ダウン症のポータルサイト
ミューチュ
1
分娩室。
「オギャーオギャー」赤ちゃんが、元気よく産声を上げた。
「産まれた産まれた!」夫が、嬉しそうにビデオカメラを回していた。
「もう少しよ、頑張って!」産婦人科医が、妻に声をかけた。
「うーん!」妻が、息んだ。
「オギャーオギャー」二人目の赤ちゃんが、産まれた。
産婦人科医が、姉妹を妻の横に並べて、
「元気な双子よ。ビデオカメラ貸して」
と、夫からビデオカメラを受け取って、四人を撮影した。
「かわいいかわいい!」夫が、嬉しそうにビデオカメラに収まった。
「良かった……」妻が、安堵した。
こうして、アナと妹子(まいこ)は、この世に生を受けた。
一週間後、父母が、産婦人科医の診察室に呼ばれた。
「赤ちゃんは、二人とも元気よ。ただ、アナちゃんは、やっぱり、合併症の心臓病がありました。手術の必要があるかも知れないわ」
産婦人科医が、アナと妹子の診断結果を告げた。
「そうですか……心配だわ」母の顔が、少し曇った。
「本当に良かったの?」
「ええ」母が、短く、しかし、しっかりと自信を持って答えた。
母が、診察室を出て、保育器の中のアナと妹子を見つめた。
アナは、ダウン症で、妹子は、健常だった。
母が、退院して、アナと妹子とともに、自宅マンションの505号室に戻って来た。
「いよいよ、四人の生活が始まるね」父が、嬉しそうにアナと妹子を見つめた。
「幸せにしてあげましょうね」母が、微笑んだ。
「将来、アナの担任になれたら良いな〜」
父は、地元の高校の支援学級の先生をしていた。
「その後は、作業所で働く」
母は、近所の作業所の職員をしていた。
父母は、障害に理解があって、障害児者に人気だった。
*
ある日曜日、母が、アナと妹子を連れて、外出しようとしていた。
「また、ダンス教室に連れて行くのかい?」父が、呆れて聞いた。
「ダウン症の子には、ダンスが向いているのよ」母が、身支度を整えながら、当たり前のように答えた。母は、そのダンス教室の先生をしていた。
「だからって、まだ早すぎはしないかい? この間、首が据わったばかりだよ」
「音楽に合わせて、きゃっきゃきゃっきゃ動くのが良いのよ」
母が、ダンス教室に着いて、アナと妹子を教室の前の方に寝かせた。
「それじゃ、始めましょうか」母が、ダンス教室を始めた。
「はい」二十名ほどの生徒が、一斉にダンスの練習を始めた。
教室には、ダンスミュージック『Together Forever』が流れた。
母は、生徒を前にして、上機嫌で、振り付けを教えた。
アナと妹子は、音楽に合わせて、楽しそうにきゃっきゃきゃっきゃ動いていた。
*
休日、母が、自宅マンションで、昼食の後片付けをしていた。
「うわ〜ん!」四歳になったアナが、大きな声で泣いた。
「どうしたの?」母が、片付けを終えて、アナの元へ行った。
「うわ〜ん!」アナが、さらに泣き続けた。
「あら、妹子は?」母が、部屋の中を見回した。
そして、母が、妹子の姿を見つけた。
妹子は、ベランダのエアコンの室外機の上に立って、柵を乗り越えようとしていた。
「妹子!!!」
母が、一目散にベランダに走った。
しかし、妹子の体は、柵の外に消えた。
次の瞬間、母も、柵を乗り越えた。
「妹子!!!」
母が、空中で、妹子の足を掴んで、抱き寄せた。
「死なせるものか!」
母は、妹子を抱いて、背中から地面に落ちた。
「ぐはっ……」
母は、声にならない声を出した。
妹子は、母の胸の上で、鈍く弾んだ。
*
「目の上のホクロ……『目の上のたんこぶだ』って、言っていたな……」父が、酒をあおりながら、母の遺影を見つめた。
母は、よくそう愚痴っていた。
アナと妹子は、葬式を終えて、自宅マンションで疲れて寝てしまっていた。
「幼いアナと妹子をこんな境遇に……これが、運命か……」父が、アナと妹子の寝顔を見つめた。
幼いアナと妹子は、どうして母がいなくなったか理解できていなかった。あまりのショックで、事故の記憶が、抜け落ちていた。
数日後、父が、改めて、母の実家の両親に電話をした。
「今度、引っ越すことにしまして……」父が、祖父に新住所を告げた。
「同じ町内に引っ越すのかい?」
「全く別のところに移るのも、違うかなと……すみませんでした」父が、改めて、謝罪をした。
「いやいや、仕方のないことだよ」
「アナと妹子には、時が来たら、伝えます。それまでは……」
数週間後、父は、アナと妹子と一緒に、近所の平屋に引っ越しをした。
「やって行けるだろうか……?」父の子守りが、始まった。
2
アナと妹子は、近所の幼稚園に通い始めた。
「カズが、しつこく求愛してくるの!」アナが、父に不満を漏らした。
「もうロマンスかい? 良いじゃないか」父が、お茶目に答えた。
「アナとカズは、本当に仲が良いのね」妹子も、嬉しそうに話に加わった。
アナと妹子が、幼稚園の宿題で、作文を書くことになった。
「文章書くなんて、大嫌い。口で言えば良いじゃん!」アナが、お冠。
「ペンは、剣よりも強しよ」妹子が、アナを諭した。
幼稚園の三者面談があった。
父が、アナと妹子と一緒に、幼稚園の先生と話をした。
「アナも妹子も元気があって良いですよ〜」先生が、楽しそうに報告した。
「そうですか、良かった」
「ただ……アナは元気が良すぎて、妹子はわがままなところがあります」先生が、苦言を呈した。
「先生は、すぐ怒るところが玉にキズ」アナが、間髪入れずに言い放った。
「ハッハハハハ」
アナと妹子が、幼稚園から帰って来て、家の庭で元気に遊んでいた。
「二人は、本当に仲が良いのね」近所のおばさんが、アナと妹子に声をかけた。
「双子だからね」おばさんの子供が、おばさんと手を繋いだ。
アナと妹子が、寂しそうに親子を見送った。
その晩、アナと妹子が、父と一緒に夕食を食べていた。
「どうして、うちには、お母さんがいないの?」妹子が、禁断の言葉を発した。
「欲しいかい?」父が、真顔で答えた。
「偽者ならいらない」
*
数ヶ月後の土曜日の夕方、父が、自宅マンションに一人の女性を連れて来た。
「こんにちは」女性が、アナと妹子に声をかけた。
「……こんにちは」アナと妹子が、警戒しつつ、挨拶をした。
「これから、みんなで、食事に行こうか?」父が、アナと妹子に声をかけた。
「この女の人と一緒に?」妹子が、不安そう。
「そうだよ。何食べたい?」
「焼肉!」アナが、即答した。
「よし、じゃ、焼肉を食べに行こう!」
四人が、焼肉屋で、焼肉を食べ始めた。
「で、誰なの?」アナが、切り出した。
「後妻になる」父が、短く、しかし真剣に答えた。
「後妻……?」妹子が、顔をこわばらせた。
「ゴサイって言うから、五歳なのかと思ったわ」アナが、小さな声で、冗談を言った。
アナは、こんな時でも、冗談を言ったりするユーモアの精神を持ち合わせていた。家族や仲間のムードメーカーだった。
「五歳じゃないよー。新しいお母さんだよ」父が、笑いながら突っ込みを入れた。
「ふふふ」女性も、少し笑顔を見せた。
「お医者さんなんだよ」
女性は、地元の総合病院の女医だった。
「後妻だ後妻だ!」アナは、寛大だった。
「偽者じゃない!」妹子は、反発した。
「妹子も、少しはアナを見習いなさい」父が、妹子を諭した。
この頃、アナが、ダンスのレッスンを再開させていた。
「アナは、メタボだから、踊ると迫力あるよね」カズが、幼稚園で、アナに言った。
「うるせえ」アナが、不機嫌そうに答えた。
「妹子は、ダンスをしないのかな?」
「ああ、妹子はね」
妹子は、ベランダから落ちた時に、左足を骨折して、少し不自由だった。そのため、ダンスに支障もあった。だから、妹子は、ダンスをしていない。
「妹子も、ダンスしようよ〜」アナが、妹子をダンスに誘った。
「しないったらしない」妹子は、頑なに断った。
アナとカズは、幼馴染だった。
「はじめまして、アナって言うの。よろしくね」アナが、幼稚園の入園式で、カズに声をかけた。
「うん、よろしく。僕は、カズ」
「私、ダウン症なの」アナが、カズに告げた。
「アナは、ダウン症という障害があるんだ」
アナは、幼稚園に入る前に、父から、そのことを聞いた。その時は、ショックだったが、父の真剣な眼差しに癒されて、それを受け入れた。アナには、天性の陽気さがあった。それが、アナの生命線だった。
ある日、カズの母が、幼稚園に迎えに行くと、園長先生が、
「カズくん、今度、検査を受けてみたら……?」
と、声をかけた。
「何の検査ですか?」カズの母が、怪訝そうに尋ねた。
「発達障害」
数日後、検査結果が出た。
「カズくんは、発達障害ですね。軽度の知的障害もあります」医師が、カズの母に伝えた。
「……え?」
カズの母が、自宅に戻って、カズの父と共に、カズに、
「よく聞いて、カズ……貴方は、発達障害なの」
と、切り出した。
「え?」カズは、寝耳に水だった。
「アナちゃんと同じ、障害よ」
「そうか……アナと一緒なら良いや」カズが、意外にも、素直に受け入れた。
翌日、カズが、アナに、
「僕、発達障害だったよ」
と、言った。
「同じ障害か……ま、よろしくね」アナが、明るく答えた。
「アナと同じだから」カズが、自分に言い聞かせた。
結局、カズは、そのまま普通学級に残ることになった。
「気にするな」アナが、カズの肩をポンと叩いた。
「ありがとう」カズが、微笑んだ。
こんな時も、アナに救われた。
以来、アナとカズは、何でも包み隠さず話し合った。
アナとカズが、放課後の教室で、トランプをしていた。
「本当は、すごく辛いの……後妻なんて、受け入れられない」アナが、カズに本音を漏らした。
「アナは、空元気だったのか……僕は、普通の家庭だから、正直アナの気持ちは分からない。でも、同じ障害児として、サポートはしたい。どうすれば良い?」カズが、真摯に答えた。
「勉強、教えて」
カズは、軽度の知的障害があったが、アナよりも勉強が得意だった。
「え、それで良いの?」
「それが良いの。妹子と同じ中学に行きたいし、後妻も喜ばせたいから」アナが、健気な一面を見せた。
吉日、父が、正式に再婚した。
「よろしくね」後妻が、アナと妹子に声をかけた。
「はい!」アナが、元気よく答えた。
「……」妹子は、まだ受け入れられなかった。
そうして、後妻との生活が始まった。
3
数年後、父は、アナと妹子を連れて、分娩室の前の廊下にいた。
「オギャーオギャー」赤ちゃんが、産声を上げた。
「産まれた!」アナが、飛び上がって喜んだ。
「……」妹子は、無関心。
「二人の弟だよ」父が、万感の思い。
こうして、腹違いの弟が産まれた。
それから、後妻が、退院して、弟の世話に追われた。
「後妻は、弟につきっきりだね」アナが、妹子に声をかけた。
「なんか嫌」妹子が、やきもちを焼いた。
夜、弟が、夜泣きをした。
「あらあら、どうしたの?」後妻が、起きて、弟を抱き上げた。
「手伝うよ。後妻は寝て」アナが、寝ぼけ眼で、優しく言った。
「アナ……」後妻が、思わず、涙を流した。
アナは、本当に優しくて、気配りのできる子だった。
アナが、後妻と一緒に、夕食の手伝いをした。
「やだー、また卵の殻、入っちゃったー。ごめんね、邪魔しているよね?」アナが、楽しそうに出し巻き卵を作っていた。
「ううん、嬉しいよ。ありがとう」後妻は、本当に嬉しそうだった。
母の日になった。
「これ、小学校の宿題で描いたんだよ」アナが、父と母に家族の絵を見せた。
「よく描けているじゃないか」父が、アナをほめた。
「でしょう」アナが、得意げに笑った。
「妹子も描いたのかい?」
「……」妹子が、黙って、絵を見せた。
妹子の母の絵には、目の上にホクロがあった。
「妹子、まだ先妻のことを……」父が、絶句した。
その夜、父が、寝室で、後妻に、
「すまないね。妹子は、どうしてあんなに……」
と、謝った。
「仕方ないわ。二番手で十分」後妻は、ポジティブに答えた。
4
アナと妹子が、小学五年生になった。
小学校の入学式の前の夕方、アナと妹子と弟が、談笑していた。
「いよいよ、弟も、小学生か」アナが、弟に声をかけた。
「楽しみだな〜」弟は、新一年生になって、上機嫌だった。
ある日、アナ、妹子、弟が、自宅近くの公園で遊んでいると、一人の女性が、歩いていた。
「あ、先生だ!」弟が、嬉しそうに声を上げた。
女性は、幼稚園の先生で、アナ、妹子、弟の担任をしていたこともあった。
「誰?」アナが、聞いた。
「幼稚園の時の先生じゃん」妹子も、嬉しそうに告げた。
「あー、懐かしい!」アナも、ようやく気づいた。
「弟も、新一年生か。アナと妹子が、良いお手本にならないと」先生が、楽しそうに声をかけた。
アナは、障害があったが、普通学級に所属していた。
「本当に普通学級で良かったよね。妹子も一緒だし」カズも、クラスメイトだった。
「本当ね」
アナは、少し勉強について行けなかったが、普通学級を満喫していた。
知的障害があると、この頃から、少し苦痛を感じるようになる。だから、途中からでも、支援学級に移ることもあった。しかし、アナは、頑なに普通学級にこだわった。カズと妹子と一緒のクラスにこだわっていたのだ。それが、アナの障害に対する密かな反抗だった。
「どうして、カレーが、こんなに甘口なの! 僕は、もう子供じゃないんだよ!」弟が、後妻に食ってかかった。反抗期を迎えていた。
「ごめんなさいね〜」後妻が、謝った。
「甘口、結構好きだけどな」アナが、後妻の肩をもった。
後日、カズが、アナの自宅に遊びに来た。
「お母さんが、甘口のカレーばかり作るんだ」弟が、カズに愚痴った。
「本気で反抗できる相手がいるだけ幸せだよ。アナと妹子は、後妻に本気で反抗しない」カズが、弟を諭した。
ある日の夕食時、アナが、箸を置いて、
「お父さん……先妻は、どうして死んじゃったの?」
と、言い出した。
「交通事故だよ」父が、嘘をついた。
「どんな事故?」
「……居眠り運転の車が、対向車線から、飛び出して来た。先妻は、咄嗟に避けたけど、ダメだった」
「その車に、私も乗っていたの?」
「アナと妹子も、乗っていたんだよ。妹子の足の骨折は、その時のものだよ」
「そう……」アナが、珍しく元気を失った。
小学校の父兄参観日が、近づいて来ていた。
「父兄参観日って、憂鬱だわ」アナが、カズに告げた。
「どうして?」カズが、不思議そうに聞いた。
「……お母さんが来るでしょ。父兄参観日のくせに」
「……そうだね」
そうして、父兄参観日の当日を迎えた。
アナが、教室の後ろを振り返って、少し驚いた。
教室の後ろに並んでいたのは、全て、父親だった。
「これって……?」アナが、カズに声をかけた。
「みんなに頼んだんだ」
もちろん、アナの父も、その中にいた。
「おーい」アナの父が、嬉しそうにアナと妹子に手を振った。
「おーい」アナも、喜びを隠せない様子で、手を振り返した。
「恥ずかしいなぁ」妹子が、照れ臭そうに笑った。
アナと妹子が、子供部屋で、遊んでいた。
「今度、子供だけで、遊園地へ行かない?」妹子が、提案した。
「冒険だね〜」アナも、楽しそうに賛同した。
翌週、アナと妹子が、おめかしをして、駅に行くと、カズがいた。
「あら、カズ。奇遇だねぇ」アナが、声をかけた。
「妹子に呼ばれたんだ」
「え?」
「一緒に行こうよ」
妹子が、アナとカズをくっつけようとしたのだ。
「さ、切符を買おうか」カズが、リードした。
「切符か〜」アナは、切符の買い方を知らなかった。
実際、知的障害の程度にもよるが、切符を買うには、路線図の見方、駅名の読み方、お金の計算など、多くのハードルがある。だから、普段、普通に話などをできても、切符は買えないという現実がある。同じように、時計の読み方も、難題の一つ。
「教えてあげるよ」カズが、アナに切符の買い方を教えた。カズは、軽度の知的障害があったが、事前に、カズの母に切符の買い方を習った。アナに教えるために。
三人が、遊園地に着いた。
「あれ、アナは?」カズが、アナのいないことに気づいた。
アナが、いきなり迷子になった。
「探さなきゃ!」妹子が、慌てた。
「僕が、探してくる! 妹子は、ここで待っていて!」カズが、辺りを走り回った。
しばらくして、カズも、迷子になった。
「全く!」
妹子が、遊園地の放送で、アナとカズの呼び出しをしてもらった。
「も〜う、迷子にならないでよね!」アナが、憎まれ口を叩いた。
「迷子になったのは、アナじゃん!」カズが、怒った。
「カズも、ミイラ取りがミイラになったじゃない」妹子が、呆れた。
その夜、アナが、日記を書き始めた。
日記:〈妹子のお節介め。でも、久しぶりに妹子の心からの笑顔を見た気がした。妹子らしさを失ったわけじゃないんだね〉
短い文章だったが、妹子の変化を的確に捉えていた。
小学校の進路相談の時期になった。
アナが、担任の先生に呼ばれて、進路を決めた。
「妹子と同じ中学に行きたいです」アナが、希望を述べた。
「付いて行けるかい?」
「頑張ります」
「善処するよ」
アナの進学先が決まった。
「妹子と同じ中学じゃん」カズが、嬉しそうにアナに告げた。
「支援学級だけどね」アナが、照れ臭そうに笑った。支援学級でも、妹子と同じ中学なら、十分だった。
「僕も一緒だしね」カズも、アナと同じ支援学級に行くことになった。
「そうか、カズも一緒か」アナが、嬉しそうに微笑んだ。
本当に嬉しかった。
5
アナは、高校も、妹子と同じだった。ただし、中学に続いて、支援学級の所属だった。
「また、よろしくな」カズも、同じだった。
「また〜?」アナが、嬉しそうにうそぶいた。
担任の先生は、アナの父だった。
弟は、アナと妹子の通った中学校に入学した。
ある日、弟が、一人で下校していると、悪田が、
「や〜い、障害児の弟!」
と、水鉄砲で、襲撃した。
悪田は、妹子の同級生で、地元の悪童だった。弟は、アナが、ダウン症ということで、これまでにも色々あった。
「何をしている!」アナが、その現場を目撃して、救おうとした。
「障害児本人のお出ましか!」悪田が、アナも、水鉄砲で撃った。
アナは、どうすることもできなかった。
そこへ、カズが登場して、「やめろ!」と、助太刀した。
「お前も、障害児じゃないか!」悪田が、カズにも、水鉄砲を浴びせた。
カズも、劣勢で、余計にこじれた。
その時、妹子が、現れて、
「なにしてんのよ!」
と、悪田に、抵抗した。
妹子は、喧嘩が、とても強かった。
「なんだよ……」悪田が、妹子の勢いに負けて、立ち去った。
「頼りになる〜」アナが、妹子を労った。
後日、この時の妹子の行動が、問題になって、高校の校長先生が、後妻と妹子を呼び出して、
「妹子さんは、やりすぎですよ」
と、苦言を呈した。
後妻と妹子は、こってりと搾られて、帰途についた。
「正しいことをしたと思うよ」後妻が、妹子に真剣に告げた。
「……うん」妹子は、自分を認めてくれた後妻に感謝した。
後妻が、妹子の手を繋いで、並んで歩いた。妹子は、後妻に対する気持ちが少し変化し始めていた。
*
先妻の十三回忌の法要が執り行われた。
「ご無沙汰しております」先妻の両親が、法要に訪れた。
「どうも」父が、先妻の両親を出迎えた。
法要の終盤、先妻の両親が、泣き崩れた。
「先妻って、どういう人だったの?」弟が、アナと妹子に尋ねた。
「ほとんど覚えてないんだー」アナが、残念そうに答えた。
「物心つく前に亡くなっちゃったから」妹子も、記憶がなかった。
「そっか……」弟は、アナと妹子が、不憫でならなかった。
法要が終わって、後妻が、弟の部屋へ行って、
「貴方は、実子なの。本当のお母さんがいるの。アナと妹子には、その本当の支えがない。だから、アナと妹子を私が支えるの」
と、弟を諭した。
「……」アナが、部屋の外で、その話を聞いてしまった。
アナが、その後、弟にこっそりと、
「後妻に甘えて良いよ」
と、告げた。
アナは、本当に優しかった。
アナが、日記をつけた。
日記:〈久しぶりにゆっくり先妻のことを思った。ほとんど覚えていないけど、より記憶が、曖昧になっている〉
数週間後、父が、単身赴任で、家を出ることになった。
「高校の支援学級の先生なのに、単身赴任なんてあるの?」妹子が、問うた。
「ICTの教育プログラムを集中的に作るんだ……先妻との約束でね。『アナに満足のいく教育を』ってね。いつも言っていた」父が、自信をもって答えた。
「寂しくなるなぁ」アナが、残念そう。
「これ、みんなで使ってくれ」父が、子供たちに、パソコンをプレゼントした。
「インターネットができるの?」弟が、興味津々。
「設定するよ」
「やった!」
数日後、父が、
「それじゃ、良い子にしているんだよ」
と、家を出て行った。
「行ってしまった……」妹子が、がっくりと肩を落とした。
「寂しくなるね」弟も、元気がなかった。
「じゃじゃ〜ん! 新しいお父さん決定ゲーム!」アナが、突然言い出した。
「なにそれ?」妹子が、聞いた。
「大黒柱は、必要でしょ? くじ引き作っておいたから、みんな引いて〜」
アナが、みんなにくじを引かせた。
アナ以外は、渋々くじを引いた。
「赤いの出た」妹子が、当たりを引いた。
「じゃ、妹子が、お父さんね!」アナが、嬉しそうに告げた。
「どうすれば良いの?」
「知らない」
アナと妹子が、高校の宿題で、読書感想文を書くことになった。
妹子の感想文の一部:〈王子様にキュンキュンしました〉
妹子は、『白雪姫』を読んで、女子高生らしい感想文を書いた。
アナの感想文の一部:〈身につまされた〉
アナは、『後妻業』を読んで、意気消沈していた。
「ディズニーにすりゃ良かったな〜」アナが、妹子に言った。
6
〈昼過ぎ、マンション5階のベランダから、妹子ちゃん(4)が転落。救おうとして、母親(46)が、ベランダから飛び降りた。妹子ちゃんは、足を折る重傷。母親は、亡くなった〉
弟が、インターネットで、当時のローカルニュースの記事を見つけてしまった。
「どういうことですか、これ……?」
弟が、ローカルニュースの会社に問い合わせた。
「その件に関しましては、お答えできません。それが、掲載の条件でしたから」
妹子が、弟からその話を聞いて、父に電話をかけて、
「交通事故って……?」
と、切り出した。
「……」父は、すぐに返事ができなかった。
「お父さん、どういうこと?」
「……妹子を救って亡くなったんだ」
父が、先妻の死の真相を語った。
「お父さん……」アナが、くじ引きでお父さんになった妹子に声をかけた。
「今、大黒柱関係ないじゃん」妹子が、イラついた。
「こういう時だからこそだよ」アナが、必死な表情をした。
全くの不謹慎な言動だが、アナの言う通り、こんな時だからこそ、ユーモアが必要なのだ。アナは、それを肌で感じていた。それは、障害児として、辛酸を舐めた結果だった。だから、強い。そして、周りのために行動できる。それが、アナの魅力。
「私のせいで、先妻が亡くなったの……?」妹子が、アナに和まされつつも、ショックを受けた。
「そんな風に思わなくて良いのよ」後妻が、フォローした。
「この足の骨折は、その時の?」妹子が、父に問うた。
「そうだよ」
「先妻の形見のようで良いじゃん」アナが、またしても、場の空気を変えようと必死だった。
「お母さん!」
妹子が、家を飛び出してしまった。
「妹子!」
後妻、アナ、弟が、妹子を追いかけた。
妹子は、走って、旧居のマンションへ行って、五階の階段の踊り場から、飛び降りようとした。
「妹子!」後妻が、妹子の体をぎゅっと掴んだ。
「放して!」
「守るから!」後妻が、妹子の体を引き上げた。
後妻は、妹子を支えて、落ちなかった。
アナが、後妻の足にしがみついていたのだ。
三人は、無事だった。
「アナ、ありがとう」後妻が、アナにお礼を述べた。
「妹子を救ってくれてありがとう」アナが、微笑んだ。
夜中、父が、緊急で帰宅した。
父の口から、事実を伝えた。
「僕が、あんなもの見つけなければ……」弟が、後悔した。
「いつか伝えようと思っていた。それが、今だっただけだよ」父が、弟をフォローした。
「お父さん、こうなること、分かってたんじゃ? だから、パソコンを……」アナが、鋭い意見を言った。
「そうかも知れない」父は、それを否定しなかった。
「……」妹子は、まだ塞ぎ込んでいた。
父が、
「救急車を呼んだのは、アナだよ。まだ、119番なんて教えていないのに、電話をかけた。そして、アナが、大泣きして、近所の人が、気付いて、救急車が到着。119番のテープには、ひたすら、アナの泣き声が録音されていた。アナは、奇跡を起こしたんだ」
と、話を続けた。
その夜、家族は、寝室で、雑魚寝した。
ずっと妹子の泣き声が聞こえていた。
誰も、寝られなかった。
数週間後、地域のお祭りがあった。
近所の人々が、アナ、妹子、弟が、真相を聞いたことを知って、
「みんな味方。ずっと見守って来たんだから」
と、声をかけた。
三人は、近所の人々の優しさに触れた。
「これまで黙っていてくれたご近所さんや関係者の協力に感謝しなきゃね。みんな、アナと妹子を見守ってくれていたのよ」後妻が、告げた。
「すっきりしたわ。後ろめたかったから」近所のおばさんが、妹子の肩を抱いた。
「すみません」
「良いのよ。お父さんのたっての頼みだったから」
「そうだったんですね」
「みんな、率先して協力したのよ」
「ありがとうございます」アナも、お礼を述べた。
「先妻の踊りは、それはそれは綺麗だったのよ。先妻のために踊らなきゃ。アナちゃん、ダンス得意でしょ?」
「はい!」
祭りの終盤、アナが、カズに、
「先妻のこと思い出したら、辛くなっちゃった」
と、思いを吐露した。
「花を手向けに行こう」カズが、提案した。
アナとカズが、花束を買って、マンションへ行った。
「住んでいたの、五階なんだ」アナが、マンションを見上げた。
「五階から……」
「ここら辺かな。痛かっただろうな……」アナが、マンションの裏手に回って、先妻と妹子の落下した場所に足を運んだ。
「妹子を守るのに必死だったと思う。アナの先妻は、奇跡を起こしたんだ」カズが、アナを勇気づけた。
「タンポポが、生えている」アナが、それを見つけた。
「タンポポも、必死に咲いてる」
「カズ、奇跡を起こして」
「どんな奇跡?」
「カズの思う奇跡を」
「分かった、約束する」
カズが、アナの手を握った。
7
ある夕方、妹子が、カズに電話をかけて、
「アナ、知らない? まだ帰って来ないんだけど」
と、聞いた。
「え、随分前に、帰宅したと思うよ」
「だよね……」
妹子、後妻、弟が、アナを探した。
「居たかい?」カズも、一緒に探してくれた。
「あっちかな……?」妹子が、先導して、堤防の方を探しに行った。
アナが居た。
アナは、その場に倒れていた。
「アナ? しっかりして!」妹子が、アナを助け起こした。
「救急車を呼ぶわ!」後妻が、電話をかけた。
アナは、すぐに救急搬送されて、手当を受けた。
「タンポポ……摘んでいたんだね」妹子が、思い口を開いた。
アナは、先妻を思って、タンポポを摘んでいて、心臓発作を起こした。
アナは、一命をとりとめて、病室へ移った。
その時、父が、病院に駆けつけて、
「アナは!」
と、叫んだ。
「もう大丈夫みたい。今、眠っているところ」後妻が、父を落ち着かせた。
その時、アナが、目を覚まして、
「お父さん、行ったり来たり、忙しいね」
と、お茶目に言った。
こんな時でも、盛り上げる。それが、アナだった。
父が、後妻と共に、医師から、アナの病状を聞いた。
「アナと妹子に伝えようと思う」父が、切り出した。
「今?」後妻が、躊躇した。
「アナの命尽きる前に」
「……そうですね」後妻も、異論はなかった。
それから、父、後妻、アナ、妹子、弟が、病室に集まった。
「アナ、妹子、大事な話がある……アナと妹子は、体外受精で産まれたんだ」父が、語り始めた。
「たまたま、ダウン症の私を授かった、と?」アナが、聞いた。
「いや……あえて、ダウン症にしたんだ」
「え?」
「ダウン症の受精卵を着床させたんだ。もっとも、先妻は、四十代で、高齢だったから、受精卵がダウン症になりやすかったんだ」
「そんなことあるの?」
「ああ……それと…………先妻は、実は、ダウン症児を堕胎したことがあるんだ。結婚してすぐに妊娠したんだけど。それを後悔していてね。重い十字架を背負ってしまった」
「お父さん……支援学級の先生なのに……?」妹子が、意外そうに尋ねた。
確かに、支援学級の先生は、障害児者に理解がある。だから、父が、堕胎を選択したのは、意外だった。
「産むのが正解とも言えないんだ」父が、真剣に告げた。
「事実、新型出生前診断で、異常が見つかった妊婦の九割以上は、堕胎しているの」後妻が、情報を伝えた。
「そ、そんなに……?」アナが、驚いた。
「その時、『堕ろそう』って、言ったのは、僕なんだ」父が、言った。
「……嘘、ついているでしょう?」アナが、鋭い。
「……」
「すぐ分かるから」アナが、少し微笑んだ。
「……ちなみに、その後、先妻は、作業所の職員になる決意をした。その後、アナと妹子を産むことになった」
「体外受精の子をダウン症にしようって、言ったのも、先妻が?」
「……そうだ……アナ、ごめんな……」
「なんで謝るのよ。そういう先妻……結構好き」アナは、ワクワクしていた。
「どうして私たち双子にしたの?」
「アナの将来のことを思って、双子にしたんだ。今は、体外受精で、それができるようになったからね」父が、妹子を見た。
「しかも、弟も産まれたしね」妹子が、弟を見た。
「ああ」父が、俯いた。
「先妻って、考え方が、少し変わっているね。お父さんも」アナが、場の空気を変えようと笑った。
「それだけ、ダウン症児者のポテンシャルに気づいたからかな」父が、話をまとめた。
「アナのことは任せて」妹子も、この状況を変えようと、必死だった。
「僕も、力になりたい」弟も、頼り甲斐のあるところを見せた。
「妹子と弟のことは任せて」アナも、言った。
「ハッハハハハ」
なんだか、家族が一つになった気がした。
「その子には、名前はあるの?」アナが、父に聞いた。
「名前は、付けなかった」
「男の子?」
「ああ。弟が産まれた時、なんだか感慨深かったよ」
「そうか、男の子か……」
アナが、退院して、みんなで、兄の水子供養をした。
「お兄ちゃんの名前、考えてあげようよ」アナが、提案した。
「良いね」妹子も、賛同した。
「一番、素敵な名前にしよう」
「アナは、何が良い?」
「守」
「私は……義助」妹子が、答えた。
その夜中、アナと妹子が、二人の出産時のビデオを見ていた。
「どうしたの?」後妻が、起きて来て、尋ねた。
「先妻の決意を確認しようと思って」妹子が、答えた。
「絶対に幸せにしてみせる!」後妻が、断言した。
「お願いします」アナが、お茶目に言った。
「……先妻、大泣きしてね……亡くなる時」後妻が、思い口を開いた。
後妻は、産婦人科医で、先妻の堕胎手術と体外受精とアナと妹子の出産を担当した。
「あの日、先妻が、病院に搬送されて……私は、妹子の処置をしたんだけど……その後、先妻の元へ行った……先妻は、『アナと妹子をお願い』って……それが、最期の言葉だった……」
「だから、後妻に?」妹子が、後妻に聞いた。
「先妻の握りしめた手が力を失うまで、握り合っていたわ。断る理由はなかった」
「それ言ってくれていたら、もっと友好的に……」
「受け入れるって、そんなに簡単なことじゃないから」
「そうだね……」
「先妻の臨終に間に合ったのは、アナが、救急車を呼んでくれたおかげよ」後妻が、微笑んだ。
その後、アナは、前にも増して、バイタリティのあるところを見せつけた。
「お兄ちゃんの生まれ変わりとして恥ずかしくない人生を!」
それが、アナの思いだった。
翌朝、家族で朝食を食べていた。
「今晩、食事にでも行きましょうか? 何食べたい?」後妻が、子供たちに聞いた。
「焼肉!」アナが、即答した。
「本当に焼肉が好きなのね」
「先妻と最後に食べた夕食が、焼肉だったから」
「……ごめんね、アナ、妹子。私たちの判断が、間違っていたのかも」
「間違っていたかどうかは、これからの行動にかかっているんじゃないかな」アナが、真摯に答えた。
アナが、登校して、カズに、
「実は、お兄ちゃんがいたみたいなんだ」
と、話した。
「アナ、辛い時は、泣いて良いんだぞ」カズが、優しくアナの肩を抱いた。
アナが、大泣きした。
「お兄ちゃんが怒って、先妻の命を……」アナが、カズの腕の中で言った。
「それは違うと思うよ。お兄さんは、妹子の命を守ってくれたんだ……そうに決まっている」
「……」
「アナが、頑張って、それを証明するんだ」
8
弟が、下校時に、カズと一緒に話し込んでいた。
「あら、弟とカズ……真剣な顔をして、珍しいわね」妹子が、二人を目撃していた。
弟と妹子が、帰宅した。
「カズと何を話していたの?」妹子が、弟に問うた。
「まぁ……色々とね」
「色々って何よ?」
「男には、色々あるんだよ」
「何よ、それ」
「まあ良いじゃん」弟が、妹子の追求をはぐらかした。
後日、弟が、中学校のパソコン部に入った。
「何でまた、パソコン部なんかに?」妹子が、弟に尋ねた。
「お父さんにパソコンを買ってもらったし……」
「そうか。ハマったんだな?」アナが、嬉しそうに口を挟んだ。
「まあそんなところかな」
それから、弟が、家でも学校でも、パソコンばかりしている。
「弟は、本当にパソコンが好きだな」アナが、呆れた。
「結構勉強になるんだ」弟は、真剣にパソコンに取り組んでいた。
ある日曜日、カズが、弟を発達障害児の親の会に連れて行った。
「発達障害の情報をまとめたり、手記を集めたりした、会報を配ったりしているんだ」カズが、弟に説明した。
「そうなんですかー」弟が、熱心に会報を読んだ。
「あなたも、発達障害の家族がいるの?」発達障害児のママさんが、弟に声をかけた。
「いえ、姉が、ダウン症です」弟が、アナのことを話した。
「同じような境遇ね」
「そうですね。障害って、何なんでしょうね?」
「よく言われるのは、人生のスパイス。とても素晴らしい日々を送らせてもらっているわ」
「人生のスパイスですか……そうかも知れませんね」弟が、目を輝かせた。
*
アナの高校の修学旅行の時期になった。今年度も、二泊三日で、都市のテーマパークなどに行くことになった。支援学級のアナとカズも、普通学級の生徒に混じって、参加することになった。
「一緒に行動しような」アナが、カズと一緒に行動した。
一行が、都市のテーマパークに到着した。
「さあ、羽を伸ばすぞ〜」アナが、気合を入れた。
「一年中、羽を伸ばしてんじゃないか」カズが、突っ込んだ。
アナとカズが、テーマパークのフードコートで、昼食を食べていた。
「ここで、お父さんが、先妻にプロポーズしたんだって」アナが、いきなり切り出した。
そこは、アナの父と先妻の思い出の場所だった。
「……」カズが、押し黙った。
「しないの?」アナが、不満そうに言った。
「なにを?」
「……プロポーズ」アナが、伏し目。
カズが、覚悟を決めて、
「アナ……付き合ってくれ」
と、告った。
「嫌よ!」アナが、にべもなく答えた。
「アナから言ったんじゃん」カズが、納得いかない様子。
「ま、食べようよ」アナが、昼食のラーメンを食べ始めた。
「アナ、日記は、まだ書いているの?」カズが、アナに聞いた。
「ああ、あれは、三日坊主」アナが、美味しそうにラーメンをすすった。
夕方、テーマパークでの時間も、終盤に差し掛かっていた。
「あら、妹子だわ……一緒にいるのは、義助?」アナが、妹子を発見した。
妹子は、同級生の義助と手をつないで、デートしていた。
「二人とも、足が少し不自由だね」カズが、二人を見た。
「義助は、生まれつきよ」
義助は、左足の先がなくて、義足を装着していた。
「そうだったんだー」
その時、アナが、「あっ」と、声を上げた。
妹子と義助が、地元の高校生の集団に絡まれたのだ。
「妹子、走って逃げろ」義助が、妹子をかばった。
「そんなことできない」妹子は、義助を残して、逃げるのを拒んだ。
「どうしよう、助けに行かなくちゃ」アナが、不安そう。
「先生を呼びに行こうよ。僕らじゃ、どうしようもない」カズが、言い出した。
「そうね……あら?」アナが、それに気づいた。
「なにしてんの?」一人の男の子が、高校生の集団に挑んだ。
悪田だった。
「悪田……いくら何でもあの人数相手に無理だよ」アナが、悪田の心配をした。
「なんだよ、お前!」高校生の集団が、悪田に襲いかかった。
「……」悪田が、無言で、高校生をなぎ倒した。
悪田は、とんでもなく喧嘩が強かった。
「お、覚えておけよ……」高校生の集団が、逃げ去って行った。
「ありがとう、悪田」妹子が、お礼を述べた。
「義助は、俺の幼馴染なんだ。よろしく頼むよ」悪田が、妹子に照れ臭そうに告げた。
「そうだったんだ……」
「じゃあな」悪田が、小走りに去った。
「悪田って、良いとこあるんだね」妹子が、しみじみと言った。
「ああ、本当はね」
9
ダンスの大会が、間近に迫っていた。
「ねぇ、妹子も参加しようよ〜」アナが、いつものように、妹子をダンスに誘った。
「やめておくわ」妹子は、頑なに断った。
妹子は、やはり足が不自由なので、ダンスに参加するのが億劫だった。
「ねぇねぇ、妹子〜」
「やらない!」
土曜日、ダンス大会当日。
「あら、カズ?」アナが、目を丸くした。
カズが、ダンスに参加したのだ。
「妹子に誘われてね。まだ、振り付け覚えてないけど、後ろの方で、踊るよ」カズが、アナに告げた。
「妹子ったら……」アナが、嬉しそうに微笑んだ。
ダンス大会には、二十チームほどが参加していた。
アナのチームのダンスが始まった。
アナは、結構ダンスが上手かった。ダウン症児者は、音楽に合わせて踊るのが、好きだし、得意だった。
カズも、後ろの方で、見よう見まねのダンスを踊っていた。
全ての参加チームのダンスが終わって、表彰式が、行われた。
「残念無念」アナが、顔を曇らせた。
アナのチームは、入賞を逃した。
アナのチームメイトが、反省会をして、解散になった。
「何か食べに行きましょうか?」後妻が、アナを気遣った。
「焼肉!」アナが、嬉しそうに即答した。
アナの家族が、みんなで焼肉を食べに行った。
「アナは、本当にダンスが好きなのね」後妻が、焼肉を食べながら、アナに声をかけた。
「先妻が、昔、ダンス教室に通っていたの。だから、一緒に踊りたかった……」アナが、珍しくしんみりしていた。
その夜、アナが、居間で、ダンス動画を見ていた。
「先妻……」アナが、涙目になった。
画面の中で、先妻が、踊っていた。
夜中、アナが、家を飛び出してしまった。
「アナがいない……」妹子が、気づいて、後妻に報告した。
「え!」後妻が、驚いて、玄関を飛び出した。
雨が降っていた。
「アナー! アナー!」後妻が、アナを探し回った。
後妻は、真っ先に旧居のマンションへ行った。
「いない……」後妻が、途方に暮れた。
その時、後妻のスマホが鳴った。
「アナが、見つかった!」妹子が、告げた。
アナは、カズの元へ行っていた。
「心配したじゃないの!」後妻が、アナの元に急いで、平手打ちした。
「ごめんなさい……」アナが、反省した。
アナ、妹子、弟、後妻が、家に戻った。
「どうしたら良いか、分からないの……」後妻が、父に電話をかけた。
翌朝、後妻が、熱を出して、寝込んでしまった。
「ゆっくり寝ていてよ」妹子が、後妻に優しく告げた。
それから、アナと妹子が、後妻のために朝食のお粥を作った。
「ありがとう、美味しいわ」後妻が、満足そうにお粥を食べた。
「ありがとう、叩いてくれて」アナが、後妻にお礼を述べた。
翌週の日曜日、後妻が、アナ、妹子、弟を連れて、単身赴任の父の元へ行った。
サプライズだった。
「お父さん、遊びに来たよ〜」アナが、父のアパートの玄関で、嬉しそうに再会した。
「ああ、みんな……」父は、昼間から酒に酔っていた。
「お酒飲んでいるの?」妹子が、心配した。
「すまない……」父は、寂しさを紛らわすため、必死だった。
一行が、父の部屋に入った。
「この絵は?」アナが、父に問うた。
部屋には、描きかけの家族の絵が置いてあった。アナ、妹子、弟、後妻、父、先妻、兄が、描かれていた。
「みんな生きていたら、どんなだっただろう……」父が、しみじみと口にした。
「みんな生きていたら、今の家族は、存在していなかったよ」アナが、にべもなく答えた。
「……確かにそうだな」
それから、家族団欒の時を過ごした。
「それじゃ、帰るね〜。飲み過ぎないようにね」アナが、父に声をかけた。
「そうだね」父が、家族を見送った。
帰り道、妹子が、
「お父さんが、あんなに酔っ払っているところ、初めて見た」
と、驚きを隠せなかった。
「色々あるのよ、大人は」アナが、お茶目に言った。
10
父が、単身赴任先から帰って来た。
「お父さ〜ん!」アナが、嬉しそうに出迎えた。
「ただいま」父は、あの絵を小脇に抱えていた。
「完成したの?」
「まだだね〜。これから、この家族で、描いていくのかも知れない」
「高校に戻るんだよね?」妹子が、父に聞いた。
「ああ、ICTの教育プログラムが、完成したからね」
「じゃ、今夜はお祝いだ。焼肉に行こう!」アナが、音頭をとった。
後日、アナとカズが、父のICTの教育プログラムを試した。
「すごく良いですよ、これ!」カズが、感想を述べた。
「生徒に合わせて、学習するからね」父が、得意げ。
「へぇ〜、コンピューターも、一丁前に学習するんだー」アナも、感心していた。
「アナより勉強できるよ」父が、冗談混じりに言った。
「ひど〜い」
「ハッハハハハ」
*
受験シーズンになった。
家族が、夕食を囲んでいた。
「進路は、決めたの?」後妻が妹子に尋ねた。
「医師になろうと思っているの」
「あら、良いじゃない?」後妻が、喜んだ。
「アナは、どうするんだ?」父が、聞いた。
「大学はちょっと無理だから、作業所で働こうと思っている」
「そうか。良いじゃないか」
「勉強、良かったら、見てあげようかしら?」後妻が、妹子に申し出た。
「そうしてくれると、助かるわ」
「頑張る」
それから、後妻が妹子に勉強を教えた。
「アナも、卒業しなきゃな」父が、アナに勉強を教えた。
「僕は、パソコンがあるから大丈夫」弟は、少し寂しそうだったが、黙々とパソコンの作業をしていた。
妹子の受験の日。
「アナと二人で、神社にお参りに行ったの」後妻が、妹子にお守りを渡した。
「千円お賽銭を入れて来た。手が震えちゃったよ」アナが、屈託のない笑顔を見せた。
「ハッハハハハ」
妹子が、大学の医学部に合格した。
「おめでとう! すごいじゃない!」後妻が、自分のことのように喜んだ。
「ありがとう、照れくさいわ」妹子も、嬉しそう。
「春から、一人暮らしね。寂しくなるわ」
「頻繁に連絡するから」
「そうだ! 花嫁修行をしなくちゃ」後妻が、言い出した。
「何よ、それ」妹子が、ちょっと引いた。
「良いねぇ」アナは、結構乗り気。
それから、後妻の指導の元、アナと妹子の花嫁修行が、始まった。
炊事、洗濯、掃除など、家事を一通り、学んだ。
「なんか、家事の手伝いをしているだけのような……」アナが、愚痴った。
「ハッハハハハ」
「将来のためだから」後妻は、真剣だった。ここへ来て、やっと母親らしいことができて、大満足だった。
三人は、この時間をとても有意義に過ごした。
*
アナと妹子の高校の卒業式。
父と後妻が、参列した。
卒業式が終わって、アナの家族とカズが、談笑した。
「妹子、綺麗になったね」カズが、妹子に声をかけた。
「おいコラ!」アナが、カズに突っ込みを入れた。
「アナは、作業所で働くんだよね?」
「先妻と同じ職員には、なれなかったが……」アナは、近所の作業所の作業員になった。
「妹子は、女医か」
「妹子は、絶対女子プロレスラーになると思ったわ」アナが、冗談を言った。
「ハッハハハハ」
「やっぱり、産婦人科医になるの?」アナが、妹子に聞いた。
「いいえ。障害科に進みたい」妹子には、思うところがあったようだ。
「アナのためね」後妻が、妹子を誇りに思った。
「それもある」
「も?」
「妹子の彼氏は、片足が義足なんだ」アナが、後妻に告げた。
「どうして知っているのよ」妹子が、心外といった様子。
「妹子と義助が付き合っていること、みんな知っているよ」カズが、言った。
「そうなの? ヤダ〜!」
「ハッハハハハ」
その夜、アナの家族は、自宅で焼肉を食べた。
「これ、参考にしてくれ」父が、妹子に分厚いファイルを渡した。
「なあに、これ?」
「先妻が、ダウン症について調べた資料だよ。主に、ダウン症児者の家族の手記が、集められている。先妻のバイブルだよ」
「親の会に入っていたのね?」
「後妻も、親の会に?」アナが、後妻に尋ねた。
「入ってないけど、妊婦さんに紹介している」
「橋渡し役をしているんだよ」父が、誇らしげ。
「へぇ〜」アナが、感嘆の声を上げた。
数日後、先妻の両親が、アナの自宅を訪ねて来た。
「アナと妹子の門出に。形見みたいなものね」先妻の母が、アナと妹子に先妻の浴衣を差し出した。
「わあ、嬉しいな」アナが、喜んだ。
「綺麗な柄」妹子も、嬉しそう。
「弟には、スーツを新調して来たよ。サイズ、合うかな?」先妻の父が、弟にスーツを渡した。
「せっかくだから、これを着て、花火でもしよう!」アナが、言い出した。
「この時期にか?」父が、少し戸惑った。
「余った花火があると思うわ」後妻が、何とかアナの提案を実現しようとした。
みんなで、庭で花火をした。
「……湿気ている。まあ、良いか」アナが、花火に火を点けた。
「花火というか、火薬を燃やしている感じだね」弟が、お茶目に笑った。
「ハッハハハハ」
「スーツで花火ってのも、乙だねぇ」
11
四月、アナが、近所の作業所で働き始めた。
「ありゃ、カズも、この作業所で働くの?」アナが、驚いた。
「驚かそうと思って、黙っていたのさ」カズも、同じ作業所の作業員になっていた。
「また同じかよ!」アナが、本当に嬉しそうに突っ込んだ。
「先妻には、本当に良くしてもらったわ」作業所の職員が、アナに告げた。
先妻は、この作業所の職員をしていた。
「先妻が、おせわになりました」アナが、頭を下げた。
「アナが、将来、作業所で働くかも知れないから、その時はよろしくって、言っていた」
「そうですか……」アナが、少し涙目。
先妻の命日になった。
作業所の職員が、アナの旧居のマンションへ行くことになった。
「アナも、行く?」
「皆さん、今でも、供養してくれているんですか?」アナが、驚いた。
「年一回だけだけどね」
「ありがとうございます」
一行が、マンションに着いた。
職員が、タンポポを植えた。
「タンポポ……皆さんが?」アナが、感銘を受けた。
「先妻、好きだったから。花束じゃ、すぐ枯れちゃうでしょ?」
「そうなんだ……」
*
妹子が、大学でキャンパスライフを送っていた。
「勉強が、難しい!」妹子が、電話で後妻にSOSを出した。
「なんでも聞いて」後妻が、頼り甲斐のあるところを見せた。
「頼りにしてます」妹子が、メールで、色々と後妻に相談した。
「あー、そこはこうよ」後妻は、常に的確な返事をした。
妹子が、ダンスサークルに入って、ダンスを習い始めた。
「妹子が、ダンス!」アナが、驚いた。
「合宿があったんだー」妹子が、サークルの写真を送って来た。
「あら、義助も一緒のサークルなんだ!」アナが、驚いた。
「たまたまね」
「さては、妹子のやつ、義助目当てで、ダンス始めたな」アナが、勘繰った。
*
弟が、取り憑かれたように、パソコンで作業して、サイトを作った。
「何作ったの?」アナが、弟に聞いた。
「互助会サイトだよ。ミューチュって名付けた」
「互助会サイト?」
「ダウン症児者の関係者が、メッセージのやり取りをしたり、エッセーの投稿なんかをしたり、できるんだ」
「これを作りたかったのか!」アナが、ミューチュを見て、感激した。
「そういうこと」
「長くかかったね。ありがとう」後妻が、弟を労った。
「こんなことができるとは、思わなかったよ……アナ、喜んでいる」父が、弟に感謝した。
「それだけじゃないよ。みんなのために。先妻とかも」弟は、先妻のためにも、このミューチュを作った。
弟が、早速、ミューチュに思いを書いた。
〈僕は、後妻の子供だ。先妻は、姉を救って、亡くなった。その先妻は、かつて、ダウン症の胎児をみごもって、堕ろしたことがあった。それを悔やんでいたようで、長女は、体外受精でダウン症にした。びっくりするような判断だが、その長女を幸せにすることで、堕ろした子に報いろうとしたのだろう。誇りに思います。だから、このサイトを作りました。堕胎するのには、それぞれの家族の事情がある。仕方のないこと……と、割り切れたら良いが、そうも行かないだろう。だから、ここで、ダウン症児者の生き様を見て、応援してあげてください。我が子のように思って〉
「これで、私たち家族の秘密が、みんなに知れるわ」妹子が、ミューチュに目を通した。
「望むところよ」アナが、覚悟を決めた。
ダウン症児を堕胎した母親から投稿があった。
〈あの子が、救われるような気がして……このサイトを通じて、今を生きる、ダウン症児者をサポートしたい〉
「嬉しいコメントだね」アナが、弟に言った。
他の投稿もあった。
〈初めは、重いと思ったけど、しっくり来るようになりました。ダウン症児者の笑顔が、我が子のように思います〉
「先妻の集めた手記のようだわ」妹子が、先妻のファイルを思い出した。
「弟は、時を超えて、先妻の意志を継いだんだ」父が、万感の思い。
後妻の職場で、ダウン症児を授かった妊婦が、後妻に、
「堕ろした方が、良いでしょうか?」
と、相談した。
「ミューチュに投稿してみては?」後妻が、アドバイスした。
妊婦が、ミューチュにコメントを書き込んだ。
〈ダウン症児を授かりました。正直、産もうかどうか迷っています〉
〈家族の決めた方が、正解だと思います。そして、後悔して当たり前〉
アナが、返答をした。
結局、この妊婦は、アナのコメントを読んで、産むことに決めた。
「しかし、よくこんなの思いついたな」アナが、改めて、弟に言った。
「カズさんの助言なんだ。『こうすれば、アナの家族が、一つになるんじゃないか』って。それに、『アナのサポートをしてくれるかも』って」
「カズが……?」アナが、意外そうに驚いた。
「何でも、『奇跡を起こすんだ』って、気合い入れていた」
「何言っているんだ、あいつ」
「ハッハハハハ」
「『アナに言われた』って言ってたよ」
「言ってないよ〜」アナが、照れ臭そうに笑った。
アナ宛に、プレゼントが届くことがあって、〈ダウン症の子が笑うと、天国の息子が笑っているようで……〉と、メッセージが添えられてあった。
「笑っていますよ。天国のお子さんは、親御さんの姿をいつも見守っていますから」アナが、返事を送った。
カズが、アナの家に行って、ミューチュに投稿した。
〈出生前診断で、九割以上が、堕胎するなら、誕生するダウン症児者は、ほんの一握り。だったら、堕胎した家族が、そのダウン症児者をサポートすることはできないだろうか。色々な思いがあるだろう。その思いを受け止める対象が欲しい。それが、現存するダウン症児者であれば良いんじゃないかな。みんなの思いやサポートを受けて、すくすくと成長する。その姿を見て、癒される。誰が、損をするんだい?〉
「天国の胎児も、報われるね」アナが、カズに言った。
「そうだね」
「ああ、カズさん、来ていたんですか?」弟が、やって来た。
「おお、弟。サイトの文章、固いぞ〜」
「そうですか?」
「力を抜け」
「はい」
「カズ、頼りになるじゃん」妹子も、登場した。
「僕、カズさんのことを本当の兄貴のように慕っていますから」弟が、急に真剣になった。
「知ってる」カズが、お茶目に答えた。
「ハッハハハハ」
「お兄ちゃん、喜ぶわ」アナが、この世に生を受けなかった兄に想いを馳せた。
12
妹子が、医師になって、総合病院に勤めることになった。
家族が、夕食を囲んだ。
「障害科が新設されたの!」妹子が、喜んだ。
実は、この新設は、後妻が、
「アナと妹子のために」
と、働きかけてくれた結果だった。
「障害科では、お父さんの開発したICTの教育プログラムも、役に立つのよ」後妻が、妹子に、嬉しそうに告げた。
「弟は、将来、何になるんだい?」アナが、聞いた。
「支援学級の先生かな? サイト作りで、ICTのことも学んだし。カズさんみたいな発達障害の方のためにも、働きたいから」
「私が医師で、弟が支援学級の先生で、アナが作業所って、みんなで親の職業をコンプリートしたね」妹子が、嬉しそう。
「職員になりたかったー!」アナが、酎ハイを飲みながら、叫んだ。
「ハッハハハハ」
*
妹子の結婚式。
お相手は、義助。
「おめでとう、妹子」後妻が、ウエディングドレス姿の妹子を目にして、感無量。
妹子は、幼い頃、母親に甘えられなかった。
「ごめんなさい!」妹子が、後妻に、感情をあらわにした。
「何を謝ることがあるの?」
「辛かった。私のせいで先妻が……!」
「先妻は、妹子のせいだなんて、思っていないよ」後妻が、妹子をなだめた。
結婚披露宴が終わって、妹子が、アナに、
「後はよろしく」
と、告げた。
「なんで、私に?」
「いつだって、アナが、家族の中心だから」
「そんなことないよ〜」
「ハッハハハハ」
妹子が、新居に移った。
*
家族四人の生活が、始まった。
「何か物足りないね」アナが、夕食を食べながら、呟いた。
「次は、アナの結婚式かな?」父が、嬉しそう。
「やだー、相手なんかいないわ!」
「カズくんは?」
「あれは……腐れ縁よ」
「ハッハハハハ」
アナが、子供部屋で、ダンスミュージック『Together Forever』を聴きながら、眠りについた。今までは、妹子と一緒に寝ていたので、イヤホンをつけて聴いていた。
「アナは、いつも寝る前にダンスミュージックを流すのね。あれで眠れるの?」後妻が、半ば呆れていた。
「先妻と一緒に行ったダンスのレッスンの課題曲なんだって。物心ついた頃から毎日聴いている」
「そうだったの……」後妻は、そのことを知らなかった。
「良い曲だよ」
後妻が、父に、「音楽に合わせて、きゃっきゃきゃっきゃ動いていたわ。びっくりしちゃった」と、報告すると、
「……」父が、言葉を失った。
「恥ずかしいわ……あれがないと、眠れないの」アナが、微笑んだ。
「子守り唄みたいなものだな」父が、先妻を思った。
「今度、私の子守り唄で、眠らせてみせる」後妻が、意気込んだ。
後妻が、ダンスを習い始めた。
「なんでまた?」妹子が、後妻に尋ねた。
「ダイエットのためよ」
「ダンス教えてあげるよ」アナが、後妻と妹子にダンスを教えた。
「アナ、結構上手いのね。大会では、それほどでもなかったけど」妹子が、驚いた。
「本番に弱いんだ」
「ハッハハハハ」
*
妹子が、妊娠した。
「妹子が、お母さんか」アナが、妹子のお腹をさすった。
「感無量よ」妹子が、微笑んだ。
「死ぬなよ」アナが、いつになく真剣に言った。
「そうね」
数ヶ月後、妹子が、陣痛を起こした。
総合病院に搬送されて、後妻が、お産を指揮した。
アナが、出産に立ち会った。
「く、苦しい……」妹子が、悶絶した。
結構な難産だった。
「任せなさい。必ず、健康な赤ちゃんが産まれる」後妻が、妹子を勇気付けた。
「オギャーオギャー」
後妻が、赤ちゃんを取り上げた。
「おめでとう、妹子!」アナが、歓声を上げた。
「今、ようやく後妻を受け入れることができたような気がする」妹子が、母の顔になった。
「遅いよ!」アナが、突っ込みを入れた。
「ハッハハハハ」
「実は、先妻は、もう一言遺していたの」後妻が、産後の妹子とアナに言った。
「なんて?」アナが、尋ねた。
「『あの二人は、絶対に受け入れてくれる日が来るから』って……その言葉を信じて、これまでやって来た」後妻の目に涙。
「ありがとう、お母さん」妹子が、呟いた。
13
ダンス大会が、武道館で行われることになった。
「よく、こんな会場でできることになったな」アナが、カズに告げた。
「ミューチュで、クラウドファンディングを企画したんだ。すごいサポートがあったよ」カズが、得意げ。
「カズ……これが、奇跡なのね?」
「まだまだ〜。こんなもんじゃないよ」
アナ、妹子、後妻が、ダンス大会に参加することになった。
「僕は、今回、裏方に徹するよ」カズが、忙しそうに働いた。
「カズは、それで良いの?」妹子が、心配した。
「それが良いんだ。振り付けを教えるよ。基本的に、アナとのセッションだから」カズが、妹子に言った。
カズが、妹子を指導した。
「アナは、対応できるの?」妹子が、不安そう。
「ずっとこの練習をして来たから」
「ずっとって、いつから?」
「高校の頃。妹子が、僕をダンスに誘った時からだよ」
「どういうこと?」妹子が、状況を掴めなかった。
「僕が、この役で、アナと踊ってきた」
「じゃ、カズが、アナと踊らなきゃ」
「いや、その時から、アナと妹子が一緒に踊ることを夢見てきたんだ。僕は、ずっと、妹子の代役さ」
「……ありがとう」妹子が、少し目に涙を浮かべた。
アナとカズは、ずっと妹子が、アナと踊ることを夢見ていたのだ。
ダンス大会当日になった。
アナと妹子が、会場を見回していた。
「義助のチームも出るんだー」アナが、義助を見つけた。
「義助、上手いよー」妹子が、アナに告げた。
アナのチームの衣装は、浴衣だった。
「先妻の両親も、観に来てくれることになったから」アナが、決めた。
後妻が、メイクを終えて、登場した。
「何それ?」妹子が、後妻に突っ込んだ。
後妻が、目の上にホクロを描いていた。
「何しているの?」アナが、笑った。
「上手く踊れるためのお守りみたいなものかな」
「ウケる!」
「ハッハハハハ」
ダンス大会が、始まった。
多くの観客が、観に来てくれた。その多くが、ミューチュ経由のダウン症児者に関わる人々だった。
大会プログラムが、順調に進んで、アナのチームの出番になった。
アナ、妹子、後妻が、一緒に踊った。
「アナ、大丈夫?」妹子が、声をかけた。
アナの靴が、何度も脱げてしまったのだ。その度に、会場の笑いを誘った。
アナのチームのダンスが、終わった。
「アナ、靴、脱げ過ぎ」妹子が、笑った。
「先妻の……靴を履いてみたんだ」
「……そっか。あの笑いは、先妻からのエールだったのかな」妹子が、感無量。
表彰式が始まった。
義助のチームが、優勝した。
「こんな素晴らしい大会をありがとう」義助が、カズを含めたみんなにお礼を述べた。
アナのチームは、準優勝だった。
「ミューチュのおかげかな?」妹子が、謙遜した。
「カズがいてくれて、本当に良かった」アナが、素直にカズにお礼を述べた。
ダンス大会が終わって、アナのチームメイトが、会場の一画で、賞状とトロフィーを持って、みんなで記念撮影した。
アナが、後妻に、「ありがとう。先妻と踊っているようだった」と、そっと告げた。
「そう……良かった」後妻の目が潤んだ。
14
アナが、ミューチュに、エッセーを投稿した。
〈後妻、一生懸命踊っていた。でも、ちょっと太っているから、トドみたいだったよ。人のこと言えないか。ハッハハハハ……こんなに充実した日々が来るなんて、信じられなかった。先妻のダンスシューズは、少し大きかった。みんなには、迷惑をかけちゃった。それでも、先妻と踊りたかった。ダンス大会の課題曲は、『Together Forever』だった。後妻が、主催者に頼み込んで、決まったらしい。先妻の子守り唄みたいで、眠くなっちゃった。そろそろ、子守り唄なしで、寝てみようかな? その前に、後妻の子守り唄。みんなに支えられて、今がある〉
「アナ、良い文章、書けるようになったじゃん」カズが、アナのエッセーの感想を伝えた。
「日々精進しているのさ」アナが、照れ臭そう。
後妻も、エッセーを投稿した。
〈ダンスは、上手く踊れなかったけど、この目で、アナと妹子の踊りをしかと見た。先妻の顔が目に浮かんだ。嬉しそうに笑ってた〉
「短い文章だったけど、随分悩んじゃった。ダンス大会のビデオ、何度も見ちゃって」後妻が、父に告げた。
「それで、最近、徹夜していたんだ」
「家族のことを思ってね」
〈本当に恥ずかしいことをしてしまった。すまない。障害を受け入れることができるかどうかは、障害を身近なことと思えるかどうかにかかっている。義助に対しては、一切の偏見がない。その気持ちを社会全体に広められれば良い〉
悪田からのエッセーだった。
「嬉しいね」アナが、カズに声をかけた。
「悪田は、本当に良いやつなんだ」
「障害は、偏見なんて超越してしまっている」
〈子供を堕ろしたことがある。男の子だった。その後、体外受精で、ダウン症の長女を授かった。双子の健常の次女も一緒に。長女の中に、第一子の幻影を感じながら、子育てをした。この上もなく充実していた。少しは、償えただろうか。長女が、ベランダの柵から身を乗り出す――〉
「先妻みたい……ベランダから落ちたのが、長女になっているけど……」アナが、ミューチュの文章に、驚きを隠せなかった。まるで、先妻が書いたように感じられた。
「家族の誰かが、投稿したんじゃない? 悪い悪戯よ」妹子が、お冠。
「知らない」弟が、答えた。
結局、少なくとも、家族ではなかった。
「カズ、どういうことだろうね?」アナが、カズに相談した。
「セイムサーカムスタンス効果だね。同じ境遇の人がいて、勇気づけられる。それが、このミューチュの本領だし、奇跡ってやつだよ。本当に先妻かも知れないしね」
「……うん」
*
妹子が、息子を連れて、遊びに来た。
「お母さんを大切にしなよ」アナが、息子と遊んだ。
「これ何の絵?」息子が、聞いた。
壁には、父の未完の絵。息子の笑顔もあった。
「家族の絵だよ」父が、答えた。
「アナと妹子が、楽しく生きる姿が、お兄さんの供養になる」後妻も、朗らかに笑った。
「アナの明るさに救われた」父が、感無量。
「お父さんも、歳をとったね。あ、お父さんじゃなくて、お祖父ちゃんか」アナが、お茶目に微笑んだ。
「じいじ、長生きしてね」息子が、父の肩を揉んだ。
「する……するよ……」
息子が、先妻の仏壇の鈴を鳴らした。
*
ベランダから、女児が、落下しそうになる。
母が、手を伸ばして、一緒に落下。
母の背中が、地面に叩きつけられる。
母の胸の上で弾む、アナ。
母と子、天国に気持ちは伝わる。
了
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