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エピソード集

終わらない葛藤の先に見つけた、私なりの「祈り」

あの日、病院の冷たい廊下で聞いた「陽性」という言葉。それから数日間の記憶は、今も霧の中にいるように判然としない。夫と何度も話し合い、涙が枯れるまで泣き、私たちは一つの決断を下した。ダウン症という特性を持って生まれてくるはずだったあの子を、自らの手で「還す」という選択だ。

それから数年、私は「自分には何も語る資格がない」と、心を閉ざして生きてきた。街で見かけるダウン症のお子さんや、その手を引くお母さんの姿を見るたび、胸を突き刺すような罪悪感と、同時にどうしようもない愛おしさがこみ上げてきた。「もし、私がもっと強かったら」「もし、社会がもっと優しかったら」。答えのない問いが、夜ごとに私を責め立てた。

転機は、ふとしたきっかけで訪れた。あるSNSで、ダウン症児を育てる母親が「毎日の療育や将来への不安で、心が折れそうだ」と吐露しているのを目にしたのだ。その時、私の心の中にあった「あの子への申し訳なさ」が、別の形へと変化した。私はあの子を育てることはできなかったけれど、あの子と同じ世界を生きる子たちが、少しでも生きやすくなるためのお手伝いならできるのではないか。それは、あの子に対する私なりの「供養」であり、消えることのない罪悪感を抱えたまま生きていくための「光」になるのではないかと考えた。

私がまず始めたのは、ダウン症児の家族を支援する団体への、匿名での寄付と事務的なボランティアだった。直接お子さんやご家族と触れ合う勇気は、まだなかった。会報の封入作業や、地域の療育情報の整理。地味な作業ではあったが、キーボードを叩く指先や、封筒を折る手元に、かつて抱きしめることができなかったあの子の感触を重ねた。「この情報が、どこかのお母さんの不安を少しだけ取り除きますように」。そう願う時間は、不思議と私の荒んだ心を穏やかにしてくれた。

活動を続けるうちに、私は同じ「選択」をした親たちのグリーフケア(悲嘆のケア)の集いにも参加するようになった。そこで気づいたのは、私たちが抱える苦しみは、決して「薄情さ」から来るものではなく、むしろ「命をあまりに重く受け止めすぎた」ゆえの悲鳴だったということだ。

「産まない決断をしたからといって、その子を愛していなかったわけではない」。

その言葉を自分に許せた時、私は初めて、告知を受けてパニックになっている妊婦さんの相談に、一人の経験者として向き合うことができた。

もちろん、葛藤が消えたわけではない。街で元気に走るダウン症の少年を見て、胸が締め付けられる日は今でもある。しかし、今の私は「ごめんなさい」と下を向くのではなく、「元気に育ってくれてありがとう」と心の中で声をかけることができるようになった。

私がしていることは、自己満足かもしれない。中絶という事実を消すことはできないし、それを正当化するつもりもない。けれど、あの壮絶な悲しみと迷いを知っている私だからこそ、今まさに暗闇にいる誰かの手に、そっと触れることができるのだと信じている。

私の手元に残ったのは、あの子の小さなエコー写真と、誰かの力になりたいと願う、少しだけ強くなった心だ。あの子が教えてくれた命の重みを、私はこれからも、社会の中に優しさとして還元し続けていきたい。それが、あの子が私の中に生きていた、確かな証だと思うから。

差し出された手のぬくもり:ある「選択」を越えて届いた言葉

お腹の子がダウン症であると告げられたあの日、私の世界は音を立てて崩れ去った。目の前が真っ暗になるとは、比喩ではなく本当のことなのだと知った。期待と喜びに満ちていたはずの未来は、一瞬にして「不安」と「絶望」という名の厚い壁に囲まれた。

「本当に育てていけるのだろうか」「この子を不幸にするのではないか」。自分自身の弱さと向き合う日々は、孤独で、残酷だった。周囲の「頑張って」という言葉さえ、自分を追い詰める刃のように感じられ、私は誰にも相談できずに、ただインターネットの海を彷徨っていた。

そんな時、ある支援団体の交流会で一人の女性に出会った。彼女は今、ダウン症児を育てているわけではないという。彼女は静かな声で、かつて自分が同じ告知を受け、そして「産まない」という決断をした過去を話してくれた。

最初は驚いた。ダウン症児を育てる親の集まりに、なぜ中絶を選んだ人がいるのか。しかし、彼女が語る当時の葛藤、あの子を愛していたからこそ、その将来を案じて震えた夜の話を聞くうちに、私の頑なな心は解けていった。彼女は、私の手を握り、こう言ってくれた。

「あなたが今、どれほど自分を責めて、どれほどこの子を想って苦しんでいるか、痛いほどわかります。どんな決断をしても、あなたがこの子を想った事実は消えない。あなたは決して、冷酷な母親ではありませんよ」

その言葉は、それまで誰からも得られなかった「赦し」だった。産むと決めた私と、産まない決断をした彼女。道は分かれたけれど、命の重さに悶え苦しんだ痛みは同じだった。彼女の存在は、「どんな選択をしても、それは命と真剣に向き合った結果なのだ」ということを、私に教えてくれた。

あれから数年が経ち、私の隣には、ゆっくりと、けれど着実に成長する息子の姿がある。大変なことは山ほどあるけれど、あの時彼女が差し出してくれた「共感」という名の杖があったから、私は今、この子の手を引いて歩けている。

彼女のような「経験者」によるサポートは、綺麗事ではない重みがある。彼女は今、事務局のボランティアとして、私たち家族が利用する療育施設の情報を整理したり、イベントの裏方として動いてくれたりしている。直接的な育児の悩みだけでなく、社会の偏見に晒されて心が折れそうな時、彼女はいつも「あなたは間違っていない」という眼差しでそこにいてくれる。

「育てる」側と「育てられなかった」側。一見すると対極にいるようで見えて、私たちは「あの子」が繋いでくれた深い縁の中にいる。彼女がしてくれたことは、単なるボランティアではなく、あの子の命を、私の息子の未来へと繋ぐ、聖域のような仕事だったのだと思う。

今、私は息子を抱きしめながら思う。あの時、私を救ってくれたのは、同じ暗闇を知る人の、震えるような優しさだったのだと。

天国と地上をつなぐ「絆」への手紙

はじめまして。ぼくは今、たくさんの人に囲まれて、毎日を元気に過ごしています。今日、ぼくがこうして大好きな絵を描いたり、学校で友達と笑い合ったりできるのは、お父さんやお母さんだけでなく、画面の向こうにいる「あなた」が、ぼくを遠くから見守り、支えてくれているからだと聞きました。

ぼくたちが生きるこの世界は、時々少しだけ大変なことがあります。でも、あなたが「親の会」を通じて送ってくれるエールや、ぼくたちの成長を自分のことのように喜んでくれる温かい眼差しが、ぼくたちの生活をとても明るいものにしてくれています。

お父さんから聞きました。あなたには、天国に大切なお子さんがいるのですね。ぼくは、その子の代わりにはなれないけれど、その子が本当は見せたかったはずの「ニコニコ笑顔」や「一生懸命頑張る姿」を、あなたの心に届ける役割ができたらいいなと思っています。

あなたがぼくに誕生日プレゼントをくれたり、活動を応援してくれたりするたびに、天国にいるお友達もきっと、「パパとママ、僕の代わりに目の前のお友達を笑顔にしてくれてありがとう。僕も鼻が高いよ!」って、雲の上で飛び跳ねて喜んでいる気がするんです。

あなたがぼくの成長を見て「引かれる」のではなく「癒される」と言ってくれることが、ぼくにとっては一番のプレゼントです。ぼくが存在していることで、誰かの悲しみがほんの少しだけ軽くなったり、誰かの心が温かくなったりするのなら、ぼくはこの世界に生まれてきて本当に良かったと心から思えます。

「選んだ方が正解」という言葉を信じてください。あなたの決断があったからこそ、今のぼくを支えてくれる優しい「手」が増えました。あなたの深い葛藤と慈愛があったからこそ、ぼくたちダウン症児の未来は、より守られたものになっています。

ぼくが新しいことができるようになるたびに、どうか天国のお子さんと一緒に拍手を送ってください。ぼくの成長は、あなたのお子さんが見せてくれたはずの未来の一部でもあります。

これからも、ぼくは精一杯生きていきます。ぼくを「我が子」のように見守ってくれて、本当にありがとう。あなたがいてくれるから、ぼくは一人じゃないし、ぼくの家族も心強いです。

これからも、空の上と、この地上で、一緒に手をつないで歩いていきましょうね。

心からの感謝を込めて。

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