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蜂の一刺し

 蜂の一刺し



     プロローグ



「蜂は一度刺したら死ぬというが、私も同じ気持ちです」
 これは、ロッキード事件の時の榎本三恵子さんの発言。
 1981年10月28日、戦後最大の贈収賄事件といわれるロッキード事件の検察側の証人として出廷して、田中角栄氏の5億円の受領を決定付ける証言を行い、日本中を騒然とさせた。
「日本女性がかくも強くなったか、とてもうれしい」「勇気ある証言に拍手」「庶民が汚職を追いつめた」「告発理由は正義以外何物でもない」「従来の女性観を変えるほど清新なものに映った」
 マスコミ報道に賛辞が踊った。〈蜂の一刺し〉として、流行語にもなった。
 今回の話は、このロッキード事件とは、なんの関係もない話。
 しかし、社会のために、〈蜂の一刺し〉は、敢行された。
 アナの人生――〈蜂の一刺し〉――は、障害を取り巻く社会を変えることができるだろうか?
 アナの元に、女神が微笑む。



     第一章



 222
 この数字を見て、何をイメージするだろうか。
 猫の日?
 エンジェルナンバー?
 アウトレット店?
 では、この数字は?
 930
 ここへ来て、察しの良い方は、ピンとくるだろう。
 時給である。
 930円は、地域別最低賃金の全国加重平均。
 222円は、就労継続支援B型事業所の工賃。
 いわゆる作業所で働く障害者は、就労継続支援B型事業所で、月額15,776円の工賃をいただく。就労継続支援A型事業所でさえ、月額79,625円の賃金である。
 障害者と健常者には、これだけの格差がある。障害児者は、幼い頃に、格差社会で選別されて、このような道を辿ることになる。障害児者であることが分かった時点で、運命は決まるのだ。

     *

 世界的にウイルスが蔓延した。
 多大なる人的被害をもたらし、多くの死者も出た。
 人々は、ウイルスとの闘いを強いられて、それに見事打ち勝った――ように見えた。

 ウイルス蔓延の後の世界。
 一時のウイルスの猛威は、鳴りを潜めていた。
 しかし、ある研究機関で、研究員たちが、調査結果に度肝を抜かれた。
「どういうことだ、これは?」研究所の主任が、言葉を失った。
 世界的に、子供の出生率が、激減していたのだ。
「先のウイルスの影響ではないかと……」研究員が、報告をした。
「原因はなんだ? 先のウイルスで経済が疲弊したからか?」
「いえ、それだけではないようで……」
「まさか……人間の体に問題が生じたのか?」
 主任が、声をひそめた。
「その可能性も否定できません……」
「なんてこった! このままじゃ、子供が産まれなくなるぞ……!」
 事実、出生率は、とんでもないペースで下がって、本当に子供が産まれなくなる可能性もあった。

     *

 アナとカズが、地元の作業所で働いていた。作業所は、平屋建てで小さく、築二十年ほどだった。その内部には、男性作業員の部屋と女性作業員の部屋が、設けられていて、その他に、食堂と職員の部屋などが、併設されていた。作業所の外には、小さな庭があって、大きくも小さくもない木が、一本生えていた。
 作業所には、およそ十人の作業員がいて、五人の職員が、その対応に当たっていた。
 作業所の仕事は、主に、地元の工場の下請けの部品の組み立てだった。
「みんな、頑張って働いてね!」
 作業所の所長が、作業員と職員を鼓舞した。所長は、アナの母だった。アナの父母は、アナが産まれてから、アナのために、この作業所を建てた。そして、最近、アナの母が、所長になって、運営していた。しかし、この作業所は、経営が厳しく、半分潰れかけていた。

 ある日の昼食後、アナとカズが、午後の仕事に戻ろうと食堂を出た時、
「所長! 所長!」
 と、大きな叫び声が上がった。
「お母さん……?」アナが、食堂の奥の方を見た。
 アナの母が、倒れていた。
「救急車を呼んで!」
 職員が、別の職員に指示を出して、アナの母を介抱した。
「お母さん!」アナが、驚いて駆け寄った。
 アナの母の意識はなかった。
「アナ、お母さんに呼びかけて!」
「お母さん! お母さん! お母さん!!!」アナが、泣き叫んだ。
 救急車が来て、アナの母が、地元の総合病院に搬送された。
 アナも、職員に付き添われて、病院に急行した。
「良かった……」アナが、安堵した。
 アナの母は、処置を受けて、一命を取り留めた。
 アナが、アナの母の病室で見守って、「お母さん……」と、つぶやいた。
 その時、アナの母が、「ん……?」と、目を覚ました。
「お母さん! お母さん!」アナが、アナの母に声をかけた。
「病院……?」
「うん。お母さん、作業所で倒れたの」
「そっか……心配させちゃったね」
「良いよ。寝てて良いよ」
「ありがとう」
「良かった良かった……」アナが、涙を流して喜んだ。
 アナの母が、眠りについた。
「こんな時に、お父さんが生きていてくれたら……!」アナが、唇を噛んだ。
 アナの父は、市郊外で、養蜂場を営んでいた。
 先のウイルスが、蔓延した時、「生き延びてくれ!」と、全てのミツバチを野に放った。ミツバチは、元気に飛び立って行ったが、アナの父は、そのウイルスのせいで亡くなった。

 後日、アナの母が、アナに、「作業所の所長代行をして」と、頼んだ。
「は? 私、作業員よ」アナは、職員でもなかった。
「お願い……」
「……分かった」アナが、腑に落ちない様子で、渋々承諾した。

     *

 朝、アナが、作業所の作業員と職員を前にして、
「今日から、作業所の所長代行になりました」
 と、挨拶をした。
「頑張れよ」カズが、優しく声をかけた。
「カズ、補佐してくれるかい?」
「アナのお願いなら、断れないよ……怖くて」
「おい!」
「ハッハハハハ」作業所の作業員と職員が、一斉に笑った。
 アナとカズは、こんな時でも、周りに笑いを提供してくれた。

 以降、アナとカズが、必死に働いた。
「みんな〜、頑張ってねー!」
 アナが、自分も作業をしながら、作業員に声をかけた。
「アナのためならなんのその」作業員Aが、仕事に集中した。
「フレーフレー! みんな!」アナが、声援を送った。
「アナの声で、気が散るんだよ」カズが、突っ込んだ。
「ハッハハハハ」やっぱり笑顔が広がった。

 しかし、ある日、工場から、大量の返品の山が届いた。
「どうしよう、これ……」
 アナが、途方に暮れた。所長代行になって、初めての危機だった。
 そうこうするうちに、工場の若社長の宮子が、作業所に乗り込んで来た。宮子は、工場の親会社の社長の娘だった。
「お前らのような奴らに仕事を振る身にもなってくれ!」
 宮子が、作業員に、いきなり罵声を浴びせた。宮子は、口が悪かった。そして、重度の差別主義者だった。
「すみません……」
 アナが、勢いに押されながらも、謝罪の言葉を発した。所長代行として、責任を感じていた。
「お前ら、働き蜂なんじゃ!」宮子が、さらに暴言を吐いた。
「人間扱いされていない……?」作業員Aが、意気消沈。
「みんな、耐えて」アナが、作業員を勇気づけた。
「それとも、もう閉めましょうか? この作業所を」
 宮子が、打って変わって、穏やかに言い放った。最後通告だった。作業所が、いよいよ閉鎖の危機。
「……」アナが、絶句した。
「考えておいて頂戴」
 宮子が、作業所を後にした。
「アナ、良いのか?」カズが、アナに問うた。
「良い訳ないじゃん」
 アナは、作業所の作業員と職員の生活を守る使命があった。
「どうにかしなきゃ!」作業員Aが、アナを鼓舞した。
「アナのために!」作業員たちが、協力を約束してくれた。
 こうした時、作業所の連帯感は、強固なものがあった。みんな助け合って、過ごしていくのだ。

     *

 アナの父は、アナの幼い頃、養蜂場でとれた蜂蜜を、
「アナ、ローヤルゼリーは、体に良いんだぞ」
 と、いつもアナに与えていた。
「これ、あんまり好きじゃないんだよな」
 アナが、つれないことを言って、アナの父を悲しませていた。
「そう言わずに、まあ、どうぞ」
「じゃ、食べるよ……まあ、美味しいんだけどね」
「ハッハハハハ」
 アナの父は、ダウン症のアナの健康を気にしていて、丹精込めて、ローヤルゼリーを作っていた。アナもまた、それを知っていたので、少々口に合わなくても、勧められれば、いつも食べていた。ローヤルゼリーは、何より、アナとアナの父の交流の糧になっていた。ダウン症という運命を背負ったアナの家族の形が、そこにあった。

 ウイルスが蔓延して、アナの父が、病床に伏した。
「お母さん、アナを頼んだよ……」アナの父が、弱々しくアナの母に告げた。
「当たり前じゃない。命懸けで守るわ」アナの母が、アナの父の手を握った。
「……アナ、健康に産んであげられなくてすまない」
「お父さん、ローヤルゼリー、食べる? まだ少し残っているよ」
「ありがとう、アナ……」
 アナの父の息が止まった。
「お父さーん!!!」アナが、慟哭した。
 最期は、あっけなかった。
 アナの父の養蜂場は、ミツバチがおらず、廃業することになった。

 アナの父の葬式が執り行われた。
「アナの名前ね……蜂の女神っていう意味があるんだって」
 アナの母が、アナに告げた。
「蜂の女神か……光栄だわ」
「お父さん、蜂が好きだったから」
「本当ね」
「蜂蜜を好きな人は多いけど、蜂を好きな人は少ない……いつも嘆いていたわ」
「懐かしいね」

     *

 アナとカズは、幼馴染で、幼稚園の時から、一緒に遊んでいた。
 アナが、小学校に入学する直前、自宅でランドセルを背負って、上機嫌に、「友達百人できるかな〜」と、歌っていた。
 アナの母が、「アナ、そこに座りなさい」と、食堂の椅子を指差した。
「なあに?」アナが、言う通りに、座った。
「よく聞きなさい。アナは、ダウン症という障害があるの」
「そうなの……?」アナは、それが、どういうことか、正直理解できなかった。
「辛いこともあるだろうけど、お母さんは、アナの味方だからね」
「……分かった」
 一方、カズも、自宅で、カズの母から、「カズは、発達障害なの」と、告げられた。
「どうなっちゃうの?」
「アナと一緒だから……」
「そうなんだ。まあ、それなら」カズが、強がりを見せた。

 アナとカズが、小学校の入学式に臨んだ。
「なに、この席?」アナが、あからさまに不信感を抱いた。
「これが、障害ということだろうか……」カズも、言葉を失った。
 アナとカズの席は、新入生の列の端っこだった。
 入学式の後、担任の先生が、アナとカズの手を引いて、「さあ、教室に行くよ」と、歩き始めた。
「……」アナとカズは、無言でついて行った。
 アナとカズは、有無を言わさず、支援学級の教室に連れて行かれた。そこは、校舎の端にあって、普通学級の生徒とは、完全に隔離されていた。
「どうなっちゃうんだろう、私たち……」アナが、心配した。
「ね」カズも、不安そうにしていた。

 翌日、アナが、
「なんだ、普通学級で授業を受けられるんだね」
 と、嬉しそうに微笑んだ。
「本当に」カズも、喜びを隠せなかった。
 事実、アナとカズは、授業のために、普通学級で一緒に学ぶこともあった。
「わあ、これが、教科書かぁ!」アナが、喜んだ。
 普通学級の生徒と同じ教科書を配られた。
 しかし、アナが、「結局、障害児は、こうなるのか……」と、ひどく落ち込んだ。
「元気出せよ……」カズも、力無くアナに告げた。
 アナとカズは、授業中、別のプリントで学ぶことになっていた。

 数ヶ月後、クラスの席替えがあった。
「これは……」アナが、絶句した。
 アナとカズだけは、蚊帳の外で、ずっと同じ席だった。教室の後ろの端っこ。
「加配の先生がつくこともあるから、仕方ないけど……」
 アナが、寂しそうにつぶやいた。
「これが、格差社会の選別というやつか……」
 カズが、自分で調べたことをアナに伝えた。
「格差社会の選別……?」
「差別ってことだ」
「そっか……」アナが、唇を噛んだ。
 障害児者は、いつの世も、差別と共にある。

 アナとカズが、下校している時に、地元の中学生に、
「おい、障害児! うぜえんだよ!」
 と、因縁をつけられた。
「何よ!」アナが、果敢に対抗した。
「何だ〜、お前!」
「カズ、任せた」アナが、カズの背後に隠れた。
「ま、まじか!」カズが、驚いた。
「やるのか、お前!」中学生が、凄んだ。
「に、逃げろー、アナ!」カズが、アナの手を引いて、逃げ出した。
 アナとカズは、何とか逃げ切った。
「大したことなかったね」アナが、臆面もなく言い放った。
「二度とやるなよ」
「はいはい」
「ハッハハハハ」
 アナとカズは、こうして、偏見の対象にもなっていた。しかし、二人とも、とてもたくましく、それに対峙していた。しかし、内面は、ボロボロだった。

 そして、アナとカズは、小学校を卒業して、当たり前のように支援学校へ進んで、作業所へ勤めることになった。
 アナが、
「私たち、ずっとこうだった……この格差社会で、産まれた時から、理不尽に選別されてきた……意味もなく不当な扱いを受けて、それでも耐えて耐えて……でもダメ。こんなのって……」
 と、寂しそうに語った。
「もう一回耐えてみよう。その先に、幸はあるのかも知れない」
 カズが、アナを鼓舞した。
「そうだね」
「ハッハハハハ」
 アナとカズは、よく笑う。障害によって、格差社会で受ける選別に耐えるために身につけた処世術だった。そうしなくては、押し潰されてしまいそうだったから。ずっとそうした境遇で痛めつけられた結果の苦肉の策だった。好きでそうしたんじゃない。生きるためには、それしかなかったのだ。

     *

 研究機関では、出生率低下の原因が調査されていた。
「やはり、人間の体に異変が起きているようです」研究員が、主任に報告した。
 本当にウイルスによって、人間の体に変化があって、それが原因で、出生率が下がっていたのだ。
「何が起きているんだ?」
「詳しくは、分かりません。とにかく、妊娠を妨げる何かが……」
「原因を突き止めろ!」
「はい!」
 研究員が、研究を進めた。
 しかし、研究は、難航していた。

     *

 ある日、アナが、作業所で働いている時に、多くの蜂が、作業所に入って来た。
「きゃー!」
 作業所の作業員と職員の多くが、刺されてしまった。
「薬、買い置きしてあるから」アナが、必死に手当をした。
「アナも、刺されているだろう?」カズが、アナの手当をした。
「ま、まじか……? 私は、もうダメだ……カズ、今までありがとう。楽しかった……」
 アナが、急に弱気になった。
「死なねえよ」カズが、突っ込みを入れた。
「こんなに痛いのに?」
「刺されたことに、気づいてなかったくせに」
「カズだって」
 アナが、辺りを見回して、「みんな刺された」と、言った。
「まさに、泣きっ面に蜂だね」作業員Aが、お茶目に言った。
「ハッハハハハ」
 作業所の作業員が、笑い合った。みんな障害者だ。障害児者は、元来、優しくて慈しみがあった。だから、蜂に刺されても、蜂を恨むことなく、平然としていた。少し変わっているように見えるが、それが、障害児者の特性だった。
「みんな死んじゃったね……」
 作業員Aが、悲しそうに床に転がった蜂の死骸を集めていた。
「蜂は、毒針を刺すと、死んじゃうからね」カズも、手伝った。
「庭に葬ろう」アナが、声をかけた。
 作業所の作業員が、みんなで、死蜂を作業所の庭に埋めた。死蜂を敬うのも、優しさと慈しみの心のなせる業だった。

     *

 宮子が、工場の社長室で、電話に向かって、「なんで、私が!」と、キレた。
「作業所を立て直してくれ」電話の主は、宮子の父だった。
「なんでよ……」
「これも経験のうちだから」
「周りみんな障害者じゃない!」
「そう言わずに……」
 宮子の父が、しばらく宮子を説得した。
「……分かった」
 こうして、宮子が、渋々、作業所に出向することになった。

 後日、宮子が、作業所にやって来た。
「えー、今日から、宮子さんが、この作業所で働くことになりました。みんな、仲良くしてね」
 アナが、宮子を歓迎した。
「お前、お山の大将みたいだな。この女王蜂! 周りの奴らは、働き蜂だし! ハッハハハハ」
 宮子が、のたまった。
「女王蜂は、お前の方だろう」
 アナが、聞こえないくらいの小声で突っ込みを入れた。
 その日の午後、宮子が、早速、
「早いとこ閉めちまいな、こんな作業所!」
 と、毒づいた。
「私には、作業員を守る義務がある!」アナが、健気に反発した。
「まず自分を守れ!」

 アナと宮子は、できるだけ離れた席で、仕事に励んだ。
「あ〜、退屈!」宮子が、あくびをした。
「静かに働いてください!」アナが、所長代行として、宮子を注意した。
「文句ある? あなたよりも、仕事はこなしているのよ」
「そういう問題じゃありません。みんなの職場ですから」
「なかよしこよし? だから、業績が伸びないのよ! このままじゃ、閉鎖よ。大損害だわ!」
「それは……」アナが、言葉を失った。
「何も言い返せないでしょう。ハッハハハハ」
 宮子の笑いは、作業所の中では、異質だった。
「……」作業員が、固まった。

 それからも、アナと宮子が、ことあるごとに衝突を繰り返した。

     *

 ある日、アナが、仕事中に、啓示を受けた。
 問い:〈女神はいると思うか?〉
 アナが、頭の中で、
「障害児者として生を受けたわけだし……それからも、格差社会の選別を経験して……それでも、女神はいるかな。だって、みんなが、女神なんていないって思っていたら、救われないでしょ。障害児者も健常児者も。みんなのために、それでも、女神はいるって信じたい。何よりみんなの幸せのために」
 と、答えた。

     *

 ある日、作業所の仕事が終わった。
「……」宮子が、無言で帰宅した。
「アナ、少し話が……」作業員Aが、おずおずとアナに話しかけた。
「なにかしら?」
「みんなで話し合ったんだけど……作業所をどうにかしようって」
「まあ、嬉しいわ!」
「サブスクに賭けてみないかって」作業員Aが、提案した。
「サブスク?」
「うん、どうかな?」
「良いじゃない?」アナが、乗り気になった。
 それから、サブスクの内容を作業所のみんなで考えた。
「例えば、月額いくらかで、好きな作業所の製品を好きなだけ購入できるとか」
 作業員Aが、意見を述べた。
「面白い!」アナが、膝を叩いた。
「他には……」
「地域の作業所が、連携して、商品のラインナップを増やしても、良いかも」
 アナも、提案した。
「それ良いね」
「飽きが来なくて良い」カズも、賛同した。
「実現させてみるわ」アナが、約束した。
 それから、アナが、音頭をとって、地域の作業所が、サブスクを始めた。
「順調順調」アナが、ほくそ笑んだ。
 実際、作業所の商品の人気が出て来た。

     *

 ある日、アナが、カズに、「所長代行になってくれない?」と、聞いた。
「任せておけ。サブスク、本気でやるんだろう?」
「恩に着る」アナが、頷いた。
 その日の終業後、アナが、作業所の作業員と職員を集めて、
「サブスクに集中するわ。所長代行は、カズになりました」
 と、告げた。
 それから、アナが、所長代行を辞めて、色々なサブスクを考案した。
「百円ショップのサブスクを考えたわ」アナが、作業員に告げた。
「どんなやつ?」作業員Aが、質問した。
「月額800円で、1000円分の商品を買えるの」
「百円ショップは、儲かるのかな?」
「確実に800円売り上げるなら、アリだと思うわ」
「まあ、確かに」
「他にも、病院のサブスクを考えた」
「どんなの?」
「月額3000円とかで、色々な検査を受けられるの。内科とか歯科とかね」
「治療費は?」
「そこは、まだ詰めていないけど、保険とも相談ね」
「定期的に体のメンテナンスができれば、大きな病気になる前に治療できるから、保険会社とかのウケは良いかもね」カズが、意見を述べた。
「でしょう?」アナが、得意げに微笑んだ。
「楽しくなって来たー」作業員Aも、楽しそうだった。

     *

 アナとカズは、作業所の休みの日に、時々、デートをしていた。幼い頃からの付き合いだったが、社会人になって、恋の方も、少し進展したような感じだった。
「今日は、駅前の喫茶店で、お茶しようか?」
 アナが、カズを誘った。
「お茶しようかって、また、パフェを食べるんだろう?」
「な、なぜ分かった?」
「毎回そうだろう。そして、僕が支払う」
「じゃ、行こうか」
「全く」
「ハッハハハハ」アナが、高笑い。
 喫茶店の店内で、アナが、パフェを食べながら、「サブスクは、あれだな」と、口をモゴモゴさせた。
「あれって?」カズが、聞き返した。
「面白い」
「そうだね」
「ブームってのもあるけど、アイデア次第で、作業所の商品の魅力も増すからね」
「アナの力も大きいよ」
「だろう?」
「否定しろよ」
「ハッハハハハ」
「もっとダイナミックに展開したい」アナが、抱負を述べた。
「期待している」
 アナは、サブスクに目を輝かせていた。障害児者は、決して能力が低い訳ではない。活躍の場が、足りないだけなのだ。役割を与えてあげれば、どこまでも伸びる。

     *

 後日、アナが、作業所の就業後、作業員と職員を集めて、
「そろそろ、宮子をサブスク会議に参加させようと思っている」
 と、告げた。
「覚悟したんだね?」作業員Aが、アナに問うた。
「うん」

 翌日、作業所の就業後、アナが、宮子に、「ちょっと良いですか?」と、声をかけた。
「何よ?」
「少しだけ」
「手短にしてね」
「はい」
 アナが、作業所の作業員を集めて、企画会議を開いた。
「新しいサブスクを考えた」アナが、意見を述べ始めた。
「なんだい?」カズが、聞いた。
「障害者雇用のサブスクを始めようと思って……適材適所で、色んな障害者を選べるようにするの」
「それは、ちょっと……」流石のカズも、賛同しかねた。
「馬鹿じゃないの!」宮子が、一刀両断。
「あら、障害者の方も、気分転換ができて、良いものなんですよ。特に、精神障害の方は。発達障害の方は、あまり変化を好みませんが」
 アナが、真剣に意見を述べた。
「知らないわ。好きにすれば」
 宮子が、企画会議の席を立った。
 アナが、宮子の姿を見送って、
「それでも、やってみるわ」
 と、障害者雇用のサブスクを本気で始める覚悟をした。
「応援するよ」作業員Aが、力強く言った。
「ま、アナが、そこまで言うなら」カズも、協力を約束してくれた。

 それから、アナの奮闘が、始まった。
「やっぱり、無理があるのかしら?」アナが、弱気になった。
「この前、サブスクで行ったところの会社の人が、『サブスク、良いねぇ〜』って、褒めてくれましたよ」
 作業員Aが、アナに告げた。
「嬉しいわ」アナが、微笑んだ。
「徐々に、サブスクの契約も増えているよ。何より収入が安定している」
 カズが、報告した。
 そうして、サブスクが、徐々に上手く行った。

「アナ、来週から、本社勤務だって」所長代行のカズが、親会社から連絡を受けた。
「え、本当に?」アナが、驚いた。
「しばらく、会えなくなるな」カズが、少し寂しそう。
 親会社の本社は、電車で、二時間ほどのところにあった。
「まあ、電話でもするさ」アナが、優しくフォローした。
「そうだね」

 金曜日の就業後、作業所の作業員と職員が、アナの送別会を開いた。
「これ、みんなから」作業員Aが、お守りを差し出した。
 近所の神社の依頼で、作業所で作っているお守りだった。作業員が、一人一個作って、アナに渡した。全部で十個あった。
「多いな」アナが、突っ込みを入れた。
「ハッハハハハ」
「みんなの御加護の元、張り切って、親会社の社長になるわ」
 アナが、女社長を目指した。
「目標が、大き過ぎるんだよ」カズが、突っ込んだ。
「ハッハハハハ」みんな笑顔だった。
「……」たった一人、宮子だけが、ふてくされていた。

 アナが、本社近くのアパートに引っ越す日、カズに電話をかけて、「一緒に来てくれよ」と、告げた。
「僕も、本社勤務になるってこと?」カズが、驚いた。
「違うよ、馬鹿。今日だけ」
「……まあ、良いけど?」
「じゃ、今すぐ来い」
「分かったよ」
 アナとカズが、地元の駅で待ち合わせて、電車に乗って、アパートへ行った。
「寂しくなっちゃった?」カズが、アナに尋ねた。
「まさか!」
「ハッハハハハ」
 アナとカズが、荷解きをしたりして、夕方になった。
「そろそろ帰るよ」カズが、切り出した。
「……帰るの?」
「帰るよ」
「……あっそう」
「何だよ」
「……またね」
「……泣いているのか?」
「泣いてない!」アナは、目に涙をいっぱい溜めて、強がった。
「アナ、大丈夫だから」カズが、アナの頭を軽く撫でた。
「寂しいよー」
「寂しいんじゃないか」
「ハッハハハハ」
「ま、元気でやるよ」アナが、涙を拭った。
「ああ、それじゃ」
「じゃあな」アナが、カズを蹴った。アナは、素直ではないところがあった。
「痛いな」
「ハッハハハハ」
「カズ、キスしよう」アナが、顔を赤らめた。
「ああ……」カズが、アナの唇を奪った。
 しばらく、二人は、キスを続けた。
「……みんなには、笑顔で別れたって、言ってよね」
 アナが、カズに念を押した。
「ここに来たことを言って良いの?」
「あ、それも内緒にして」
「OK、任せといてよ」
「カズ……ありがとう」
「良いって、気にするな。じゃ」
「うん」

     *

 アナが、親会社の本社勤務になって、作業所が、静かになった。
「さ、アナのいなくなった穴を埋めるよー!」
 所長代行のカズが、作業員を鼓舞した。
「おう!」作業員が、仕事に熱を入れた。
 みんな、アナのために必死に働いた。目の前の仕事をこなすのも、アナのためになる。アナは、作業所の星だった。

 アナが、カズに電話をかけて、「私がいなくて、寂しいんじゃない?」と、言い出した。
「寂しいというか、結構忙しくてね」
「それは、何よりじゃない?」
「うん。そっちも大変?」
「良いアイデア出さないと、置いて行かれる感じかな」
「それキツイね」カズが、楽しそうに感想を述べた。
「まあね……また電話するね」
「いつでもどうぞ」
「じゃ……」
「じゃ」
 アナは、カズに会えない悲しみを引きずりながら、仕事に励んだ。
 カズも寂しかったが、アナを安心させようと、心して平静を装った。
 二人とも、相手を思う優しさを備えていた。障害児者は、こうして、力を合わせて、高みを目指すのだ。

 ある日、宮子が、
「お前、人望厚いな……よし、気に入った。一緒になってやる」
 と、カズに求婚した。
 宮子が、アナのいない間隙をついた格好。
「は?」カズが、動揺した。
「障害者だけど、まあ良いや」
「え、えっ……」カズが、動揺した。
「手を握ろうか?」宮子が、カズに迫った。
「え〜」カズが、その場から、逃げ去った。
「……」作業員が、呆気にとられていた。

 それからも、宮子が、ことあるごとに、カズに求愛した。逆に言えば、宮子は、作業所で働くようになって、障害を受け入れてくれたのかも知れない。そこまででなくとも、障害に慣れて来ていたのは確かだった。
 作業員にとっては、心強い限りだったが、カズには、大いなる災難だった。
 カズが、たまらず、アナに電話をかけて、
「あ、アナ……話があるんだ……」
 と、相談を持ちかけた。
「なにっ!」アナが、電話口で、素っ頓狂な声を上げた。
「どうしよう……?」
「すぐに行く!」

 後日、アナが、作業所にすっ飛んできて、宮子に、
「何言ってんのよ! カズは、私と結婚するのよ!」
 と、言い放った。
「アナ……」カズが、恍惚の表情。まだ正式にプロポーズする前だった。
「アナと一緒になるより幸せにできる」宮子も、諦めなかった。
「ああ、カズ。明日、デートしましょう。有給とって来たから」
 アナが、宮子に聞こえるように、デートの約束を持ちかけた。
「ああ、良いけど」カズが、了承した。
「じゃ、明日。駅前の喫茶店で……宮子も来る?」アナが、宮子を挑発した。
「行くもんか!」宮子が、怒り心頭。
「ハッハハハハ」アナの高笑い。

 翌日、アナとカズが、久しぶりのデートをしていた。駅前の喫茶店のネットラジオを聴いていたら、ニュースが流れた。
 ニュース:〈このところ勢いを増している蜂の大量発生『Bee Big Bang』、略して、BBBの最新情報です! BBBの勢力は、脅威的で、すでに国民の九十%以上が、この蜂に刺されました! 蜂は、命懸けで、針を刺す。一体、何が起きているのでしょうか?〉
「すごい確率だな」カズが、度肝を抜かれた。
「とにかく、蜂を退治しないと!」アナが、焦燥感を漂わせた。
「でも、毒針を刺す働き蜂は、もう少ないらしい。刺すと死ぬからね。だから、BBBのほとんどが、雄蜂らしい」
「周りの人、みんな刺されたしね」
「不思議と、二度目は刺さないんだよな。アナフィラキシーが心配なんだが」
「ま、蜂も、何かの考えがあるのよ」アナが、お茶目に言った。
「まさか!」
「ハッハハハハ」
 その時、喫茶店の外が、暗くなった。
「またか……」カズが、残念そうにつぶやいた。
 蜂の大群が、喫茶店の外に押し寄せて、日光を遮っていたのだ。
「ここまで大量に発生すると、怖いね」アナも、怯えた声を出した。
 その時、蜂の大群が、店内に入って来てしまった。
「きゃあ!」悲鳴が上がった。
 店内が、蜂で埋め尽くされた。
「こいつ!」店員が、殺虫剤で応戦した。
 店内は、阿鼻叫喚だった。
「アナ、大丈夫。僕らは、もう刺されているから」
「だけど、心配だわ」
「大丈夫。蜂を信じて」
「そうね」
 少しして、蜂が、店外へ去って行った。数人のお客さんが、刺されたが、大事には至らなかった。
「殺虫剤が、売れる訳だ」
 街中では、殺虫剤が、飛ぶように売れた。
 人間は、とにかく、今や天敵とも言える蜂を退治するのに躍起になっていた。

     *

 この日は、作業所の食堂で、サブスクの企画会議が、開かれていた。大事な会議で、アナも、親会社の社員に混ざって、作業所に出向いていた。作業所の宮子や作業員、それに職員も、顔を揃えた。
「えー、サブスクの成果は、めざましく……」
 アナが、作業所の成果を報告していた。
「ふんっ」宮子が、鼻を鳴らした。
 その時、食堂の奥から、「きゃー!」と、悲鳴が上がった。
「蜂よ!」アナが、大声を発した。
 蜂が、作業所に入って来たのだ。
「早く退治しろ! 私は、まだ蜂に刺されたことがないんだ!」
 宮子が、蜂を追い払おうとした。
 しかし、蜂が、宮子を刺した。
「こいつ! こいつ!」宮子が、蜂を踏み潰した。
「おい、死蜂を弔え」アナが、宮子を諌めた。
 働き蜂は、毒針で刺した後、放っておいても、死に至る。アナは、それを知っていた。
「まだ、蜂がうようよいるわ!」宮子が、空中の蜂を叩き落とそうとした。
 近くの雄蜂が、怒り狂ったように、宮子の周りを飛び回っていた。
「止めなさい!」アナが、宮子を制した。
 アナは、宮子の行為が許せなかった。だから、蜂のために、宮子と険悪な関係になることも厭わなかった。
 アナが、死蜂を大切にハンカチに包んで、会議の後、「ごめんなさい」と、作業所の庭の木陰に葬った。
 カズが、来て、「アナ、泣いているのかい?」と、尋ねた。
「ああ、うん……」
 アナは、普段強気なのだが、こうして死に直面した時は、特に弱さを見せた。それは、アナの優しさだったが、カズは、アナ自身が、それに押し潰されないか心配していた。

     *

 アナの母が、回復して、自宅療養できることになった。
 アナとカズが、病室の片付けの手伝いをしに行った。
「良かったです」カズが、アナの母に嬉しそうに声をかけた。
「ありがとうね、カズくん」
 アナとカズが、アナの母と一緒に病院を後にした。
 アナの母が、自宅に戻って、
「もう大丈夫だわ。作業所に戻るのは、もう少し先になりそうだけど」
 と、アナとカズに声をかけた。
「私は、もう少しサブスクをやってみるよ」アナが、アナの母に告げた。
「じゃ、作業所は、カズくんに任せるわ。アナは、好きなことをしなさい」
「ありがとう」
「任せてください」カズが、頼り甲斐のあるところを見せた。

     *

 アナが、本社の企画会議の席で、
「障害児者のできる〈お仕事サブスク〉というものを考案しました。色んな仕事をセットにして、販売します。読み聞かせやスポーツなど、障害児者が、健常児と共にできる仕事を定額制で選んで発注できるものです」
 と、新たなサブスクを提案した。障害者雇用のサブスクの発展形だった。
「ほぅ、面白そうだね。早速やってみなさい」親会社の役員が、賛同してくれた。
「普通、映画とかでは、反対されるのでは?」
「ハッハハハハ」会議室に笑顔が溢れた。
「良いじゃないか。良いアイデアだよ。誰が聞いたって、やろうって言うよ」
「ありがとうございます!」

 それから、アナが、お仕事サブスクを実行に移した。
「うまくできるかな?」
 作業所の作業員Aが、図書館で、健常児相手に絵本の読み聞かせをすることになった。
「大丈夫。ついて行って、応援するから」アナが、作業員Aを鼓舞した。
 作業員Aは、図書館の一室で、健常児に対して、落ち着いて読み聞かせをした。
「順調だわ」アナが、ほっと胸を撫で下ろした。

 別の日には、作業所の作業員が、総出で、河川敷のサッカーグラウンドで、健常児とサッカーの試合をした。アナとカズも、参加して、宮子も、見学へ行った。
「お姉ちゃんも、一緒にサッカーしようよ!」健常児が、宮子を誘った。
「あ、私は、違うの……」
 宮子は、健常者なので、一応、お仕事サブスクの一員ではなかった。
「えー、良いじゃん!」
「……仕方ないわね」
 宮子が、障害児者と健常児と一緒にサッカーで汗をかいた。
 試合が終わって、健常児が、宮子に、
「ありがとう、お姉ちゃん!」
 と、お礼を述べた。
「いいえ……子供たち、結構楽しんでくれているな」
 宮子が、少しほろりとした。

 ある日、アナが、親会社の本社の職場で電話を受けて、「え!」と、驚きの声を上げた。
 お仕事サブスクの障害者が、健常児に怪我をさせてしまったのだ。
 アナが、現場に急行して、「申し訳ございませんでした!」と、謝った。
 しかし、現場の親会社の社員が、「大丈夫。なんとか解決したから」と、告げた。
「え、本当ですか。良かった。ありがとうございます」アナが、社員にお礼を伝えた。
「僕じゃないよ。宮子くんが、フォローしてくれたから」
「え、宮子が……?」
 宮子は、連絡を受けて、いち早く手を打ってくれていた。目を真っ赤にして、何度も頭を下げたという。
 のちに、アナが、宮子に、「ありがとうね」と、素直にお礼を述べた。
「私にだって、善意はあるんだ」
 宮子が、照れ臭そうに笑った。宮子の優しさだった。それを引き出したのは、紛れもなく、アナの頑張りだった。障害児者は、こうして、丹念に味方を増やして行く。一筋縄では行かないが、根気強く、正しい行いを続ける。それしか方法はなかった。健常児者もそれを理解してくれる時は来る。そう信じて。

     *

 アナが、カズに電話をして、
「所長代行に復帰しようかな?」
 と、か弱い一面を見せた。
「サブスクは、良いのかい?」
「女社長って、柄じゃないし」
「まあね」
「ハッハハハハ」こんな時でも笑った。
「寂しくなった?」
 カズが、優しく問うた。カズは、アナの心の底をしっかりと理解していた。
「ずっと障害児者に囲まれて生きて来た。それが当たり前だった……正直嫌だった。でも、健常者の中に飛び込んで分かったの。守られていたんだってね……格差社会の選別だとか言っていたけど、それは、御加護だったのね……」
「……そうか」
「障害って、そんなに卑下することじゃないんだわ。そして、健常児者も、とても良い人たちだった」
「そうだね」
「……それが分かっただけでも、収穫だったわ」
「また、楽しくやろうよ」
「そうね」
 アナは、弱さを見せることもあったが、カズにだけは、本心を語った。カズは、裏切ることなく、アナを守った。二人は、阿吽の呼吸だった。

 後日、アナが、作業所の作業員と職員を前にして、「出戻りでーす」と、お茶目に告げた。腰には、作業員からもらったお守りを括りつけていた。十個。
「アナ、フラダンスみたいだな」カズが、アナのお守り姿を笑った。
「ハッハハハハ」
「また、所長代行になるよ」
「色々あったんだろうけど、内心嬉しいっす」
 作業員Aが、素直に喜んだ。
「私も! また厳しく行くぞー!」アナが、気合を入れた。
「優しくして〜」
「ハッハハハハ」
 色々辛いことがあっても、みんなで笑う。それが、障害児者の姿。
 カズが、その勢いで、
「僕は、アナと結婚する」
 と、言い放った。
「お願いします」アナが、答えた。
「ヒューヒュー!」作業員と職員が、我が事のように喜んだ。
「ハッハハハハ」
 この笑いに裏はなかった。

 数日後、アナとカズが、駅前の喫茶店で、いつものデートをした。
「アナ、正式に……結婚してくれ」
 カズが、婚約指輪を差し出した。
「お願いします……ふふふ、これ、憧れていたんだー」
 アナが、屈託のない笑顔を見せた。
「遅くなってごめん」
「え〜、遅くないよ〜。しかし、結婚か……人並みの幸せを得られるなんて、考えても見なかった」
「僕らだって、幸せになる権利はある」
「そうだけどね……実感湧かないわ」
「そうだね」
「……蜂蜜の軽食でも食べてみようかしら? 大量にとれるから、安くなっているみたいだし」
「ちょっと怖いけどね」
「ハッハハハハ」
 アナとカズが、蜂蜜プリンを注文した。
 しばらくして、ウエイトレスが、
「お待たせしました。蜂蜜プリンです」
 と、蜂蜜プリンをテーブルに置いた。
「うわぁ、美味しそう!」アナが、一口、食べた。
「どう?」カズが、聞いた。
「ちょっと味も違って感じるわ。蜂の勢いを感じる」
「なんだよ、それ?」
「ハッハハハハ」

 後日、アナとカズが、本当に結婚式を挙げた。作業所の作業員と職員、それに支援学校時代の共通の友人などが、参列してくれた。もちろん、宮子も参加していた。
「カズは、諦めるよ」宮子が、結婚式の後に、アナに告げた。
「結婚したのに諦めてくれなかったら、マジ怖い」
 アナが、笑った。
「ハッハハハハ」
 宮子も、すっかり笑顔が、板についていた。本当に自然な笑顔だった。障害児者と肌で触れると、それまでの偏見や固定観念が、一気に取り払われる。そのブレークスルーを宮子も経験した。それは、本物の融和だった。

     *

 研究機関が、記者会見を開いた。
「今、世界は、存亡の機にあります。人間は、子供が産まれにくい体になってしまったようです」
 研究所の主任が、鎮痛な面持ちで告げた。
「原因は?」記者が、質問した。
「不明です。男女どちらに問題があるのか、それとも両方なのか……ただ、とにかく出生率が、下がる一方で……」
 研究所の主任の歯切れが悪かった。
「対策は?」
「研究所としても、調査研究は進めますが、当面は、より多くの婚姻を望むしか……」
「つまり、打つ手なしですか?」
「今の科学技術では……」
「そんな……」
 アナとカズも、カズの自宅で、この記者会見を聞いていた。
「子供欲しいね」アナが、しみじみと言った。
「そうだね。僕らも、子供はできにくいのかな?」
「そうかも。子供欲しいわ……」
 アナが、復唱した。

     *

 宮子が、会社に戻ることになった。
 作業所の就業後、誰からともなく、
「送別会を開こうよ!」
 と、声が上がった。
「もちろんよ」アナが、快諾した。
 後日、アナが、仕切って、作業所で、宮子の送別会を開いた。
「ご栄転だね」アナが、万感の思い。
「そうでもないさ。会社は、戦場だよ」宮子は、真剣だった。
 確かに、アナとはまた違う状況で、戦う身だった。
「今まで、ありがとう。多くを学んだ」アナが、宮子と融和した。
「これ、みんなから」
 アナが、代表して、作業員の作ったお守りを渡した。今回も、一人一個。
「多いな」宮子が、突っ込んだ。
「ハッハハハハ」心からの笑いだ。
「今更だけど、作業所の作業って、同じことの繰り返しで、結構辛いな」
 宮子が、アナに優しく告げた。
「あ、分かる? でも、難しいのはできないから」
「ハッハハハハ」作業員が、笑った。
「いや、これ、結構難しいと思うぜ」宮子が、真摯に告げた。
「そっか」アナが、作業員たちに羨望の眼差しを向けた。
「ありがとう」
 作業員は、みんな、宮子の優しさと変化を感じ取っていた。そして、心から別れを惜しんでいた。宮子は、本当に素晴らしい盟友になっていた。

     *

 アナが、体調を崩して、一人、地元の病院へ行った。
 アナが、色々検査を終えて、医師の診察室へ入った。
「おめでたですね」医師が、朗らかに告げた。
「赤ちゃんができたんですか?」アナが、喜び勇んだ。
「ええ」
「やった……」
 アナが、自宅に帰って、カズに、「久しぶりにデートしようか?」と、言い出した。
「いつ?」
「今から」
「急だな」
「良いじゃんか」
「まあ、良いけど?」
 それから、アナとカズが、喫茶店でデートをした。
 アナが、モジモジしながら、
「カズ、赤ちゃんができました」
 と、カズの子供を授かったことを報告した。
「ほ、本当か!」カズが、手放しで喜んだ。
「女の子みたいです」
「もうそんなに大きいんだ」
「太ってたから、分かんなかったでしょって、おい!」アナが、ノリツッコミをした。
「確かに」
「ハッハハハハ」
「ウイルスの影響なんてなかったのかしら?」
「ま、全く子供が産まれない訳でもないだろうし」
「名前、どうしようかなー」アナが、のんびりとパフェを食べていた。
「アナが、決めなよ。涼子は、女の子だから」
「おい! 決めてんじゃねぇか」アナが、驚いて突っ込みを入れた。
「ハッハハハハ」
「涼子って、誰だよ」アナが、もう一回突っ込んだ。
「ハッハハハハ」

 数週間後、アナが、分娩室で息んでいた。
「オギャーオギャー」涼子が産まれた。
「かわいいー」カズが、大喜び。
 数日後、涼子の検査が行われた。
 アナが、医師の診察室へ行って、「そうですか……」と、沈んだ。
 涼子にも障害があることが発覚したのだ。
 アナが、自宅へ帰って、カズに報告した。
「大丈夫。素晴らしい子に育てよう」カズが、アナを鼓舞した。
「運命は、産まれた時から決まっているのかしら?」
 アナは、自分の生きて来た格差社会での選別の歴史が、頭をよぎった。
「どんな時でも、笑う子にしたい」カズが、抱負を述べた。
「それじゃ、馬鹿みたいじゃない?」
「それで良いんだ」
「ハッハハハハ」
 アナとカズは、こんな時でも、笑った。格差社会の選別を受け入れる強さを持っていた。協力し合って、たくましく必死に生きた。だからこそ、涼子を幸せにしたかった。それには、まず、笑うこと。人生を通して、学んだ唯一無二の方法だった。

「大きくなーれ!」アナが、涼子の子育てに勤しんだ。

     *

 涼子が、小学生の時、アナが、「将来は、どうしたい?」と、尋ねた。
「作業所で働きたい」
「OLとかにもなれるかも知れないけど? ちょっとは、ツテがあるんだ」
 宮子のことだ。
「作業所が良い」涼子が、はっきりと答えた。
「そうか、分かった」アナが、ニンマリとにやけた。
「嬉しそうだな、アナ」カズが、アナに突っ込みを入れた。
「嬉しいんだよ!」アナが、喜んだ。
「親孝行でしょ?」涼子が、お茶目に言った。
「ハッハハハハ」三人が、笑う。
 アナは、少し目に涙を浮かべていた。

 涼子は、アナとカズと同じように、色々な悩みや葛藤を抱きつつ、学校生活を過ごした。
「涼子、笑いなさい」
 涼子が悩んだ時は、アナが、いつもそう言い聞かせていた。
「ありがとう、お母さん」
 涼子は、そんなアナにとても感謝していた。そして、よく笑った。

 涼子が、支援学校を卒業して、作業所の職員として働き始めた。
「やっぱり、働くって、大変だわ〜」涼子が、アナに打ち明けた。
「ま、地道にお願いしますよ」
 アナとカズも、この頃、涼子と一緒に、作業所の作業員として、働いていた。
「すんごく大変なんだけど、お仕事サブスクが、とても評判いいの! お母さんのおかげだわ」
 涼子は、苦労しながらも、アナのおかげで、随分助けられていた。
「でしょう。みんなで考えたんだから」アナが、得意げ。

 その頃、宮子が、親会社の社長になった。
「仕事振るからー」宮子が、作業所に仕事を回してくれた。
「助かるわ。ありがとう、宮子さん」涼子が、お礼を伝えた。
「しめしめ、これで、作業所も安泰だ」アナが、ほくそ笑んだ。

 十数年後、涼子は、障害を跳ね除けて、作業所の女所長になった。
「こら、働けー!」今日も、作業所に涼子の怒号が響いた。
「アナよりひどい」作業員Aが、泣き言を言った。
「ハッハハハハ」作業所が、笑顔で溢れた。こんな時も、やっぱり笑顔。

 宮子が、作業所を訪れて、
「お前、仕事できるな……よし、気に入った。一緒になってやる」
 と、涼子に求婚した。
「ごめんなさい」涼子が、驚いて断った。
「女同士だろう。ていうか、まだ独身だったのか?」
 アナが、宮子に突っ込みを入れた。
「ハッハハハハ」
 宮子とアナを中心に笑顔の輪ができた。宮子も、障害児者のツボを心得て来ていた。

 それからも、宮子から、鬼のような発注があった。
「宮子の奴、私を殺す気だわ」涼子が、仕事に追われた。
「ハッハハハハ」
「カズの言った通り、耐えた先に幸はあった」アナが、カズに告げた。
「だろう」カズが、嬉しそうに微笑んだ。
 アナ、カズ、涼子、アナの母が、幸せに暮らした。

 この頃、先のウイルスによって、低下した出生率が、不思議と回復し始めた。

 数十年後、アナが、天命を全うした。
「アナー、アナー!」宮子が、駆けつけて、号泣した。
「お母さん、お疲れ様」涼子が、その脇で、笑った。



     第二章



 大陸から少し離れたところに、小さな島国があった。森林伐採の影響はあったが、緑は多く、海の幸にも山の幸にも、恵まれていた。
 そこは、王様Kの支配する国で、多くの国民が、かしづいていた。王様Kは、独裁者で、王国は、純粋な格差社会の体をなしていた。王様Kを頂点に、その親族、従者、一般国民、そして底辺に障害児者がいた。

 王国の大学では、障害児教育の講義が行われていて、多くの学生が、学んでいた。
 教授が、教室前方の教壇に立って、
「人間社会は、格差社会であり……えー、幼い頃から、絶えず選別が行われていて……特に、障害のあるなしによって……その傾向は、顕著に現れ……」
 と、講義をしていた。
 その時、教室の至るところで、ザワザワと話し声が聞こえた。
「何を騒いでいるんだ?」教授が、学生を注意した。
「なに、このニュース!」学生が、携帯端末片手に騒いでいた。
「なんのニュースだ?」教授が、学生に問うた。
 一人の学生が、立ち上がって、
「日本人女性が、無精卵の男児を産んだそうです」
 と、答えた。
「まさか!」教授は、当然信じることができず、思わず笑ってしまった。
「どうも、ほとんどの女性は、子供を産めなくなっているそうです」
 学生が、ニュースキャスターの言葉を引用した。
「は?」
 それから、このニュースは、王国中を駆け巡って、しばらく、社会的な混乱が生じた。
「出生率が下がっていたのは、事実だが、ついに、無精卵の男児だと……?」
 王様Kが、呆れた。
「その出生率も、下落の一方です」王国の従者が、告げた。
「このままでは、人間が、絶滅するぞ!」王様Kが、焦燥感をあらわにした。
 特に、女児の産まれる確率が、激減していた。
 ニュース:〈女児を産んだ女性がいるそうです!〉
 世間では、そんなことがニュースになった。
「……女王人間だ……こ、これは……まるで蜂の世界だ」
 誰かが言った。
 実際、ほとんどの女性は、子供を産むことができなくなっていた。その中に、女児を産む女性が、少なからずいた。その女性たちは、女王人間と呼ばれた。そして、ごく稀に、無精卵の男児を産む女性も現れた。彼女らは、働き人間と呼ばれた。実際、働き蜂も、無精卵の雄蜂を産むことがあった。これらは、蜂化現象と呼ばれた。
「原因を突き止めろ!」王様Kが、いきり立った。
 それから、王国の研究者が、蜂化現象の調査を進めた。
「先のウイルスのDNAが、人間の体に組み込まれたのか?」
 王様Kが、推測した。
「まだ、分かりません!」研究者は、慎重だった。
「早く調べろ!」
「はい!」

 そして、研究結果が、徐々に明らかになった。
「蜂の毒に含まれていたDNAが、人間に組み込まれたようです」
 研究者が、王様Kに報告した。その影響で、人間の姿形をしているのに、出産システムが、蜂のものになってしまっていた。
「蜂に刺されたせいだ……あの蜂の大量発生BBBの……蜂を殺したからだ……蜂の呪いだ! こうなったら、蜂を根絶やしにしろ!」
 王様Kが、指示を出した。
「それが……蜂は、もうこの世にほとんどいません」
「どういうことだ?」
「人間を襲った後、死に絶えました」
「くそっ!」

 王国では、女王人間、働き人間、雄人間が、誕生して、徐々にその数を増やして行った。
 そして、蜂化現象だけに、蜂のような格差社会を形成した。つまり、女王人間が、絶対の存在として、崇められて、働き人間は、その世話をして、雄人間は、女王人間と共に、子孫を残すことを主とした。
「女王人間に子供を産んでもらうしか……」
 王様Kが、途方に暮れた。
 女王人間は、雄人間と交尾をして、出産を繰り返した。

     *

 以降も、王国の研究者が、遺伝子解析をして、色々な情報が分かった。
「なにが分かった?」王様Kが、研究者に尋ねた。
「蜂の世界との違いもありました」
「なんだ?」
「子孫は、卵ではなく、胎児の状態で産まれること。雄人間は、交尾を終えても死にません。それに、蜂に比べて、寿命が、長いです」
「そんなことは、分かっておる!」王様Kが、いきり立った。
「すみません!」
「基本的には、女王人間しか、子孫を残せないのだな?」
「はい」研究者が、申し訳なさそうに答えた。
「どうすれば、女王人間を増やせるんだ?」
「増えすぎても、争いが起こります。一つのコミュニティに数人が限度だと。さらに、おそらく、一人に収斂するかと……そこは、おそらく、蜂の世界と同じだと思われます」
「他には?」王様Kが、イラついた。
「その女王人間ですが、どうも、幼児期に与えた食事によって、働き人間になるか、女王人間になるかが決まるようなのです」
「そんなことで?」
「雌の人間が、幼い頃、ローヤルゼリーだけを食べれば、女王人間になれます」
「ほ、本当か!」
「これも、蜂と同じです。おそらく、蜂のDNAの名残りだと思われます」
「他には?」
「働き人間は、お尻に毒針を持っていて、一度刺すと、死ぬようです」
「……まるで蜂じゃないか」王様Kが、改めて、息を呑んだ。
「蜂化現象と呼ばれる所以です」
「本当に、蜂に刺されたくらいで、こんなことが起こり得るのか?」
「疾患に関わる遺伝子や生存に必要な遺伝子は、人間と蜂の間で進化的に強く保存されていることが示唆されました。その確率、九十%以上!」
「つまり、どういうことだ?」
「人間と蜂の病気と出産に関する遺伝子は、ほとんど同じなんです。だから、人間の出産システムが、蜂の出産システムに置き換わってしまう可能性はなくもないんです」
「そんなことが……」
 王様Kも研究者も、打つ手なしだった。
 蜂のDNAが組み込まれたのなら、それを切り取ってしまえば良い。そう考えるのは、たやすかったが、それを可能にする技術は、持ち合わせていなかった。

     *

 そんな中、別々の女王人間から、Q、アナ、カズが産まれた。
「おお、産まれたか!」
 Qは、王様Kの娘だった。
「そいつらは、死んでも構わん」
 王様Kが、アナの家族とカズの家族に言い放った。
「そんな……」アナの母が、痛く悲しんだ。
 ここでも、格差社会は、幅を利かせていて、アナとカズは、Qとの身分の違いを見せつけられた。格差社会での選別は、すでに起きていたのだ。
 Qは、王国の城で、「あなたは、女王人間になるから」と、ローヤルゼリーが、与えられて、大切に育てられた。特殊な哺乳瓶にローヤルゼリーを入れて、乳児に与える姿は、異様だった。しかし、それが、王国の研究の成果であり、蜂化現象の元で生き抜く、唯一の方策だった。
 一方、アナとカズは、貧しい自宅で、育てられた。
「アナにも、栄養のある食事を与えてあげたい……」
 アナの母が、悔しそうにつぶやいた。

     *

 アナの母が、アナを病院へ連れて行って、健診を受けさせた。
 アナの母が、医師の診察室に入った。
「アナちゃんは、ダウン症ですね」医師が、淡々と告げた。
「え……」
「心臓病の合併症がありますが、手術の必要はありません」
「そうですか……」アナの母が、自宅に戻った。
「アナ、ごめんね……健康に産んであげられなかった」
 アナの母が、静々と泣いた。
「ただいま」アナの父が、帰宅した。
「あなた……」アナの母が、アナの父にアナのことを伝えた。
「そうか……僕らには、アナの人生を最良のものにする義務がある。良いじゃないか。支えて行こうよ」
「……そうね」
「きっと明るい未来が待っている。明るい未来が……」
 アナの父が、自分に言い聞かせるように、明るい未来と何度もつぶやいた。
 一方、カズの母も、カズの定期検診を受けさせた。
「カズくんは、発達障害です。もう少し大きくなったら、色々検査をしましょう」
 医師が、告げた。
「そうなんですか……」カズの母が、がっくりと肩を落とした。
 こうして、アナとカズは、障害を持っていることが、判明した。
「ごめんね……」
 アナの母とカズの母は、アナとカズのこれからの心労を思うと、やるせない気持ちでいっぱいになった。ただでさえ、障害児者は、不遇な人生を強いられるのに、この王国で、障害を持っていることは、万死に値した。アナの母とカズの母は、とにかく、そのことを憂いでいた。
「障害児なんですって」
 アナとカズは、産まれた時から、後ろ指を指されていた。王国では、障害児者の人権は、ないに等しかった。

 アナとカズが、物心ついた頃、幼稚園に、王様Kの使いがやって来た。
「この二人を隔離せよ!」
 王様Kの使いが、アナとカズをさらって、王国の監視下に置いた。
「こんなやり方って……!」
 アナの母が、やや反抗した。しかし、アナを取り戻すことはできなかった。
「カズ……」カズの母もまた、カズを手放すことになった。
 これが、王国の格差社会による選別だった。
「障害児者を排除せよ!」
 王様Kは、障害を毛嫌いしていた。
 ただ、それだけで、アナとカズを隔離したのではなかった。
 王国の研究者が、王様Kに、
「もしかしたら、障害児者に、蜂化現象を克服する鍵が隠されているかも知れません」
 と、進言していたのだ。
「障害児者に頼りたくはないのだが……」王様Kが、口惜しそうにつぶやいた。
「ですが」
「ああ、分かった。好きにしろ」王様Kが、投げやりになった。
 以降、アナとカズが、研究の対象になった。
 アナとカズは、徹底的に遺伝子を調べられた。研究者は、それを健常児のものと比較して、蜂化現象克服の道を探った。
「カズ、限りなく不安なんだけど、殺されたりしないよね?」
 アナが、心配そうに尋ねた。
「殺したら、研究はそこで終わりだよ。大丈夫。逆に死なないようにしてくれるさ」
「どっちにしても、生きた心地がしないわ」
「確かに」
「ハッハハハハ」
 アナとカズは、こんな状況でさえも、笑顔を見せた。それほどに二人は、信頼し合っていた。二人なら、どんな苦難も乗り越えられる。そんな気がしていた。

 アナが、隔離されてまもなく、アナの父が、病気になった。
「アナに手紙を送っているんだけど、音沙汰ないのよ。読んでいるのかしら?」
 アナの母が、アナの父を看病しながら、心配した。
「色々忙しいんだろう。大丈夫、悪いようにはされていないよ」
「だと良いんだけど……」
「僕は、もうダメみたいだ……」
「そんなこと言わないで」
「アナに伝えてくれ……ダウン症として産んでしまって、すまなかった。でも、希望は捨てるな。明るい未来が待っている、と……」
 明るい未来――いつしか、アナの父の口癖になっていた。
「分かった。私もそう思う」
「ありがとう……」
 アナの父が、逝った。
「あなた……!」
 アナの母が、慟哭した。
 結局、アナは、アナの父の死に目に会えなかった。アナは、アナの母の手紙を少し遅れて、読んだ。
「お父さん……!」
 その数日後の夜、アナとカズが、城の裏門の近くで落ち合った。
「いよいよね」アナが、覚悟を決めたように、手の汗を服で拭いた。
「見つからないように」
「うん」
 二人は、城への物資の輸送用の車の荷台に隠れた。
 脱走だ。
 アナは、アナの父母に会うために、城を抜け出す決意をした。そして、カズが、そのサポートを申し出た。
 二人の乗った車は、裏門を抜けて、城の外に出た。
 アナとカズが、荷台の中で、肩を寄せ合って、息を殺した。
 そして、無事、街に出た。
「さ、行くよ」カズが、アナの手を引いた。
「うん」アナが、駆けた。
「よし、このまま走るよ!」
「はい!」
 二人は、一目散に、アナの自宅へ向かった。
「お父さん! お母さん!」アナが、ドアを開けて、アナの父母を呼んだ。
「アナ……アナなの?」アナの母が、驚いて、駆け寄った。
「お母さん!」アナが、アナの母に飛びついた。
「お父さんは……?」
「……あそこよ」アナの母は、仏壇のアナの父の遺影を指差した。
「え……死んじゃったの……?」
「少し前にね……」
「そ、そんな……」アナが、悲しんで、仏壇の前に座って、放心状態になった。
「あまり時間がない。アナ、手短に」カズが、ドアの外を気にした。
「……お父さん。ごめんなさい。安らかに……お母さん。私たち、無事だから。痛いことされていないし、よく食べて、よく寝ている。心配いらないから」
「うんうん、分かった」
「アナ、時間だ」カズが、アナの手を引いて、外に連れ出した。
「また会いに来るから!」アナが、アナの母に声をかけた。
「無茶しないのよ」
「うん!」
 アナとカズは、再び、車の荷台に乗って、城内へ戻った。
 親の死に目にも会えない。それが、アナに課せられた運命なのだろうか。アナとカズは、その不遇の中で、もがき苦しんでいた。

     *

「毎日、Qの世話ばかりで、つまらないわ」
 アナが、成長して、働き人間になって、女王人間Qの世話をしていた。
「Qの世話ができるだけマシだよ」
 カズは、雄人間になっていた。

 ある時、アナとカズが、自身の障害について、告知された。
「二十一番染色体が、三本あるんだって!」
 アナが、驚いて、カズに報告した。
「蜂みたいになったのに?」カズの意見も、もっともだった。
「カズにも、障害があるの?」
「ああ、発達障害だって」
「そっか……」
「協力し合って、生きていこうよ」
「夢がある」アナが、目を輝かせた。
「何だい?」
「障害児者と健常児者の間の選別がなくなって、格差社会に終わりを告げること」
「まさに夢のような話だね」
「今は無理だけど、全ての障害児者のために、実現してみせるわ」
 アナが、健気な一面を見せた。アナとカズは、これだけの冷遇を受けても、決して腐らずに、優しさを持ち続けた。それは、逆に、障害児者ならではの強みでもあった。逆境に強いのだ。

     *

 アナが、女王人間Qの世話の最中、啓示を受けた。
 問い:〈女神はいると思うか?〉
 アナが、頭の中で、
「ウイルスや蜂化現象に翻弄されたわけだし……選別や格差社会を経験して……女神はいないかな。だからこそ、私は、女神になりたい。女神になって、もっと世の中を良くしたい。自分がやらなきゃ、誰がやるっていうの? みんなの幸せを本気で願うなら、自分が女神になるしかない」
 と、答えた。

     *

 アナとカズは、王国の城に隔離されていた。
 アナが、甲斐甲斐しく、女王人間Qの身の回りの世話をして、働きづくめだった。
「こういう格差社会は、蜂みたいになる前からあったらしいよ」
 アナが、カズに、告げた。
「そうらしいね。人間も蜂も、根っこのところは同じか」
「ハッハハハハ」
 アナとカズは、こんな状況でも、笑う芯の強さがあった。障害児者としての運命に翻弄されながらも、決して尊厳を失わず、輝きを放っていた。
 アナの母が、アナとの面会を許されて、「アナ、苦労かけるね」と、告げた。
「毎日、結構充実しているんだー」
「体に気をつけてね」
「お母さんこそ」
「よく食べて」
「食べ過ぎているくらいよ」
「確かに」アナの母が、アナのメタボなお腹を指で突いた。
「コラ〜」
「ハッハハハハ」
 アナは、アナの母を心配させまいとして、強がりを見せた。こんなところでも、芯の強さを見せつけた。アナの母も、それを理解していたので、なおさら辛かった。

「アナ、肩を揉みなさいよ」女王人間Qは、高飛車な雌だった。
「はい」アナが、健気に、女王人間Qの指示に従った。
「産まれた時は、同じだったのに……」アナが、カズにぼやいた。
「僕なんて、雄だぜ。産まれながらに、雄である運命を背負っているんだ」
 カズは、半ば呆れていた。
「あああー、子孫を残したかったな」
 アナは、女王人間になって、子孫を残すのが、夢だった。しかし、それは、本当の夢でしかなかった。すでに、選別されていたのだ。
「僕は、アナとの子供を残したかったな……」
「それって、プロポーズ?」
「ま、そんなところだ」
「やだー!」アナが、カズの背中を思い切り叩いた。
「痛い!」カズが、体をよじらせた。
「ハッハハハハ」
 アナとカズは、産まれた時から一緒で、いつしか恋心を抱くようになった。しかし、この格差社会の中で、障害児同士の恋は、実を結ぶはずもなかった。アナとカズは、それをはっきりと感じ取っていた。だからこそ、辛さが増した。しかし、どうしようもできなかった。

     *

 ある日、王国の城の中で、健常児が、障害児に向かって、
「この障害児! 迷惑なんだよ!」
 と、偏見をしていた。
 この障害児も、アナとカズと同様、王国の城に隔離されていた。
「好きで障害児として産まれたんじゃないやい!」
 障害児が、反抗的な態度をとった。
「こいつ、生意気だ!」健常児が、障害児を突き飛ばした。
 その時、障害児が、「なにするんだ!」と、お尻の毒針で、健常児を刺した。障害児は、働き人間だったのだ。
「痛い!」健常児は、逃げ去って行った。
「あの子、刺しちゃった……!」
 アナが、遠くから、障害児の元へ、駆け寄った。
 障害児は、やがて、「悔しい……」と、言い残して、息を引き取った。
 働き人間は、お尻の毒針で刺すと、死に至った。
「お悔やみ申し上げます……」
 アナとカズが、障害児の遺体を家族に引き渡して、葬式をあげた。
 なんともやりきれない話だった。

「もっと働きなさいよ! 働き人間でしょう!」
 女王人間Qが、アナを酷使した。
「Qの奴、私を殺す気だわ」アナが、カズに愚痴った。

     *

 女王人間Q、働き人間アナ、雄人間カズが、年頃になった。
 王国の研究も進んでいて、研究者が、王様Kに、
「働き人間も、交尾はできるようですが、子供は産めません。蜂は、危機に瀕した時、働き蜂も雄を産むと言いますが……」
 と、伝えた。
「産まれるのは、雄だけか?」
「残念ながら」
「ま、Qが、子供を産めるのなら、心配することでもないわ。良かった良かった」
「はあ……」
 一方、アナは、
「やっぱり、カズの子供は、産めないみたいだわ」
 と、しんみりしていた。
「仕方ないさ。そういう風に育てられたんだから」
「悔しい……」
「僕たちは、結ばれない運命なんだ」カズが、アナを優しく抱きしめた。
 アナとカズは、本当に心の底から、愛し合っていたのに、身体も立場も、それを許してはくれなかった。辛く歯痒い、悶々とした日々を送っていた。

 ある日、アナとカズが、王国の城の中の一室で、二人きりになった。
「そういえば、こうして、二人きりになるのも、久しぶりね」
 アナが、カズと目を合わせなかった。
「ずっと監視されていたからね」
「カズ……ずっと好きだった!」
「僕もだよ、アナ」
 アナとカズが、抱きしめ合った。
「カズの子供を産みたい」
「ローヤルゼリーか……」
 アナは、幼い頃、ローヤルゼリーを与えられないで、働き人間になった。その選別は、アナの人生に、一生影を落とすことになった。働き人間アナは、最愛のカズの子を産むことができないのだ。
「カズ、好きだよ!」
「ああ……」
 アナとカズは、格差社会の中で、選別されて、不遇な人生を歩んで来た。そして、愛する者同士、子供を授かることを許されなかった。とても辛く、切なかったが、二人の愛は、それに負けていなかった。アナとカズは、純愛を貫いた。

 女王人間Qが、数人の子供を産んだ。男児も女児もいた。
「よくやった。流石、わしの子だ」王様Kが、ご満悦だった。
「女児の一人を女王人間にしてくださいな」女王人間Qが、進言した。
「ああ、そうしよう。Qの後継者じゃな?」
「ええ」
「働き人間ども、Qの子供たちの世話に精進せよ!」
 王様Kが、働き人間に指示した。
「はい!」アナも、その指示に従った。
 以来、アナが、甲斐甲斐しく、女王人間Qの子供の世話をした。
「は〜い、ミルクを飲みましょうね〜」
 アナが、働き人間になる女児と雄人間になる男児にミルクを与えた。
「あなたは、ローヤルゼリーよ〜」
 女王人間になる女児には、ローヤルゼリーを与えた。
 そこには、純粋な選別があった。アナも、その選別に加担していた。アナも、それを自覚していて、やり切れない思いだった。しかし、王国の未来のため、心を鬼にして、そうした。

 数年後、アナが、カズに、
「女王人間も、働き人間も、雄人間も、すくすく育っているわ」
 と、報告した。
「この王国の将来を担う子供たちだからね」
「Qの子供なんだけど、我が子のようにかわいいの」
「お母さんの顔をしているね」
「え〜、そう?」
「ああ、良い表情をしている」
「ありがと!」
 アナとカズは、女王人間Qの子供を、まさに我が子のように育てた。本当に仲睦まじく、幸せいっぱいの光景だった。

     *

 ある日、王国の研究者が、王様Kの元を訪れて、
「Q様も、そろそろ分人間の時期かと」
 と、申し出た。
「分人間?」王様Kが、聞き返した。
「はい。蜂の世界では、女王蜂は、産卵の後、約半分の働き蜂を連れて、巣を飛び出して行くのです。分蜂といいます」
「Qも、どこかへ行くのか?」
「おそらく。Q様の子供の中から、新たな女王人間が、育てられていますから、複数の女王人間が、併存するのは、避けた方がよろしいかと」
「そうか、寂しくなるな……」
 王様Kは、女王人間Qとの別れが来ることを知って、潮らしくなっていた。愛すべき者との別れもまた、蜂化現象の負の副産物だった。

 女王人間Qが、ある程度子孫を残して、分人間をすることになった。
 女王人間Qが、王様Kに謁見して、「分人間致します」と、告げた。
「これまで、王国のために子供を産んでくれて、ありがとう」
 王様Kが、女王人間Qにお礼を述べた。
「いえ、使命を果たしたまでです」
「寂しくなるな」
「お父様のことは、いつまでも忘れませんから」
「わしも、忘れることはない」
「それでは」
 女王人間Qが、王様Kの元を去った。
 女王人間Qは、それから、城内の広間で、働き人間と雄人間に向かって、
「今までありがとう。これから、分人間を行う!」
 と、宣言した。
「私も、行くことになるのかしら。そうしたら、カズとも、お別れね……」
 アナが、後ろ髪を引かれる思いで、カズにささやいた。
「いつまでも忘れないから」カズも、名残惜しかった。
 女王人間Qが、アナとカズの様子を見て、
「アナは、連れて行かない。ここに残りなさい」
 と、告げた。
「本当ですか!」アナが、素直に喜んだ。
「カズと一緒にいたいんでしょ?」
「……はい」
 女王人間Qは、アナの気持ちを理解していた。
「アナ、今までありがとう」女王人間Qが、今までのアナの苦労をねぎらった。
「はい……」
 アナが、涙を流した。女王人間Qとの日々を辛いと思って、過ごして来た。しかし、女王人間Qは、アナのことをしっかりと見ていてくれて、その尊厳を認めてくれたように思えた。それが、何よりも嬉しかった。
「女王人間は、どんなことがあっても泣かない。それが、女王の女王たる所以よ」
 女王人間Qが、去って行った。女王人間Qが、働き人間を引き連れて進む様は、開拓民に似ていた。新天地で、また一から礎を築くのだ。
「……」
 アナは、静かに深々と頭を下げた。感謝の気持ちでいっぱいだった。
 女王人間Qの姿が、見えなくなった。
 アナは、しばらくして、頭を上げて、
「カズ、また一緒にいられるってー」
 と、カズに抱きついて喜びをあらわにした。
「良かった良かった」カズも、大喜びだった。
 二人は、念願叶って、結ばれたように感じていた。夫婦になった。そう言っても良いような心境だった。

     *

 女王人間Qの子孫の中の雌人間の一人は、ローヤルゼリーを与えられて、すくすくと成長して、女王人間Aになった。
「良かった、女王人間が産まれた」
 王国の全ての国民が、安堵した。
 この頃は、女王人間は、Aのみで、他の若い国民は、全て、働き人間か雄人間だった。旧来の人間は、ほとんど誕生せずに、置き換りが起きていた。完全に蜂化への道を突き進んでいた。
「今日は、宴を開くぞ!」王様Kが、喜びの音頭をとった。

 ほどなくして、王様Kの元へ、研究者が、駆け込んで来た。
「どうした?」王様Kが、研究者に尋ねた。
「……も、もう一人、女王人間が産まれてしまいました!」
 王国の外れの地域で、女王人間Bが、誕生して、女王人間が、二人になってしまった。
「争いが起こるのか?」
「……おそらく」
「なんてこった……」王様Kが、頭を抱えた。

 女王人間AとBが、成長した。
「Aこそが、真の女王人間だ!」
「何を言う! 女王人間Bが本物だ!」
 女王人間Aの勢力と女王人間Bの勢力が、武器を持って、醜い争いを始めた。
「武力闘争になってしまった……!」
 カズが、アナに残念そうに告げた。
「どうして、こんな争いが起こるの!」アナが、口惜しそうに叫んだ。
 それは、蜂化した人間の宿命だった。蜂人間の体の中の蜂由来のDNAが、疼くのだ。その衝動は、到底抑えることができなかった。

 戦いの最中、アナは、
「ここに隠れていてください」
 と、女王人間Aを城にかくまって、その世話をしていた。
「アナ、無理するなよ」カズは、アナの補佐をしていた。
 その時、女王人間Bの勢力が、女王人間Aを襲撃して来た。
「危ない!」アナが、女王人間Aを救おうとした。
 しかし、周りを囲まれてしまった。
「アナ、逃げろ!」カズは、他の敵を相手にして動けなかった。
 その時、敵がアナを攻撃して来て、危機一髪の状況になった。
 その時、人間が一人、
「アナーーー!!!」
 と、間一髪でアナを救った。
 アナの母だった。
「お母さん!」アナが、アナの母を見た。
 アナの母は、敵に囲まれて、満身創痍の状態。
「お母さん!」カズが、他の雄人間を連れて、加勢してくれた。
 カズたちが、なんとか、敵を蹴散らした。
「お母さん!」アナが、アナの母の元へ駆け寄った。
 アナの母は、瀕死の状態で、
「アナ……健康に産んであげられなくて……ごめん……未来は明るい……」
 と、力なくつぶやいた。
「お母さん、しっかりして!」
「……」
 アナの母が、息を引き取った。
「お母さーーーん!!!」アナが、慟哭した。
「許さん!!!」カズが、雄人間を引き連れて、女王人間Bを襲撃した。
 カズは、涙を流して、必死に戦った。
 そして、女王人間Bが、死んで、争いが治った。
「お母さん……安らかに」
 アナが、アナの母の亡骸に手を合わせた。
「救えなかった……」カズが、悲しみの声を上げた。
 こうして、アナは、大事な人を失った。とても辛くて悲しかったが、王国のために命を落としたことが、誇らしかった。最高の死に様だと思った。

     *

 女王人間Aが、繁殖期を迎えた。
「僕は、子孫を残すために……」
 カズは、やむなく、女王人間Aと共に、子孫を残すことになった。
「たくさんの子供を残して」アナが、健気にカズを鼓舞した。
「それじゃ、行ってくるよ」
 カズが、アナとの別れの時を迎えた。
「カズーーー!」アナが、カズの背中を見て、大きな声を出した。
「アナ!」カズが、振り向いて、アナを見た。
「カズ……」アナの目には涙。
「……行ってくるよ」カズが、アナに背中を向けて、去って行った。
 こうして、アナとカズの仲は、引き裂かれた。
「せめて、子孫を残したかった」
 アナは、無念な気持ちでいっぱいだった。しかし、アナは、諦めた。働き人間は、子供を産めなかったから。

     *

 王国の国民が、争いもなく、平穏な日々を送っていた。
「やっぱり、子育てって、向いてるのかしら?」
 アナが、子供たちにミルクを与えながら、微笑んだ。
「これ、僕の子供だよ」カズが、女児を指差した。
「それで不細工なのね?」アナが、お茶目に笑った。
「おいコラ」カズが、優しく突っ込んだ。
「ハッハハハハ」
 アナとカズは、再び、子育ての喜びを噛み締めていた。二人とも、前の時よりも大人になった。だからこそ分かる喜びもあった。二人は、幸せを噛み締めていた。

 しかし、王国の従者が、
「大変だー! 敵が攻めて来たぞ!」
 と、けたたましく鳴り物を響かせた。
 王国に、他の国の蜂人間が攻めて来たのだ。
「みんなで力を合わせて、戦うよ!」アナが、芯の強さを見せた。
 なんとしても、女王人間Aと子供たちを守らなくてはならなかった。
「行くぞ!」カズも、大きな声で叫んで、戦いに繰り出した。
 しかし、王国は、劣勢だった。
「戦いに勝つには、人数が足りな過ぎる!」カズが、嘆いた。
 他国の蜂人間が、城内にも侵入して来た。
「私が守る!」アナが、気合を入れた。
「いたぞ、女王人間だ!」
「指一本触れさせるか!」
 アナと他の働き人間が、立ち向かった。
「他のガキも殺せ!」
「おう!」
「この子たちを産んでないけど、育ての母なんだからー!」
 アナが、応戦した。
 しかし、数人の子供たちが、命を落とした。
「なんで、こんなに幼い子供たちが犠牲になるの!」
 アナが、泣き叫んだ。
 その時、女王人間Aの元へ、敵が攻めて来た。
「A様!」アナが、女王人間Aを守ろうとした。
 しかし、多勢に無勢だった。
「A様!」カズも、加勢したが、敵の勢力は甚大で、徐々に押されて行った。
 そして――女王人間Aが、命を落とした。
「A様ーーー!!!」アナが、雄叫びを上げて、敵をなぎ倒した。
 しかし、アナが、すとんと、その場に倒れてしまった。
「どうした、アナ!」カズが、アナの前に立って、敵の攻撃を凌いだ。
「体調が……」アナが、弱々しい声を上げた。
「こいつめ!」カズが周辺の敵を倒した。
「お腹が痛い……」
「アナ、どうしたんだ?」カズが、アナを気遣った。
「アナは、妊娠しています」働き人間が、アナの体を確認した。
「え! だって、アナは、働き人間じゃ……?」カズが、驚いた。
「危機の時は、働き蜂と同様に、働き人間も、子供を産めるようなんです」
 働き人間が、カズに伝えた。
「そういえば、そんな話を聞いたことがあるな……」
「でも、雄人間しか産めない……」アナが、息も絶え絶えに答えた。
「ありがとう、アナ。戦力になるから」カズが、アナを慰めた。
 実際、雄人間でも、立派な戦力になった。敵国との争いには、一人でも多くの雄人間が、必要だった。
 しばらくして、アナが、息子を産んだ。
「戦いは、まだ続いている。あなたが、大きくなるまでには、終わらせるから」
 アナが、慈しみを持って、息子を育てた。

 戦いは、泥沼の様相を呈して、長期化した。
 しかし、その間、他の働き人間も、雄人間を産んだ。
「勝てる……これなら、勝てるぞ!」カズが、雄叫びを上げた。
「息子たちよ……死なないで! 死なないで! 息子たちを殺さないでください!」
 アナが、懇願した。
「逃げるのよ、みんな!」
 アナの息子たちが、必死に逃げ回った。
「逃げるの!!!」アナが、絶叫した。
 しかし、無惨にも、アナの息子らは、敵の攻撃に沈んだ。
「なんで、こんなことに……許さない!」
 そこから、王国の逆襲が始まった。
 そして、働き人間が、「私たちも、敵を倒すよ!」と、敵を攻撃し始めた。
 子供を産んだ働き人間たちが、毒針で、敵を攻撃し始めた。
「やーーー!!!」働き人間の怒号が響いた。
 しかし、働き人間は、一度毒針を刺すと、死んだ。
「アナ、お前は、刺すなよ!」カズが、アナに声をかけた。
「私だって、戦う!」
 アナも、参戦したが、ダウン症ということで、運動神経が、それほど良くなくて、なかなか敵を刺すことができなかった。
 ところが、敵の勢力も、衰えることはなく、再び、王国は、劣勢になった。
「くっ、これでもダメか……」カズが、八方塞がりの状態だった。
「もうダメだわ……」アナが、諦めの声を発した。
 その時、遠くの方から、「来たぞー」と、声がした。
 多くの蜂人間が、助けに来てくれた。
 女王人間Qだった。
 女王人間Qが、新しいコミュニティの蜂人間を引き連れて、助けに来てくれた。
「Q様!」アナが、喜んで、思わず涙を流した。
「やーーー!!!」女王人間Qが、敵を蹴散らした。
 そして――勝った。
「アナ、大丈夫?」女王人間Qが、アナの介抱を始めた。
「助かりました……女王人間A様が、亡くなってしまった……カズ、Q様と交尾をして、子孫を残して……」
 アナが、カズに懇願した。愛するカズに、女王人間Qと子供を残すように頼んだのだ。正直、こんな時までかと、悲しかったが、そうも言っていられなかった。
 ところが、女王人間Qが、神妙な顔をして、「もう産めないのよ」と、答えた。女王人間Qは、高齢のため、もう子孫を残せなかった。
「そ、そんな……」アナが、がっくりと肩を落とした。
 その時、「うわぁぁぁーーー!」と、女王人間Qの元へ、一匹の敵の残党が攻めて来た。
「危ない!」
 アナが、体ごと敵に体当たりして、そのまま腰を捻って、毒針で一刺し。アナが、最期の力を振り絞って、敵に毒を送り出した。アナの悲壮さは、目に余るものがあった。アナは、確かに、勇者だった。アナは、敵を倒した後、一瞬、金色に光った。それは、体に日光が当たっただけだったかも知れないが、確かに、後光が差したように見えた。アナは、女神になったのだ。
「アナ!!!」カズが、アナの体を抱き抱えた。
 働き人間は、毒針で相手を刺すと、まもなく死ぬ。
「……カズ、聞いてくれる?」アナが、息も絶え絶えに話し始めた。
「ああ、なんでも聞くから」
「……格差社会の選別を……負の遺産だとは……思っていない……働き人間でも……社会の一員であり、役割がある。それを全うできる人生に誇りを持っている」
「アナ、強がりを言うな……!」
「ふふふ……カズは、なんでもお見通しか……だけど、そう思い込むことにしている……そうしないとやってられないでしょ……」
 アナが、息を引き取った。
「アナーーー!!! 笑え!!!」カズが、泣き叫んだ。
「……」
 しかし、アナは、もう笑わなかった。アナは、最期、やっぱり、障害児者と健常児者の間の選別がなくなり、格差社会が終わりを告げることを願っていた。
 女王人間Qが、アナの亡骸を抱き上げて、
「アナの人生は、一体なんだったんだろう?」
 と、つぶやいた。
「……」カズは、言葉がなかった。
 女王人間Qが、アナの髪を撫でながら、
「幼児期に食べた食事で、こんなにも人生に差が出るなんて……どんなに大切な選択だったんだろう。それと同時に、もっとどうにかできなかったのかしら? 私たち、人間よ。蜂みたいになったけど、人間よ!」
 と、泣いた。女王人間は泣かないと言っていた女王人間Qの涙だった。
「女王人間がいなくなってしまった……子孫は残せないか……このコミュニティも終わりだ……」
 カズが、悲しみに暮れた。
「……アナ?」女王人間Qが、アナの異変に気づいた。
「どうしたんですか?」
「アナのお腹の中に赤ちゃんがいる……?」
 アナは、妊娠していた。
「また、雄人間か……」カズが、嘆いた。
 アナの子供は、産まれたとしても、雄人間なのだ。
 すぐに、働き人間が、アナのお腹から、胎児を取り出した。
「こ、これは……!」働き人間が、驚きを隠せなかった。
 女王人間Qの元へ、
「アナの子供は、雌人間でした」
 と、連絡があった。
「本当なの?」
「はい!」
 アナのお腹から産み出されたのは、確かに雌人間だった。
「この子に、ローヤルゼリーを与えれば……女王人間になれる……!」
 カズが、希望に胸を膨らませた。
 女王人間Qが、
「どうしてこんなことが……? 交尾をしたのは、おそらくカズ。それは良いのだが、アナは、ダウン症だった。それが、うまいこと作用したのかしら……?」
 女王人間Qが、推測したが、その謎は、解けなかった。
「はてな?」カズも、答えを見出せなかった。
「ううん。そんなことはどうでも良い。アナは、最期……女王人間になったのよ!」
 格差社会の選別に苦しんで苦しんで人生を終えたアナは、最期、その頂点である女王人間になった。女王人間Qは、それが何より嬉しかった。女王人間Qの最期の言葉だった。女王人間Qは、自らの死期を悟って、アナたちの応援に駆けつけてくれた。女王人間Qは、「恩返しがしたかった」と、口にしていたという。アナが聞いたら、どんなにか喜んだだろうか。女王人間Qの死に顔は、涙だった。

     *

 のちに、王国の研究者が、蜂化現象についての研究成果を報告する席で、国民から、
「アナ様は、どうして、女王人間になったのかしら?」
 と、質問を受けた。
「実は、女王人間アナ様の母上が、幼いアナ様に、ローヤルゼリーを与えていたようなのです」
 研究者が、誇らしげに答えた。
「お母さん、大金星」カズが、天に向かって、合掌した。
「今になって考えると、アナ様とカズ様を城の中で育てたのは、正解だったのかも知れません。王国を救う勇者だったのですから」
「でも、どうして、女王人間が、二人いたのに、争いにならなかったのかしら?」
 国民が、疑問を持った。
「それこそ、二十一番染色体の作用です。ダウン症児者は、優しいから、争いにならなかったんです」
 研究者が、胸を張った。
 アナが、ダウン症だったからこその奇跡だった。
「そうか」国民が、納得した。
「逆にいえば、アナが、全てを背負い込んだ。アナ……」
 カズが、生前のアナに想いを馳せた。

 アナの産んだ子供は、確かに雌人間で、ローヤルゼリーを与えられて、大切に大切に育てられた。そして、のちに、一族の血を引く女王人間Rになった。

     *

 女王人間Rが、王国をまとめた。
 とても平穏で、平和な世の中になった。
 しかし――。
「代償、と言うべきか……?」王様Kが、ため息をついた。
 確かに、王国は、順風満帆のように見えたが、一つ問題があった。
 実は、ダウン症児しか産まれなかったのだ。
 女王人間R自身も、ダウン症だった。
 王国は、周りの国から、〈ダウン症の国〉と揶揄された。
「こんなことになるなんて……」女王人間Rが、悲しみに暮れた。
「負けるな」カズが、女王人間Rを支えた。
「こんな時に、お母さんがいてくれたら……」
 女王人間Rが、アナに思いを馳せた。
「アナは、それはそれは、素晴らしい蜂人間だった」
 カズが、アナの武勇伝を伝えた。
「本当に?」
「ああ。そして、類まれなるお転婆だった」
「ハッハハハハ」
 女王人間Rもカズも、こんな時は笑った。それこそが、障害児者の芯の強さだった。
 多くのダウン症児が、王国の広場を走り回っていた。平和な光景だった。それが全てだった。

 ほどなくして、カズが、病床に伏せた。
 病は、癒えることはなかった。
 そして、女王人間Rが、「お父さーん!」と、カズを看取った。
「アナの時は、何もしてあげられなかったから」
 王様Kが、カズの国葬をしてくれた。
「ありがとうございます」女王人間Rが、感謝の意を伝えた。
「今は、障害を敬いたい気持ちだよ。偏見する輩は、この国の土を踏ますな!」
 王様Kが、障害児者を守って、障害児者の待遇改善を断行した。
 その結果、王国は、障害児者を大切にすると評判の国になった。
「王国は、オアシスのようなところだ」
 他の国の障害児者が、王国を頼って、足を運んだ。そこで、障害児者との交流を満喫した。



     第三章



 小さな山の中、木々の間に、蜂の住み処はあった。そこには、複数の巣が、形成されていて、多くの蜂が、群生していた。

 ウイルスが猛威を振るった頃、蜂も、大打撃を受けていた。
「このままじゃ、生態系の破滅だ!」
 女王蜂の父が、いきり立った。この住み処では、どういう訳だか、女王蜂の父も寿命が長く、高い地位にあった。
 それほどに、蜂たちは、追い込まれて、疲弊していた。
「女王様、こんな時こそ、多くの子供を産んでください」
 働き蜂アナが、女王蜂に声をかけた。
「アナ、いつもありがとう。うん、頑張って産むわ」
「この巣は、僕が、守ります。例え、人間に何をされても」
 雄蜂カズが、女王蜂を守ることを誓った。
 実際、人間は、森林伐採などで、蜂の住み処を奪っていた。

 アナの父は、雄蜂なので、アナが産まれる前に死んでしまった。
「アナのことをよろしく頼むね。きっとダウン症だろうから……」
 アナの父が、アナの育ての母に告げた。
「ダウン症って、どういうこと?」
「いや、良いんだ……そんな気がしただけさ」
「ま、良いけど。それはもう、素晴らしい働き蜂に育ててみせるわ」
「ああ、頼んだ……」
 アナの父が、息絶えた。
 そうして、アナが、誕生した。
「あら、本当にダウン症だったわ」
 アナの育ての母が、狐につままれたようになった。
 アナは、ある染色体が一本多い、ダウン症だった。合併症があって、体が弱かった。
「アナだけは、命に替えても守る!」カズが、勇ましく言った。
「ありがとう、カズ。私よりも、女王様を守ってくださいな」
「僕は、両方守るんだ」
「ハッハハハハ」
 アナもカズも、こんな時は、笑った。それが、障害を持つ者の宿命だった。辛いからこそ笑う。その精神は、徹底されていた。
「アナ、ダウン症なんて、気にしなくて良いんだからね」
 アナの幼馴染が、優しく声をかけた。
「ありがとう。頼れる〜」
「カズには負けるわ」
「あれはダメ。優男なんだから」
「ハッハハハハ」
 蜂の社会では、女王蜂をトップにした格差はあったが、障害の有無による選別などはなかった。友愛に満たされた、とても素晴らしい社会だった。
 しかし、ウイルスの悪影響は、そんな希望を粉々に打ち砕いた。
「くそっ! どうして、仲間が死んでいくんだ!」カズが、吐き捨てた。
 実際、カズの目の前でも、次々と仲間が、死んで行った。
「女王のお父様が、危篤状態です!」働き蜂が、女王蜂に伝えた。
「お父様!」女王蜂が、女王蜂の父の元へ、駆けつけた。
「……丈夫な子孫を残してくれ」
 女王蜂の父が、最期の言葉を残して逝った。
「お父様!!!」女王蜂が、嘆き悲しんだ。
 アナの育ての母が、女王蜂の姿を見て、
「アナ、どんなことがあっても、生き延びなさい」
 と、アナに声をかけた。
「私のような働き蜂が生き延びても」アナは、卑屈になっていた。
 確かに、蜂の世界では、働き蜂は、女王蜂の世話をして一生を終えるし、子供も産めなかった。代わりは、いくらでもいるのだ。
「奇跡を信じて」アナの育ての母は、それでも、アナに希望を持たせた。
「お母さんこそ、長生きして」アナが、優しく告げた。
「助かる道はないの?」
 女王蜂が、女王蜂の父の墓前で手を合わせながら、悲しそうにつぶやいた。

     *

 数週間後、女王蜂が、一族を前にして、
「人間を毒針で刺す!」
 と、言い放つことになった。
「最期に、仕返しをするんですね?」雄蜂が、息巻いた。
「いや……皆で協力して、可能な限り多くの人間を助けようと思っている」
 女王蜂が、働き蜂と雄蜂を諭すように言った。
「何を仰っているんですか?」働き蜂が、女王蜂の真意を測りかねた。
「どういうことですか?」雄蜂も、納得のいかない様子。
「実は……我ら一族は、子孫を残せなくなった。しかし、我ら一族の毒には、人間を救う成分が、含まれていることが分かったんだ。そして、ミツバチの一族の使者より、恩返しを嘱望された。お願いしたい。返事は、すぐでなくて良い。よく考えて決めてほしい」
「……御意」
 働き蜂が、集まって話し合いをした。
「女王様の頼みだからって、必ずしも、従う必要はないわ」
「そうだけど……」
 働き蜂が、意見を交わした。
 その時、雄蜂が、
「みんな聞いてくれ」
 と、話し合いの場にやって来た。
「なあに?」
「僕らの命は、もう長くないらしい」
「どういうこと?」
「ウイルスの影響で、毒が変質していて、雌蜂の体がもたないらしい」
「そんな……」
「最期に、人間のために立ち上がろう」
「……」
 長い沈黙の時間が過ぎた。
「頼む」口を開いたのは、カズだった。
「……そうね」了承したのは、アナだった。
「……分かった」
 働き蜂も雄蜂も、アナとカズの真剣な眼差しに負けた。
 アナが、他の働き蜂と雄蜂と共に、女王蜂に謁見して、「人間を刺します」と、伝えた。
「ありがとう、みんな」女王蜂に笑顔はなかった。
「とことん刺します」アナは、潮らしかった。
 蜂たちは、結局、人間への憎悪よりも、恩返しをとった。とても崇高で、健気な決断だった。

     *

 一匹のミツバチが、女王蜂の元へやって来た。
「……我ら一族は、死に絶えます……その前に……人間を毒針で刺してほしいんです」
 作業員アナの父が、野に放ったミツバチだった。怪我をして、息も絶え絶えだった。
「アナフィラキシーでも起こして、人間を殺すんですか?」
 女王蜂が、ミツバチの手当てを指示しながら、質問した。女王蜂は、このミツバチは、もう長くないと悟った。だから、真摯に話を聞く決断をした。
「いえ……」
「どういうことですか?」
「どうやら……蜂の毒には、人間の出産システムを補強する……成分が含まれているようなんです……」
「そんなことが?」
「……ウイルスの影響で……毒が変質したようで……蜂に刺された人間が…………無事出産することができるように……なったんです……」
「本当ですか?」
「……不確かです」ミツバチが、申し訳なさそうに答えた。
「……」
「……でも、可能性があるなら……お願いしたい。恩返しをしたいんです……!」
 ミツバチは、作業員アナの父への恩を忘れていなかった。
「分かりました。調べてみます」
「あり……がとう…………」ミツバチは、息絶えた。
「この者を丁重に葬れ」女王蜂が、働き蜂に指示を出した。

 女王蜂の指示で、働き蜂と雄蜂が、働き蜂の持つ毒の成分を調べた。
 そして、働き蜂が、女王蜂の元へ行って、
「確かに、人間を絶滅から救う可能性があるかも知れません。ただ……」
 と、報告した。
「ただ?」
「……我ら一族も、絶滅するかと」
「なぜだ?」
「先のウイルスの影響で、我ら一族の生殖システムに不都合が……」
「まさか……子供が、できないのか?」
「……おそらく、子供を産めるのは、女王様の代で最後かと」
「なんてこった……」
「それに……毒の変質で、一族の雌蜂は、まもなく死に絶えます」
「本当なのか?」
「ええ、既に亡くなるものも出ています」
「それで、次々と亡くなっていたのか……ウイルスめ!」

 その後、女王蜂が、「アナフィラキシーをどう防ぐ?」と、研究を指示した。
「人間を救うんですか?」働き蜂が、女王蜂に尋ねた。
「手は尽くす」
 働き蜂が、研究を重ねて、
「匂いで判別がつきます。一度刺せば、その成分が、体に宿り、独特な匂いを発します。それを働き蜂が、共有すれば……」
 と、報告した。
「よし、よくやった。これで、人間を助けられるが、どうなることか……」
 女王蜂が、思案した。

 女王蜂が、働き蜂と相談を重ねた。
「人間のためなんて、絶対に嫌だわ!」働き蜂は、頑なに拒否の姿勢だった。
「確かにな……」女王蜂も、強くは言えなかった。
「そもそも、人間が、森林伐採なんてしたから、我らは、住むところを奪われて、ただでさえ絶滅の危機に瀕したのよ!」
「そうよそうよ!」
「ウイルスの影響だって、もっと軽減できたんだ、きっと!」
「絶対反対だわ」
 働き蜂は、断固反対の姿勢。
「そうだな……」
 女王蜂が、三日三晩考えた。
 確かに、これまでの人間の行いを勘案すれば、人間を救うなんて判断は、到底承服しかねる。しかし、ミツバチのことと、一族の行く末のことを考えると、結論が揺らいだ。

     *

 作業員アナの父の養蜂場のミツバチは、アナの父によって、野に放たれたものの、ウイルスに冒され、どんどん感染が広まって行った。
「少しでも、ウイルスの影響の少ない場所を探そう」
 ミツバチたちは、移動を繰り返した。
 そうして、転々としたが、感染は治らず、絶滅寸前だった。
 そんな折、ミツバチたちは、人間が、「蜂の巣だ! 壊せ!」と、他の蜂の巣を破壊する場面に出くわした。
「また人間だ! やっつけろ!」蜂の大群が、人間に襲いかかった。
「蜂の襲撃だ! 殺せ殺せ!」人間も、必死に抵抗した。
「やーっ!」蜂が、人間を刺した。
「痛い!」人間が、顔をしかめた。
 ミツバチたちが、「人間を襲わなないで!」と、蜂を制した。
「なぜだ! なぜ人間などを庇うんだ?」蜂が、ミツバチに問うた。
「我々は、ミツバチ。養蜂場の人間に救われた」
「その人間に、養蜂場で閉じ込められていたんだろう?」
「それは……」ミツバチは、返す言葉がななかった。
 そして、人間が、蜂の巣を壊して、「追い払え!」と、蜂を追い立て回した。
「退散! 避難するぞ!」蜂たちは、逃げ去って行った。
「この近くに巣を作ろう」ミツバチの女王が、言った。
「御意」ミツバチが、巣を作り始めた。
 それから、ほどなくして、ミツバチたちは、運命的な光景を目にした。
 この頃、人間は、子供が産まれにくくなる状態に陥っていた。しかし、そこにいた人間が、子供を産み落とした。しかも、一人二人ではなく、多くの人間が、漏れなく、出産に漕ぎ着けたのだ。
「この人間たちは、独特な匂いを放っています」
 ミツバチが、ミツバチの女王に報告した。
「なんの匂いだ?」
「おそらく、蜂に刺されたことがあると」
「もしかして、蜂の毒には、人間の出産を助ける効果があるのかも知れない」
 ミツバチが、研究を始めた。
 そうして、確かに蜂の毒には、人間の出産システムを補強する効果があることが分かったのだ。
「人間に恩返しする時が来た」
 ミツバチは、アナの父への恩を忘れていなかった。
「我々は、このままでも、ウイルスによって、命を落とす。ならば、最期、人間のために死のう!」
 ミツバチの女王が、他のミツバチを鼓舞した。
「おう!」
 そうして、ミツバチたちは、人間を刺そうと試みた。実際には、雌のミツバチが人間を刺し、雄のミツバチがそれを援護した。
 しかし、人間は、ミツバチを見ると、「殺せ殺せ!」と、激しく抵抗した。
「人間は、どうしてこうも、蜂を毛嫌いするんだ……」
 ミツバチは、閉口してしまった。
「それでも、人間を救うんだ!」ミツバチの女王が、周りを奮起させた。
「これじゃ、らちが開かない。もっともっと、多くの人間を刺さなきゃ!」
 ミツバチが、焦っていた。
「よし、刺すのを止めよう」ミツバチの女王が、意外なことを口にした。
「止めるって、どうするんですか?」
「刺すのを止めて、他の蜂の住み処へ行って、協力を要請するんだ。そうでもしないと、これ以上の人間を刺すことはできない」
「なるほど」
「別行動をとるぞ!」
「おう!」
 そして、ミツバチが、別れ別れになることになった。
「寂しくなるな」
「元気で」
「こうなる運命だったんだ。より多くの人間を救って死ぬさ」
 ミツバチが、別れを惜しんだ。
「それじゃ」
「ああ」
 ミツバチたちが、散り散りに、空へ飛び立った。
 その後、死に絶えるまで、残ったミツバチは、できるだけ多くの国に飛んで、蜂に人間を刺すようにお願いして回った。
 中には、人間の手によって、命を落としたミツバチも、多くいた。
「それでも、人間を救うんだ!」
 ミツバチは、健気に人間のために尽くした。
 全ては、アナの父の好意の恩返しのために。

     *

 アナとカズたちの出立の日。
「我らには、人間を救うことができる。ウイルスによって変質した毒で死ぬのなら、その前に、人間を救おう!」
 女王蜂が、働き蜂を鼓舞した。
「おう!」
「人間を刺すまでは、守り通す!」雄蜂が、働き蜂に誓った。
 毒を持っているのは、雌蜂だけだ。
「雄蜂は、女王様と子供を多く残して!」働き蜂が、雄蜂に頼んだ。
「任せておけ!」
 まさに、一致団結という感じだった。
「さあ、行くよー!」
 膨大な数の働き蜂が、命を賭して、人間に向かって行った。
「援護する!」雄蜂が、働き蜂を守った。
「痛い!」人間が、働き蜂に刺されて、顔をしかめた。
「やった……」働き蜂は、針を刺すと、息絶えた。
「良くやった」雄蜂が、働き蜂の労を讃えた。
 一方、人間は、
「こいつら……殺せ殺せ!」
 と、蜂を殺そうと抵抗した。
「なんで、人間は、僕らの真意が、分からないんだ!」
 カズが、悔しそうに叫んだ。
「仕方ない。実力行使するしか……!」
 アナが、人間の刺そうと狙いを定めた。
「とにかく、蜂をやっつけるしかない!」人間が、殺虫剤を使用した。
「くそぅ……」
 多くの蜂が、それによって命を落とした。
 人間のあまりの傍若無人ぶりは、目に余るものがあった。人間は、蜂を下に見ていた。そこには、純然たる格差社会があった。しかし、人間は、まさか蜂が、自分たちを救おうとしているとは、思いもよらないだろう。だから、蜂も、その抵抗する気持ちは、痛いほど理解できた。どんなにやり切れない思いになっても、諦めなかった。それほどに、蜂は、律儀で、使命感が強かった。
「それでも刺すんだ!」アナが、周りの働き蜂を鼓舞した。
「援護する!」女王蜂も、参戦した。
「女王様は、一匹でも多く働き蜂を産んでくださいな」
 アナが、女王蜂に声をかけた。
「働き蜂が戦う今、女王様を守るのは、僕たちの役目だ!」
 カズが、雄叫びを上げた。
 雄蜂が、大挙して、女王蜂を守った。
 一匹の働き蜂は、一人の人間しか救えなかった。
 女王蜂は、目の前で、次々と死んで行く働き蜂を見て、「みんなごめんね」と、つぶやくしかなかった。
「何を仰るんですか。女王様の指示に従うのが、我ら働き蜂の使命ですから」
 アナが、使命感を燃やした。
「そういう時代じゃないわ」
「いつまでも変わらない誇りです」
 アナが、胸を張った。蜂のコミュニティで、その役割を、喜んで全うした。そこには、格差社会の選別なんて概念はなかった。みんなが、心から信頼し合って、充実した一生を全うしていた。
 アナの幼馴染が、「じゃ、刺すわ」と、人間に向かって行った。
「痛い!」人間が、刺されて、アナの幼馴染を叩き落とした。
 アナが、幼馴染の死に直面して、「死なないでー!」と、叫び声を上げた。
「こいつめ!」人間が、アナの幼馴染を踏み潰した。
「何をするのよ!」アナが、人間をもう一度刺そうとした。
「アナ、ダメよ! アナフィラキシーになっちゃう!」働き蜂が、アナを諌めた。
「行かせて!」
「ダメよー!」
「悔しい……大丈夫……?」アナが、アナの幼馴染を抱きかかえた。
「……こんな死に方……ちょっと格好良いじゃない?」
 幼馴染が、息を引き取った。
「みんな死んでいく……」アナが、幼馴染の亡骸を抱いて泣いた。
「代われるものなら代わりたい」
 雄蜂のカズは、人間を刺せなかった。
「カズが死んだら、私が、納得できない」アナが、気丈に答えた。
 アナは、それからも、人間を襲おうとしたが、ダウン症ということもあって、元々体が弱く、動きが鈍かったので、なかなか刺すことができなかった。
「悔しい……!」アナが、唇を噛んだ。
 アナの育ての母も、高齢ながら、人間を刺した。
「お母さん!」アナが、アナの育ての母に駆け寄った。
「アナ……あなたは、刺さなくて良いから」
「そうは行かない!」
「刺さなくて……良いから……」
 アナの育ての母が、息を引き取った。
「お母さーん!」
 アナも、隙さえあれば、人間を刺す覚悟をしていた。

「アナ……!」カズは、女王蜂と共に、子孫を多く残した。
「とにかく、女王蜂を増やさないと!」
 女王蜂は、雄蜂との交尾を繰り返して、人間のコミュニティで、新しい女王蜂を増やして行った。
「女王蜂を起点にして、できるだけ多くの人間を刺せ!」
 女王蜂のゲキが飛んだ。
 女王蜂も、とにかく必死だった。人間を救いたい一心で。

     *

 人間を救い始めて、すぐに、働き蜂が、
「女王様、人間の幼児も刺してしまって良いものでしょうか?」
 と、疑問を呈した。
「確かに、人間の幼児は、蜂蜜を食すと、乳児ボツリヌス症になると聞く……そうだな、大きくなるまで待とう」
 女王蜂が、判断を下した。
「大きくなるまでと言っても……我々が、生き残っているかどうか……」
「……人間の幼児のために、勢力を残そう。安全な場所に、幼児を刺すための部隊を確保する」
「了解しました!」
 そうして、ウイルスの影響の少ない蜂を選んで、人間の幼児用の部隊のための巣を作った。
「一匹の雌蜂には、ローヤルゼリーを与えて、女王蜂に育てます。そして、幼児を刺す蜂の拠点にします」
 働き蜂が、手筈を整えた。
「ああ、うまくいくと良いのだが」女王蜂が、事の行方を案じていた。

 数日後、人間が、この巣を見つけて、
「巣だ巣だ! 蜂の巣があったぞ! 壊せ壊せ!」
 と、破壊した。
「何をしているんだ、人間は……これじゃ、幼児を助けられないじゃないか」
 働き蜂が、やり切れない思いに駆られた。
「諦めるな! 巣はまた作れば良い!」女王蜂は、諦めなかった。
 蜂たちは、人間の攻撃をかわしながら、命を賭して、人間を守った。

     *

 アナが、人間との闘いの最中、啓示を受けた。
 問い:〈女神はいると思うか?〉
 アナが、頭の中で、
「いたら、こんなことになっているもんか! ……でも、望みは捨てていないんだ。だって、これまでも、こうした危機はあったはず。それでも、ご先祖様が、生き延びて来られたのは、やっぱり女神の存在なんだと思う。女神も、自然と闘ってくれているのかな? 分からないけど、最高の結果をもたらしてくれると信じている。どんな結果でも、それが真だとして、受け入れよう」
 と、答えた。

     *

 のちの人間が、研究を重ねて、事実が判明した。
 人間は、森林伐採などで、蜂を危機に陥らせた。
 その人間は、ウイルスによって、子供が産まれにくい体になった。しかし、蜂の毒によって、蜂化現象が起きて、子孫を残せるようになった。
 一方、蜂は、ウイルスに冒されて、子孫も残せず、絶滅の危機に瀕した。しかし、毒が変質して、人間を救うことができた。
 そうして、なんの因果か、蜂が、人間を救うことになったのだ。
 蜂の毒は、変質して、蜂自身の命を奪うことになったが、人間にとっては、出産システムの特効薬になった。いわば、蜂の一刺しが、ワクチンのような作用をした。
「蜂の毒は、確かに毒と言われているが、本当に悪いことばかりなのかどうかが、分からない。人間の体にとって、良い成分も含まれている可能性はあるのでは? 一説には、蜂に刺されると、寿命が、平均して三年ほど伸びると言われています」
 研究員の言葉だった。

     *

 ある蜂のコロニーの働き蜂Aが、人間の子供を刺して、
「これで……この子は、助かるのね?」
 と、息も絶え絶えになった。
「うんうん、助かるよ。お疲れ様」
 雄蜂が、働き蜂Aの最期を看取った。
 それから、すぐに、他の働き蜂Bが、同じ人間の子供を刺しそうになった。
「ダメだー! その子は、もう刺した!」雄蜂が、叫んだ。
 しかし、働き蜂Bは、その子供を刺してしまって、「そ、そんな……」と、死に絶えた。
「どうしよう、アナフィラキシーが、起こるかも」
 雄蜂が、狼狽えた。
「どうしたの?」コロニーの女王蜂が、雄蜂の元へやって来た。
「ああ、女王様。働き蜂が、二度、人間の子供を刺してしまいました」
「そうか。もう一度、二度刺しをしないように徹底させよ」
「はっ!」
 雄蜂が、働き蜂の元へ行って、匂いについて、もう一度徹底して伝えた。
 一方、女王蜂は、人間の子供の傍で、「すまない」と、自らの命を絶った。
「じょ、女王様! 何を?」雄蜂が、女王蜂の異変に気づいた。
「女神がいるのならば、我が命を持って、人間の子供を救おうぞ」
 女王蜂が、消え入りそうな声で、告げた。
「女王様、何もそこまでしなくても……!」
「世界中の蜂が、命を懸けて、人間を守ろうとしているんだ。これでも、足りないくらいだよ」
 女王蜂が、息絶えた。
「女王様ーーー!!!」雄蜂が、絶叫した。
 女王蜂の言う通り、世界中の蜂は、命を賭して、人間を救おうと奮闘した。
「蜂を殺せー!」
 人間は、相変わらず、その蜂を殺した。
「やり切れないな……」
 雄蜂が、思わず愚痴をこぼした。
「それでも、刺すんだ」
 働き蜂は、その使命感に殉じた。
 人間の子供は、アナフィラキシーにはならなかった。せめてもの救いだった。

     *

「あと少し! 頑張って、みんな!」
 女王蜂は、人間を救うために、働き蜂を鼓舞した。
「人間を救うのよ!」
 働き蜂は、いつしか、人間を救いたい一心になっていた。
 そして、人間を刺して死んだ。
「ありがとう、みんな……」女王蜂が、働き蜂の死を悼んだ。
 そうして、人間のコミュニティで、人間をウイルスから救うミッションを遂行。全ての蜂が、人間のために必死に死んだ。
 一方、人間は、
「この蜂め!」
 と、相変わらず、蜂を殺し続けた。
「とにかく、人間を助けるの!」
 蜂たちは、そんな反撃を受けても、健気に決行した。
 蜂たちは、大挙して、健気に人間を刺し続けた。女王蜂が中心になっているものの、実際に刺すのは、働き蜂だった。
「僕たちは、援護するから!」雄蜂が、働き蜂への攻撃を逸らそうと奮闘した。
 世界各地で、こうしたミッションが、広まっていた。そこには、多くの働き蜂の犠牲と、雄蜂の努力と、女王蜂の無念があった。
 そうして、アナたちの撒いた種は、徐々に実を結んで、一大勢力となって、世界中の人間を刺すことができた。
 これが、BBB。
 蜂の大量発生の真実。
 ニュース:〈このところ勢いを増している蜂の大量発生『Bee Big Bang』、略して、BBBの最新情報です! BBBの勢力は、脅威的で、すでに国民の九十%以上が、この蜂に刺されました! 蜂は、命懸けで、針を刺す。一体、何が起きているのでしょうか?〉
 街には、死んだ蜂の入ったゴミ袋が、山のように積まれていた。ゴミ袋の底には、働き蜂の体から染み出した毒が溜まっていた。人間の出産システムの特効薬だ。

     *

 ある国では、蜂たちが、大きなコロニーを作って、働き蜂を大量に誕生させることに成功した。そのコロニーには、数十匹の女王蜂が、併存していた。
「争いは起きないの?」
 他の国の働き蜂が、驚いた。
「そんなことしている暇はない。それに、一説には、うちのコロニーの女王蜂は、みんな障害を持っているらしいの」
「だから、争いが起きないんだー。すごいね」
「きっと、女神の思し召しだわ」
「女神は、人間を見捨てなかったのね」
「そうらしい」
 女神は、蜂を見捨てたのに――。
 コロニーが、隆盛を極めた頃、人間が、
「あったぞ! 蜂野郎のコロニーだ!」
 と、大勢押し寄せた。
「人間が来たぞー! 刺せー!」
 働き蜂が、一斉に人間に向かって行った。無論、人間を救うために。
「殺せー!」
 しかし、人間は、強力な殺虫剤を使って、蜂を大量殺戮した。
「コロニーも破壊しろ! 二度と蜂が住みつかないように!」
 人間は、蜂を殺し、コロニーを滅茶苦茶に破壊した。働き蜂が、一生懸命作ったローヤルゼリーは、踏み潰されて、ぐちゃぐちゃになっていた。
「なんてこった……」
 数匹の生き残りの蜂が、空中から、コロニーの様子を眺めた。
「これで、大丈夫だ」
 人間は、やり切った様子で、握手を交わしていた。

     *

 ある夜、アナとカズが、人家の屋根の上で、戦いの傷を癒していた。
「死ぬ前に、カズ……愛しているわ」
 アナが、カズに体をすり寄せた。
「アナ、生きてくれ」
「だから、それはできないんだって」
「そうか……そうだよな……」
「カズ、好きよ。ずっと好きだった。死にたくないよ!」
「アナ……!」
 アナとカズが、交尾した。

 数日後、危機の最中、アナが、卵を産んだ。
「危機に瀕したから、私も、雄蜂を産めたのね」
 アナが、微笑んだ。危機に瀕すると、働き蜂も、雄蜂を産むことができた。
「ああ、戦力になるよ」カズが、喜んだ。
「立派な雄蜂に育てて」
 アナが、カズに頼んだ。アナは、まもなく訪れる死を意識していた。おそらく、この子の顔を見ることはないだろう。
「ああ、任せておけ」カズは、涙を流していた。

     *

 数匹のミツバチが、木の上の小さな巣に集まっていた。
「養蜂場で放たれて以来、散り散りになった仲間も、死に絶えたと聞く。我々も、どうやら最期のようだ」
 ミツバチたちは、アナの父が放ったミツバチの生き残りだった。女王蜂と働き蜂は、とうに死に絶えていた。
「女王様をお守りできなかった……!」
「人間に恩返しができたんだ。良しとしようじゃないか」
「悔しい……!」
 ミツバチが、涙を流した。
「……でも、多くの蜂たちが、協力してくれたね」
「ああ、蜂の結束力は、尋常ではなかった。誇りに思う」
「その誇りを胸に死んでいくさ」
「良い世の中になると良いな……」
 こうして、ミツバチが、死に絶えた。無念。その一言だった。

     *

 アナとカズが、人間を刺そうと、病院へ飛んで行った。
「ヒーヒー、フーフー!」
 妊婦が、出産をしていた。
「頑張れ、もうすぐ産まれるから」
 夫らしき人物が、分娩に立ち会って、声をかけていた。
「人間のお産だわ」
 アナが、カズに、声をかけた。
「あの人間は、きっと蜂に刺されて、出産できるようなったんだね」
「こんなに即効性があるのね?」アナが、疑問に思った。
「きっと初期の頃に刺されていたんだろう。いや、あるいは、まだミツバチたちが、毒の効果に気づく前か……」
「そっか、その頃に刺されていれば、今頃出産ということもありうるのね」
「あの妊婦を刺した蜂のお手柄だね」
「良くやった!」
「ハッハハハハ」
「人間の存在は、多くの犠牲の上に成り立っている」
「それを人間が理解してくれたら、どんなに報われることかしら」
「多くは望まないさ」
「悔しい……」
「仕方ないさ」
 カズが、アナを優しく包み込んだ。アナとカズは、人間の傲慢さに納得がいかなかったが、こうして、出産のシーンを見ていると、なんだか、それを許すことができた。生命の誕生は、それほど神秘的で、心を打つものだった。
「オギャーオギャー」
 赤ちゃんが、産まれた。
「ここにいる人間は、みんなもう刺した。行こう」
 カズが、アナに声をかけた。
「うん」アナは、涙を拭って、飛び立った。

     *

 働き蜂アナの一族も、ほとんど死に絶えた。
「全ての人間を救えなかった!」
 アナが、仲間の亡骸を葬って、悔しそうに雄叫びを上げた。
「十分やったわ」女王蜂が、アナにお礼を述べた。
「みんな……まもなくそちらに行けるわ」
「アナ、あなたは、生きて」
「無理です」
「悔しい……!」女王蜂が、唇を噛んだ。
「世のため人のため……素晴らしい最期じゃないですか」
 アナが、女王蜂に微笑みかけた。
「みんなを死なせたくなかった!」女王蜂が、涙を流した。
「女王様……」アナが、そっと抱擁した。
 その数分後、働き蜂アナが、
「さ、行って来ます!」
 と、女性を一刺し。
「こいつ! こいつ!」女性が、アナを踏み潰した。
「くそっ!」カズが、アナの元に駆けつけた。
「カズ……私たちの子供を……お願い……」アナが、息も絶え絶えに告げた。
「分かった。アナ、死ぬな……!」
「じゃあね」働き蜂アナが、死んだ。
「アナーーー!!!」
 カズが、怒り狂った。しかし、雄蜂カズには、毒針がなく、飛び回ることしかできなかった。
 働き蜂アナは、作業所の庭の木陰に眠る。
 作業員アナの手によって――。

 ほどなくして、カズも寿命で死んだ。
「さあ、アナの元へ行って……」
 女王蜂が、カズの最期を看取った。
 それから、生き残った雄蜂が、
「女王様を最後まで、お守りしたかったです……」
 と、次々と死に絶えた。
「ありがとう、みんな……あとは、人間の幼児を救えられれば……」
 女王蜂も、寿命が尽きた。
 こうして、蜂は、死に絶えた。
 幼児のために作り直した巣は、全て破壊されていた。巣の周辺には、働き蜂の死骸が、散乱していた。そして、その中心には、女王蜂の亡骸があった。女王蜂の周りは、無数の雄蜂の亡骸で埋め尽くされていた。最後まで、守ろうとしたのだ。女王蜂をじゃない。人間の幼児をだ。



     第四章



 あの世は、ぽかぽかと暖かく、一面花畑が広がっていた。遠くには、木々も生い茂っていた。そこには、生命が満ち溢れていて、エネルギッシュだった。
 もしかしたら、あの世というのは、亡くなった者の理想郷なのかも知れない。
 そこには、人間の女神と蜂の女神、他にも色々な女神が、存在していた。
 そこから、女神が、
「人間と蜂の間に、問題が生じたようだな」
 と、下界を見下ろしていた。

 今回の事象は、人間の世界と蜂の世界の結界が、破れた結果だった。結界と言っても、ファンタジーの世界の話ではない。実際に、ウイルスやDNAの作用によって、起こった現実の話だ。
 それは、この世の出来事としては、大事だったが、女神からすると、それほど問題ではなく、これまでの地球の歴史においては、よくある些細な事象だった。
「人間は、これよりも、大きな問題を抱えている」
 女神が、一言つぶやいた。
 それほどの大罪を人間は、犯してしまった。

     *

 この世とあの世の狭間には、薄暗くて、ひんやりした空間が存在していた。視界の先は、暗くて、どのくらいの広さがあるかは、分からなかった。その先が、どこに繋がっているかも、不明だった。
 作業員アナ、働き人間アナ、働き蜂アナが、この世とあの世の狭間で相対した。視界に入るのは、この三個体のアナの姿だけだった。
「ここは……?」作業員アナが、周りをキョロキョロと見回した。
「どうやら、死後の世界のようね」働き人間アナが、答えた。
「お名前は?」働き蜂アナが、作業員アナに聞いた。
「アナ」
「アナ」働き人間アナも、答えた。
「私も」働き蜂アナも、名乗った。
「どういうことかしら……?」作業員アナが、またキョロキョロと周りを見た。

 そこへ、女神の使いが、「幸せだったかい?」と、登場した。
「運命に翻弄されました」作業員アナが、お茶目に言った。
「ハッハハハハ」
「私なんて、蜂化現象で、蜂になりかけたんだから」
 働き人間アナも、負けじと感想を述べた。
「ハッハハハハ」
「私は、最初から働き蜂よ」働き蜂アナが、屈託のない笑顔。
「ハッハハハハ」
 三個体のアナが、揃って笑った。みんな障害があるからか、よく笑った。

     *

「この三個体は、どういう関係ですか?」
 働き蜂アナが、怪訝そうに女神の使いに尋ねた。
「それを説明するためにも、早速、皆さんの一生を振り返りましょう!」
 女神の使いが、合図をすると、三個体のアナの前に、他のアナの一生が、映し出された。

 ――作業員アナは、作業所で、お仕事サブスクを考案した。
 ――働き人間アナは、蜂化現象の中、敵国と戦った。
 ――働き蜂アナは、命懸けで人間を守った。

 働き蜂アナが、映像を見終えて、
「みんな、こんな一生を送っていたのね?」
 と、感慨深そうに言った。
「大変だったのね」働き人間アナも、感想を述べた。
「ごめんなさい。宮子が、踏み潰していたよね」作業員アナが、働き蜂アナに謝った。
「仕方ないよ。あの時は、とにかく、『宮子さんを救わなきゃ』って、必死だったの」
「本当にありがとう」
「アナのお父さんが放したミツバチに感謝ね」働き人間アナが、作業員アナにウインクした。
「そうだね」
「ハッハハハハ」
「お墓を作ってくれてありがとう」働き蜂アナが、作業員アナにお礼を述べた。
「いえいえ、働き蜂アナって、本当に使命感があるのね」作業員アナが、感心した。
「働き蜂ですから」
「そうか! 私なんて、本当に弱くて……」
「作業員を守っていたじゃない?」
「あれは、みんなが根気強かったのよ」
「確かに」
「ハッハハハハ」
「働き人間アナも、芯の強さがあるよね〜。健気だし」作業員アナが、働き人間アナにも声をかけた。
「褒め過ぎ」
「ハッハハハハ」
「それはそうと、どうして、私は、雌の子を産めたんですか?」働き人間アナが、女神の使いに質問した。
「そうそう、私も」働き蜂アナも、続いた。
「女神の御意志です。雌の子を産めたのも、ダウン症だったことも」女神の使いが、落ち着いて答えた。
「女神が、絶滅から救ってくれたんですね?」働き蜂アナが、女神の使いに聞いた。
「女神には逆らえませんから」女神の使いが、笑った。
「ハッハハハハ」三個体のアナも、一緒に笑った。
「あと、結局、蜂化現象というのは、なんだったんですか?」働き人間アナが、女神の使いに質問した。
「ああ、あれは、先のウイルスのせいで、人間も蜂も、子供が産めなくなったんです。ところが、蜂の毒の成分によって、人間は、子供が産める体になった。それが、蜂化現象です」
「人間を救ったのは、蜂ということで?」作業員アナが、聞いた。
「そういうことです」
「ありがとう!」
「いえいえ」働き蜂アナが、照れた。

     *

「どうでした? 現世の生活は」女神の使いが、もう一度同じような話題を振った。
「格差社会の選別の荒波に溺れました」作業員アナが、正直に答えた。
 実際、良いことばかりではなかった。
「どうして、格差社会の選別が起こると思いますか?」
「……エゴかしら?」
「役割を与えるためですよ。上の人がいて、下の人がいる。健常があって、障害がある。役割があるから、人は、考え、学び、成長する。上や健常が偉いんじゃないことは分かりますよね?」
「……はい」
「納得してないかな?」
「……」アナが、にっこりと微笑んだ。
「ハッハハハハ」
「下があるから、上がある。障害があるから、健常がある。みんな同じだったら、そうした区別は生まれないよね」女神の使いが、懇切丁寧に説明した。
「確かに」
「必要だから存在するんだ」
「……正直、苦労ばかりでしたが」アナが、少し恨み節。
「ハッハハハハ」
 声:〈だから、こうして、女神になれるんだ〉
「え……?」三個体のアナが、顔を見合わせた。
 声:〈女神になって欲しい〉
「この声は……」
 三個体のアナが、あの声を思い出した。
 啓示の声だ。
「女神の声です」女神の使いが、三個体のアナに告げた。
「女神……?」

     *

 作業員アナの答え:「障害児者として生を受けたわけだし……それからも、格差社会の選別を経験して……それでも、女神はいるかな。だって、みんなが、女神なんていないって思っていたら、救われないでしょ。障害児者も健常児者も。みんなのために、それでも、女神はいるって信じたい。何よりみんなの幸せのために」
 働き人間アナの答え:「ウイルスや蜂化現象に翻弄されたわけだし……選別や格差社会を経験して……女神はいないかな。だからこそ、私は、女神になりたい。女神になって、もっと世の中を良くしたい。自分がやらなきゃ、誰がやるっていうの? みんなの幸せを本気で願うなら、自分が女神になるしかない」
 働き蜂アナの答え:「いたら、こんなことになっているもんか! ……でも、望みは捨てていないんだ。だって、これまでも、こうした危機はあったはず。それでも、ご先祖様が、生き延びて来られたのは、やっぱり女神の存在なんだと思う。女神も、自然と闘ってくれているのかな? 分からないけど、最高の結果をもたらしてくれると信じている。どんな結果でも、それが真だとして、受け入れよう」

     *

 声:〈もう一度聞く。女神はいると思うか?〉
 作業員アナが、
「……格差社会での最下層の存在だから、一生卑屈になって、生きるものだと思っていた。だけど、違った。その格差社会には、意図があったんですね。それを聞いて、やっぱり、女神は、いるのかなって……」
 と、改めて意見を述べた。
 働き蜂アナが、
「……〈女神はいると思うか?〉という問いに対する答えで人生が左右される――と、考えてもみた。しかし、本当に女神がいたら、そんなことをするだろうか? 女神はもっと高尚な――と言っては安っぽいかも知れないが――考えを持っているはず」
 と、答えた。
 働き人間アナが、
「今なら、こう答えるわ――女神はいた、と……みんな、女神の意志の元で、生まれて来て、生きて、死んでいくんだわ。そう考えれば、全ての生物も植物も、女神の化身。何よりそう考えれば、幸せになれるんじゃないかしら。そして、あの世もきっとある。そこでは、お父さんも、お母さんも、カズも、Qさんも、王様Kさんも、楽しく暮らしている。そう思って死んでいく。それが、死ぬ時の恩返しじゃない? 女神に対しての。あの世がなくたって、良いじゃない。周りが全部女神の化身で、あの世で幸せになる。そう思って生きて行くことが、幸なんじゃないかな。自分のためじゃなく、周りの生物や植物への礼儀として」
 と、まとめた。
「ただ、女神にはなりません。一か八か、あの世に行って、みんなに再会します」作業員アナが、きっぱりと答えた。
「同じく」働き人間アナも、返事をした。
「同じく」働き蜂アナも、声を揃えた。
 声:〈……残念ですが、仕方ないですね〉
「引き止めないんですか?」作業員アナが、突っ込みを入れた。
「ハッハハハハ」
 声:〈こんな時まで、笑ってくれるんですね……〉
「障害がありますから」作業員アナが、胸を張った。
「もしも、生まれ変わることがあったら、また障害にしてください」働き人間アナが、しっかりと意見を述べた。
「そうね」働き蜂アナも、賛同した。
「うん」作業員アナも、同感。
 声:〈そうですか……〉

 少し間が空いた。
「ところで、私たちって、亡くなった時期が違うのに、どうしてここで一緒になったんですか?」
 働き人間アナが、女神の使いに聞いた。
 三個体のアナは、時空を超えて集まっていた。
「実は、これを見せるためです……」
 女神の使いが、三個体のアナに、未来の地球の様子を見せた。

 ――草木は朽ち果て、地球全体が、砂漠化していた。温暖化も止まらず、地表の九十%以上が、海の底になっていた。そして、人間も蜂も、滅亡していた。

「なに、これ……?」働き人間アナが、言葉を失った。
「蜂を殺さなければ、良かったの……?」作業員アナが、推測した。
「いえ、何もしなくても、ウイルスで死んでいたわ」働き蜂アナが、きっぱりと言った。
「人間が、森林伐採なんてしたからじゃ?」作業員アナが、また推測した。
「そもそも、ウイルスが広まるのを防がないと」働き人間アナが、原因を突き止めようとした。
 しかし、答えは出なかった。
「救いたいですか?」女神の使いが、三個体のアナに声をかけた。
「救えるんですか?」働き蜂アナが、間髪入れずに聞き返した。
「あなたたち次第です」
「救いたいです! みんなを……子孫を守りたい!」作業員アナが、力を込めた。
「同じく」働き人間アナも、賛同した。
「歴史を変えよう!」作業員アナが、気合を入れた。
「そうね!」働き人間アナと働き蜂アナも、拳を握った。
 声:〈了解!〉
 女神が、眩い光を放った。
 辺りが、光で満たされた。
 声:〈一つだけ、伝えておきましょう。実は、皆さんのお父様もまた、地球の滅亡の映像を目の当たりにしました。そして、答えたのです。「娘をダウン症にしてください」と。お父様は、そこに、地球を守る秘策があると信じて――〉
 三個体のアナは、この女神の声を意識が遠のく中で、かすかに聞いた。
 三個体のアナの姿が、光の中に消えた。
「良いんですか? 閻魔様。こんな嘘の世界を見せて」女神の使いを名乗っていた男が、呆れて聞いた。
「これで、面白くなる」女神の声だと思っていた声の主が登場。
「それにしても、歴史を変えるとは……大きく出ましたね」
「だから、こうなった」
 三個体のアナは、それぞれの産まれた時に戻った――。

     *

 作業員アナは、幼い頃から、父の養蜂場でとれたローヤルゼリーを食べていた。
「お父さんのローヤルゼリー、大好き!」
 作業員アナが、屈託のない笑顔を見せた。
「そうかいそうかい。嬉しいこと言ってくれるね〜」
「ハッハハハハ」
 作業員アナは、深層心理の中で、アナの父の「娘をダウン症にしてください」という言葉を反芻していた。作業員アナは、その言葉をなんとなく覚えていた。ただ、それを確かめようとはしなかった。怖かったし、何かが、壊れてしまいそうで。

 アナの父は、ウイルスが蔓延した頃、養蜂場のミツバチを野に放った。そのミツバチは、のちに人間を救うことになった。
 作業員アナは、病床のアナの父に向かって、
「お父さん、養蜂場の蜂を放してくれて、ありがとう」
 と、お礼を述べた。
「ああ、生き延びてもらわないと……」
 アナの父も、将来を憂いでいた。
「お父さん、あのね……女神と会って……」
 作業員アナは、女神とのやりとりをアナの父に伝えようとして、止めた。
「……そうか……アナ、元気でな……」
 アナの父が、息を引き取った。
「お父さーん!」作業員アナが、慟哭した。

 作業員アナが、幼い頃、カズに、「この世界を変えなくちゃならないの」と、相談した。作業員アナは、なんとか、歴史を変えたかった。
「良いねぇ。変えてくれ」カズが、微笑んだ。
 カズには、作業員アナの言っていることが、冗談にしか聞こえなかった。
「そうじゃないの。本当に変えないと……人間と蜂を救いたいの」
「お父さんが、養蜂場を営んでいたから?」
 カズは、作業員アナの真意を図りかねていた。

 それから、世界中が、BBBに直面した。
「蜂を殺せ!」人間が、愚行を繰り返した。
 蜂の大群が、喫茶店に押し寄せた時、作業員アナが、
「蜂を殺さないでください!」
 と、必死に訴えた。
「なんだ、あの障害者?」
「どうせ蜂は刺したら死ぬんだ。刺される前に殺せー!」
 周りの反応は、冷ややかだった。
「刺されて!」作業員アナが、懇願した。
「意味が分からないぞ。正気か、アナ?」
 カズが、作業員アナに問うた。
「正気よ」
 それでも、作業員アナは、めげずに、
「できる限りのことをしないと……」
 と、作業所の親会社を通じて、山中に植樹をした。
 さらに、作業員アナが、
「みんな、ちょっと頼みがあるの」
 と、作業所の作業員たちに切り出した。
「なんだい?」作業員Aが、耳を傾けた。
「できるだけ多くのローヤルゼリーを集めたいの」
「何に使うの?」
「地球の未来のために使うの」
「またアナの救世主の話かい?」カズが、おちゃらけた。
「ハッハハハハ」
「真剣なの……お願いできる?」作業員アナが、真剣に頼んだ。
「……お安い御用だよ」
 作業所の作業員が、作業員アナの熱意に負けて、周辺の蜂の巣から、ローヤルゼリーを集めて回った。
「せめて、このくらい……」
 作業員アナが、アナの父の養蜂場の跡地に、ローヤルゼリーをたくさん置いておいた。

 その後、作業員アナは、カズや涼子らと共に、幸せな人生を送った。
 しかし、死の間際、
「結局、何も変えられなかった……こんな幸せじゃ、だめなんだ……」
 と、悲しそうにつぶやいた。

     *

 働き人間アナは、カズと共に、王国の城に隔離されていた。
 そんなある日、働き人間アナが、カズに、
「お父さんに会いたい。城を抜け出しましょう」
 と、持ちかけた。
「危険だぞ」
「百も承知。行かなくてはならないの」
「……分かった」
 そうして、働き人間アナとカズは、城を抜け出した。
「お母さん!」働き人間アナが、アナの母に声をかけた。
「ああ、来てくれたの?」
「うん」
「手紙、読んでくれたのね?」
「それは、読んでない」
「どうして、お父さんのことが分かったの?」
「……色々あるの」
「そう……?」
 働き人間アナが、アナの父に向かって、
「お父さん、ダウン症に産んでくれて、ありがとう。きっと未来を変えてみせる!」
「……」アナの父は、返事をしなかった。
「アナ、時間がない!」カズが、働き人間アナに声をかけた。
「じゃ、行くね。お父さん、ありがとう」
 働き人間アナが、自宅を後にした。
 しばらくして、アナの父が、息を引き取った。

 働き人間アナは、城の中で、コツコツと何かを書き記していた。
「アナ、何してんだ?」カズが、アナに問うた。
「ああ、研究。蜂化現象の謎を解こうと思ってね」
「冗談だろう?」
「冗談よ」
「ハッハハハハ」

 働き人間アナは、一生を終えた。

 他の国でも、蜂化現象が、流行していて、少子化に喘いでいた。
 そんな時、
「王国で、女王人間が、複数誕生していたそうだ」
 と、噂が広まった。
 働き人間アナが、女王人間になった話だった。
 そして、他の国の従者が、「王国に学べ!」と、大挙して王国に訪れた。
「最大限の協力はいたします」女王人間Rが、従者を迎え入れた。
「ありがとうございます」
「お母さんだったら、こんな時どうするだろう……?」
 女王人間Rが、働き人間アナを思って、研究者の道に進んだ。
 以降、女王人間Rが、必死に研究を進めた。
 そして、「お母さん、ありがとう」と、働き人間アナの墓前で手を合わせた。
 働き人間アナは、闘いの最中、必死に研究して、多くの論文を残していた。女王人間Rは、それを基に研究をして、その成果を論文に残した。
 論文:〈アナの三本の二十一番染色体は、全く無駄ではなかった。そのおかげで、女王人間が、複数でも、混乱なくコミュニティは、成立したのです。そして、アナの子孫は、いわゆる働き人間でも、子供を産むことができた。雄の子供も雌の子供も。それこそが、蜂化現象を食い止める秘策だったのです。〉
 そして、女王人間Rが、「これで、元の人間に戻れる!」と、拳を握った。
 蜂化現象の原因遺伝子を突き止めて、蜂化現象の特効薬を作り出したのだ。
 蜂化現象の特効薬が、世界中の人々に処方された。
 さらに、働き人間が、子供を産んで、「あら、健常児が産まれた……?」と、驚かれた。
 事実、働き人間も女王人間も、一定確率で、健常児を産むことができるようになった。
 そして、その健常児は、大きくなって、健常児を産んだ――そうして、蜂化現象は、過去のものとなった。
 こうして、世界中の蜂化現象が、収まった。
「ありがとう、R様」
 他の国の従者が、ひっきりなしに、女王人間Rにお礼を述べた。
「お礼なら、この国の人々に……とりわけ、我が母であるアナに」
 各国が、融和の道に進んだ。
 しかし、この影響で、後世の人間に一つだけ変化があった。
 それは――ダウン症児者の知的障害がなくなったのだ。
 女王人間Rの開発した薬は、知的障害の特効薬にもなった。
「蜂化現象は、世界中のダウン症児者にとっては、福音のようなものだったのかも」
 女王人間Rが、天を見上げた。
 王様Kも、各国の王様から感謝されて、「全ては、国民のおかげです」と、胸を張った。

 しばらくして、王様Kが、病に伏せた。
「素晴らしい世の中にしてくれてありがとう」
 王様Kが、亡くなった。
「お疲れ様でした」女王人間Rが、最期を看取った。
 王様Kの遺骨は、国の古墳に埋葬された。同じ古墳には、カズが埋葬されていた。その脇には、働き人間アナとアナの母の墓。王様Kの死後、みんなを一緒に納骨することにしていた。王様Kの計らいだった。
「ありがとう……」女王人間Rは、この時、その事実を初めて知った。

 障害児者と健常児者の間の選別はなくなり、格差社会は終わりを告げた。
「これが、お母さんが夢に描いた世界」
 女王人間Rが、笑った。

     *

 働き蜂アナが、アナの父の墓へ行って、
「ダウン症に産んでくれてありがとう」
 と、祈りを捧げた。

 女王蜂の元へ、ミツバチがやって来て、「人間を毒針で刺してほしいんです」と、願い出た。
 そうして、BBBが、敢行された。
 働き蜂は、人間を救うため、命懸けで、毒針を刺した。
 しかし、人間は、蜂を殺した。
 それでも、働き蜂アナは、
「人間の幼児を救うための聖地を作ってください!」
 と、各地の蜂に懇願して回った。
 そして、働き蜂アナも、卵を産んで、命を落とした。
 女王蜂が、闘いを終えて、臨時の巣に戻って、「こんなことって……」と、驚愕した。
 アナの卵は――雌だった。
「でも、雌が、産まれても……」
 雌でも、生殖システムの異常で、子供は望めなかった。
 BBBが、終焉を迎えた。
「もう闘わなくて良いのね……?」女王蜂が、安堵のため息を漏らした。
「はい。もう十分です……闘える働き蜂は――いません」カズが、報告した。
 世界中の働き蜂は、死に絶えた。
「なんでこんなことに……!」女王蜂が、おいおい泣いた。

 働き蜂アナは、生前、作業員アナの父の養蜂場へ行って、
「ローヤルゼリーを分けてくださいな」
 と、告げていた。
「なんだか、いっぱいあるから、いくらでも良いですよ。わしらは、まもなく死ぬから」
 数匹のミツバチが、養蜂場の見守りをしていた。そのローヤルゼリーは、作業員アナの用意したものだった。
「正義感があって、勇敢なミツバチのものだから」
 働き蜂アナが、ローヤルゼリーを採取して、持ち帰っていた。

 働き蜂アナの死後、女王蜂が、
「せめて、働き蜂アナの子供は、ローヤルゼリーを与えて、女王蜂に育てましょう」
 と、雄蜂に告げた。
「働き蜂アナの残したローヤルゼリーも、使いましょう」
 雄蜂が、働き蜂アナの子供に、ローヤルゼリーを与えた。
 働き蜂アナの子供は、すくすくと成長して、立派な女王蜂になった。
 残った雄蜂が、アナの子供を連れて、女王蜂の元へ行って、「この子は、女神の子です……」と、報告した。
「女神の子?」女王蜂が、期待を込めて聞いた。
「ええ、生殖システムの異常が、ないんです」
「子供が、産めるの?」
「はい!」
「だが、毒の変質で、長くは生きられないでしょう?」
「それが、この子の毒は、さらに変質して、無害になっているんです」
「本当なの?」
「はい」
「まさに、女神の子だ……! ありったけのローヤルゼリーを与えて!」
 女王蜂が、立ち上がって、指示を出した。
「はい!」
 雄蜂は、アナの集めたローヤルゼリーを、引き続きアナの子供に与えた。
「アナ、立派に育ててみせるからね」
 結局、アナの子供を育てたのは、女王蜂だった。自分の跡を継ぐ存在として、大切に大切に育てた。
 のちに、アナの子供は、女王蜂になって、蜂の一族を、絶滅の危機から救った。

「ブ〜ン」
 とある市郊外に、かすかな羽音が、聞こえた。羽音が、段々近づいて来た。
「また、一から始めよう」
 わずか数匹の生き残りのミツバチが、集結した。そこは、アナの父の養蜂場。ミツバチは、死に絶えなかったのだ。
「いっぱいあるな」
 幸い、女王蜂を育てるローヤルゼリーは、大量に残っていた。

     *

 再び、三個体のアナが、この世とあの世の狭間に集まった。
「何もできなかった……」三個体のアナが、落ち込んだ。
 三個体のアナは、生まれ変わった世界での自分の死後の顛末を知らなかった。
「そうでもないですよ。未来の地球を見てみましょう!」
 女神の使いを名乗っていた男が、未来の地球の映像を映し出した。

 ――地球は、青々と草木が茂り、たくさんの動植物が生息していた。空気も海も澄み切っていて、生命体が、和やかに共存していた。「ブ〜ン」と、背中に羽の生えた人間が、空を飛んでいた。

「歴史は、変わったのね!」作業員アナが、喜んだ。
「やり過ぎじゃ……」働き人間アナが、少し戸惑った。
「ミツバチも絶滅しなかったのね」働き蜂アナが、目を輝かせた。
 声:〈三個体のアナが、世界を救った。その功績は、歴史が、証明してくれるだろう。三個体のアナが、ダウン症だったからこその奇跡だ〉
「産まれた時に戻る前の言葉、本当ですか? 父が、『私をダウン症に――』というのは?」
 作業員アナが、女神の使いに聞いた。
「本当です。お父様の大手柄です。本当に地球の未来をひっくり返してしまったんですから。いわば、〈蜂の一刺し〉でした」
「お父さんったら……」
「ハッハハハハ」三個体のアナが、笑った。
 ダウン症のアナの尊厳は守られた。
「ダウン症様様だわ!」
 ダウン症の個体は、その後、重宝されて、世界を幸に導いた。
「では、天界へ御案内します」女神の使いを名乗っていた男が、三個体のアナに告げた。
「あの世ですよね?」働き人間アナが、確認した。
「皆さんは、女神になります」
「だから、女神にはなりません」作業員アナが、断固拒否した。
「なってもらいます」
「そんな……」
 アナたちは、結局女神になって、天界へ行った。
「あ、みんなここにいたんだ」

 三個体のアナは、天界で、他の女神に会った。
「私の名前も、アナっていうのよ」ある蜂の女神が微笑んだ。
「奇遇ですね」働き蜂アナが、笑った。
「蜂の世界の最初の女王蜂の名もアナ、その夫はカズという名だった。そのアナは、ダウン症だったのよ。今回の三個体のアナの一生は、必然よ」
「そうですか」
「古のアナのお導きよ」



     エピローグ



 歴史が、アナの人生を証明してくれた。
 世界は、アナに救われたのだ。
 ダウン症だからこその偉業だった。
「ダウン症がかくも強かったか、とてもうれしい」「勇気ある言動に拍手」「ダウン症が不条理を追いつめた」「完遂理由は正義以外何物でもない」「従来の障害観を変えるほど清新なものに映った」
 のちの世界の人々が、その事実を知り、アナを賞賛した。ロッキード事件の時、〈蜂の一刺し〉発言をした、榎本三恵子さんに対する賞賛と驚くほど酷似していた。
 アナの人生もまた、社会のためだった。
 その人生こそが、〈蜂の一刺し〉だった。
 社会への痛烈な一刺し。
 ロッキード事件での〈蜂の一刺し〉は、社会を変えただろうか?
 アナの〈蜂の一刺し〉が、これからの障害を取り巻く社会を変えることを切に願う。


     了


工賃:
https://www.mhlw.go.jp/content/12200000/000859590.pdf
最低賃金:
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/minimumichiran/
蜂:
https://www.akitayahonten.co.jp/aki0303-09.shtml


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