した。

 程なくして、共犯者が、
「社長と梶乃さんのためになれるのなら」
 と、ぞくぞくと自首した。
 その中には、地下道を掘った者の他、事件当日、産気づいたり、ドローンを飛ばしたり、その証言をしたり、捜査を撹乱した者も多く含まれていた。社長と梶乃が、最後まで守ろうとした人々だった。
 共犯者は、皆、
「裏切りなんて、とんでもない」
 と、社長と梶乃の品格を讃えた。コミュニティの結束力は、計り知れないものがあった。
 なお、事件当日の捜査の撹乱は、社長と梶乃の事前に知るところではなかった。

 海藤梶乃の判決の日。
 十四時きっかり。梶乃が、天に向かって合掌した。
 裁判官が、判決理由を読み上げ始めた。
 判決理由:被告人と共犯者らは、共謀して、カジノ地下に地下道を掘ったものの、それは、避難経路として、有効活用されている点、被告人は、カジノ金庫の現金を奪って逃走したものの、現金は偽札であり、紙切れを持って、地下道を走っただけである点、さらに、全ての犯行は、結局、小説『怪盗カジ〜ノ、地下道を掘る』に記載された通りであり、その目的は、この世から犯罪をなくすためである点から、情状について特に酌量すべきものがある。
 判決主文:被告人は無罪

 アナの小説『怪盗カジ〜ノ、地下道を掘る』のラスト一ページ。
偽札であり、紙切れを持って、地下道を走っただけである点、さらに、全ての犯行は、結局、小説『怪盗カジ〜ノ、地下道を掘る』に記載された通りであり、その目的は、この世から犯罪をなくすためである点から、情状について特に酌量すべきものがある。
 判決主文:被告人は無罪
 のちに、このカジノを大きな災害が襲った。その時、カジノのお客様を地下の避難経路に誘導したのが、他でもなく、怪盗カジ〜ノだった。大災害だったにもかかわらず、一人の怪我人も出なかった。皆が、怪盗カジ〜ノに感謝した。怪盗カジ〜ノは、「僕を警備責任者に抜擢したアナ社長の大金星です」と、微笑んだ。それに対して、副社長のカズが、「地下道を知り尽くしているから」と、胸を張った。怪盗カジ〜ノが、一呼吸おいて、「犯罪をなくす唯一の方法は、満足感と人の温かみを与えること。だから、時間がかかりました」と、言った。「カジノ自体が、嘘の事業だったんだ。表向きは、経済対策だが、本当は……全ての公共事業は、そのためにある」アナが、ペンを置いた。

     *

 また落選した。
「誰も読まないんじゃ、書く意味ないよ……」
「私が、読んでいる」アナが、僕を慰めてくれた。
「感想を聞かせて」
「……いっそ自分の文学賞を作れば?」
 アナは、暗に既存の文学賞の受賞が難しいことを意図していたのだろうか。
「それができたら、苦労しないよ」
「本当に価値のあるものなら、日の目は見るんだと思うよ。『オール』だって、初めは、誰も来てくれなかったって。今は、観光客だって、来てくれる……ま、色々あるけどさ」
「……ありがとう、アナ」
「どうして、落選するんだろうね?」
「原稿枚数足りないからかな?」もちろん、冗談なのだが。
「足りないのかよ!」
 アナも、それを知っていて、突っ込んでくれる。
「ハッハハハハ」
 これが、僕とアナの日常だ。しかし、こういう時のアナは、笑顔の中に少し影がある。笑っていながらも、僕のことを真剣に考えていてくれるようだった。しかし、どうにもならないのかも知れない。

     *

「さ、いよいよ、アナも寮生活か」
「寂しくなるねぇ」
 アナが、僕の家を出て、寮生活することにした。
「そんなに嬉しそうな顔するなよな」
「嬉しいんだよ」
「ハッハハハハ」
 アナは、潮らしくなってしまうのを、笑ってごまかした。同時に、僕を鼓舞するためにも、冗談を言ってくれた。本当に優しい。
「どうしてまた、寮に行くの?」僕が、尋ねたことがあった。
「徹のためだよ。私に気兼ねなく、家族を持って、幸せになってもらいたいんだよ」
 どこまでも、いじらしく、可憐な名花のような存在だった。

 僕は、体裁など気にしない。それは、アナに対する誠意であり、信頼だ。だって、アナに対して、体裁など気にしていたら、鋭いアナは、それに気づいて、心を開いてはくれない。それは、アナを生きたまま殺すことになる。僕には、そんなことはできない。アナと暮らした日々が、僕の勲章だ。これを誇りに思って生きていく。ずっとアナを見守りながら。でも、いつまでそうしていられるか分からない。それまでには、アナを独り立ちさせなくては。

     *

 アナとカズが、『オール』の客席で、遅めの昼食を食べていた。
 そこへ、健児から、手紙が届いた。
 手紙:〈障害児者だけが働く定食屋を作ろうと思っています。だって、障害児者の人の作った食事って、楽しいですよね! 看板メニューは、本気で、汁なしみそ汁にしようと思っています。みそと具をアツアツのご飯に乗せて、頬張るんです。美味いですよね〜。将来は、全国チェーン展開したいなと。それじゃ、来世になったら、また、『オール』に顔出します!〉
「健児も、分かってきたねぇ」アナが、昼食を頬張った。
「ハッハハハハ」
「理解者が、一人でも増えるのは、心強いことだね」
 カズが、封筒の裏を見た。
「汁なしみそ汁をアツアツのご飯に乗せるか……」
 アナが、よだれを垂らした。
「やってみる?」
「そうだね」
 アナとカズが、試してみた。
「美味い!」アナが、膝を叩いた。
「確かに、素材の味が、共演している感じ?」
「これにお湯をかけたら、どうだろう?」アナが、真剣に提案した。
「ただのねこまんまじゃないか」カズが、突っ込んだ。
「あ、そうか」
「ハッハハハハ」
 アナが、ねこまんまを胃に流し込んで、
「でも、健児……本気で分かっているのかな?」
 と、つぶやいた。
「……どうだろうね?」
「全国チェーンは、無理じゃないかなー?」
『オール』は、この田舎で、お客さんもほとんど知り合いだから、成り立っているのも事実だった。それを、全国チェーン展開するのは、無謀ともいえた。
「でも、もしも、それができたら、世の中、変わるよ」
 カズが、意見を述べた。
「世の中が、変わったら、実現するのかもね」
「ああ、両方だね。応援したい」
「もちろん。返事書いてあげようかな?」アナが、手紙を見た。
「無理だね」
「どうして?」
「あいつ、住所書いてないんだもん」
「あ……本当だ。ドジだなぁ」
「ハッハハハハ」
 健児は、こうして、『オール』のメンバーが、突っ込みを入れることを想定していたのだろう。『オール』の笑いのツボを押さえた良い判断だった。

 アナは、『オール』のメンバーといる時、最も幸せそうな顔をするようになった。僕の手を離れる機は熟したのだろう。いや、アナが、そこに照準を合わせて、自分を変えていったのだ。アナには、それができる。アナの手綱を握るのは、アナ自身だから。

     *

 アナが、僕の家を出て行く日になった。
「本当に大丈夫か?」
「心配性だな〜。徹こそ、一人で大丈夫?」
「ハッハハハハ」
「大人の心配をしなくて良いんだ」
「あら、私も、立派な大人よ」
「まあな」
「それじゃ、行くわ。あ、部屋の窓のところに、風鈴、つけたままにしているから。私だと思って、大切にしてよ」
 アナは、本当に気配りのできる子だ。
「ああ、元気でな」僕は、アナに手を振って、別れを惜しんだ。

 オーナー夫妻には、子供がいない。
「妻が、障害児者と接する時、本当に幸せな表情をするんです。それをずっと見たくて」
 オーナーが、寮を作って、和歌さんを寮母にした時に、語っていた。
 和歌さんは、心から寮生を愛してくれる。だからこそ、安心して、アナを託すことができるのだ。

 アナが、実際に寮生活を始めた。
「いらっしゃい」カズが、引っ越しの手伝いをした。
「カズ、夜這いしないでよね」
「するもんか! ……よく知ってたな、そんな言葉」
「カズこそ」
「ハッハハハハ」
 アナは、ドラマをよく見ているので、おませな言葉を結構知っていた。

 夜、アナの風鈴の音が鳴った。
 しみじみとアナとの生活を思い出した。もちろん楽しいことばかりではなかったけれど、全ての思い出が、喜びの対象だった。アナのために何かできないだろうかと、少説を書いて来た。アナがいなくなって、初心を思い出した。「それでも、『障害児者が明るく楽しく過ごす姿』を描く」僕は、心を奮い立たせた。

 数日後、僕は、心配して、アナの寮の部屋を見に行った。ピンクで統一されていた。
「こういうの好きだったんだー」アナが、本心を語った。
「良い部屋だね」
 アナが、自分をさらけ出すことができる場を得た。僕は、それを素直に受け入れた。
「徹の家では、遠慮していたのさ」
「そうだったんだ……」
 僕は、アナの気持ちをどの程度理解していたんだろう。疑心暗鬼になってしまった。
「どうも」
 カズが、ひょこっとアナの部屋に顔を出した。
「カズくん、アナを頼むね」
「自信ないですけど。こんなじゃじゃ馬」
「ひど〜い」
「ハッハハハハ」
「正直者で、安心できるよ」
「おい」
「任せておいてください」
「お願いします」
 僕は、深々と頭を下げた。頭を上げたら、カズの背後で、アナが、微笑んでいた。安心し切った、良い笑顔だった。カズになら、アナを任せられると確信した。
 だが、同時に、僕はアナの笑顔の中に、阿鼻叫喚を見た。アナの内側は、崩壊寸前だ。しかし、アナの希望通り、寮生活を続けさせよう。『オール』を信じて、アナを信じて、独り立ちさせる覚悟をしなくてはならない。本気で信じた時、それは成就すると、これまた信じて。

 僕の心配をよそに、アナの寮生活が、メッセージに踊った。
「食事が美味い!」アナが、和歌さんの手料理をバクバク食べた。
「和歌さん、お代わり!」カズも、負けじとモリモリ食べた。
「いっぱい食べてくださいな」和歌さんは、ホクホク顔で、寮生を眺めていた。
 それが、この寮の日常の風景だった。とても明るく楽しい空間だった。

 アナは、寮で、下働きを進んでやっているそうだ。
 僕は、とりあえず、見学に行った。
「アナ、掃除とかできるのか?」
 アナは、僕の家では、家事など見向きもしなかった。
「あら、望むところよ。新入りだから」
 アナは、寮の下働きを、本当に嬉しそうにしていた。僕は、目を見張った。こんな充実した表情を見たことがなかった。

 和歌さんの誕生日になった。寮生が、みんなでサプライズのプレゼントを用意した。畑の野菜で作ったフルコースの料理だった。普段、『オール』の料理は、ほとんど和歌さんが作っていたので、他のメンバーは、手探り状態で、フルコースの料理を作った。
 和歌さんが、一口食べて、味を確かめるようにして、
「……まずい」
 と、涙を流して喜んだ。
「ハッハハハハ」
 こんな時でも、笑いがあるのだ。

 アナには、心の拠り所が必要だった。今までは、僕が、その中心だったような気がするが、今は、違うんだと実感した。それが、良いことなのかどうかは、正直分からない。でも、多くの拠り所を見つけたようだ。味方は、多い方が良い。どうか、アナのことをよろしくお願いします。アナは、こう見えて、とても脆く、壊れやすいのです。もっとも、『オール』のメンバーは、それを痛いほど知っているから、どこかで安心できた。本当に素晴らしい環境を得た。

 アナは、寮生活を始めた頃、よく布団の中で泣いていたという。みんなに、強いアナを見せる反面、自分一人になった時の辛さは、何倍にも増す。それでも、アナは笑う。最高の笑顔を両親に見せるためだ。なんで、こんなことになっちまったんだ。運命を呪う以上に、自分のふがいなさに腹が立つ。

     *

 アナが、寮の自室の机の引き出しの一番奥から、アルバムを取り出した。お気に入りの一枚を見つめた。家族三人でとった写真だ。
「アナ、障害児として産んでしまって、ごめんね」
 アナの母が、小学校の入学式の直前、アナに謝った。
「何言っているんだい。カズと仲良くやるよ。友達十人作るんだ!」
 それが、最後に交わした言葉だった。
 アナの母は、アナの強がる姿を見て、微笑んでいた。アナを悲しませないように、配慮したのかどうかは、定かではない。ただ、アナは、その微笑みに希望を抱いたようだ。また会えると。

 アナが、寮の部屋で、父母に手紙を書いた。
 手紙:〈王子様は、見つけたんだけどね。お父さんとお母さんの元へ行きたくて、色々試してみたけど、カボチャの馬車は、迎えに来てくれなかった〉

     了

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